★【この腕の中に…】
「ヴェステンフルス隊長、艦長がお呼びです。」
「…、何度言ったら解ってくれんのよ?」
「え?」
ハァ…と大袈裟に溜息をついて
ハイネはティールームへとやってきた目の前の少女を見やった。
書類を抱えたまま、自分の言葉に急に不安げにオロオロしている愛らしい少女を。
その顔には「ひょっとして私何かしたのかな」
という台詞が現れている。
「あの…隊ちょ…」
「あー、もう解った解った。すぐ行くって。」
「はい…」
しまった…
つい投げやりに聞こえる台詞を吐いてしまったことを、ハイネは直ぐに後悔した。
こんな風に言うつもりじゃなかった。
だが此処のところ、複雑な気持ちが混ざり合っていて…。
ハイネの返事に瞬間的に顔を曇らせて俯いたは、けれどハッとした様に顔をあげて
「失礼します」と背を向ける。
背を向けた瞬間、潤んだ瞳はハイネに見つかる事は無かった。
聞こえないように小さな小さな溜息をついて、は書類を抱えなおして
今度は別の方向へと足を進める。
の仕事はミネルバの雑用が主だった。
無論、最新鋭艦に配属されたのだから、そこそこの能力も技術もある。
けれど控えめな性格が災いしてか、うまく自己表現が出来ないせいか
華やかな仕事があてがわれる事は無かった。
もっともそれはの思い込みで、艦長のタリアは彼女の適正を見抜いて仕事を与えているのだけれど
コンプレックスだらけのに伝わってはおらず…。
ルナマリアやメイリンのように、エリートに混じってテキパキと軍務に携わる事は気後れしてしまうし
かといって整備士のような技術は持っていなかった。
そこそこの事は出来るものの、表立って際立った役には立てていない…
それはの悩みであって、その悩みは最近益々助長されることになった。
ハイネ・ヴェステンフルスのミネルバへの配属によって…。
「また怒らせちゃった…」
ティールームから随分と離れて、彼に聞こえる心配の無いところまでくると
は立ち止まって涙を拭いた。
ずっと憧れてた…
先の戦争で軍本部に赴いた時、僅かの間だが同じ空間にいた彼をずっと…。
声を掛けることなんて出来なくて、名前だけ…時折呟いては心を慰めた。
颯爽と歩く彼に視線が釘付けになり
エリートであることを鼻に掛ける事無く気さくに笑う綺麗な瞳にドキドキして。
姿だけを眼に焼き付けて、その後二年余り…
忘れる事はなかったけれど、かといって自ら行動を起こす事なんて出来るはず無かった。
きっと恋人だっているんだから…
でも想うだけなら…。
そんな想いを抱いていた彼が、ある日、あの時と変わらぬ姿のまま…
否、以前より格段に凛々しさを増して、けれどあの人懐っこい笑みはそのままに目の前に現れて。
『よろしくな』
差し出された手は温かくて、夢のようにさえ思った。
こんな声だったんだ…
なんてそんな風にボーっと思ったことを覚えている。
『フェイスだからとか赤服だからとかなんて壁を作るのってどうかと思うぜ?俺のことはハイネ。解った?』
悪戯っぽく笑う彼に、その時は頷いたものの結局言えないでいる。
言えるわけない…特別だからこそ。
でも、自分以外の子達はみんな、その言葉を素直に受け入れて
彼の望みどおりその名を呼ぶ。
羨ましい…そう思いながら、
けれどには却って、周りがそう呼べば呼ぶほど自分は呼べなくなって…。
だって私は何の役にも立てていないし、雑用くらいしか出来ないし…
だから、いつものように呼ぶしか出来なくて。
それが彼の呆れた表情を誘う事になってもどうしても…出来なくて。
「そ…だ、次の用事は…」
涙を拭いていつもの顔を取り戻すと
はもう一度書類を抱えなおして歩き出す。
次は幼馴染に用事をことづかっていた。
「あーあ、またやっちまった…」
廊下を軍靴を鳴らして歩きながら、ハイネはワシャワシャと乱暴に頭をかく。
サラサラの髪が僅かに乱れたのを気にする事無く
一旦下ろした手は再びワシャワシャと繰り返す。
『紳士は身だしなみが大事。これ、基本よ?』
なんて、普段は華麗におちゃらけて
そんな部分は微塵も出さない彼にしては珍しい仕草だった。
だが幸い、それを瞳にするものはいなかったのだけれど。
タリアに呼ばれて後の帰り道、今や作戦行動のない時間帯はかなりの割合で
自分の占領区域となっているティールームに戻る途中のことだった。
紅茶を啜りながら、が世話しなく動き回るその様子を視界に捉えられる絶好の場所。
「だってなぁ…折角逢えたんだぜ?」
二年余り前、軍本部で一生懸命立ち働く1人の少女に目を奪われた。
決して出しゃばる事無く控えめで…
けれど気配りの細やかさでその場の雰囲気を優しいものにしていた少女の姿。
表立って発言する事も目立った事をするでも無かったけれど
周囲は彼女のそんな心配りにそれほど気付いてはいないようだったけれど、
「こういう子がいてくれると救いだよな」なんて彼は微笑ましく見ていたのだ。
自らをアピールしようとする輩が格段に多い軍の中で、彼女の存在は貴重だった。
そして、戦闘に駆り出されては戻るハイネにとって
いつしか彼女の姿は癒しになってもいて…。
だが普段なら気軽に声をかけてふざけたりすることも出来るのに
彼女が相手ではそれもままならず。
嫌われたら…なんて考えるとそう易々と近づく事も出来なかった。
そうこうしている内に戦争は終わり…事後処理に追われる日々に突入したハイネは
彼女を探すなんて時間をとることも出来なかった。
そんな時に、再び戦いの幕が明け
偶然配属された先での再会…。
相変わらず優しげな雰囲気に愛らしい面持ち、控えめな態度はそのままに
はそこにいた。
握手の為に手を差し出した時だって、本当は柄にも無くドキドキしてたりして。
「声が上ずってたりしたら格好わりぃよな。」
なんて緊張したりもしたものだ。
『だーかーら、俺のことはハイネでいいって。なんでそう堅苦しいのよ?』
『すみません…でも慣れなくて…』
『…ま、無理しなくていいけどさ。』
何度もこんな会話が繰り広げられて、けれど
俯いて申し訳なさそうにするの姿が可愛かったから、不承不承妥協していた。
「俺ってつくづくに弱いんだよな」
そんな感情に揺らされる毎日も悪くないか…そう思い始めていた。
一週間前までは。
『ザラ隊長!』
角を曲がろうとして聞こえてきた声。
耳に心地よい声は、やっぱり誰を呼ぶときでも堅苦しいのかと
ハイネはつい頬を緩めてしまって。
それはどうやら呼ばれた本人も同じらしかった。
『、俺にそれはやめてくれないか。恥ずかしくてしょうがないよ。』
…だよな…
どうもくすぐったい感覚に慣れないのは、自分の性格ばかりだけではないらしい。
単独行動の多かった自分も呼ばれる機会は少なく…
そしてアスランも恐らくそうなのだろうと、ハイネは心の中で笑っていたのだ。
けれど。
『…じゃぁ、お言葉に甘えて。アスラン、さっきシンが…』
アスラン…そしてシン。
はさらりと彼らをそう呼んだ。
シンは年下だからともかくとして、アスランは自分と同じフェイスで赤服で隊長だ。
別に隠れるでもなく堂々と2人の様子を見ていたが
の屈託の無い笑顔に胸を掴まれる様で…。
こんな顔もするのかよ…
そこにいるは見た事の無い無邪気な笑顔で、とても楽しそうにアスランと会話している。
話の内容なんてもはや聞こえなかった。
アスランもまんざらではなさそうな様子に胸が痛い。
「そういうことかよ…なーんだ、かっこ悪いね、俺。」
が俺を名前で呼ばなかったのは、彼女なりのケジメなのだと…
真面目だから、そして何かと自分を気にする奴だからとそう思っていて。
ならばそれも仕方ないと諦めていた。
けれど。
既に特別がいたってわけか…
「アスランかぁ…あいつ、いい奴だしな。真面目すぎるしちょっと融通利かないけど。」
控えめに微笑むそんな顔しか、俺には見せてくれなかった。
だが似たもの同士、お似合いなのかもな…
その時は何も無いふりをして遠ざかったけれど
時間を経るにつれてやはり想いは乱れた。
2年以上…忘れられなかったのだ。
そして今も手の届くところにいるのに。
抱きしめたいのに、想いを告げたいのに、それは出来なくなった。
そう思うと、「ヴェステンフルス隊長」なんて変わらぬ声で呼ぶに
イライラしてしまって。
ついきつく返してしまう。
そんな事が続いたこの一週間。
さっきの言い方は今までで一番酷かったと、それでもハイネは反省していた。
ただの嫉妬なのに。
「やっぱ謝ってくるか…」
それに一度ちゃんと玉砕するってのもいいかもな。
「玉砕って何よ…」
自分で考えてちょっと落ち込みながら、ハァ…なんて溜息をついて
それでもハイネは決意した。
髪が乱れたままなのも気付かないまま…。
愛しい姿を探すのは簡単なもんなんだぜ。
なんて数分後、気障な台詞を心で吐いて
ハイネは目的の少女を見つけて歩み寄る。
デッキには夕焼けの赤い光が差し込んでいて、眩くて眩暈がしそうで…。
の華奢な後姿が、尚儚げに見える。
かなり近づいたところで、ハイネは死角になって見えなかった
もう1つの影を見いだした。
アスラン…
ひょっとしなくても俺って邪魔者かよ…
落ち込みそうだったが、そのまま立ち去る事も出来ず
また一週間前のように2人を見守る形となってしまった。
波の音が大きくて、2人の話し声は聞こえない。
別に立ち聞きの趣味は無かったがどうしても目が離せなかった。
「チッ…」
呟いて、壁に持たれかかる。
風が髪を弄るのさえ気にならず、ハイネは溜息をついて空を見上げた。
話が終るまで待ってるか…
そう考えて、何気なく視線をまた戻した。
けれど。
「…」
泣いてんのか?
俯いたをアスランがなだめる様にして庇っていて
遠目にも彼女の様子が解る。
艶やかなの髪が靡いて、顔を隠してはいたけれど
震える肩が想像できて、そしてその哀しげな背はハイネの胸を揺らせた。
「おい!」
気付いたら二人に向かって歩き出していて。
つい荒げた声に驚いて振り返ったアスランの顔を見て初めて、
自分の行動に気付いた。
「ハイネ…?」
「あ…えっと…その…だな…」
アスランの怪訝な視線に、勢いは削がれてしまった。
を泣かせるな…
なんていえた義理ではない事を、瞬時に思い出したのだ。
この2人は付き合っているんだから俺が介入するのはどう考えてもお門違い…
下方から別の視線も感じて、ハイネはそちらを見た。
至近距離で見るとクラクラする程美しい潤んだ瞳はやはり…
先程の自分の考えは間違いでなかった事を告げていて、だから野暮を承知でハイネは口を開いた。
冷静に考えれば、アスランがそんな男ではないことはよく解っているはずなのに。
「えっとさ…俺がどうこういうのもおかしいとは思うんだが、やっぱ女性は大切に扱わなきゃいけないと思うぜ?
泣かせるなんて良くないぜ?アスラン。」
「は…あの…」
「あー、お前らが付き合ってるのは解ってるんだけどな?なんていうかその…楽しくやった方がいいだろ?」
何いってんだ、俺…
自分の言葉に激しく落ち込むハイネだった。
「ハイネ…俺たちは別に」
「余計なお節介して悪いな。でも俺…」
が好きだからさ、泣いて欲しくないんだよ…
言えたならどんなにいいだろう。
けれど、後輩を前にしてその恋人に言えるはずも無い。
「ま、そういう事だから。邪魔したな。」
非常に情けない心持ちで、ハイネは踵を返す。
落ち込み度は極限にまで達していた。
早く遠ざかりたいぜ…なんて思って歩き出そうとして。
「おわっ」
だが、軍服を引っ張られてそれは出来なかった。
首だけ回して振り返ると、細い指が自分のそれを掴んでいて。
「ご、ごめんなさい、ヴェステンフルス隊長、でも…」
「?」
「あ…の…」
名を呼ぶと、指は彼の軍服を慌てて離した。
真っ赤になる様はとても可愛くて…。
「じゃぁ、。頑張れよ。」
だから言っただろう?大丈夫だって…
そう言って、アスランが意味ありげな微笑を向けて遠ざかる。
「え?なんなんだよ?」
去っていくアスランの背と俯くと、両方を交互に見ながら
ハイネの脳裏はハテナマークでいっぱいだった。
「お前ら、いったい…」
「…ってないです…」
「は?」
小さくてよく聞こえない。
必死に言葉を紡ごうとするは、抱きしめたくなるほど儚げで…
理性と戦うことに葛藤するハイネだった。
「アスランとは…付き合ってない…です…」
漸く聞こえてきた言葉は、だが喜ぶ事を忘れるくらい
彼にとっては衝撃的だった。
だってどうみても…。
「随分と仲良さそうだったろ?」
「幼馴染だから…」
それにアカデミーでも一緒でしたし…
ポツリポツリと紡がれていく言葉は、波の音に度々攫われそうになって
聞き取るのが大変だったけれど。
「そうなのか?俺はてっきり…。あ、けどじゃぁなんで泣いて…」
喧嘩でもしたのか?
段々と鎮まり始めた心でハイネは問いかける。
心の奥底に何か固まりつつある気持ちを自覚しながら。
「それは…」
隊長の事を相談してたなんて言える筈無くて…
アスランはこの艦でたった一人、私の理解者で。
でも、隊長に叱られて落ち込んでましたなんて言ったら、責める事になってしまうから…。
そのまま沈黙してしまったをハイネは今や静かに見ていて。
心に生まれつつあった想いを口にする決心をする。
「自惚れてもいいか?俺…。」
「え…あ…」
戸惑うをゆっくりと抱き寄せる。
瞬時に身を固くして震える、その様が酷く愛おしい。
「が引き止めてくれた事、自惚れちゃうぜ?俺は。」
小さな手で一生懸命掴んでくれたのは、俺に誤解されたくなかったから…
そう捉えてもいいだろ?
こんなチャンスを逃すなんて出来ないからな。
耳元で囁く声に、は震えた。
信じられない…
この腕の中にいる事が。
今何を言われているのかも理解出来なくて。
でも、必死だった。
あの時、行って欲しくなくて…。
でも、今なら言える気がする。
こうして隊長が来てくれて、アスランが背中を押してくれた今なら…
ずっと閉じ込めてた想いを…。
玉砕覚悟でもいい…勇気を振り絞って、おずおずと口を開く。
それは言えなくて溢れそうで…
これからも秘めていくはずの想いだったけれど。
「あの…私…ヴェステンフルス隊長が…」
「おっと、そこまで。そこからは俺の…男の台詞。」
言葉半ばで唇に指を押し当てられる。
理解した瞬間、それは恥ずかしくての頬を染めたけれど。
解らないまま見上げた先で、切れ長の綺麗な瞳が揺れる。
吸い込まれそうな輝きにぼうっとしてしまって…その時。
「好きだぜ、。愛してる…」
唇に押し当てられていた指が離れて
代わりにハイネのそれがゆっくりと重なる。
オレンジの髪が頬に触れて、先程まで捕えられていた瞳が閉じている事に
は漸く気付いて…。
もまた、長い睫を伏せてそれに応えた。
信じられない言葉と温もりを、「ひょっとしたら夢なのかもしれない」なんて思ったまま
それでも素直に。
「俺のもんだからな…。」
…本当は二年前からずっと…
また零れ落ちたの涙に、ハイネが大慌てするのは
それから数秒後の事…。
「ヴェステンフルス隊長、失礼します。」
2人の想いが通じ合ってから、ハイネのティールーム独占率はぐんと下がってしまい
は彼の部屋へとそのまま足を運ぶ。
彼の信じられない言葉が夢ではなかった事は、
その後示された数々の思いもよらぬ彼の独占欲によって、にも漸く理解できつつあった。
それは嬉しくも恥ずかしく…
には慣れないことだらけであったけれど。
「ー、何回言わせんだ?」
「だ、だって…」
「名前で呼ぶまで用件聞いてやらないぜ?。」
「そんな…っ」
結局あれからも、はなかなか「ハイネ」と呼ぶことは出来ず…。
彼のイライラは別の感情に変化しつつあった。
涼しげに見つめてくる綺麗な表情の裏側に、こんな顔を隠していたのかと
は日々気付かされる毎日で…。
それでもその愛しさは変わる事無くただ増していくだけ…。
けれど、そう簡単に全てを変える事も
には出来るはずもなく。
「ほら、ちゃんと言えよ。」
椅子に優雅に腰掛けている彼の元へ、手招きされては近づいていく。
「きゃっ」
触れたと思ったらその手は引かれて
簡単に彼の胸へと倒れこむ形になった。
至近距離で見つめられて、鼓動は高鳴るばかりで…
だが隠してはいるがそれはハイネとて同じ事。
「。」
「あ…………ハ…イ……」
促されては、真っ赤になりながらソロソロと言葉を接いでいく。
ハイネが満足そうにそれを見守りながら、彼女の綺麗な髪を弄ぼうと
僅かに触れた…その時。
「ハイネ、次の作戦行動で…」
――シュン――
がロックし忘れた扉は、訪問者がその前に立つや否や唐突に開かれて。
「アスランっ///」
予期せぬ客にそれは妨げられた。
「すっ、すみません…!」
「お前な〜!!!」
これじゃあただの返事になっちまうだろうが!
ハイネの叫びにアスランは何のことか解らず…
けれど、邪魔した事だけは確実に理解したので、僅かに顔を赤くして早々に退散した。
「わ、私も失礼しますっ。用件は、議長がお話があるから通信をと…」
慌てても、スルリと腕から抜け出して走り去っていく。
チッ…素早いな…
なんて舌打ちは、幸い愛しいの耳に届くことはなかったけれど。
「まぁ…いいか。」
名前も呼んで欲しいけど、だけが呼んでくれる「ヴェステンフルス隊長」の響き…
気に入ってんだぜ?
「末期だぜ…ったく。」
くっくっ…とそれでも楽しそうに笑って、ハイネもまた部屋を後にする。
愛しい小鳥はもう、この腕の中だから…。
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