そうやって、笑って許されると。

それ以上何も言えなくなっちゃうじゃない。






W   楽の音色






アカデミーを卒業したら、婚約者はホーキンス隊に引き抜かれるらしい。
別にその隊に入ったことが問題じゃなく、入隊以前からあちこちの隊から引っ張りだこで。
それはすごいことだ、とか。

普通は、ルーキー自ら入隊志願を書いて、それが受け入れられて入隊というケースが多く。
志願書を書くよりも先に、隊の方からお声がかかることは珍しい……らしい。

私は、軍人じゃないし。
アカデミーに入っているわけでもないから、分からないけれど。
父上は、本当に嬉しそうだった。


「ごきげんよう、 様」
「えぇ。こんにちは」


私が通っている学校は、音楽学校で。
声楽家には、あのラクス=クラインも在籍していたとかの、まぁ有名な学校で。
当然、いわゆる上流階級のお嬢様方も結構多い。


「聞きましたわよ、 様。婚約者がおできになったのですってね」
「えぇ、まぁ」
「アカデミー首席卒業の逸材とか……さすがですわね」


ニコニコ笑うその人に、それがどうしたの?と言いたくて仕方がなくなる。

確かに、婚約者は首席卒業が決定しているらしい。
優秀な人材であることも、聞いている。
でも、それがどうしたの?
それが私に、何の関係があるの?


「私、 様はてっきり、ご自分がアカデミーに入学されるのかと思ってましたわ」
「あら……?何故です?」
「理由はありませんわ。ただ、そんな気がしただけですの」


そう答える彼女に、女の勘は馬鹿に出来ないわね、と思った。
人のことをちっとも見ていなさそうに見えて、案外よく見ているものだ。
そして思い込みから正しい答えを導き出すのだから、気が抜けない。

私だって、アカデミーに入りたかった。
私自身が、父上の役に立ちたかった。
でも、父上はそれを拒絶された。

どうして?
私が、女だから?
だから、アカデミーにも入れないと言うの?

そんなの、勝手じゃない。

息が、詰まりそう。


「レイラ嬢は、婚約者は?」
「私は、まだですわね……。でもおそらく、もう暫くしたら、お父様が決定されると思います。一応私は、マックスウェル家の人間ですもの」
「そうですか……」


婚姻統制。
なんてくだらない茶番だろう。
そんなことをしても、子供が出来るわけじゃない。
そんなことをしても、未来に繋がるわけじゃない。
それでも、私たちコーディネイターは、未来を求めずにはいられない。

間近に迫った開戦も、元を辿れば根っこは同じ。
未来を、コーディネイターが求めているから。
過去の栄光に、ナチュラルはしがみついているから。


「婚約者の方は、どのような方ですか?」
「……素晴らしい方よ」


われながら、嘘っぽいと思う。
われながら、こんな自分に吐き気がする。
でも、私がこれまで作ってきた『私』は、こんなときでも本音は言わない。
それが、『私』。
それが、『 = 』。


「まぁ。それは結構なことですわね」
「えぇ、そうね」
「お幸せになってくださいね、 様」
「……有難う」


幸せ?
勝手に婚約者を定められて、その人を好きになれるかも分からないのに、幸せ?
無理に決まってるじゃない。

私は、愛せないわ。
私は彼を、愛せない。
愛せるはずが、ない。
こんなにもイライラして、面会の日が来るたびに気がおかしくなってしまいそう。

こんなことで、結婚なんて出来るはずがない。



**




「何、これ。ヴァイオリン?」
「えぇ。そうです」
「弾くの?
「えぇ、一応」


学校で、私はヴァイオリンをしている。
ピアノ、と言うのも考えたけれど、ヴァイオリンの旋律が、私は妙に好きで。
気がついたら、ヴァイオリンを専攻していた。
バッハが、好き。
モーツアルトが、好き。
音楽は、好き。

でも、それよりも。
音楽よりも私は、父上の役に立ちたかった。
父上のためなら、音楽だって捨てて構わなかったのに……。


「弾いてよ、
「……人に聞かせられるほどの腕はありませんから」
「嘘吐き」


断ろうとすると、そう言われた。
嘘吐き。
そう、言われて。
腹を立てるよりも何よりも、憤る。
何でそんなこと、言われなくちゃならないのよ。


= のヴァイオリンはなかなかのモノだって、聞いたことあるけど?」
「おそらくそれは、社交辞令だと思います」
「謙遜してる?それとも……」


翡翠の瞳が、すっと細められる。
怜悧な、美貌。
クールとすら感じさせる彼の顔は、そうすると急に冷たい……非人間的な雰囲気を纏う。


「俺には聞かせたくない?」
「そんなことは……」


ない、と言おうとして、腕を掴まれた。
端正な顔が、目の前に……とても近くにあって。
戸惑う。


「ないなんて、言わせない」
「ヴェ……」
「『ハイネ』」


腕を掴まれたまま、その翡翠の双眸に居竦まれる。

私はまだ、この人の名前が、呼べない。
『ヴェステンフルス』なんて、長い名前。
それよりも、『ハイネ』のほうが言い易い。
たった三文字の言葉。
文字で表記しても、五文字の名前。
それが、口に出来ない。


「ヴェステンフルスじゃない。俺は、ハイネだ」
「……」
。いい加減、名前で呼んでくれよ」


呟く声は、少し苦しそうで。
悲しそうで。
この人は私に好意を持ってくれているんじゃないか、と錯覚してしまいそうになる。

でも、違うでしょう?
父上が、アカデミーの教官だから。
だから、逆らえなかっただけでしょう?
婚約なんて所詮、婚姻統制の名のもとに行われる政略結婚で。
父上は、私を戦場に出さないために貴方を利用しているのよ?

ミリアム家は、利用しているのよ?
ハイネ=ヴェステンフルスを。
その、実力を。
その存在を、利用して。
私を、戦場に出さないためだけに。

ねぇ、もしも私がそれを言ったら、貴方はどんな顔をするの?
その事実を知らないから、貴方はそんな態度をとっていられるのかしら?


「いきなり『婚約者』で、戸惑うのは分かる。 の年なら、冗談じゃないと思って当然だと思う」
「……」
「でも、いつまでも『ヴェステンフルス』で呼ぶのはやめてほしい。それは確かに俺の姓だけど、俺自身の名前じゃない。俺の家の名前だ。俺自身の名前は別にあるのに……」
「……ぅして?」
?」


手に込められていた力が、緩む。
掴まれていた手を、振り解いて。
掴まれていたところを押さえるように、もう片方の手で包み込む。

怖いの。
私は、この人が怖い。

暴力を振るうわけじゃない。
軍人だというのに、彼は暴力めいたものを感じさせない。
どことなく優雅で、貴公子めいた高貴さを感じさせる、人。

でも、怖いの。
その翡翠の瞳は、いつも私を落ち着かなくさせる。
怖くて……怖くてたまらない。


「どうしてそんなことを言うの?」

「父上は、私は、 家は、貴方を利用しようとしているだけじゃない。……そして貴方は、 家を利用しようとしているんでしょう?特務隊所属の軍人の娘、何て。貴方のステータスにはぴったりでしょうよ」


何も知らずに、馬鹿だと思う。
こんなこと言いたいわけじゃないけれど。
言葉は、止まらない。
馬鹿よ。馬鹿だわ。

お互いただ、利用しあってるだけじゃない。
それなのに……。


「……知ってる」
「え?」
「教官の思惑は、知っている。 を戦場に出さないために必要な婚約者だってことくらい、分かってる」


淡々とした声、だった。
全てを受け入れている声だ、と思った。
全てを受け入れて、受け入れた未来に殉じる人の、声だと。

この人は、こんな声も出すんだ。
こんな声で、誰かを呼ぶこともあるんだ。

意外……だった。
いつもいつも、ふざけたようなおちゃらけた態度で。
こんな真剣な……こんな……。

でも、やっぱり馬鹿だわ。
父上の思惑を分かっていながら、婚約するなんて。
馬鹿以外の何者でもないじゃない。
私が貴方を愛するかどうかさえ、分からないのに……。


「俺は、 のことは知ってた」
「あの……?」
「アカデミー入学の初日、入寮日の初日に、 に会ったことがある。俺は寮の場所が分からなくて、 が教えてくれた。……覚えてない?」


尋ねられて、首を傾げる。
私は、小さい頃からアカデミーに出入りしていた。
その施設内に。
父上がアカデミーの教官ということもあって、忘れ物だとかなんだとかを届けたりしているうちに、いつの間にか顔パスになっていた。

この人と、会った……?
でも私は、覚えていない。
いつもいつも、毎年毎年、寮や入学式の会場を探して迷う人はいて。
いつもいつも、その人たちを案内したりしていたから。
いつものこと、だから。
よく覚えていない……。
日常に埋没して、忘れてしまっている。


「覚えていない、か……」
「……ごめんなさい」


残念そうに呟くその人に、思わず詫びを入れる。
いくらなんでも、覚えてないなんて。
非礼以外の何者でもないから。
それなのに……。


「謝ることじゃない。いつもしてたんだろ?」
「ぇ?」
「俺にとっては、めったにない珍しいことだったから、忘れられなかったけど。……俺、迷ったりしないから。でも、 にとっては、新入生を案内することは良くあることだったんだろ?」
「ぇえ。まぁ」


はっきりと、頷く。
良くあること、だから。

すると彼は、口元にはっきりと笑みを刻んだ。


「優しいんだな、 は」
「え……?」
「猫かぶりでしているとは、思えない。きっとはもともと優しくて、だから困ってるやつを放っておけなかったんだろ?猫かぶりのためだけじゃ、こうもいかない。
アカデミーでも評判だぜ?=に助けられた奴は、多いから」


囁く翡翠の瞳は、優しい。
それよりも、初めて言われた言葉。

『優しい』。

猫かぶりで、そんなときはよく言われる。
嫌だと思いながらも、それでもいい子をしていると、誰もがそう言ってくれる。


は優しいね』


と。
でも、もともと優しい人間なのだといわれたのは、初めてで。
何だか、くすぐったい。


「利用されても、いいと思ったんだ」
「え……?」
「利用されていると分かっても、そんなことどうでも良かったんだよ」


呟かれた言葉の意味が分からなくて、目を丸くする。
すると、いつも通りの笑みを浮かべて。


「それより、これ。聞かせてくれない?」


そう言って、ヴァイオリンを差し出す。
ほんの少し苦笑しながら、私は頷いた。

今は分からないことでも、そのうち分かるかもしれない。
だから、頷いて。

楽器を取り上げると、肩に当てる。








奏でる楽の音が、ゆっくりと空気に溶けていった――……。



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歌を歌わせるというのは、どうもいつものパターンのような気がしましたので。
ヴァイオリンにしました。
だって、ピアノはニコルがしてるし。
レイもピアノ弾くみたいだし。
誰もしてない楽器と思ったんですが、うちのイザークがヴァイオリン弾く人でした……。
まぁ、公式じゃないのでその辺はよしということで。

ここまでお読みいただき、有難うございました。