振り払われた手は、滑稽なほど、じんじんと痛んだ――……。








[   疼き







 呆然、と。
 まさしくその言葉通りに、彼は振り払われた手を見つめていた。

 確かに触れ合えたと思った少女の予期せぬ拒絶に、心が……気持ちが追いつけない。
 何故、と。
 疑問符をちらつかせることしか、できなかった。


……?」


 嘘だろう、と。思う。
 これは嘘だと、誰かに言って欲しい。



 オトモダチでいい、と。そう言った。
 それはある意味本心であり……ある意味、俺の感情からかけ離れたものだった。
 初めて出逢った時から、人知れず惹かれた、少女。
 『オトモダチ』なんて。そんな言葉で互いの関係を清算できるほど生易しい感情ならば、初めから抱きはしなかった。
 少なくとも俺は、そんな優しい言葉で清算できるほどの優しい感情を、もちはしない。俺って言う人間は、そういう人間。
 どこまでも自分本位で、自分が一番可愛くて。
 だから、誰にも惹かれることはなかった。

 『恋人』なんて、特定の存在を作らなかったのも、そのせい。
 俺は、俺が一番可愛くて。俺が一番大好きで。だから、俺を悩ませるものなんて、必要なかった。
 だって俺は、俺が一番大事だから。
 誰かのことで頭がいっぱいになる俺なんて、俺自身想像できない。
 俺は、そんな人間じゃないよ。そう言って笑って、お仕舞い。
 ならば今、身に起こった現実は、罰が当たった、と。そう言うことなのだろうか。そうやって、傲慢だった俺に、罰が当たったのか。

 ただ一人、この感情を掻き立てた存在を失うことは、それは、俺の傲慢に対する、罰なのか。
 失いたくなんて、なかったけれど――……。



**




様、どうかなさいましたの?」


 声をかけられて、私は顔を上げた。
 同じヴァイオリン科の少女が、心配そうに私を見ている。
 レイラ=マックスウェル嬢、だ。
 正直、今はあまり会いたくはなかった。

 自分の運命を、彼女はどこか当たり前のように受け入れている気がして、それは、私にはっきりとした異質な感情を持たせた。
 どうして、貴女は受け入れられるの?
 そう思わずには、いられない。
 だって、顔も知らない婚約者、じゃない。顔も知らない相手との、婚姻じゃない。
 どうしてどうして、受け入れられるの?

 そうね。行為をしなくても、子供は創れるわ。
 一緒に暮らすのが嫌なら、別居すればいいの。
 子供だって、託児所に預けてしまえばいい。
 簡単なことだということは、知っている。でも、私は嫌だわ。

 同じ書類に、隣り合って名前が載ることも。
 愛し合ってもいないのに、傍目には仲良く振舞うことも。
 愛してもいない人を、愛そうとするのだって。

 私は、嫌。

 コーディネイターはナチュラルの夢だと、誰かが言った。
 夢の産物は、結婚さえも統制される未来しか、持ち得ないというの?


「どうもしていませんわ、レイラ嬢」
「そうですか?その割には、お顔の色が優れないご様子ですわ。それに……」
「それに、何でしょう?」
「先ほどの 様の演奏ですが、何かいつもと音が違ったような気がしましたの。何か、屈託でも抱えていらっしゃるのでは、ないですか?」


 屈託といわれると、彼のことしか、なかった。
 そしてその事実に、私は愕然とした。

 何で私は、彼のことばかり考えているのだろう。
 なぜ、彼のことばかりがこの脳裏を占めるのだろうか。
 おかしい……おかしいわ、 。おかしい。
 オトモダチじゃない、彼は。
 ただの、トモダチ。クラスメイトの少女たちと、変わらない存在であるはず。
 それなのに何故、彼のことで思い悩んでいるの、
 分からなかった。
 私は、私の感情が一番、分からなくて。理解できなくて。
 私が一番、そんな『私』に戸惑っていた。


「屈託だなんて、そんな……。別に何もありませんよ、レイラ嬢」
「そうですか?」


 見ていないようで人をよく見ていて。それでいて結構勘の鋭いところのある彼女は、そんな私の言葉に、いまだに納得していないようだった。
 でも、そんなこと言われても、私にだって。

 『分からない』のだ。
 私は、私の感情が一番、分からなかった。

 だって、ハイネはオトモダチだもの。
 婚約なんて、とんでもなくて。そんな現実、許容できなくて。
 だから、ハイネのオトモダチから、という言葉に飛びついたのは、私だもの。
 トモダチだわ、あの人は。
 それ以上の感情なんて、私は持っていない。
 そうでしょう? =
 そうよね?



 呪いのように何度も何度も自分に語りかけて、漸く私は落ち着いた。
 息を吸って、吐いて。
 普段どおりの『私』を作る。

 笑いたくもないのに、笑って。
 ウソツキの


「えぇ、何でもありませんわ、レイラ嬢。ご心配をおかけしてしまったようですね、有難うございます」
様……?」
「少し、ナーバスになっていたようですわ。コンクールが近いですから。……大好きなヴァイオリンのことでナーバスになるなんて、私もまだまだ修行が足りないようです」


 目の前の女性が、納得したようには、見えなかった。
 不信感たっぷりの目で私を見つめて。
 嘆息すると、彼女はそうですか、と諦めたように頷いた――……。



**




!」


 アカデミーは、今日も休暇らしい。
 礼儀なんてどこかに置き忘れてきましたとでも言いたげに、赤みがかかった金髪の男性――言わずと知れた私の婚約者だ――が駆け込んで来た。
 彼が休暇のたびに訪れるいつものサロンで、私は彼と対峙した。
 振り返ると、彼は肩で息をしながら、呼吸を整える。


「何の御用でしょう」
……」
「貴方らしくありませんね。何か、ありましたか?」


 肩で息をしている彼、というのは。本当に彼らしくなかった。
 いつも品の良いトワレを薫らせて、涼しげに立っているところしか見たことがなかったから、余計にそう思われた。
 いかにも走ってきましたとでも言いたげな今の彼は、見たことがない。


、俺……」
「何の御用でしょう。私、これからレッスンがあるので、忙しいのです。ご用件がおありなら、手短に仰っていただけないでしょうか」
……?」


 呆然とした眼差しが、私を見つめてる。
 翡翠よりも鮮やかな緑柱石の瞳が、滑稽なほど大きく見開かれた。
 切れ長の瞳は、そうして見ているとその怜悧さよりも年齢にそぐわない純粋さを垣間見せる。
 それが、なんだか酷く可笑しくて。酷く、癇に障った。

 そんな自分に、私が一番、戸惑いを覚えずにはいられない。
 何を……何を言っているの、


、何かあったのか……?」


 案じるような優しい光を、その緑柱石の瞳にたゆたわせて、彼はそう尋ねた。
 勿論私は、それに応える言葉など、持っていない。


「何もありませんが?」
「じゃあ、何で……?」


 傷ついた、とでも言いたげに。彼は私に向かって歩み寄ってきた。

 一歩彼が近づいて、一歩私が下がる。
 言葉にならない押し問答を繰り広げていると、いつしか私の背中は壁にぶつかった。

 一気に間合いを詰められて、息を呑む。
 恐怖、ではないけれど。多分私は、引き攣った顔をしたのだろう。
 サワラナイデ。
 私は多分、言葉にせずともそう、彼に言ったのだと思う。
 拒絶に、彼の顔が目に見えて強張った。

 怒り……ではない。どんな激情とも無縁に思える緑柱石の瞳は、張り詰めそうなほどの静謐に包まれていた。ただ、彼は哀しそうで。
 それに、痛みを覚える。
 その理由なんて、私には分からないけれど。

 痛みを堪えるような、そんな顔のまま。その唇が、掠れた声で、静かな悲しみを紡いだ。


「……ならどうして、そんな目で俺を見るんだよ……!」


 彼の瞳に映った私は、泣きそうな顔をして。
 彼を、見つめていた――……。





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 おかしいなぁ。私の思うハイネ様がなかなか書けないです。

 だいぶお待たせいたしました。
 『destined for...』第8話をお届けいたします。
 ハイネ様偽者警報発令で申し訳ないです。
 おかしいなぁ。私、彼はプラントの帝王だと思っている筈なのに。
 面影皆無ですみません。
 やっぱり、ヘタレの言葉が適切な気がしてならないです……ハイネ様がヘタレなんて、有得ないのに。
 帝王な彼は……後半に持ち越しでしょうか。
 いったいいつになったら、帝王な彼が書けるのだろうか。
 この連載は本当に、ハイネ様がヘタレで申し訳ないです。
 若さゆえのアヤマチ、ということで如何でしょう?(ヘタレは過ちかよ)

 ここまでお読みいただき、有難うございました。