歌を、唄いましょう。

声を限りに。

喉が裂けるまで。

歌を、唄いましょう。

貴方への、思いを込めて……。






] 激情






カタカタと震え続ける華奢な肢体。
それに、思わず手を伸ばしてしまうのは、悲しい男の性だろうか。
別に俺は、女には苦労してないし。
ただ、妹と。それだけではどうしても言い切れないほどの思いを抱えたのは、少年と思っていた が、実は という名前の少女だと知ったとき。
少女に、女を感じて、戸惑った。
愛しい、と。
そう思えば、あとは自分の感情を把握するのは簡単で。

けれどそれを堪えたのもやはり、少女が愛しかったからだった。
少女が愛しているのは、自分ではないから。
ミゲル=アイマンが、アスラン=ザラが愛しているのは =
けれど、 = が愛しているのは。

愛しているのは……。










イザーク=ジュール……。


俺にしろ、なんていわない。でも、俺ならもっと、大切にするのに。
こんな、戦場に出るのが似つかわしくないほど、綺麗で愛しい、……まるで本当に血の繋がった肉親のように愛しい少女。
自分なら、イザークよりも大切にするし、イザークよりも幸せにできると思うのに。


?」
「せんぱ……ごめんなさい。先輩の服……」
「……ああ」


ぽんぽんと軽く撫でるように背を叩くと、 が顔を上げた。
どんな宝石も敵わないであろう極上の、奇跡のように美しい赤い瞳が、俺を見上げて。
顔を赤らめた が、俺の軍服を指す。
そこは、 の流した涙で染みになっていた。


「気にするな。こんなもん、洗濯すりゃ落ちるから。……少しは、落ち着いたか?」
「……はい。ご迷惑をおかけして、本当に……」
「よせよ、 。当然のことだろう?」


律儀に頭を下げる、少女。
全く。イザークは の何処が不満なんだ?
こんなにも愛しいと思える少女、他にいないのに。
こんなにも健気で、一生懸命な少女なんて、他を探してもいる筈がない。

……イザークには、勿体ねぇよ。


「立てるか? 。まずは服を着よう。それから……部屋、出て行くぞ」
「でも……」
「お前をこんなところに置いておくわけにはいかないだろ」


吐き気が、しそうだ。
何を目的に国防委員会がこの件を実行に移したかみえみえで。
のことなんて、何も考えていない。
自分の娘を差し出して、それでもなお家が大事なのかよ。
イザークへの怒りよりも何よりも、俺は の父親であるルーク= にこそ憤りを感じずにはいられない。

とりあえず服を着せて、俺の部屋に連れて行く。
は、抗わなかった。
どこか現実から乖離した瞳で、俺のされるがままになっている。
抱きかかえると、見た目にも華奢な躯は本当に軽くて。
その温もりに、その軽さに、涙が出そうになった……。






風呂に湯を張る僅かな時間に、 に熱い紅茶を差し出す。
小さな声で礼を言って、 はそれを受け取った。


「飲め。落ち着く」
「……はい」


紅茶の葉なんて上等なものは、俺の部屋にはない。
ただのパックに湯を注いだだけの紅茶。
それでも、 は嬉しそうに痛々しく微笑むから。

思わず、その躯を俺の腕の中に収めてしまいたくなった。
抱きしめたくて、困った。
この腕は、少女の温もりを渇望していた。
……これでは、俺はイザークをどうこう言えない。
これでは、俺もイザークと変わらない。
拳を握り締め、こみ上げる激情を堪える。
信頼をこめて俺を見上げる赤い瞳に、この時初めて苦い思いがこみ上げた。
愛しいと願うことが、少女を穢している気がして。
こみ上げる苦味を、懸命に押し殺していた――……。






湯の溜まった頃合を見計らって、 をバスルームに追いやる。


「くそっ……!」


壁を、殴りつける。







自覚した想いは、少女にとって迷惑なだけの代物。
それでも願ってしまう俺の心のありようが汚らわしくて。
この手で、この気持ちに、止めを刺してしまいたくなった――……。



**




私は、何をやっているのだろう。
また私は、先輩に迷惑をかけた。
先輩は優しいから、こうして私を助けてくれる。
私には、そんな先輩に応える術すら持たないのに。
優しくされて嬉しいのに、戸惑う。
でもこんな日は余計に、先輩のその優しさが身に染みて。
私は、弱い。
冷静に振舞うのは所詮、私の仮面。
私は弱いから。弱さを見せないために力が必要で。
そのためには、例え嘘でも強く見せたくて。
所詮今まで培ってきた『私』も、『 = を振舞ってきた私』も、ただの虚像に過ぎなかったことが分かって。

……どうして私は、ここにいるのだろう。
未練たらしく、この世に留まろうとして。
その果ての終局が、これか。


――――『お前が死ねばよかったんだ。 の代わりに、お前が』――――

……そうだな。私が死ねばよかったんだ。

――――『俺たちに女の子が生まれたら、「 」とつけようか』――――

子供なんて、要らない……!そんな子供は、要らない!



違う。要らないのは、子供じゃない。
……私だ。
私なんて、要らない……。
愛する人に愛されないなら。憎まれるしか出来ないなら、私なんて要らない。
私なんて、要らない……!!

ユニットバスの前の、鏡。
覗き込めば、滑稽なまでに青褪めた私がいて。
首筋に……鎖骨の辺りに散らばる赤い刻印が、汚らわしくて。
自分が、穢れているように思えて。

あんな嫌な嫌な行為。
それでも、私の躯はイザークの手に従順で。

自分で自分が、嫌いになりそうだった……。
こんな穢れた躯も、穢れた魂も、要らない。
私なんて、要らない。




ちらりと視線を泳がせた先に、剃刀が見えた。
鈍いような……それでいて鋭い煌きが、目に入る。
綺麗……そう思って、手に取る。
これが、私を終わらせてくれる。
待ち焦がれた終焉。
魂の自由。
これが、私にそれを与えてくれる。
恐怖なんて、感じなかった。

ねぇ、
お前も、こうだったのか?
事故死する、その直前。
炎に包まれながら、お前もそう思ったのだろうか。
紅蓮の焔に、お前も安らぎを見出したのだろうか。
今私が、この銀の刃に安らぎを見出しているように。
お前も、それを思ったのだろうか。
教えて欲しい、と。
そう思って。

あぁ、そちらに逝ったら、教えてくれるだろうか。
願ったものを。
お前の祈りを。
教えてくれるだろうか。 ……。

目を閉じて、左手首に刃を宛がう。
うっすらと、私は口元には笑みを浮かべた。





それで、終わりになる、筈だった……。



**




異変を感じて、俺はバスルームに向かっていた。
コーディネイターの良すぎる耳でも、いくらたっても拾えない水音に、胸騒ぎを感じて。
非礼であることは、分かっている。
それで罵倒されるなら、いくらでも地に頭をつけて謝ろう。
けれどそれよりも俺は、このやり場のない焦りを、一刻も早く解消してしまいたかった。
もしも何もなく、 が入浴中なのだとしたら、いくらでも……地に這い蹲ってでも謝るから。
乱暴に、俺はバスルームの扉を、開けた。



そこで俺が目にしたもの……。
その衝撃に、俺は目を瞠る。
の手には、剃刀。
それを、その細い手首に宛がって。
幸せそうに、微笑む。
異様な……悲しいその所業。


……何をしている、お前はっ!」


俺の声に、 はビクリと躯を竦ませて。
それでも構わずに、刃を滑らせようとする。
の頬をはたいて、それを取り上げる。
座り込んだ に、その力のない様に、苛立ちが募って。

それでも、こんなことをせずにはいられないほど傷つけられてもなお、お前はイザークに焦がれるのか。
俺がアイツなら絶対に、こんなことをさせやしないのに。


「……イザークが、言ったとおり……」
?」
「私が、死ねばよかったんだ……あの子の…… の代わりに……」
「イザークが、そう言ったのか?」


俺が尋ねると、 はぼうっとしたような赤い瞳のまま、微かに頷く。
怒りが、こみ上げる。
初めて肌を合わせた、少女が愛してやまない男が紡いだ、あまりにも自分本位な言葉に。
どうして、こうも彼女を苦しめる?
どうしてこれだけ苦しめられても、少女はイザークを愛するのか。


「……を」
?」
「私に、自由を……。家に縛られるのは、嫌……」


ぽたぽたと頬を伝うのは、透明な温かい滴。
表情を動かすことなく、どこか遠くを見つめたまま、少女は涙にくれる。
やるせない想いに、慟哭する。


……」


抱きしめるくらいしか、今の俺には出来ない。
少女の傷を癒してやることなんて、俺には出来ない。
無力な、無力な自分。
吐き気がするほど無力な自分に、唾棄したい思いに駆られて。
それを振り払うように俺は、 を抱きしめた……。








を風呂に入れ、寝かしつける。
一睡もしていなかった筈の は、それでも寝つきが悪くて。
がたがたと震え続けるその様に、心の傷の深さを思い知る。
男にとっては、何てことない行為であっても、女にとっては……特に初めての行為は、特別な意味を持っている、と聞いたことがある。
男にとっては、所詮ただの通過儀礼。
女にとっては、それだけではない行為。
男と女の思考の違いといえばそれまでだが、それほどまでに大切なそれを、 は彼女が一番に想う相手に、蹂躙されたのだ……。
傷つかない筈が、ない。
宥めて、すかして。
ぽんぽんと背を撫でるように叩いて、落ち着かせて。
漸く俺は、 を寝かしつけることに成功した。

こういう時俺は、自分がもう、ヤりたい盛りのガキではなくなっていることに感謝する。
子供のように、感情だけで突っ走るようなことをしなくなった。
それはもう、ただ単に俺が若くはない、ということなのかもしれないけれど。
どうしようもないほどに傷ついた少女に手を出さずにいられるほど、理性的である自分に、感謝する。

そんなことをしたなら、俺は自分の手で自分自身を撃ち殺してしまいたくなっただろう。




が眠っているのを確認すると、俺はイザークの元へ向かった。
一言、あいつには言ってやらなければ気が済まない。
『言う』だけで事が終わるか、といわれたら微妙なところだが、俺はあいつに償いを求めずにはいられなかった。
そして、聞かずにはいられなかったのだ。
何故こうも、 を傷つけるのか。
ここまで を痛めつけずにはいられないのか。
俺には、分からない。
愛しいと想いこそすれ、憎むなんて理解できない。

それともよほど…… を凌ぐほどに、かの = とかいう女性が素晴らしい女性だったのか。
けれどアスランの反応を見ると、どうもそうではないようだった。



俺やアスランに限らず、クルーゼ隊の隊員ならば皆、 こそ素晴らしい女性、というだろう。
女だてらに祖国を守るために戦い続ける様は痛々しくて、守ってやりたいと庇護欲をかきたてずにはいられない。
そういうものじゃ、ないのか。
辛くても涙一つ見せずに、歯を食いしばって耐え続けた。
細い腕で男と偽り、俺たちと同じメニューを黙々とこなし続けた少女。
そんな彼女に向ける感情こそを、『愛しい』というのでは……?

それをどうして、あんなにも痛めつけることが出来る?
哀れと……可哀想、と。そう思うことすら、イザークにはないということか。

この時間ならば、イザークは食堂のほうにいるはずだ。
俺はイザークを探して、食堂に向かった……。








食堂では、一言で言うならば乱闘が起こっていた。
面子はいつもの面子で、だからこそ皆、殆ど知らん顔をしている。
しかし、アスランがイザークに食って掛かっているのだ。
逆ならいつものことだが、これは珍しい、と。興味津々の目で見ているやつらもいた。


「お前、いい加減にしろ……!」
「はん!婚約者を俺の好きに扱って何が悪い!貴様に咎め立てされる筋合いなどない!」
がお前に相応しくないんじゃない。お前が、 に相応しくなんてないんだ……!!」


侮蔑たっぷりに、アスランが言い放つ。
イザークは、面白いくらいにそれに食いついて。
ことがことでなければ、俺も傍観者を決め込んだだろう。
しかし、今回はそうはいかない。


「なんだと、貴様!」


騒動の原因は、やはりというか当然、 のことだった。
の有様に、どうやらアスランがきれたらしい。


「あ、ミゲル。何処に行ってたんですか?イザークとアスラン……」


勢い込んでくるニコルに、悪いな、とまず詫びを入れておく。
いつもなら、俺がこの二人の喧嘩を仲裁するのだけれど。
ことこの事態に陥って、俺は冷静になれるほどにはまだ、大人になりきれてはいなかった。


「アスラン、どけ」
「ミゲル……いくらお前でも、邪魔するのは……」


アスランの肩を掴んでどかせると、それを不服に思ったのか。はたまた俺がいつものとおり仲裁に入ると思ったのか、アスランが食って掛かる。
たいして説明をする気にもなれなかった俺は、そのまま問答無用でイザークの胸倉を掴むと、殴りつけた。



いくら俺が緑で、イザークが赤といっても、実戦経験のないイザークと経験のある俺とでは、わけが違う。
ストレートに、俺の拳はイザークの左頬に入った。


「何のつもりだ、貴様!」
「それはこっちの台詞だ!てめェこそ一体どういうつもりだ!!」
「何だと……!?」
「世の中には、言っていい事と悪いことがあんだよ。んなことも分かんねぇのかよ、てめェの脳みそは!!」


『お前こそが死ねばいい』などと。そんなことを言う権利が、イザークのどこにあるというのか。
何よりも自身を責めていたのは、 だ。

一発殴ったくらいじゃ全然、俺の気持ちは治まらなくて。
立て続けに殴りつける。
イザークの端正な顔が腫れ上がって、唇の端からは血が滲む。


「や……やめてください、ミゲル!」
「それ以上はまずいぞ、ミゲル」


散々イザークを罵倒していたアスランまでもがニコルの加勢に入って、俺とイザークを引き離す。

肩で息をしながら、苦痛に顔を歪めながらもギラギラした目で俺を睨み上げるイザークに、言い放つ。


「お前に、は渡さない」
「……横恋慕かよ。それもあの女に。いい趣味をしているな」
「All's fair in love and warってな。てめェには絶対に渡さねぇ」


それだけを言うと、俺は抑えつけるアスランの手を振り解いて、の眠る自室へと足を進めた――……。







英文の意味は、『恋と戦争は手段を選ばない』です。
た……多分これであってるはず……。
是非ともミゲルに言わせたくて。
……て言うか今回ってばミゲル、オイシイとこ取り。

あ、いつものことか。
えと。ミゲルに甘えてください。
最近後書き苦しくなってるな、本当に。

ここまで読んでくださり、有難うございました。