いつも、我慢するのは私だった。

妹は、全てを持っていた。

私が欲しかったもの、その全てを。

優しく慈しんでくれる父様。

愛する人。

私が欲しかった、すべてのもの。




なのに今更、勝手なことを言わないで。

私たち母子を捨てたのは、父様でしょう?






U   幼馴染






……じゃない。 !」
「アスラン。一体何の用だ?そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたも……本当なのか?」

疑り深く私を見つめるアスランの瞳に、ぶつかった。
まぁ、無理もない話か、と私は頷きながら思う。
アスラン……アスラン=ザラ。私を好きだと言ってくれた、幼馴染。

「アスラン、ここで話をするのもなんだ。部屋に来ないか?」
「あ、俺こそ悪かった。こんなところでこんな話をして……」
「いや。気にすることはない。ただ少し……やはり、人目を憚る必要のある話だと思ってな」

私の言葉に、アスランは頷く。
可愛い可愛い、幼馴染。
しばらく逢わないうちに、とても「可愛い」とは形容できない大人っぽい目をするようになったが、やはりまだ、私にとっては可愛い弟のようなものだ。
別に年の差をあれこれ言うつもりはないが、一つ年上の私にとって、アスランは弟にしか見えなかった。



暗証番号を入力し、部屋に入る。

私の部屋は、この中の誰の部屋よりも殺風景な部屋だと思う。
誰しもが気に入りのものを飾る中で、私が唯一飾ったものは、母と双子の兄である と私とで撮った、幼い頃の写真のみ。
持ち込んだ私物は、本を数冊と、二人から今までに貰った誕生日プレゼントなど私にとっての貴重品をいれた小さな箱だけで、後は何もない。
事実、これらだけが私の唯一『財産』と呼べるものだった。

支給品のカバーがかけられた無個性極まりないベッドに腰掛けるよう促すと、アスランは少々決まりが悪そうにそこに座った。
何時来ても、この部屋の雰囲気に馴染めないのかもしれないが、仕方がない。
アスランが腰掛けるのを横目に見ながら、簡易キッチンでコーヒーを淹れる。

「アスランは、砂糖一杯とミルクを二杯……だったな?」
「何時までも俺、子供じゃないよ、 。コーヒーは今はブラックだ」
「ほう。それは初耳だ。この間食堂で見かけたときは、まだ砂糖とミルクを入れていたようだが?」

私が言うと、アスランはやや頬を膨らませた。
まったく。そういうところが可愛いと言うのに。

「それで、本当なのか?」
「ああ、本当だとも。もうすぐ、私は男から女に。 = から = に戻る。それが、父上のご命令だ」

吐き捨てると、アスランも顔を歪めた。
今更、女に戻ってどうする?
女を捨て、男として生きろと。軍人として前線に出ろと言ったのは、父様だ。
今更どうして、私が女に戻らねばならない?それも……。

「イザークと、婚約すると言う話は……?」
「それも事実だ。……だが、婚約しようとも結婚はしないさ。私は、したくない」
「どうして? はずっと……」

言い募ろうとするアスランを、手で制す。
律儀に口を噤んで、アスランはおずおずと私のほうを見てきた。

「だから、したくない。……まぁ、ジュール家と 家の面子が立たないなら、結婚してもいいさ。だが、いいとこ別居だろうな。あいつも、私の側など望まないさ」
「だから、どうして? はずっと、イザークのこと好きだっただろう?」

必死になるアスランに、この子はまだ幼いのだ、と思った。
幼いからこそ純粋なのだ。だから私がただ自分の意地で言っている、『結婚したくないわけ』を、理解できないのだろう。
これは、私の意地だから。

「自分を愛してくれない男と一緒になど、いたくない。愛していれば、余計にな」

あいつの前では、私は消されてしまう。
妹が、私の存在を消す。
それは、辛い。そして何よりも、それに甘んじる私は、私ではない。

「俺は君に、何かしてあげられる?」
「勿論だ、アスラン」
「本当に?」
「勿論だとも。アスランは、アスランのままでいてくれれば言い。アスランの前では、私は昔に戻れる。 と、母上と暮らしていた、あの頃に……ザラ家の庭で泥だらけになって遊んでいた、あの頃に」

それだけで、今の私の救いになる。
時を戻すことは人間には不可能で。
けれどアスランと話をしているときだけ、私は昔に帰れる気がするのだ。
何よりも慕わしい、あの頃へ。

「私は、アイツから憎まれているからな。大方、さぞ不快に思っているだろうよ。だが、そんなことはどうでもいいこと。結婚はしない。しても一緒に暮らさないし、子供も遠慮したい。どうしてもアイツが望むなら、 の卵とアイツの精子を人工授精させればいい。少なくとも私は、私とアイツの子供など欲しいとも思わない」
「そんな……」
「婚姻統制の名の下に不自然な結びつきを余儀なくされるなら、私はそんなものはいらない」

言い切ると、アスランは少し悲しい顔をした。
無理もない。私は変わってしまった。
私ももう、あの頃の私ではないから。

「あの子よりも…… よりも のほうがずっと、優しくて温かいのに」
「それは初耳だ。私は冷淡極まりない女らしいぞ?いや、今は男か」
「そもそもなんで、に代わって軍人なんかになるんだ?は、女の子じゃないか」

憤慨したように言うアスラン。
大切な幼馴染は、よほど女の私が男と偽って軍に入ることがお気に召さないらしい。
そんなアスランを可愛いと思うし、愛しいと思う。

「おや。女だからって、私を甘く見るつもりか?アカデミーの成績、私はお前たちより一期上だったから一緒に学ぶことはなかったが、一応総合成績は一位だったんだぞ?」
「だからって……」
「仕方ないんだ、アスラン。が、事故死してしまったのだから」
「だからって、が軍に入る理由にはならない」

入りたくて入ったわけでは、ない。
それ以外に道がなかったのだ。私が、解放されるためには。
軍に入るよう、一応戸籍上も血統上も父親になる男に言われたとき、漸くあの家から開放されるのだと安堵したものだ。

「私は、解放されたかったんだ。あの家から。父親から。妹から。ただそれだけのことなんだろうな……」

女であることを捨て、ただの『』になりたかった。報われることのない恋に、決着をつけたかった。ただ、それだけのことだったのだろう。
=』でもなく、ただの『』に。
軍に入り、自分一人の力で立てるようになったなら、それが手に入ると思ったのかもしれない。

「だが結局、私は解放されることはなかった。……また、籠の鳥だ」
……が望むなら、俺は……」
「そこから先は言うな、アスラン」

言われても、私ではそれに応えられない。
そこから先の言葉を、それに続く言葉を知っているからこそ、躊躇する。
私には、その想いに応える術などない。
その想いが真剣と知っていれば尚更、その言葉をアスランに言わせてはいけない。
アスランは私の大切な、幼馴染なのだから。

「気持ちだけ頂いておく。有難う、アスラン」
……」

見つめてくる翡翠が、言葉にすることに躊躇いを覚えるほど、真剣な眼差しで私を射抜く。
そうだな、アスラン。
お前を愛せたら、私は幸せになれただろう。


パトリック小父上はなんだかんだと言って私を可愛がってくださっていたし、私も小父上のことを尊敬している。
アスランだって、きっと誰よりも私を愛してくれただろう。
私は、誰もが羨むような、絵に描いたような幸せを、手に入れられたかもしれない。
けれど私は、アスランを幼馴染以上の目で見ることが出来ない。
それでは、アスランに対して失礼だ。アスランの気持ちが真剣と分かれば余計に、アスランの気持ちには応えてはいけないのだ。



アスランを、弟としか見れない私には、アスランの気持ちに応える権利などない。
優しさが、逆にその相手にとって手酷い痛手となってしまうこともありうる。
だから、私はアスランには言わせてはいけないのだ。
以前、不意をつかれて知ってしまった、アスランの気持ち。
アスランがくれた、優しい囁き。


――――『ね、知ってた?。俺、のこと、ずっと好きだったんだよ?』――――


この言葉を、アスランに言わせてはいけない。
アスランは私にとって、大切な存在なのだから……。




「もうじき、私とアイツの婚約が正式に軍に通達されるだろう。私は、軍にとって都合のいいプロパガンダ。
――双子の兄を喪い、妹を喪って、男と偽り軍に入隊した銃後の婦女子の鑑として。
そして婚約者と同じ目線に立つために軍に身を置き続けると……宣伝としての効果は十分だな。
結局私は、家とザフトと言う名の籠に囚われた、哀れな鳥。それでしかないのさ」
……」
「そして今度はそれに、ジュール家が加わる……。結局、死でしか、私の魂は解放されないわけだ」


血のバレンタインで死んだのが私であったらと、父様はよく言葉にされた。
そしてイザークも、言葉ではなく態度でそれを私に言外に訴え続けていた。
何故、お前が生きているのか、と。



死にたかったさ、私だって。
生は、束縛。
死は、解放。
死ぬことでしか私の魂は、解放されないのだ。
死なない限り、私は逃れられないのだ。この、呪縛から……。

「俺で力になれる時は、何でも言ってよ、
「有難う、アスラン」
「いざと言うときは、どうしても辛いときは、俺が引き金を引いてあげてもいい。全てから、俺が君を解放してあげるから……」

全てのしがらみから、俺が解放してあげるから、と。
目尻に涙を浮かべながらも、そう囁いてくれるアスランが、あまりにも愛しくて。
年下の少年の前で、まるで自分が悲劇のヒロインであるかのように、こんなにも独りよがりなことを呟いてしまう自分が、あまりにも情けなくて。
ない交ぜになった気持ちを整理しきれなくて俯いてしまった私の頭を、アスランがそっと撫でてくれた。











アスランの手は、どこまでも温かかった――……。







『恋哀歌』第二話目をお届けいたします。
イザーク夢、といっておきながらまだイザークが出てこなくて申し訳ありません。
モノローグで出てはきましたが、非常に嫌な奴ですみません。
多分、『鋼のヴァルキュリア』の初期イザークよりも嫌われるものと覚悟しております。


こんなドリームですが、ここまでお読み頂き、本当に有難うございました。