お願い、これ以上私を傷つけないで。

貴方の言葉は、いつも痛くて。

貴方のその視線を浴びるたびに、思い知らされる現実に、心は麻痺してしまいそう。

お願いだから、これ以上私を傷つけないで……。






Z   プライド






「おはよう、 。隣いい?」
「勿論だ、アスラン」
「昨日はよく眠れた?」
「……ミゲル先輩たちと、酒盛りになった」


私の言葉に、アスランは苦笑いを浮かべる。
その様子を見ると、どうやら彼も餌食になったことがあるらしい。


「お疲れ様」
「いや、酒は好きだから。……ただ酒だったし」
「あはは。面白いね、 は」


私の返答に、アスランは声を立てて笑った。
……珍しい。そう思わずにはいられない。

再会し、軍属になったアスランは……アスラン=ザラは、表情をあまり崩さなくなった。
いつも、見事なポーカーフェイスで。感情すらも操作しているように見える。
それは、一般の十六歳の少年とはあまりにもかけ離れていて、見ていて痛々しさすら感じてしまうのだ。


「うぃーっす、 。二日酔いはどうだ?」
「全然ありませんよ。先輩こそ、大丈夫ですか?」
「……頭痛ぇ」
「……呑み過ぎだな、ミゲル」
「うるせぇ」


アスランの容赦ない突っ込みに、先輩が毒づく。
アスラン。いくら事実だからといって……いや、事実だから余計に、先輩の機嫌は悪くなると思うぞ?
でも、そんなアスランの様子を見れることは、嬉しいことだから。
ごく普通の、ありふれた十六歳の姿。そんなの、滅多に見られるものじゃない。


「全然全く酒の呑めないお子ちゃまはすっこんでろ」
「呑めたからって、別にいいことはないだろう。二日酔いまであるんじゃ、百害あって一利なしだ」
「一利どころか、利益はちゃんとあるぜ?」
「なんだよ?」


アスラン、アスラン。喧嘩腰になっているぞ?
全く。先輩の前では、十六歳の少年に戻るんだな、お前は。


と酒が呑める!」
「……はぁ!?」
「た……確かに……!!」
「……」


ミゲル先輩の返答に、私は目を丸くした。
アスランは、悔しそうにしているが……私と酒が呑めて、それでどうした?
特に何も、いいことはないと思うが……。


「私と酒を呑んでも、別にいいことなんてないぞ?」
「分かってないな、 は。 と酒が呑めることが、いいことなんだ」


私の反応に、ミゲル先輩がそういうが……何のことだかさっぱり分からない。
私と酒を呑んで、それがどう『いいこと』に直結するというんだ?


「つまりね、 。皆、君が好きってこと」
「ま、そういうこった。 が好きだから、 と酒呑んだりゲームしたりするのが、嬉しくて仕方がねぇんだよ」


私が、好き……?
私と一緒にいると……私と何かをすると、嬉しい……?

どうしてだろう。鼻の奥がつーんと熱くなった。
何か、熱いものがこみ上げてくる。

私は『 = 』として彼らの心のどこかに存在している、と。
そんな幸せな感触に、胸が熱くなった。


「皆、 を大事に思ってるよ」
「お前が『女だから』じゃない。お前が、『 だから』だ」


ミゲル先輩が優しく言って、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
優しい優しい……掌の温もり。
焦がれてやまない、人の温もりが、嬉しくて。
込み上げてくる熱いものをごまかそうと、下を向いた。
嬉しかった。本当に嬉しくて、そして哀しかった。

嬉しいのは、誰かが私を認めてくれているという事実。
私自身が大切に思っている人が、私を大切に思ってくれいているという、目眩すら感じる幸福の余韻。

哀しいのは、それを一番与えてほしい人からは与えてもらえないという事実。
一番愛して欲しい人は、私を愛してくれないという、悲しい矛盾。それ故に――……。





突然かかった冷たい声に、躯が強張った。
あれだけ愛しそうに、大切に異母妹を『』と呼んでいた声。
その声が私の名を呼ぶときは、こんなにも冷たい。
底冷えするようなその声が、ただ痛くて……。


「イザーク。食事中だぞ」
「貴様に用はない。引っ込んでろ。俺が用があるのはこの女だ」
「私は、お前に用などない」


震えそうになる声を叱咤して、それでも何とか言葉を紡ぐ。

冷たい、冷たい声。
冷たい人。
そんな目で、私を見ないで欲しい。
そんな軽蔑しきった、まるで汚らわしいものでも見るような目で。


「わざわざ出向いてやったというのに、随分な返事ですね。我が愛しの婚約者殿」
「……ッツ……!」


侮蔑に満ちた、声。言葉。
イザークは、誰かをバカにしたり侮蔑したりするとき、敬語になる。
今も、そうだ。

それだけ……彼が敬語を使うだけ、私は嫌われているということなのだろう。


「いい加減にしろ、イザーク。これ以上を侮辱することは俺が許さない」
「婚約者同士の語らいに割り込む気か、アスラン。無粋の極みだぞ?」
「……アスランに文句を言うのはやめろ。私の気持ちは、この前言った筈だ。私はお前と、用もないのに語らう趣味は持ち合わせていない」


キッパリとそう言いきると、イザークがククッと笑った。
どこまでもバカにしたような、そんな笑い方。
口元は歪んでるのに、目は笑っていない。

いつも、彼は私にはそんな顔をする。
の赤い瞳は「綺麗」で、私の同色の瞳は「気持ちが悪い」そんなことを言う彼のどこから、私への労わりを感じ取れというのだろう。
私への思いやりを見出せというのだろう。
そんな扱いしかしてもらえないのに、どうして私はイザークのことが、嫌いになれないのだろう……。
イザークと同じだけ、イザークを憎めればよかったのに……。


「俺も、貴様などと話をしたいとは思わんが……」
「なら、放っておけばいい」


互いに相手に無関心でいる限り、傷つくことはない。
傷つけられることもない。


「だが……そうはいかない。いかに俺が嫌だといおうが、貴様が俺の婚約者であることに変わりはない」
「なら、断ればよかったんだろう?」
「ジュール家には、家の援助が必要。家は、ジュール家のネームバリューが必要。互いの家の利益が絡んだ問題に、感情だけで否やとは言えんさ」
「それが、どうした?」


家のことなんて、私には関係ない。
あんな父親に、愛情なんて抱けるはずもない。
私を体のいい駒扱いしかしてくれない家を、それでも私は重んじなければならない、と。そういうことか?


家がどうなろうと、私の知ったことではない」


を殺したのは、父上だ。
父上さえを軍にやると言わなければ、は死なずに済んだ。今も私の側にいてくれた。
あんな父親を、を殺した家を、何故私が愛しまねばならない?
あんな家、どうとでもなるがいい。


「貴様を育てた家だというのに……。恩を返すという発想すらも貴様にはないのか?」
「関係ない。あんな家、どうとでもなるがいい」


を殺したのは、家。
そして父様は、母様が亡くなるまで、娘とも遇してくれなかった。母様が亡くならなければ、父親としての責任すらも果たそうとはしなかっただろう、卑怯者。
そんな男に、傾けるべき愛情など私は持ち合わせてはいない。


「用がそれだけなら、私はこれで失礼する。……アスラン、ミゲル先輩。申し訳ありませんでした。食事中に不快な思いをさせてしまって」
「いや、気にしなくてもいいが……」
、ちょっとやばいよ。イザーク、本気で怒ってるよ」
「怒るなら、どうぞご勝手に。私のいないところで好きなだけどうぞ。私の愛しい婚約者殿?」


言いすぎだ、とアスランは思ったのだろう。
相手は、イザークなのだ。下手に刺激してはいけない。
端麗な、そして冷たい美貌をしているため分かりにくいが、イザークは決して穏やかな人柄ではない。
彼は例えるなら、ぐらぐらと沸騰しきった高熱の熱湯のようなものだ。
少しでもその意に反するようなことがあれば、遠慮会釈なく怒気を発散させるだろう。


「エザリア様の言いつけかどうかは知らないが、私は感情を持たない人形ではない。お前たちの都合に、つき合わされなくてはならない理由など無い。どうしてもそれが気に食わないなら、いくらでも破談にしろ。私はなんとも思わないから。それとも、母上がいなければ何も出来ないのか?ジュール家のご子息殿は」
「何……だと、貴様!」
!それ以上はよせ!」


アスランの声に、漸く私は、自分が言いすぎたことに気づいた。
アスランの隣では、ミゲル先輩が溜息を吐いている。
これだから、お前の気持ちはイザークに伝わらないんだ、と。
そういわれているような気が、した。


「話がある、来い!」
「話ならここでしろ。お前に従う義理など私にはない」
「可愛げのない……とは大違いだな!」


……そんなこと、分かってる。
血の匂いのしない、
父上に命じられるままに前線に出て、血の匂いしかしない私。
比べるほうがおかしい。
辛いことも、苦しいことも経験したことのないと私は、違う。

銃を……ナイフの柄を握る続けた私の手は、今ではもう男のもののようにごつごつしている。
これはとても、女の手なんかじゃない。
そしてそれ以上に、私は、じゃないのだから。
あの子のように、愛されて育った娘とは、違う。

勿論、母様とは私を愛してくれたし、私も二人を愛した。
けれど二人が亡くなって以降、誰が私に愛情を注いでくれた?

父様は、ただ私にの代わりに軍に行けと、それだけだった。
は……あの子は私を一度も姉だなんて認めてはいなかった。
冷たい拒絶の中で暮らしてきた、そんな私の気持ちが、絶望が、イザークに分かる筈がない。
のいいところ、素晴らしいところしか見なかった、あの子に夢だけを見ていたイザークに、分かる筈がないのだ。
夢を抱くのは、勝手だ。
けれどそれに、私を巻き込むな。
私にそんなものを求めても、私は応えられない。
私はあの子とは違う。
私は、私なのだ。私は、『』以外にはなれない。


――――『幸せになるのよ、』――――
――――『一刻も早く、俺はをこの家から解放してあげたい。
そのためには、力が必要だから。そのために、俺は軍に入るんだ』――――



二人がいなくて、私が幸せになれるはずがない。
。母様。私を愛してくれた唯一の、私の肉親……。
あの頃に、帰りたい。
例えその時の私の身分が、とてもイザークとつりあわなくても。
一生見ているだけの恋だったとしても、私はそれでも幸せだっただろ。
その幸福を抱いて、死んでもいいと思えるほど。
私の幸せなんて、そんなものなのだ。

大それた夢を望みは、しない。
望んだこともなかったはず。ただこの日々が永遠に続けばいいと願い続けた、その幼い夢すら無残に砕け散った。
望んだ永遠も、幼い日に抱いた恋すらも、今の私には残されていない。

自分を憐れもうとは、思わない。
世の中には、私以上に苦しんでいる人もきっとたくさんいる。
この程度のことで自分を憐れむことは、そんな人たちに非常に失礼だ。
少なくとも私は飢えることも、寒さに震えることもない。
前線に出て、闘い続ける。ただそれだけが、他人から見れば私の不幸なのだろう。
私の不幸なんて、その程度なんだ。




誇り高くあれ、と。母様は私たち兄妹に言った。
どんな惨めな生活を送ろうとも、誇りだけは忘れるな、と。気持ちは落ちぶれるな、と。
それは、母様から私たちへの、教訓だったのかもしれない。
母様が亡くなれば、私たちは家に引き取られ。
家に行けば、待ち受けているのは忍耐の日々と。母様はおそらく分かっていたのだろう。
けれどその教訓が、私たちをここまで連れてきてくれた。
誇り高く生きて死んだ、母様。そして
私と同じ年なのに、私のことだけを考えて、自分の幸せすら棒に振って、前線に出て事故死した、優しい双子の兄。
愛しい人たち。だからこそ私は、二人を殺めた家を許せない。
そしてだからこそ、私は常に私を大切にしたいと思うのだ。

私を愛してくれた優しくも愛しい人たちに、応える術などそれくらいしかないから……。


「さすが、下賤の生まれは違う。人の話すらまともに聞けないのだからな!」
「……何だと?」
「さすが、ルーク=氏を誑かした女の娘と、褒めてやってるんだろうが?」
「貴様……ッッ!!」


母様が、父様を誑かした、だと?違う!父様が勝手に母様に手をつけて、外聞が悪くなって私たちを捨てたんだ!
母様は、そんな女性じゃなかった。
美しく、誇り高い。そんな女性。それを悪くいう人間は、私は絶対に許せない。


「訂正しろ!何も知らないくせに、さっきからべらべらと勝手なことを……!貴様如きに、私たちの何が分かる!!」
「あいにく、下流の人間の考えることなど分からんな」
「あいつらの……父上との肩だけを持つお前に、分かる筈がない。私たちの気持ちなんて……と母様のことなんて……知らないくせに、勝手なことを言うな!!何も……何も知らないくせに……」


私たち兄妹を育てるために、無理をした母様。
私のために軍に入った
二人を侮辱することは、私には許せない。
私はその暴言を、許容することなんて出来ない。

何故、こんなことを言われなければいけない?
誰よりも愛している人が紡ぐのは、どうして私への嘲りの言葉なのか。
何故……何故『あの日』のように、微笑んでくれない?

何故、彼から愛されるのが私ではないのか。
何故、彼が愛したのは私ではなく、だというのか。私の方が、あの子より先に彼に恋したのに――……!!



胸が、苦しい。
痛くて。彼の言葉は、いつも私には痛くて。
いつも、私を痛めつける言葉しか、彼は紡いでくれない。
少しでいいから。優しい言葉をください。
少しでいいから。それ以上は望まないから。


「貴様のことなど、知りたいとも思わん。俺はただ、ジュール家のために貴様の家の援助が必要だからこそ、貴様との婚約を承諾しただけのことだ。だが……」
「何をする!離せッッ!!」
「いくら『赤』を許されようが、所詮は女だな。俺に力で適う筈がないだろう?」
「イザーク!を離せ!」


突如、強い力で抱きすくめられて、息が止まるかと思った。
彼が愛用しているフレグランスの香りに、頭がボーっとなる。
それくらい、今の私は、彼のすぐ傍にいた――……。


「無粋だぞ、アスラン?婚約者同士の話に、割りこむつもりか?ザラ家の子息ともあろうものが……」
「イザーク、もうよせ。も言いすぎたが、お前も言いすぎだ。ここは退け」
「貴様にどうこう指図されるいわれはない、ミゲル。この女は俺の婚約者だ」


アスランとミゲル先輩が、イザークを止めようと腰を浮かす。
揶揄するように、イザークはそんな二人に笑った。
嫌な、嫌な笑顔。痛い。痛い――……。

肩を抱いたまま、イザークはドアに向かって歩いていく。
心は拒絶しているのに、躯はイザークに従順だった。
促されるままに、ドアに向かって歩く。
つれてこられた先は、私室、だった。
それも、イザークと私の部屋にと宛がわれた――……。

扉が開き、室内に突き飛ばされる。
衝撃はあったが、痛みはなかった。
戦艦の中にあって、不釣合いなダブルベッド。
私が倒れこんだ先は、そこだったから――……。


「はじめに言っておくが、俺は貴様なんぞどうでもいい。強いて言うなら、貴様が死ねばよかったと思っているくらいだ」
「……知っている」
「だが、それでも婚約者は婚約者だからな」


知っている、そんなこと。
彼は私が死ねばよかったと思っている。私が生きているのが不満なのだ。
死んだのが、ではなく私であったらと。そう思っていることくらい、私だって知っている!分かっている……。


「私の本意じゃ、ない」
「本意であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい」
「何を……!?」


イザークがのしかかってきて、その手で私の手首を戒める。
咄嗟のことに身動きすら出来ずに、ただその力の強さに身を捩った。
イザークは、ただうっすらと微笑んで。
更なる絶望へ、私を叩き落した。


「婚約者としての責任、果たしてもらうぞ?。その躯でな」
「嫌だ……やめろ……ッッ!!」


怖くて。捩じ伏せられる恐怖に、ただ恐れだけが私の中にあって。
歪む私の顔を、満足そうに見下ろしたイザークが、ふっと優しげな笑みを口元に刷いて。



睦言を囁くかのように甘く、私を奈落に突き落とした――……。







だから、こういう話なんです。
あまり切ない話ではないと思うのですが……。むしろ、えげつない?
はは。否定できませんねぇ。
て言うか、イザークいい加減酷すぎるな、この性格。
このあとは、裏に続きます。
裏が読めなくてもお話は通じるように書きますので、ご安心くださいね。

こんな話(本当にな)をここまで読んでくださり、本当に有難うございました。