私は、女で。

貴方が、好きで。

嫌いになりたいと願うのに。

憎みたいと、思うのに。

どうして私は、貴方を嫌いになることも、憎むこともできないのだろう……?






\   悲哀






イザークの唇が、ゆっくりと私の肌の上を滑る。
想いが通じて、イザークが私のことを受け容れてくれていたなら、それはどこまでも幸せな行為だっただろう。
けれど、現実は違う。
私はただ、イザークの……ジュール家のために、無理矢理躯を開かされているに過ぎない。
ジュール家と、家のために。
二つの家の結びつきの結果としての子を、生すために。

なんて……なんて女というのは、哀しいのだろう。
ただ、家のために。
それだけのために、私という人間は蹂躙されるのか。
私の人権は……幸せは、踏みにじられるのか。
私の願いは、簡単に踏みにじられるほどのもの、と。そういうことなのだろうか。

悔しくて、涙すら零れ落ちない。
抵抗しても、イザークの力は緩まない。
自分が女である、ということが。これほどの屈辱を呼ぶものだなんて、私は知らなかった。
こんな屈辱は、初めてだった。
踏みにじられる、恐怖。蹂躙される、屈辱。
嫌だ。こんなのは、嫌だ……!!

白兵戦の応用で、イザークを蹴り上げる。
不意をつかれたイザークの力が一瞬だけ緩んで、跳ね起きようとするところを、蹴り上げた足をそのまま捕らえられた。


「状況が分かっていないのか、貴様は?」


イザークが、囁く。
残酷なまでに優しく。


「何故、俺とお前が同室になったか。その真意が、わかるか?国防委員会のではない。ルーク=氏の真意が」
「知るか。あんな奴のこと、知りたいとも思わない……!」
「強がりもそこまでくると立派だな、。褒めてやってもいい」
「やめろ!空々しいッ」


聞きたくない。聞きたくない。聞きたくないッッ!!
父上の真意なんて、聞きたくない。
あの人が何を思い、何を考えたかなんて、知りたいとも思わない。


「要するに、俺の好きにしてもいいということだ」
「何……?」
「貴様は、俺の好きに扱っていい、と。そういうことだ」


薄明かりの下で見下ろすイザークの、愉悦に満ちた美貌。
それが、彼は真実を口にしている、と。如実に伝えていた。


「クッ……ははっ……あははははっ……!」


私は、笑っていた。
声を立てて。こんなにも笑ったのは何年ぶりだろう、と。そう思ってしまうほど。

なんて……なんて私は無様だったのだろう。
こんなことになってまで、私は信じていたのか。
父上の私への、親子の情愛を。
そんなものない、と。分かっていた筈なのに。
傷ついている自分が、ただ滑稽だった。

分かっていた。分かっていた筈だ。
母様に手をつけて、母様が私たち兄妹を身篭って。
外聞が悪くなって私たちを捨てた父上。
今更あの男に、何を夢見ていたのだろう。
あの男に……イザークに、抱く夢などありはしなかったというのに……。


所詮私は、そういう存在なのだ。
いくらでも代えのきく、いくらでも乱雑に扱っていい存在。
誰も私が人間だなんて……傷つく心をもっているなんて、考えもしない……。

所詮私は、鳥籠に繋がれた鳥にすぎない。
飽きたら、捨てればいい。そんな代えのきく、ただ愛玩のための鳥――……。
足枷になる命を切り捨てたら、私は自由になれるのか。
自由に……帰れるのか。懐かしい……慕わしい、愛しい時間に……。


「好きに扱っていい、か……。いかにもあの男らしい」
「自分の父親を、あの男呼ばわりか?」
「あの男が、私を娘と認めていないのに、何故私が父親と認めねばならない?」


不思議で、堪らない。
愛情なんて、誰もが無条件に与えるものではない。
母様やは、無条件に与えてくれたけれど。
それ以外の人がどうして、無条件にそれを与えてくれる?
そして何よりも不思議なのは、私をただの駒扱いしかしていない父上に、どうして私が親子の情愛をもって接すると、イザークは……父上は思っているのか、ということだった。

親子なんて、そんな血の繋がりすらもお互いに憎悪しているのに。
注ぐべき愛情なんて、持ち合わせているはずもない。



もう、全てがどうでもよかった。
もう、どうにでもなるといい。
結局私は、軍人としての『=』すら、彼らに認められていなかったのだ。
結局彼らに――イザークに父上、エザリア様――にとって必要なことは、私がジュール家の子供を生むこと、ただそれだけだったのだ。
それ以外の何も、彼らは私に求めてはいなかった。
ただ、それだけのこと。



…………私の双子の兄さん。
解放、されなかったよ。私は。
あんなにもお前は、私の解放を望んでいたのに。
ただそれだけのために、軍に入隊して命まで落としたのに。
それなのに私は、解放されなかった。
あの時死んだのが、お前でなく私だったらよかったのに…………。

お前ならば、自分の才覚一つを頼みに、自立の道を歩むことも可能だっただろう。
でも、私は無理なんだ。
私の翼は、羽先を手折られて飛べない。私は、無理なんだ。
お前が望んだことを、私は一つも叶えられそうにない。
そうして無様に、この世に生きた屍をさらすだけ。おそらくそれが、私なんだ。

お前が、生きていればよかった。
私の代わりに、お前が――……。




こんなに哀しいのに、涙すら流れない。
本当に哀しいときは、涙なんて出ないんだ。
笑いしか、こみ上げてこない。



それでも、このままただ、躯だけ繋げるのは、嫌だった。
戒められた、手で。
のしかかられたままの躯で。
無駄だと分かっていても、空しい抵抗を続ける。
嫌な笑顔を浮かべたままのイザークが、私の抵抗を楽しむように笑いながら、ゆっくりとした動作で私の肌を露わにしていく。
口付け、られる。
肌の上を、辿るように。
浮かぶ鬱血が、気持ちが悪くて。
嫌なのに。嫌で嫌で堪らない行為なのに、反応を返す躯が、呪わしかった。


「……ッう……」


唇を噛み締めて、与えられる刺激を押し殺す。
嫌だ。イザークに、声なんて聞かせてくない。


――――『お可哀想な異母姉様』――――
――――『ねぇ、異母姉様。ご存知?貴方の好きなイザークは、私の婚約者になりましたのよ?』――――



やめて。やめて。やめて。今更、思い出させないで。
今更、あの子を思い出させないで。
あの子を―― を。思い出させないで。
要らない。要らない。要らない……!!
あの子を、思い出したくなんて、ない……!


――――『いかに異母姉様が父様の子供といっても、所詮妾腹の生まれですもの』――――
――――『イザーク、私にくださいね?異母姉様』――――
――――『婚約披露は、盛大にするそうですわ、異母姉様。是非異母姉様も出席なさってくださいね。幸せな私を、祝福してくださいませ』――――



……要らないの。
婚約者なんて、そんなものは要らない。
遠くで、ただ見ているだけで幸せだった。
遠くで……幼い日に逢った綺麗な少年を。
ただ、見ているだけで幸せだった。
母様が死なず、 も死なず、イザークが の婚約者でもなかったら、少しは私に優しくしてくれた……?
少しは、私を見てくれた……?
『あの日』のように……優しい目で……。
でも、現実は違うんだ。
求めていたものも、願っていたものも。
こんなもの、望んでいなかったのにね……。

これは、『幸せ』なのかな、
お前が私に望んだ、『幸せ』はこんな形をしていたのかな……?


イザークの力は、緩まない。
私の『価値』は、所詮その程度と思い知らされて、心が震える。

遺伝子の、適性率。
それがたまたま高かったから、私とイザークの婚約は成立した。
イザーク=ジュール ×  =
適性率は。
適性率は……。


適性率は、85%……。

空しいね、女というのは。
子供ができなければ、捨てられるのかな。
捨てて、くれるのかな……。
自由に、なれるのかな……。













そのまま私は、イザークに、抱かれた……。



**




!!」


が、ミーティングに現れなかった。
ニコルもラスティもミゲルも知らないと答えて。
心配で仕方がなくて。
するとイザークが、「あの女なら体調を崩して寝ている」と面白くなさそうに答えた。
でも、その言葉がどうしても腑に落ちなくて。

病にかかることなど稀なコーディネイター。
おまけに は努力家で……たとえ体調が悪くても今まで訓練やミーティングを欠席したことがなかった。
そんな が病欠ということに、どうしようもなく不安を感じて。

とイザークの部屋に、俺は脚を運んでいた。
案の定ロックされた扉。
けれどハロには開錠機能がある。


そんなもの、つけなければよかった、と。俺はこのときばかりは悔やまずにはいられなかった。






ハロを使って とイザークの部屋に入った俺は、言葉を失った。
戦艦には不釣合いな、ダブルベッド。
肩から赤の軍服を引っ掛けるようにして、怯えた目で俺を見上げる少女。
自慢の幼馴染。 =
白い肩が、白い足が、裾から……襟元から覗いている。
そして白い肌だから余計に目立つ、赤い華……。


……?」
「あぁ……ッ!?あ……いや……こないでっっ!!」
……!」
「いや……いや……来ないで……いやぁっ……」


上がる痛々しい悲鳴に、俺は全てを悟った。

は、俺を見ようともしない。
縋るように、白いシーツを手繰り寄せて。
俺の後から部屋に入ったニコルも、その姿に呆然としていた。


、さん……?」
「来ないで……来ないでよ……。 ……ッ!助けて…… ……」
「ニコル、ミゲルを呼んで来い!」
「分かりました!」


俺の言葉に、ニコルが駆け出す。
こうなれば、ミゲルに頼むしかない。
いや、ミゲルしかいない。こうなった を救えるのは、ミゲルだけだ。
ミゲルしか、いない。

俺はそう、確信する。

』と は双子の兄を呼んだ。
それだけ切羽詰った状況。それだけ傷ついた状況であるが、 はもう亡い。
けれど、 に似た…… にとってそれでなくても『兄』のようなミゲルがいる。
ミゲルならひょっとしたら、 を救えるかもしれない。

救いたかった。笑って欲しかった。
……俺の大切な、想い人。
例え の想い人が俺以外であったとしても、俺は が変わらず好きだ。
それはきっと、細胞レベルに組み込まれた本能のようなもので、そう簡単には捨てることのできない想いなのだろう。

ミゲルの行動範囲は広いが、狭い戦艦内のこと。
そう大した時間を有することなくニコルはミゲルを連れて走ってきた。


「アスラン、ミゲル…連れてきました……」
「事情はニコルから聞いたが……本当なのか?」
「……ああ。 、今中にいるよ」


正視に耐えない姿で、すべてを否定した……現実感のない空虚な瞳をした が。


「…… ……?」
「せ……せんぱ……。私……私……」
「……何も言わなくていい。分かっているから。……辛かったな?大丈夫か?」


細い指で、血が滲むほど強く、シーツを手繰り寄せて。
自分を守るように躯を丸くして。
怯えた瞳で、 は俺たちを見つめた。

……怯えてる、 が。






痛かった……。
俺に向けてくれた日差しのような笑顔もなく。
は俺にまで、怯えていた……。

痛々しくて、正視に耐えられないその姿に、けれどミゲルは無言で近づいて。
暴れる を宥めるように優しく、抱き寄せた。
暴れていた も、ミゲルの温もりに落ち着いたのか、暴れるのをやめて。
綺麗な赤い瞳にミゲルの姿を捉えると、顔をくしゃくしゃにして。
縋るように、抱きついた……。



しゃくりあげる に、ミゲルはベッドの端に腰かけ。
その背を撫でるように優しく叩く。


「辛かったら、泣け。泣いていい」


の唇から、途切れ途切れに嗚咽が洩れる。
痛々しい……犯罪行為。
軍隊という組織では、公にならないまでも起こりうる事件の一つ。
実戦経験のある やミゲルはおそらく、何度か目にしたことがあるだろう事件のひとつ。
それでも、ミゲルは端正なその顔を、一瞬歪めた。

それだけ、惨いものだったのだろう。
思わず、惨憺とした気分に陥るほどに……。






許せなかった、イザークが。
の想いを踏み躙ったイザークが。
どうしても、許せなかった。
の悲哀に、代償を求めずにはいられなかった。












俺は、イザークの元へ向かって駆け出していた。
ただ、闇雲に。
贖いを求める気持ちで。それが何の解決策にならないと分かっていてもなお、許せなかったから。






ミゲルの琥珀の瞳に、俺よりももっと激しい光がちらついていたことに、俺は気づかなかった……。







えと。ミゲル兄さんに慰められてください。
……これしか言いようがない。
裏のほうにも書いてますが、これ、一応ハッピーエンド目指します。
夢でバッドエンドはしない方向で。


ここまで読んでいただき、有難うございました。