瞳を、開けて。

しっかりと、前だけを見て。

それが出来る人間でしょう?私は。

たくさんの人が、私を支えてくれたでしょう?

ならば、一人で生きることもそれを返すことも出来る、でしょう?






番外編   恋の、歌〜U〜






ナースに手伝ってもらい、身支度を整える。
荷物の整理も、荷造りも。
一人では何も出来ない自分を痛感しながら。


「有難うございました」
「いいのよ、 さん。それが、私たちの仕事ですもの」


言われ、ほんの少し顔の筋肉を動かす。
多分、微笑めている筈だ。


受付の方へ行くと、ナースが退院の手続きを取り始める。


「では、こちらにサイン……ごめんなさい」
「いえ……サイン……ですか。認識票では……」


この目で、文字を書くことが出来るだろうか。
何処に書けばいいかも、分からない。
一人で生きるということは、やはり私には困難らしい。
文字を書くことも、日常生活を送ることも、ままならない……。


「それは、こちらでいいのか?」
「ええ……貴方は……?」


横からかかってきた声に、ナースが慌てるのが分かった。
そしてその声だけで、私は相手が誰か大まかな見当はついた。

この声は、イザーク……だろう。
でも何故、彼がここにいる?
私は、今日が退院の日であることも、伝えてはいないはずだ。

いや、それ以上に。


――――『もう、いい』――――


イザークは、そう言ったのに……。
何故、彼がここにいる。
もういい、と。それは、私との婚約破棄を彼自身が承諾して、別の生き方をすると。それではなかったのか?


= の婚約者だ。彼女の身元は、俺が引き受ける」
「まぁ。そうだったんですか。そういえば、一度お名前を伺ったことが」


昔、婚約が決まって、プラントのニュースで放映されたことが、あった。
イザーク=ジュールと = 、婚約決定、と。
それを、やはりこのナースも承知していたようだ。


「俺が身元を引き受けて、構わないだろう?」
「ええ、それは勿論。では、こちらにサインをお願いします」
「分かった」


私のあずかり知らないところで、イザークとナースはどんどん話しを進めていく。

私は、納得していない。
私は、イザークと住むなんて、言ってない。
婚約だって、破棄したはずだ。
なのに、何故……?


「行くぞ」
「ちょっ……待て……!」


私の手を引いて、イザークが歩き出す。
早足で、ついていくことも出来ない。
けれどそれ以上に、私は納得していないのに勝手に話を進めるイザークに、憤っていた。
手を振り解くと、イザークが立ち止まる気配がする。


「私は、納得なんかしていない!」

「婚約は、破棄しようと言った。お前は、納得したんじゃなかったのか?」
「納得した覚えなど、ないが?」


確かに、イザークはそれに対しては何も言わなかった。
けれど、『もう、いい』と。確かにそう言ったはずだ。

家に来いとイザークが言ってくれて、けれど私はそれを拒み続けて。
その返答が、それではなかったのか。


「俺は納得した覚えなどない。大体、婚約破棄も貴様が勝手に言っただけだろう?」
「私は……」
「俺があの時『もういい』と言ったのは……」


イザークが言葉を、区切る。
その指が、頬に触れた。
冷たい、その指先。
微かに、震えていて。
……緊張、しているのか?


「貴様の言葉など、聞くだけ無駄だと思ったからだ」
「なっ!?」


聞くだけ、無駄?
どういうことだ、それは。


「俺がなんと言おうと、貴様は俺を拒むつもりだっただろう?まぁ、それに関して言えば、その責任は全てがこの俺にあることだ。貴様を責めるつもりなど毛頭ないが……」
「……」
「だが、俺は=が傍に在ることを望む」
「……イザーク」
「俺を責めるなら、存分にするといいさ。だが、俺は自分の望みをかえる気も、気持ちをかえる気もない」


言い切ると、イザークはそのまま私の手を引く。
冷たい、指先。
緊張、していたのか?お前が。
あれだけ傍若無人に振舞っていたお前が、それだけを言うのに、そんなに緊張したのか?

その事実が、少し嬉しい。


「抵抗したければ、好きなだけするといい」
「イザーク」
「だが……分かっているだろう?」


離しは、しないから。
そういわれて、物騒なことを口にされていると分かっているのに、頬が緩む。
問題の本質的な解決になっていないことが分かっていても、嬉しい。
イザークの傍に入れることは、嬉しくて。
でも……辛い。

漸く彼は、私を見てくれた。
何年も何年も、胸の中で暖め続けた恋は、漸く実ろうとしている。
だからこそ、今度はその終焉に怯える。

恐怖。
怖くて、震えながら迎える。
潰れそうな恐怖と戦い続けたあの日、抱き締めてくれたミゲル先輩は、もういない。
大好きだから、愛しているから。
イザークにそんな自分の姿を見られたくない。

私は、どれだけイザークを罵りながら、暁を迎えているのだろう。
寝ている間のことなんて、分からない。
寝ている間に、私はイザークに何を言っているのだろう。
先輩の優しさに縋りつくだけだった、弱い=は。
己を傷つけたイザーク=ジュールに、どんな恨み言を口にしている……?

それを、イザークに知られたく、ない。
そんな自分を、イザークにだけは見られたくない。
……愛している、から。

そんな私の気持ちは、イザークには分からないのだろう。
どれだけ時間をかけても、私とイザークの間には、埋められない溝が存在しているような気が、する。



『愛している』


言葉にすれば、たったそれだけの言葉。
文字にしても、単純な音節の単純な文章。
けれどその簡単な言葉に費やす気持ちや労力は、並大抵のものではない。
それだけの思いかけて想う、相手。
嫌われることが、何よりも怖い。
今があまりにも、幸せだから……。
漸くイザークは、私を見てくれたのに。
また、私を憎む?死ねばよかった、と。あのアイスブルーの瞳に、蔑みの色を浮かべる?
それが、怖い。

気持ち悪いと言われた、赤い瞳。
見えなくなって、それに安堵したのは、私のほうだったのかもしれない。

イザークはすぐ隣に、いるのに。
心の距離は、何処までも遠い気が、する。
イザークには、私の気持ちは分からないのだろう。
そんな距離感。
ぽかりと心にあいた思いは、なんだったのだろう。
この瞬間に、心が麻痺したような、変な感覚。
もやもやとした……冷たいものが広がって。
全身で警告を発しているような、嫌な感覚。





分かり合えないことが、ただ辛かった。
こんなにも、傍にいるのに――……。



**




エレカに乗って、目的の場所へ向かう。
それがどこかなんて、そんなことは分からない。
ただ感覚で、ずいぶんと離れた場所だと思った。
漸くエレカが停車すると、イザークが手を引く。


「こっちだ、。シャトルに乗るぞ」


シャトル……?
どうやら、かなり離れた場所であるようだ。

ディセンベル市に、ザフトの本拠地はある。
軍の病院にいた私は、当然これまでディセンベル市にいたのだが。
どうやら、イザークの目的地は他の市らしい。


「マティウスまで」
「かしこまりました、ジュール様。マティウスでございますね」
「……マティウス?」


イザークの実家が、確かマティウスではなかったか。


「そんな不思議そうな顔をするようなことか?
「していない」
「している。……母上が、お前をお気に入りだ。嬢の療養は是非、母の目の届くところで、とな」
「エザリア様、が?」


私を、気に入られてる?
まさか、そんなことがあるはずがない。
確かに、エザリア様もそう仰ってはくださった。
でも、信じられない。
私は、エザリア様に恥をかかせるようなことばかり、してきた。



婚約発表会の席上では、イザークとダンスなどせず、先輩と踊った。
婚約破棄を、求めた。
それ以外にも、色々と。
エザリア様に気に入られるようなことなんて、万に一つもしていない。






イザーク、どうして、分かってくれない?
傍になんて、いてくれなくていい。
そっとしておいてくれたら、それでいい。




私が、お前のあの顔を、忘れる日まで。

無理矢理躯を開かれた、あの日。
お前の顔に浮かんでいたあの顔を、あの冷たい笑みを忘れる日まで……。







毎回毎回、ありえないくらい長くなりますので、今回は少し短めに。
一応この、『恋の、歌』は、全五話くらいをメドにしております。
それで終わるかは、非常に謎ですが。
まぁ、十話はいきませんよ、うん。

……すっごくアバウトですみません。

イザークとの間にある溝は、容易には埋まらないと思うんです。
は、過去の出来事があって、容易に心を開けない。
大好きだから、嫌われることを恐れてしまう。
イザーク自身も、自分の理想にを押し込めてる部分がありますし。

この2人がどうやって、互いの中にある溝を埋めていくのか。
今しばらくの間、不器用な二人を見守ってやってくださると幸いです。



ここまで読んでくださり、有難うございました。