夢。

悪夢。

逃れたい。

逃れられない。

貴方はもう、あの頃の貴方じゃないのに。

どうして、あの頃の貴方が、脳裏から離れないんだろう――……。






番外編   恋の、歌〜W〜






週に二回は、病院へ。

それが、医師からの言葉だった。

原因不明の、病気。
医学的には解明されない、失明。
だから、私は病院に行かねばならないのだ、と。
ひょっとしたら、改善が見られるかもしれないから、と――……。

もう、私自身が諦めているのに。
なのに、『彼』がそれを許さない。


。時間だ。今日は病院に行く日だろう?支度しろ。連れて行くから」


言われて、項垂れる。

あの日以来、私はジュール家に面倒を見てもらうことになった。
口下手な私は、イザークとエザリア様の申し出を、断ることができなかったのだ。

言葉が、私は苦手で。
言葉を操ることが、苦手で。
だから、いつも言いたいことの半分も相手に告げられない。

そしてイザークとエザリア様は、良くも悪くも百戦錬磨の強者で。
私に言い逃れを許してくれなかったし、断りの文句を考える時間も与えてはくれなかった。

……ああ、いけない。
これではまるで、イザークとエザリア様のせいにしているようだ。
それでは、いけない。
人のせいにしては、いけない。

断れなかったのは、断るだけの、納得してもらえるだけの言葉を考え付かなかった、私に責任のあることなのだから。



イザークは、優しかった。
ジュール家の人たちは、私にとてもよくしてくれた。
食事のときも、目の見えない私に、エザリア様手ずから料理を切り分けてくださったり、メニューについて説明をしてくださったり。
とても、有難くて。
同時に、酷く心苦しい。

……私は、何もできないということを、思い知らされて。
イザークとエザリア様に、迷惑をかけてばかり。


「病……院?」
「何呆けたことを言ってるんだ。今日だろうが。さっさと支度をしろ。今、メイドを呼んでくるから」
「……いい」
?」
「今日は、お前も仕事がある日だろう?休みじゃなかった筈だ。仕事に行ってくればいい」


訥々と。話す。
あぁ、もっとすらすらと話が出来ればいいのに。
こんな、感情が篭っていないような話し方じゃ、イザークだって気を悪くする。
気を悪くするに決まってる。

感謝しているのに。
本当に、申し訳ないくらい有難く思っているのに。
どうすればそれを、伝えることが出来るのだろう……。


「馬鹿なことを言うな、


案の定、イザークは低い声を出した。
分かる。
これは、イザークが気を悪くした……機嫌を損ねた証拠だ。


「貴様の退院は、医師の指定した日にきちんと通院するという約束の下でなされたことだ。病院以外の場所のほうが落ち着けるだろう、と。本来ならば、まだ退院できなかったはずだろうが」
「治る余地がないから、退院しただけだ」
「違う。環境を変えたほうが患者にいいだろうという判断の元だ。だから、さっさと支度をしろ」


見えないと分かっているのに。
良くなった兆しなんて、感じもしないのに。
病院に行く理由が、どこにあるのだろう……?

見えないんじゃないか、と諦め半分に思う。
それでも、もう一度だけ見たいものがあって。
そのためだけに、望みを繋いで。
でも……。

頭から、離れないんだ。
あの日のイザークの笑顔。
あの日、笑いながら私を蹂躙したイザークの笑顔。
それが、私の頭から離れない……。



もう一度だけ、みたいと思う。
幼い頃、赤い瞳をからかわれた私に、イザークが言ってくれた。
綺麗な、裏表のない笑顔で、言ってくれた言葉。


――――『夕日みたいに、綺麗だ』――――


あれだけが、私の支えだった。
あの日のような笑顔が、もう一度みたいと思う。
今のイザークなら、あの日のように微笑んでくれることも分かっている。
でも、嫌なんだ。


私の脳裏を離れない。
イザークに蹂躙された……陵辱された、痛い痛い記憶……。


あんな笑顔をもう一度見るくらいなら。
あんなふうに蔑まれて、いないほうがいいといわれて。
お前こそが死ねばよかったといわれて。
冷たく酷薄に微笑む、あの日のイザークをもう一度目にするくらいなら、一生、この目に光なんて宿らなければいい。

光なんて、いらない。
あんな目で見られるくらいなら、光なんていらない。

私は、臆病なんだ。
イザークが、好きで。
だから、怖い。

いつか……いつかイザークはまた、あんなふうに笑うのかもしれない。
今は……今のイザークは、私を大切にしてくれるけど。
それを、無条件に信じきることが、出来ないんだ。

私は…… = は、弱いから。
弱くて、愚かで。
だからイザークを、全面的に信じられない……。






ノロノロと、支度を始める。
そうするうちに、急ぎの連絡でも入って、イザークが軍本部に出頭することがないか、と半ば祈りながら。
でも、そんな連絡は一切来ず。

促されるまま、私はイザークの運転するエレカに乗り込んで。
今日もまた、改善されていないと医師に嘆かれるために、病院に行った――……。



**




「すまない」
「何がだ?」


帰りのエレカの中で、思わずそう謝っていた。
相も変わらず、私の目に改善の兆しはなかった。
医師に告げられて、ショックというよりも、イザークに悪いことをしたな、と思った。
どうやらわざわざ有給をとってまで、イザークは私の通院に付き合ってくれているらしいから。

ただ、申し訳なかった。


「謝ることはない。それなら、一日も早く元に戻るように、元に戻ることだけを考えてろ」
「……元になんか、戻らないから」
「何でだ?『可能性はゼロではない』お前が言った言葉だろう?」
「そう、だけど……」


私がそれを、望めないから。
良くなって欲しいと、灼けるようには渇望していないから。
だから、良くはなりはしないだろう、と思う。
私自身、もう諦めの境地に達してすらいるから――……。





目が見えるようになったら、まず一番何が見たい?
もしもそう問われたら、私は躊躇いもなく『イザーク』と答えるだろう。
それは、今も変わらない。
それでも、そのことを思い続けられない。
イザークをもう一度、見たいと思う。

綺麗な銀色の髪を。
透明なアイスブルーの瞳を。
優しく笑みを刷いた、その美貌を。
もう一度、と願う。

けれどもしも、イザークはまた私を疎んだら?
あの顔に、蔑みを浮かべたら?

いらない、といわれたら、私はきっともう立ち直れないだろう。

だったら、そういわれる前に自分から捨ててしまいたい。


「見えるようになる、必ず」
「……」
「俺が必ず、 の目が見えるようにしてやる」
「……有難う」


その言葉を、素直に受け取れない私は、何て醜いのだろう。
なんて、自分本位なのだろう。
有難う、と。
心の底から言うことも出来ない、愚かしい……。


傍に、いるのに。
貴方は私の傍にいて、私は貴方の傍にいて。
躯は、こんなにも近くにあるのに。
どうして心は、こんなにも隔たった場所にいるのだろう――……。



**




「お帰りなさい、 。イザーク」
「ただいま戻りました、母上」
「病院に行ってきたの?お医者様は、なんと仰って?」
「改善は、見られないそうです。……申し訳ありません、エザリア様」
「まぁ。何を言うの、 。そんなこと、貴方が気にするようなことじゃないわ。ゆっくりでいいのだから、貴女は気にせず躯を休ませることを覚えなさい。それでは、気疲れしてしまうでしょう?」


ふわり、とエザリア様が微笑んでいるビジョン。
脳内には、そう描かれた。
そのままのとおりに、エザリア様が微笑んでくださっていたら、いいのに。


「そのことですが、母上。あとでお話が」
「分かったわ。……さぁ、 。昼食にしましょう。今日は、私が作ったのよ?」
「母上が、手ずからですか?それは楽しみです」
「あ……あの、エザリア様」


エザリア様の言葉に、イザークは素直に喜びを露わにする。
でも、私はイザークのようには出来ないから。
そうすれば逆に、有難く思っていないようにさえ、聞こえるかもしれないから。
素直に、感謝を。
感謝の気持ちを、伝える。

あぁ、それでも駄目だな、私は。
どうしても、言いようがかたくて。


「有難うございます、エザリア様。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」


言うと、エザリア様はかすかに苦笑したようだった。







この人たちの望むことを、もっと言葉に出来ればいいのに。
もっと、きちんと話せればいいのに。

駄目だな、私は。

コミュニケーションをとる、ということ。
それが苦手で仕方がない。


「律儀ね、 。これくらい、当然なのだから、貴女が気にすることじゃないのよ。それに私、料理はそこまで上手くはないわ。……家庭に入るような女じゃなかったから」
「そんなことは……」
「まぁ、それは事実だ、 。はっきり言って、母上より俺のほうが上手い」
「まぁ、イザークったら!酷いことを言うと思わない?


こんなときは、なんていえばいいのだろう。
おろおろすると、エザリア様が優しく頬に触れた。


「答えにくいことを言わせてしまうところだったわね、 。ごめんなさい」
「そんなことは……」
「まぁ、 。今度は俺が作ってやるから、食べ比べてみるといい。母上より俺のほうが上手いと、誰だって思うぜ?」
「もう、イザーク!」


仲良し親子の言い合いに、自然と口元に笑みが浮かぶ。
自然に、自然に口元に浮かんだそれ。


「笑えるんじゃないか、
「え?」
「出来れば、ずっとそんな顔をしていろ。そっちの方がその……何というか……あぁ……っと……可愛い」
「言葉が足りてないわよ、イザーク。私の息子なのに、情けない」
「だから!その…… の笑顔、好きだ……!」
「母親の前で、恥ずかしい息子ねぇ」


茶目っ気たっぷりのエザリア様に、キャンキャン食いつくイザーク。
少し、面白くて。


「気を聞かせて、二人っきりにさせてくださってもいいでしょう、母上」
「あら、駄目よ。 は私の娘になるのだから。
私、ずっと娘がほしかったのよ。男の子は面白くないわ。しかも私に似たのかあの人に似たのか、癇症は強いし……」
「間違いなく、貴女に似たんですよ、母上」


ぼそりとイザークが呟く。
やがて、イザークの家の執事さんが騒ぎを聞いてやってきて。


「エザリア様にイザーク様。 様がお困りですよ。それに早くしないと、せっかくの食事が冷めてしまいます」
「あぁ、そうだったわ。もう。イザークのせいよ。……さぁ、 。手を貸して」
「いえ、母上。ここは、俺にお任せください」


ほら、 。と。
差し出されたと思われるその手を、とって。







今が幸せで。
幸せすぎて。
だから、この幸せが崩れることを、恐れてしまうんだ――……。







『恋哀歌』で一番男前なのかは誰か。
と聞かれたら。
「本編ではミゲル。番外編ではエザリア様」
と答えそうな緋月です。

ひそかに支持していただいているらしいエザリア様。

イザークさん、まずはお母様に勝つことからはじめましょう。

ここまでお読みいただき、有難うございました。