何をどうすれば、罪を償うことになるのだろうか。

そう考えたとき。

俺は、の瞳に光を取り戻してやることしか、思い浮かばなかった。

考えてもみなかったんだ。

それ以外の、俺の贖罪を――……。






番外編   恋の、歌〜X〜






 例え瞳を見開いていても、光を宿すことの無い瞳は、ひどく空虚な印象を与えて。
 それに違和感とともに微かな失望を感じるのは、俺の身勝手だろう。
 アレだけのことを言っておきながら、俺は彼女の瞳が、ひょっとしたら好きだったのかもしれない。

 それは、初恋の少女の持っていたものと同じ瞳だ。
 好きに決まっている。
 しかしそれだけじゃなく。
 おそらく、成長したの瞳も、好きだったんだ。

 薄い硝子のように儚い……けれど時折微かに熱っぽく煌く、あの瞳が。
 あの儚さと強さのギャップに、本当は俺も知らず知らずのうちに焦がれていたのかもしれない。

 だからこそ、今のの瞳になんの輝きも無いことに、俺は勝手に失望してしまうのだろう。
 その瞳から光を奪った、一番の責任は、俺にあるというのに……。


「イザーク」


 食事を終えると、母がに、ゆっくりとするよう言った。
 ストレスが一番、病気にしろ怪我にしろ回復を遅らせる。
 病にかかることなど稀で、怪我をしても自己回復能力の発達したコーディネイターにとって、その認識がどれだけ広まっているかは疑問に思うところだが、こうまで回復しないにはやはり、昔から言われている格言を贈るより他無い。
 もっとも、いくら婚約者の家とは言っても所詮は他人の家。
 挙句、の性格上、ゆっくりと人の家で寛ぐ、何てこと出来るわけも無いのだが……。
 の本宅にを帰すことだけは、嫌だった。

 ミゲル存命のころ、は言った。


 ――――『あんな家、どうとでもなるといい』――――


 その時は、なんて女だろう、と思った。
 それは、確かな事実であり、俺の本音だ。

 俺は……俺の母を尊敬している。
 幼くして亡くなった父上のことも、敬愛している。
 そんな俺から見れば、育ててもらった恩もあるだろうに、実の父親を悪し様に言うなど、信じられないことだった。
 俺の狭い常識では、それは異質な……ありえないことだったのだ。
 それが常識として通用するのは狭い世界の中だけの話で、別の常識の中で生きる者もいるなんて俺は、考えもしなかった。

 と俺の常識は、違うのだ。
 それまで生きてきた世界が、違うのだから。

 幼くして亡くなったとはいえ、俺は俺の父が、俺に対して愛情を持ってくださっていたことを知っている。
 だから俺は、最早父の顔など覚えてはいないとは言え……父を尊敬しているのだろう。
 しかし、は違う。
 たち兄妹は、ルーク=の子として、認知すらされていなかったらしい。
 当然、養育費など払われるわけも無い。
 たち兄妹を育てたのは、彼女たちの母親だった、と。
 それならば、俺がその母を侮辱するようなことを言った時、あの時のの激昂も理解できるというものだ。
 仮に俺自身に置き換えたとして、俺もやはり俺の母を侮辱するやつなど、許しては置けないと考えただろうから。
 きっとも、同じだったのだろう。
 俺が父上を敬愛するように。俺が母上を尊敬するように。
 は俺と同じような感情、その全てを彼女の母親に……そして双子の兄に捧げているのだろう。
 だからこそ、彼女はあんなにも激昂したのだ。


「イザーク」


「何だ?」


 なかなか返事を返さない俺に、焦れもせずには静かに言葉を紡ぐ。
 あの頃の俺は、そうやって呼びかけられるたびに、馬鹿にされているような……おざなりにされているような気がして、仕方がなかった。
 そうじゃないのだ、と。もっと早くに知っていればよかった。
 彼女は、俺なんかよりも……他の人間よりもはるかに、言葉を操るのが苦手なだけで。
 それでも、彼女の心に抱く思いはいつも、相手を慮るものである、と。
 苦手なだけで、けして相手を侮っているわけではないのだ、と。
 もっと早くに、気づけていればよかった。

 そうだな。俺が一番愚かで。
 一番、子供だったんだろう。
 俺はずっとずっと、の良さに、気づくことも出来なかった。
 でも、今は分かる。
 ……分かる、つもりだ。


「その……礼を言うのを、私は忘れていた。すまない」
「礼?」


 礼を言われるようなことを、俺はしただろうか。
 俺は、怪訝な顔をしたのだろう。
 否、今のに俺の顔は見えないのだからきっと、そんな雰囲気をは俺から感じ取ったのだろう。
 焦っているわけではないが……少し慌てたような雰囲気で。
 あぁ、俺が不機嫌になったとでも、思ったのだろうか。
 少し、焦りを感じるのは、そういうわけかもしれない。

 本当は俺のほうがずっと、に比べて感情を言葉にしていないのではないだろうか。
 それでは、に俺の気持ちが伝わらなくとも無理は無いのかもしれない。
 俺はの顔を見て、声を聞いて……判断の基準も持っているが、にある基準は、俺の声や雰囲気しかない。
 視覚と言う基準を持っていないには、俺がから得る情報に匹敵する俺についての情報を、俺から引き出すことが出来ないだろう。
 言葉が、圧倒的に俺たち二人には、欠けているのかも知れない。

 否、きっと俺は安心していたんだ。
 安心というよりも、慢心していた。
 言葉にすることなく分かってくれる、と。慢心していたのだろう。


「その……今日は、有難う」
「え?」
「軍のこともあって、イザークは疲れていると思う。それなのに、有難う」
……?」
「それと、すまない」


 そうやって、はすぐに謝る。
 謝ると言う行為。すぐに謝罪するという行為は、謙虚さという美徳に繋がるものだろう。
 けれどのそれは、謙虚と言うよりも卑屈に思えて、俺は仕方がなかった。
 一体、
 お前は、謝らなくてはならないようなことを、したのか?
 いつ、お前がそんなことをした?
 謝らなくてはいけないのは、本当は俺のほうだろう?
 そうやって先に謝られては、こちらとしては言う言葉をなくしてしまう。


「貴重な時間を割かせてしまったのに、無駄足に終わらせてしまった。……すまない」
……」
「それを、言っておきたかったんだ」
「違うだろう、


 そういって、俺の前から姿を消そうとするの腕を、俺は捕まえていた。

 何故、謝る?
 違うだろう?
 謝るべきは、俺だろう?
 なのに、何故。
 何故、お前が謝る?


「何故、お前が謝るんだ?
「イザーク……?」
「違うだろう?謝らねばならないのは、俺のほうだろう?」


 強い言葉に、は怯えたような反応を返す。
 ……怯えている。
 守りたいと願った少女は、俺にこそ怯えている。
 それが俺の犯した罪の報い。
 けれど、それは何て矛盾だろうか。

 守りたい、と願う。
 抱きしめたいと、希う。
 口づけたいし、大切にしたい。
 けれどは、俺にこそ怯えているのだ。
 ……それはなんていう、矛盾か。
 そしてそれこそが、俺の犯した罪の報い。


「だって……よくなっていなかったのはやはり、私のせいだろう?それなのに、イザークの貴重な時間を奪ってしまった。だから……」


 何を当たり前のことを。
 そう言いたげなの顔を見ていると、喚き散らしたくなる。
 違うだろう、と。
 そうじゃないだろう、と。
 どうしてお前は、俺を憎まない?
 憎まれても仕方のないことをしてしまった俺を憎まず、自分を責め続けるのか。
 それが、俺にはわからない。
 そんなの気持ちが俺には分からないのだ。


「違うだろう?」


 何故、そうやって自分を責めるのか。
 目が見えなくなったことだって、本当は俺のせいだろう?
 俺がもっと早くにお前を認めてさえいれば、お前の瞳が光を失うことは無かった。そうだろう?
 それなのに、何故……。
 何故お前は、俺に謝らせてもくれない?


「すまない、イザーク。私は何か、間違えたことを言ってしまったか……?気分を害するようなことを言っただろうか。それなら謝る。すまない」
「違う」


 分かっていないのだ、と思った。
 どうして俺が黙り込んだのか、分かっていない。
 紅玉に似た……本当に宝石のような瞳を見開いて、は俺を見つめる。
 慕わしい光のない瞳に、苛立ちがこみ上げる。
 本当に、自分勝手だ。
 そんな俺に、俺自身が一番辟易していた。
 なのに、何故?
 何故この女は、何も分からない?

 違うんだ。
 分からないんじゃない。
 おそらく、理解できないのだろう。
 そうだ。
 だからミゲルが、あんなに案じていたんだろう。

 この女は、生存に対する欲求だとか。それに付随するあらゆる正の感情が、希薄だから。
 そうだ。
 こいつは……分からないんだ、きっと。


「謝らなくていい。謝罪が欲しい訳じゃない」
「そう……なのか?じゃあ、どうすれば……」
「謝るな」
「でも……」


 それなら、どう言えばいいのだろう?
 紅玉の瞳が、戸惑いに揺れている。
 表情も、戸惑ったような感じで……。
 動かない表情も、本当はこんなにも明瞭に彼女の感情を伝えていたのに。
 俺はそれにさえ気づかずに、苛立ちを募らせていたのだろう。
 全く持って、お前の言ったとおりだ、ミゲル。
 俺が一番愚かで……俺みたいな人間には勿体ないと言った、お前の意見は、正しかったのかもしれない。
 でも、分かってしまったから。
 分かってしまえばもう、感情は止められない。
 だって、気づいてしまったんだ。
 それがどれだけ自分本位なことであるか分かってしまったけれど、気づいてしまった。
 自分の気持ちに、気づいてしまった。
 求める者と、その対象に気づいてしまった。
 ならば、止められる筈がないだろう?
 手を伸ばせば届くところに、愛しい存在はあるというのに。

 それを躊躇ってしまうのは……俺が過去にを手酷く傷つけてしまったから。
 母の言う通りにしていれば、ある筈のなかった回り道。
 あるはずのなかった、溝。
 それが、俺たちの間には延々と横たわっているような気が、する。


「謝罪はいらない」
「では、何ならいるんだ?」


 欲しいものは、決まっている。
 必要なものだって、分かり切っている。
 けれどそれを告げることは、出来ない。
 それでは、あの日と変わらない。






 俺は、が好きで。
 だって、俺を愛しているといってくれて。
 それなのに擦れ違う、心。
 同じ軌跡を描き出せない感情が、痛い。


「そうだな……」
「何を言えばいい?イザーク」
「俺は、自分の意志で有休をもぎ取って病院に連れて行った。そして貰う言葉が『すまない』では、俺の意志など無視しているとは思わんか?」
「それは……」


 が、微かに頷くような動作をする。
 確かにそうだ、と思ったらしい。
 そんな部分を……の美点をもっと早くから、認めていれば良かったのかもしれない。
 そうすれば、あんな間違いなんて犯さなかった……。
 そう、悔やまずにはいられない。



 けれど犯した過去を、見ないふりすることはできなかった。
 ならば俺はこれからずっと、その罪の意識を抱えていかなくてはならない。
 上等だ。
 それだけのことを、俺はした。
 挙句俺のせいで、の瞳は光までも失うこととなってしまった。
 その罪は、償わねば。
 これからの一生をかけてでも。


「では、イザーク」
「何だ?」
「有難う。迷惑をかける結果になってしまったが、連れて行ってもらえて助かった。だから……有難う」


 それが心からのものと、分かった。
 先ほどの、最初の感謝の言葉とは、違うものであることが。
 だからこそ貰った言葉に、心が震える。
 この歓喜を。
 こうして動く俺の感情をもっと早くに認識していたら。
 過去は、変えられたのだろうか……?







 随分とお久しぶりになってしまいました。
 『恋哀歌』番外編、『恋の、歌』第5話をお届けいたします。
 別名、イザークの後悔。
 まぁ、この程度の後悔で足りるとは彼も思っていないでしょう。
 後悔して落ち込むイザークがいいと仰ってくださる方もいらっしゃいましたし。
 イザークには是非とも、マリアナ海溝並の後悔のドツボに陥ってもらいたいと思います。
 でも、一応最終目標は甘甘な裏、ですので。
 ふふふ。頑張ります。

 ここまでお読みいただき、有難うございました。