高揚する心と

絶望に沈む心と

相反する感情を持った私たちは

そうであるが故にそこから先の関係を

拒まずにはいられない。

少なくとも、私は

今のままで、よかった。

今のままで私は、幸せだった。






番外編   恋の、歌 〜T〜






「嫌だ」


静かな部屋で、私の声は予想以上に大きく響いた。

退院が、決まった。
要するに、これ以上入院していても回復は見込めないという、それは最後通牒だった。
別に、覚悟はしていた。

私が傷つけすぎた人たち。
知らぬ間に私は、アスランを、そしてミゲル先輩を傷つけ続けた。
イザークが、好き。イザークを、愛している。
それだけだった筈なのに、それが二人を傷つけ続けた。

だから、これは罰なのだ。
見えなくなってしまった、目。
軍人として生きるには、それは致命的すぎた。
一人で生きるにも、それは致命的で。

私は、一人で生きる道すらも絶たれてしまった。

けれどそれでも、何とか生きていける。
軍人であったとき、一度も使わずに貯蓄し続けた給料。
そして……。






が、私のためにと遺してくれていた、の給料。
その二つがあったから、目が見えなくなったとはいえ、生きるに差し支えなかった。
一人で暮らすことが困難ならば、施設でも探せばいい。
家に頼ることなく、父上や名ばかりだった婚約者に頼ることなく、生きていける。
そう、思っていた。



救いの手を差し伸べてきたのは、その婚約者だった。
私の、婚約者。
破棄したはずの、婚約者。
私を憎み続けていた婚約者が、その手を差し伸べてきた。


――――『一緒に生きよう』――――


と……。

嬉、かった。
幸せだと、思った。
ずっと想い続けてきた、婚約者。
幼い日に恋して、それ以後もずっと、私の心に住み続けた、誰よりも慕わしい人。
その人が囁いてくれた、甘い睦言。

幸せだ、と思った。
けれど幸せな反面、悪夢が途切れることは、ない。



無理矢理蹂躙された、躯。
愛しい人に、無理矢理抱かれた、私の躯。
抱きしめて、慰めてくれたのは、今はもう亡いミゲル先輩。
ショックから命を絶とうとまでした私を叱り付けて、この世に留まらせてくれたのは、先輩だった。

何も望まず、ただ、私にその想いだけを明かして……。


――――『これ以上は何も望まないから……これ以降は、お前の望む「兄」に戻るから……。
     好きだ……好きだ、。……愛している……』――――


アスランからの気持ちを、受け止められなかった私。
その気持ちを捧げられることすらも罪悪と、切り捨て続けて、それでも頼りっぱなしで。
そんな醜い私を愛していると言ってくれたのは、先輩だった。

……嬉しかった。
応えられない自分が、哀しかった。
先輩だったら、きっと私を大切にしてくれる、と思った。
でも……。

それでも、私が愛しているのは、イザークだった。

何をされても、どんな目に遭わされても、私の中のイザークは綺麗すぎて。
私はその思いを捨てることが出来なかった。

そんなイザークが、言ってくれた。
目の見えない私が、イザークの想いを拒絶しようとしたときに。


――――『俺が支える』――――


と……。

嬉しくて、嬉しすぎて零れた、涙。
抱きしめてくれる温かい腕の、その熱に溺れた。
幸せすぎて。
このままいっそ、死んでもいいとさえ、思った。
これが夢ならば、この幸せを抱いて死んでしまいたいとまで、願った。

でも、それは夢じゃなくて。
幻でも、なくて。

イザークは度々、病室の私を見舞いに来てくれた。
白い花が好きだと言った私に、毎日のように白い花束を抱えて。
見えなくても、感じることは出来るといった私に、毎日のように薫り高い花を携えて。

幸せ、だと思った。
それでも、過去だけが私を苛み続ける。

幸せ、なのに。
イザークはもう、あの頃のイザークではないのに。
私を、大切にしてくれるのに。

なのにあの頃の、酷薄な笑みを浮かべるイザークが、頭から離れない……。




夢に、魘され続ける。
悪夢……悪夢……悪夢……。
魂にまで残された、深い深い傷痕。
それが、これ以上の関係を、私に思い止まらせてきた。


「実家に帰るつもりか?」
「勘当された身で、帰る家などない」
「だから、俺の家に来いと言っている。婚約者なんだ。当たり前だろう?母上も、了解してくださっている」
「断る」


繰り返される問答に、さすがの私も疲れ果てて。
それでもイザークが引き下がる気配は、ない。
イザークの性質上、引くことが困難なのは分かる。けれど……そっとしておいて欲しい。
私はまだ、夢に囚われ続けていて。
泣かずに目覚める暁は、まだ経験したことがない。

そうっとしておいて、欲しい。


「今もまだ、夢に見るんだろう?」
「……」
「その重荷を俺も背負いたいと願った。それはそんなに……そんなに迷惑か?」


違う、違う、違う。
迷惑なんかじゃ、ない。
そんなこと、決してない。
でも、嫌なんだ。

涙を浮かべて、魘されながら迎える暁。
私の唇はひょっとしたら、お前への恨み言を吐いているかもしれないのに。


……頼む」
「……嫌だ」

「一人で、生きられる。それに婚約は、破棄したはずだ」


私は正式に破棄する旨を、エザリア様に告げた。
エザリア様は何も仰らずただ、イザークが私に何かしたのかと。それだけを尋ねられた。

私はあの日……婚約発表の席上で、エザリア様に……ジュール家に恥をかかせたのに……。


――――『イザークがそなたに何かしたのか?=』――――
――――『とんでもありません、エザリア様。ただの私の……私の、我侭です』――――
――――『イザークが無礼を働いたとなれば、いかに破棄を言われようとこちらに拒む権利などないが……
     そなたの我侭なれば、その旨、呑む事は出来ぬ』――――
――――『それは、分かります。けれど、どうか……どうかお願いします、エザリア様』――――


本来ならば、直接面会した上で告げるべき、言葉。
通信機越しの会話は、無礼と切り捨てることも出来ただろうに、エザリア様は話を聞いてくださった。



けれど、納得はしてくださらなかった。
分かりきっていたこと、だった。

ジュール家と、家と。
それぞれの家の思惑が絡んだこの婚約に、本来ならば私如きが口を挟める筈もなかった。

所詮妾腹の、私如きが……。


――――『この婚約は……』――――
――――『……はい』――――
――――『ジュール家と、家と。
     双方の家の思惑が絡み合って結ばれた婚約ではあるが、けれどこの婚約を進めたのは、私がそなたを気に入ったからだ』――――
――――『エザリア様……?』――――
――――『それなのに、破棄するなど……。
     破棄するならばするで、それなりの理由を提示して欲しい。そうでなければ私は、その話承服できぬ』――――


イザークと同じ色のアイスブルーの瞳を、すっと細めて。
エザリア=ジュールはそうのたまう。
本気の眼差しに、畏怖した。

でも、イザークを悪し様に言うことは、できなかった。

分かって、いた。
私がただ、イザークに無理矢理陵辱されたと言えば、エザリア様は直ちに謝罪の言葉と共に、婚約を破棄してくださっただろう。
でも私は、言えなかった。

イザークを憎めない、私。
そんな私は、イザークを悪し様に罵ることも、出来なかった。
そんな自分の愚かしさに、辟易した。
愚かな……愚かな、=


――――『私は、元々上流階級の身ではありません。ですから、私の思いのままに言わせていただきます』――――
――――『構わぬ。何だ?』――――
――――『イザーク様は、私などには勿体無いほどの、素晴らしい方です。
     本来ならばこのようなこと、口にすることすらも憚られますが、エザリア様は理由を提示しろと仰る。
     だから、言わせていただきます。
     イザーク様は本当に……本当に素晴らしい方です。ですが……ですがイザーク様は、私を愛してはくださらない』――――
――――『?』――――
――――『私は、私を愛してくださらない方との婚約は、嫌です。
     所詮下賎の生まれと思われるなら、それで構いません。ですが私は……私はこの関係を納得できないのです』――――


愛してくれない人と婚約なんて、嫌。

上流の生まれではないから余計に。私はそんな結婚に、納得できない、と。
案外エザリア様はそれで納得してくださると思っていた。

ああ、所詮=は妾腹の生まれ。

そう思われても、構わなかった。
私は私を、知っている。
先輩も、アスランも、本当の私を知ってくれている。
全ての人に理解を求めなくとも、私を知ってくれている人が、いるから。
だから、それだけでいい。

愛して、います。
=は、イザーク=ジュールを心から愛しています。
だからこそ=は、イザーク=ジュールとは生きられない……。

私が真剣だということが、エザリア様にも分かったのだろう。
エザリア様はふうっと重い溜息を吐かれて。


――――『そなたの気持ちは分かった。だが、この問題、私とそなただけで決めていい問題ではない』――――
――――『はい』――――
――――『イザークはもとより、そなたの父、ルーク=にも話を聞いて、それからだ。
     ……詳細は、おって伝える』――――
――――『分かりました』――――


けれどそれから、エザリア様からの通信は、なかった。
そして私は、てっきり話がついて、私とイザークの婚約は破棄されたと。そう思っていた。
そんな矢先に、今度は父上からの通信があって。


――――『どういうつもりだ、』――――
――――『どう、とは?』――――
――――『婚約を破棄するだと?そんな勝手、許されると思っているのか!?お前は家の人間だ。自覚を持て!』――――
――――『勝手なことを言わないでください、父上。私たち親子を見捨てたのは、貴方でしょう?』――――
――――『?』――――
――――『私に、=を捨てよと言ったのも、貴方だ。
     =を捨て、=として生きろ、と。貴方はそう仰った。
     けれどが死んで……私に利用価値が出たから、今度はまた=として生きろ、と。
     ……私はもう、貴方の言葉には従いません。勘当でも何でも、好きにされればいい』――――


初めて私は、父上に牙を剥いた。
父上は、そんな私にただただ驚かれて……。
そう、だな。
いままで従順だった、お人形。それがいきなり、牙を剥いた。
驚かないほうが、どうかしている。



がその死と引き換えに与えてくれた、翼。
そしてそれに力を与えてくれたのは、先輩。
ラスティや、ニコルや、アスランや……。
たくさんの人の力に支えられて、今の私はここにいる。
それを思えば、愛されていると言うその思いがあれば、父上に勘当されようが捨てられようが、なんとも思わなかった。

私は私を、愛してくれる人を。愛してくれた人を、知っている。
それで、十分だった。



父上に、愛されたいと願った日もあった。
けれどそんなものは、今となってはどうでもいい。

先輩は、私を愛してくれた。
こんなにも愚かで醜い = を。
抱きしめて、愛していると言ってくれた。
先輩を傷つけ続けた、 = を。
ただ、何も求めない、と。
愛している、と。それだけを言ってくれた。

それがある今、私はもう、父上からの愛情に縋ろうとは、思わない。
一度も私を愛してはくれなかった。
一度も……私たち親子に愛情を注いではくれなかった。
身勝手な身勝手な、父上。
そんな人からの愛情なんて、いらない。




言葉どおり、父上は私を勘当した。
今の私は、 = を名乗ってはいるが、 家の人間では、ない。
それで、いい。

私は、私。
私は、 = 以外の人間には、なれないから……。





けれどあの頃とは、私もまた変わった。
今、私の目の前には、焦がれても焦がれても手の届かなかった人が、いる。
こんなにも近くで、私を気遣って……。

それは、幸せで堪らないのに。
悪夢に魘され続ける私は、そんな幸せも苦痛でたまらない。


「お前の気持ちは、有難い」
「なら……」


勢い込むイザークに、ゆっくりと首を横に振る。
気持ちは本当に、嬉しい。
帰る家も、ない。
アスランも先輩も、ニコルもラスティも、いない。
一人で生きるに、この目はあまりにも重い。

家事は、ひととおり出来たし、得意だった。
けれどこの目では、無理。

書籍を読んだりするのも、好きだった。
けれどこの目では、活字も追えない。

暗い部屋で、一人で。
何をするでもなく終える一日。
考えただけで、気が滅入る。
でも、それでも。

漸く私を、見てくれた。
焦がれて焦がれて。呪いにも似た激しさで見つめてきた。
大切な人。大好きな人。その人に、その人を罵っているかもしれない自分を、見られるのは嫌だった。


「すまない、イザーク。気持ちだけで、十分だ」
……」
「本当に、いいから」


小さく呟いた言葉に、その言葉が持つ残酷さに、私は気付けなかった。
私は、いつもそうなんだ。
言葉を操るのが苦手で、満足のいくことを話すことが出来ない。
もっと他に言いようもあるはずなのに、私はこれで限界。
そしてそのことにも、取り返しがつかなくなるまで気づけない……。


「……なんだな」
「何だ?イザーク」
「お前は結局、俺を拒絶し続けるんだな」
「そんな……」


そんなことはない、と。そう言えれば良かった。そう言うつもりだった。
けれど一瞬、私は躊躇った。
イザークの言葉も尤もと。そう思った。
私は現にこうして、イザークを拒絶している。
愛している、筈なのに。私は確かに、イザークを想っているというのに……。

ならば何故私は、イザークを拒むのだろう。



私を愛してくれた。私が傷つけ続けた先輩への、贖罪の気持ち?
……違う。私はそんなに、ご立派な人間じゃあない。
今は遠く離れてしまったアスランへの、気持ち?
……それも、違う。アスランはやっぱり、私にとって弟でしかない。

じゃあ、何故?何故、イザークを拒む? =


「……もう、いい」
「イザーク?」


かけられる言葉は、震えていた。
思わず伸ばした手を、イザークが振り解いて。


「イザー……?」
「少し、考えたい」
「何、を……?」


問に答えずに、イザークは辞去の旨を伝えると、外に出て行く。
閉まる扉の音に、その余韻に、寂しさを味わった。

それでも、駄目。
好き、だから。大切、だから。
だから私は、今のままの関係を願い続ける。
それはそんなに、いけないことなのだろうか?



私には、分からない。












一人きりの病室は、ただ冷たかった――……。







ラブラブ目指して書いたはずなのに、いきなりこんな展開ですみません。
まぁ今更私に、激甘をお求めくださる方はいらっしゃらないと思うのですが……。
これから、しっかりとラブラブにしていく予定です。
しかも、裏行く予定です。
前回のあの裏からは想像がつかないような甘いお話しになればいいなぁと思うのですが……。
どうなることやら。
少しでも甘くなるといいなぁと願いつつ……。



ここまでお読み頂き、有難うございました。