綺麗な綺麗な

花を咲かせましょう

枯れないように

枯らさないように

この籠の中

かなしいつみを

苗床に









かなしい









 何かが割れるけたたましい音に、 は怯えたように屋敷を見上げた。
 防音対策はバッチリ施してある筈なのに、遠慮会釈なく邸宅の外に響き渡った破壊音は、それだけ『彼』の怒りを物語っているようで、恐ろしい。
 怯える必要など、どこにもない。
 何も、悪いことはしていないのだから。
 それは、 とて分かっている。
 けれど、あえて言うならそれは、 の罪悪感故のものだった。

 そうこうしている内に、今度は携帯が鳴り始める。
 ディスプレイを見やれば、当たり前のように並んでいる、『Yzak』の文字。


「どうしたの、
「な……なんでもない。送ってくれて、有難う。私、家に戻らなくちゃ」


 尋ねる男に、 はそう答えた。
 すっかり帰りが遅くなり、同じカレッジに通う青年が家まで送ってくれたのだ――方向が同じ、と言うことで。
 その時には、感謝したけれど。

 プラントの季節プログラムは現在、冬に設定されている。
 贋物の空に、贋物の太陽。
 プラントにあるものは、母なる惑星――地球――に似せた、擬似的なものでしかないけれど、そこで生まれ育った二世代目コーディネイターにとっては、目に見えるそれらが『真実』だ。
 二世代目コーディネイターの殆どは、プラントで行き、プラントで死ぬのだ。よほどのこと――軍人ででもない限り、地球に赴くことはない。
 『地球』は確かに、郷愁を誘うものであるけれど、地上から足を離して久しい彼らにとってみれば、それはあくまでも遺伝子に組み込まれた本能のようなものだ。
 郷愁を覚えるからといって、別に地球に行きたいとは、思わない。
 彼らの故郷は『地球』ではなく、間違いなく『プラント』なのだから。

 けれど郷愁か愛惜か。プラントの季節プログラムは地球の季節をそのまま再現している。
 だから、冬のプログラムに設定されている現在、日が暮れるのは当然、早い。
 だから、一緒に帰ろうと言われた時はほんの少し、安心した。
 相手は、ジュニアスクールの頃からの同期生だから、気心も知れているし、何より は彼を信頼していたから。
 そしてほんの少し、エントランスにいたるセキュリティ・チェックの必要な邸門の辺りで立ち話をしていた。
 そして、冒頭に至る。


「じゃあ、また明日」
「えぇ、また明日。本当に、送ってくれて有難う」


 忙しなく礼を言って、青年に手を振る。
 気を悪くした様子もなく、彼も手を振り返し、辞去の言葉を口にした。

 エントランスに向かって歩を進める最中、ふと は、二階を仰ぎ見た。
 エントランスに面した日当たりの良い場所に、『彼』の部屋は設えてある。
 その部屋を、仰ぎ見て。
 息を、詰まらせた。
 蒼氷の瞳が、射抜くような鋭さで、 を見下ろしている。
 そして、笑った――……。



**




「イザーク、入るわよ」


 コンコンと、扉をノックして、 は尋ねる。
 応えはないが、躊躇わずに扉を開いた。
 そして部屋の惨状に、目を瞠る。


「イザーク、貴方……!」
「おや、お帰りなさい、姉上。ずいぶんとお早いご帰宅ですね」


 思わず声を荒げる に、『彼』は淡々と答えた。
 部屋の惨状を考えると、どこか異質なものを感じてしまう。
 そもそも、弟との血の繋がりさえ、 は殆ど感じたことがない。
 感じるのはいつも、疎外感ばかりだ。
 母譲りの美貌を持つ、イザーク。
 父親に似た、
 それが、この姉弟だった。


「こっちを向きなさい、イザーク。何だってこんな……」
「こんな、と言われても、俺には分かりませんよ、姉上」
「イザーク!」
「仕方ないじゃないですか、姉上。見えないんですから」


 イザークの言葉に、 が口にしようとしていた言葉は、音にならず凍りついた。
 いっそ残酷なまでに微笑んで、イザークは言う。


「見えないから、分かりません、姉上。貴女が何故そんなに怒っておられるのか。俺には、分からないんですよ……?」
「イザ……」
「そう言えば、手当たりしだい物を投げましたから、それででしょうか」
「そう……よ」
「あぁ、申し訳ありません、姉上。そう仰られても俺には、分からないんですよ。俺がこの部屋を、どんな風にしてしまったのか」


 そう言って、弟は小首を傾げた。
 イザークは、目が見えない。



 生まれながらのもの、と言うわけではない。
 彼の遺伝子に、欠陥は見当たらなかった。
 それは、彼が後天的に負った弊害だ。


「どんなって、貴方……どの口で、そんなことを言うの?こんな……」


 呆然と、 は口にするしかない。
 整えられていたはずのイザークの部屋は現在、見るも無残な有様だった。
 家具の殆どは叩き潰され、花瓶の破片が散っている。
 部屋に置かれていた小物の類は破壊しつくされ、備えられていた鏡には、分厚い本が叩き込まれていた。
 まるで、台風が通り過ぎたかのようなその部屋の惨状に、 は息を呑むしか出来ない。


「仕方ないでしょう?見えないのですから」


 呆然とする に、そっけなくイザークは答えた。
 鍛え上げられた長身は、半ばベッドに押し込められている。
 彼は、この部屋から外に、出ることをしなくなった。
 杖に縋って歩くことを、彼の高すぎるプライドは許容しないから。


「あぁ、姉上。本を取って下さいませんか?」
「何……を」
「見当たらないんですよ。取って下さい。おかしいな……確かにベッドサイドに置いていたと思ったのに」


 そう言って、イザークは手探りでベッドの周囲を探し始めた。
 目の見えない彼が、身を乗り出して何かを探している様は頼りなく、危なっかしい。


「ない……な。どこだろう。ねぇ、姉上。分かりませんか?」


 姉上は目が見えるのだから、分かる筈でしょう?
 弟の声なき声がそう言っているように感じられて、 は身を竦ませた。
 けれどそれは、 の罪悪感がなすものだ。
 聞こえたように、感じるだけ。
 弟は実際には、本のタイトルを口にした。


「これ……かしら」
「見つかりましたか?」
「……えぇ」


 弟が探していた本は、鏡の鏡面に埋まっていた。
 それを引っ張り出して、弟が半身を起こすベッドに歩み寄る。
 手渡すが、弟は受け取ろうとはしなかった。


「読んでください、姉上」
「な……」
「それ、点字じゃないんですよ。俺には、読めません」
「イザーク」
「仕方ないでしょう?俺には、見えないんですから」
「……っ」


 諦めて、 はベッドサイドに置かれた椅子に腰掛ける。
 そして、ページを繰った――……。



**




「どうして私のイザークが、視力を失わなくてはならないの!?」


 そう言って、二人の母であるエザリアは、主治医に掴みかかった。
 懸命になだめるが、エザリアの激情は治まらない。
 そしてその激情は、こんな災厄を招いた に向けられた。
 正確には、決して が悪いと言うわけでは、ないのだろうけど。


「どうして、イザークが視力を失わなくては、ならないのですか!」
「母上……」
「どうして、貴女じゃなかったの!?」


 母の言葉に、 は唇を噛み締めた。
 泣いてはいけない。そう、思った。
 弟は、跡継ぎだ。
 ジュールの、後継者だ。
 母が弟に寄せる期待は、並々ならぬものが、あったから。
 だからこれは、仕方のないこと。


「姉上を責めるのはおやめください、母上。私が、短慮をしたのです」
「あぁ、イザーク!何て可哀想なんでしょう!こんなことになってしまうなんて、母を赦して頂戴」
「勿論です、母上。俺は誰も恨んでなどいません。……姉上、お怪我はありませんか?」
「えぇ……大丈夫よ」
「それは良かった。言っていただかないと、分からないから。……不便なものですね」


 苦笑して、イザークは言った。
 その顔には、白い包帯がぐるぐると巻かれている。
 そのせいで、イザークの瞳は、見えなかった。


「私は、怪我なんてしていないわ。イザークの、おかげで……」
「そうですか。それは何よりです。姉上は女性ですから、傷が残っては大変でしょう?」
「ごめん……なさい」


 微笑む弟に、 は胸を衝かれる。
 責めてくれたら、いいのに。
 貴女のせいだと責めて、詰ってくれたらいいのに。
 そうすればまだしも、良かった。

 けれど弟は、彼女を責めず。
  の無事を、喜ぶから。


「ごめんなさい、イザーク!ごめんなさい……!」


 母は、イザークを溺愛していた。
  は容姿に関する遺伝子の殆どを、父親から受け継いでいる。
 事故で死んでしまった、父親から。
 エザリアを捨てた男から。

 対するイザークは、エザリアの美貌をそのまま受け継いだ。
 彼女にしてみれば、イザークは可愛いだろう。自分に酷似しているのだから。
 そして を、疎んだ。
 何故なら は、彼女を捨てた男の容姿を受け継いでいるから。


「どうすればいい……?私、どうやって償えばいい?」
「姉上……」
「私、取り返しのつかないことを……!」
「姉上のせいでは、ありませんよ」
「でも、それじゃあ……!」


 それでは、 の気がすまなかった。
 母が溺愛する、弟。
 彼の瞳は、永遠に光を閉ざされた。
 もう、何も見えない。
 自分が、代わってやれたらよかったのに!


「なら、姉上」


 考え込んでいた弟が、笑った。
 安心をくれる筈の微笑は、どこか得体の知れない禍々しさを感じさせる。
 けれど、 はその感覚を飲み込んだ。
 自分のせいで視力を失った弟に対して、なんて酷いことを考えているのだろう。そう、思ったから。
 彼の瞳は二度と、光を見ること叶わない。
 なのにそんな弟の微笑を、『禍々しい』だ何て。そんなの、間違っている。


「一つだけ、俺の頼みを聞いていただけますか?」
「何?何でも聞くわ。何でも、言って頂戴……私に出来ることなら、だけど」
「えぇ、姉上。姉上にしか、出来ないことです」


 クツリ、と弟の笑みが深まる。
 自信なさ気な の言葉に、彼は笑みを浮かべて。
 まるでそれは、 の気負いを取り払うかのようなタイミングで発せられたから、 は見落としてしまった。
 いや、そうでなくても、彼女には見えなかった。
 その瞬間弟の瞳に暗い影がよぎったなんて、そんなこと。分厚い包帯に遮られて、見ることは出来なかったのだから。


「傍に、いてください」
「ぇ……?」
「傍にいてください、姉上。ずっと、俺の傍に」
「そんな、こと……?」
「お約束していただけますか?姉上」


 弟が、尋ねる。
  は、頷いた。


「いいわ、イザーク。傍に、いるわ」
「ずっと?」
「えぇ、ずっと」
「そうですか……嬉しいですよ、姉上」


  の答えに、イザークの笑みは更に深まった。
 その指が、愛しそうに の髪を梳く。
 まるで、罪に慄く を宥めるかのように。
 分厚い包帯に覆い隠され、その顔の大部分は今、見ること叶わない。
 けれど露わになった口元は、確かに笑みの形に歪められていた――……。



**




 夜が更けて、夜気がイザークの白銀の髪を弄った。
 開け放たれた窓からは、夜の気配を纏った濃密な空気が舞い込む。
 散々荒らされた部屋は、使用人たちの手で整頓されていた。

 くすり、と笑って、イザークはベッドの突っ伏して眠る の髪を梳いた。
 愛しい愛しい、最愛の姉。
 手に入れるためなら、何だってした。


「愛していますよ、姉上……」


 うっとりと微笑んで、彼はそう言った。
 姉の時間は今、彼を中心に廻っている。
 嗚呼、何て何て幸せ。

 母を捨て、自分たち姉弟を捨て。
 そして事故死した父親によく似た姉は、イザークにとって特別な存在だった。
 憎むように、蔑むように、愛している。
 表裏一体のコインのような感情を、イザークはそのまま姉に向けていた。

 愛している。
 そう思う感情と同じだけ、イザークは姉である を憎み。そして同じだけ愛した。








 イザークの瞳は、光を失った。
 一生、その瞳に世界を映すことは、叶わない。
 姉を庇って、イザークの瞳は光を失った。
 世間ではそう、言われている。姉だって、信じて疑いもしていないだろう。
 けれどそれは、事実ではない。
 全て、イザークが仕組んだことだった――……。




 姉を庇った。
 それは、事実だ。
 偽りは、唯一つ。
 別に彼がその身を盾としなくとも、アカデミーを次席で卒業した彼ならば、反撃は可能だった。
 けれどイザークは反撃せず、その身を盾として姉を庇った。そして、光を失った。
 それだけの、こと。


「ずっとずっと、俺の傍にいてくださいね、姉上……?」


 くすくすと、イザークは笑う。
 誓った言葉の重みを、姉はきっと知らない。
 『ずっと』が、本当に『一生』を意味するなど。姉は、知らないだろう。
 きっと、気づいてさえいない。
 姉は、そう言う人だ。
 だからこそイザークが仕掛けた罠に簡単にはまって。
 罪悪感と言う名の檻に、閉じ込められている。
 決して、逃がす気は、ないけれど。


「愛していますよ、姉上」


 姉と、弟。
 血が繋がっているが故に、決して赦されない恋。
 けれど恋が罪だと言うならば、それは何てかなしい罪だろう。


「愛しています」


 ちゅっと、イザークは の額に口付ける。
 愛しい姉は、彼が織り上げた罪悪感と言う檻の中の哀れな住人。
 何て何て、幸せ。
 この幸せのためならば、己が身を傷つけることぐらい、彼にとってはわけのないことだった。
 憎くも愛しい姉を、永遠に我が物とするためならば。
 後悔するのはもう二度と、この瞳に姉を映すことが出来ない、と言うこと。
 ただ、それだけだから。




 青年は、笑った。
 それはどこまでも、かなしく――……。



綺麗な綺麗な

花を咲かせましょう。

枯れないように

枯らさないように。

かなしい罪を 苗床に

この檻の中

『貴女』と言う華を。



この檻の中

永遠に永遠に

枯れない花を――……



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 ちょこっとだけ、病んでいますと言う注意書き。
 イザークが自分で自分を傷つけちゃったから、一応。
 別にイザークじゃなくハイネでもいいんじゃないか、この手のドリーム……と思わないでもないのですが。
 ハイネに傷を負わせることが、出来ない……。
 何だろう。ハイネは、傷を負っちゃいけない、みたいな。
 傷を負わせるほうだ、ハイネは。みたいな。
 いや、ハイネ様ってナルシスサドでしょ?

 タイトル『かなしい罪』の『かなしい』は、『哀しい』と古語の愛《かな》しい』をかけています。
 ヒロインさんにとっては『哀しい罪』でも、イザークにとっては『愛しい罪』みたいな……。
 文中でもっときちんと表現してください、緋月さん。

 此処までお読み戴き、有難うございました。