アナタが好きで、アナタが愛しくて。

でも、ねぇ。

そんな綺麗な感情だけで、全てを清算することは、出来ないね……?









蜘蛛の糸









「ねぇ」


 情事の後、アタシは気だるい躯をベッドに沈めて。
 整えられて痕跡を覆い隠して。白く白く偽ったシーツの冷たい感触を楽しみながら、傍らの愛しい人に声をかける。


「ん……?」


 アタシの声に、その人は気のない返事を投げて寄越した。
 『今、忙しいから、構うな』?
 『見て分かるだろう、資料の整理をしているんだ』?

 アナタの意図しているであろう言葉は脳裏を過ぎるけれど。でも、構わずにアタシは、アナタの腹筋をあたりに手を回す。

 鍛え抜かれた躯は、さすが軍人、とでも言おうか。
 程よく引き締まっていて、適度な厚みもある。
 アタシとは、構造から違う躯に、感嘆の声が洩れた。

 キレイ……。
 わけもなく、そう思う。


「どうした、


 痺れを切らしたのか。
 大切な人はそう言って、抱え込んでいたモバイルから、漸く顔を上げた。


「目、悪くするよ」
「……そんなヤワなコーディネイトはしていない……筈だ」
「何、その理屈」


 上半身を起こして、暗闇でモバイルを眺めるその人にそう、声をかければ。
 軽く、いなされてしまった。
 まぁ、確かに。そうよね。
 名門ジュール家の次代を担うアナタに施されたコーディネイトの技術は、かなりの高度のものが予想されるわ。


「ベッドの中に仕事を持ち込むのは、どうなのかしら」
「……仕方あるまい。急ぎのものだ」
「急ぎのもの?そんなもの、あった?」
「急に追加された。まったく、ディアッカめ。肝心なときに、此処にいないんだからな」
「あ〜……『此処』にいられたら、それは嫌かも」


 て言うか、嫌ね。

 彼の言わんとしていることを分かった上で、アタシはそう言って混ぜっ返す。
 意図していることは、分かっているのよ。
 アナタの責任感の強さを、愛したのよ。
 アナタの全てを、愛したのよ。
 それでもやっぱり、ベッドの中に仕事を持ち込むのは、ルール違反だと思うの。
 ……これって、ワガママかしら。


「馬鹿か貴様は、。誰が『此処』にあいつを連れてくるか」


 ぺこん、とイザークの手が、アタシの頭を叩く。
 何よ。ちょっと、揚げ足取っただけじゃない。
 不満に思って頬を膨らませて。
 アタシは心の中で思ったこと、そのままをイザークに言った。


「叩くことないじゃない。ちょっと、揚げ足を取っただけなのに」
「……喧嘩売ってんのか、貴様は」


 アタシの言葉に、イザークが低く唸った。
 それでも、モバイルに再び向かった視線は、逸らされることなく無粋な液晶画面を覗いている。
 そんなものばかり見ていないで、少しはアタシを見てよ。



 イザークが、アタシを見ない。
 モバイルの液晶画面を見つめる瞳は真剣そのもので。それなのに。ただ其処に在るだけなのに、ゾクゾクするほど色っぽい。
 嗚呼、アタシ、完璧に負けてる気がする……。


「イザーク」


 ゆっくりと、アタシは躯を起こした。
 気だるい焦燥がいっぱいに詰まって、抱きしめたくて堪らなくなって。
 さっきまで、感触を楽しんでいたはずのシーツの冷たさが、拒絶を表しているようで、居た堪れない。


「寝ろよ」
「イザークは?」
「この書類の、カタが付いたらな」


 さも当然のことのように、アナタは言う。
 アタシにとってそれは、『当然』のことじゃあ、ないのよ?

 ねぇ、ベッドの中にまで、仕事を持ち込まないでよ。
 アタシとアナタだけの場所に、『他』を持ち込まないでよ。
 アタシは、はさすがに立腹してしまう。
 腹立ちのまま、彼の髪をつん、と引っ張った。


「あ……あれ?」


 引っ張った髪は、まるでアタシの手の中に在ることを厭うようにするり、と流れて。重力の法則に従って、ストンと。何事も無かったかのようにもとの場所に収まる。
 アタシは、思わず自分の髪に、手を伸ばした。

 でも、全然感触が、違う。
 アタシ、昨日アナタと同じシャンプー使っているのに。
 アナタも、アタシと同じシャンプーを使っているのに。
 どうしてこんなに、違うんだろう!


「おい、
「なぁに?」
「いい加減、髪に触るのはやめろ」
「あら。お嫌?」


 鬱陶しそうに。
 本当に本当に鬱陶しそうに眉を寄せて。顔を顰めて言うイザークに、アタシは冗談めかして尋ねる。
 チッと舌打ちすると、イザークは漸くモバイルから顔を上げた。すぐに逸らされることなく、蒼氷の瞳がまっすぐとアタシを見つめる。
 嗚呼、その瞳に映れるだけで、アタシは幸せなのに。


「嫌ではないが……」
「なら、いいじゃない」
「気が散る」


 冷淡に、イザークが言った。


「アタシ、眠いんだけど」
「寝れば良いだろ」
「隊長が起きているのに?」


 正論のようでいて、ただの我侭を音にして、連ねる。
 イザークは、呆れたように溜息を、一つ。
 あぁ、ウザい女、って。思われちゃったかな。


「どうした、
「どうもしてないよ」
「嘘を吐け」


 きっぱりと、イザークが言う。
 厳しい視線は、アタシの偽りを暴き立てて激しく責めていた。
 ……そう、だね。
 否定は、しないよ……?

 でも、『今日』は駄目なのよ、イザーク。
 『今日』は。『今日』だけは。
 駄目なの、イザーク。

 弱くてゴメン。
 弱くてゴメン。
 弱くてゴメン。

 アナタみたいに、強くなれなくてごめんなさい。
 でも、『今日』だけは、駄目なの。
 『今日』だけは、一人でいたくないのよ。


「あぁ……」


 アタシの様子を眺めていたイザークが、不意に考え込む仕草をしたかと思うと。
 一言、そう呟いた。

 蒼氷の瞳には、理解の色。
 怜悧な貌には、痛ましげな表情。
 ……あぁ、忘れていないんだ。
 アタシが、以前ポツリと洩らした言葉を、イザークは。
 忘れてなんか、いなかったんだ。


「……今日、だったか」
「……うん」


 イザークの言葉に、アタシは頷いた。
 今日。
 今日、だ。

 俯くアタシに向かって、イザークの手が伸びた。
 力強いその腕が、アタシの躯を抱き寄せる。

 アタシと彼の間に、まるで聳える逢坂の関のように鎮座していたモバイルは、彼の手によってあっさりと取っ払われた。


「イ……イザーク」
「何だ?」
「書類、は……」
「散々邪魔していたくせに、いざ構ってもらう段になるとそれか、貴様は」
「だって……」


 散々我侭言っているアタシが言うことではないけれど。
 でもね、イザーク。
 アナタが大きな責任を負っていることは、勿論分かっているの。認識しているのよ。
 私の都合で、どうこうできるものじゃないことだって、分かっているのよ。――理屈の上では。
 散々我侭を言っておいて、今更言えるものじゃないことぐらい、分かっているけれど。


「心配しなくても、書類はもう終わった。……貴様が邪魔さえしなければ、もっと早く終わったんだがな」
「……ゴメン」
「貴様が俺に甘えるのは、今日ぐらいだからいいさ、別に。――俺のほうこそ、悪かったな」


 イザークの言葉に、アタシは慌てて首を横に振る。
 イザークが悪いんじゃない。イザークが悪いわけじゃない。
 悪いのはむしろ、いつまでたっても強くなれないアタシだ。アタシ自身だ。


「覚えていたんだが、時間の感覚がなかった。貴様の不安に気づいてやれずに、すまない」
「うぅん」


 気づいてくれたんなら、良い。
 重荷になるって分かっているけれど。気づいて、抱きしめて。一人にしないでいてくれるなら、それだけでアタシは良いの。

 『今日』だけは、『一人』に耐えられないの。
 『今日』だけは、誰かが傍にいてくれないと、おかしくなりそうで。
 でも意地っ張りなアタシは、仲のいい友人にでさえも、一緒にいて欲しいなんて、言えなくて。
 イザーク、だけ。アナタだけ。
 弱さを見せられるのは、強くて優しい、アナタの前だけだった。


「大丈夫だ、。俺は、貴様の前から消えたりはしないさ」
「うん……」


 ぎゅっと抱きしめられて、イザークの胸に押し付けられる。
 長身故か、それとも無駄な肉一つない鍛え抜かれた躯故か。軍服を纏うイザークは、どちらかというと、男性にしては細身の印象を与える。
 けれどこうして、抱きしめられて感じる躯は、しなやかな中にも厚みがあって。
 すっぽりとアタシを包み込むその腕も何もかも、力強く温かい。

 ぽんぽん、と。イザークがアタシの背を撫でるように軽く叩いた。
 まるで、頑是無い赤ん坊をあやすような仕草に、すん、とアタシはこみ上げてきたものを飲み込んだ。
 本当に、まるで赤ん坊みたいだ。


「傍にいてね、イザーク。ずっとずっと、傍にいてね。離れないで、傍にいてね」


 アタシは、溜まった澱を吐き出すように、呪いにも似た睦言を、イザークに向かって懸命に紡ぐ。
 こんなのもう、『愛』なんて言えないね。何て醜い執着。
 アタシの言葉なんて、『睦言』なんて言えないね。何て酷い呪い。
 重いね、こんなの。
 こんなの、アナタを押し潰すだけの、醜い醜い感情でしかないのに。
 それでも、アナタは頷くから。


「傍にいる。俺は、いきなり貴様の前から消えたりはしない。ずっとずっと傍に。当たり前のように傍に、いてやるよ」
「うん……うん……傍にいてね」


 そうでなきゃアタシ、きっと死んじゃう。
 イザークが傍にいてくれなかったらアタシきっと、おかしくなって死んでしまうから。
 だから傍にいてね。ずっとずっと、傍にいてね。


「当たり前だ。俺は、貴様の前から消えない。貴様を一人には、しない」
「うん……」


 消えないでね、イザーク。
 アナタまで、アタシの両親のように消えないでね。
 アタシの目の前で、死んだりしないでね。
 ずっとずっと、アタシの隣にいてね。
 アタシを一人にしないでね。

 ずっとね、ずっとね。
 と。アタシは何度も何度もイザークに言って。イザークの言質を取る。
 イザークはそれに律儀に頷く。

 ねぇ、ずっとずっと。
 傍 ニ イ テ ネ 。




















 アタシの隣で眠りに就いて、目を閉じたイザークの、その整った貌に指を這わせる。
 すっと通った鼻梁。
 長い睫毛。
 灼熱色の蒼氷の瞳。
 怜悧な美貌を引き立てる、清冽な銀糸。
 全部のパーツが整っているのに、その全てが、まるで黄金率とも言うべき絶妙さで配置されたその貌に、触れる。

 あぁ、綺麗。
 イザークの全部が大好きだけれど。特に瞳と髪が、アタシのお気に入りだった。
 瞳は、今は閉ざされて見えないけれど。

 あぁ、綺麗。
 本当に、何て綺麗なんだろう。
 思わず感嘆の溜息を、洩らす。


「……ゴメンね」


 呟いた言葉が、夜の闇に滴り落ちて弾けた。


「好き……」


 応える声は、聞こえない。

 息が詰まる静謐の中、静かに眠る横顔は、青白い月光に照らし出されて。さながら、永劫の純潔を凝り固めて埋葬された聖者のようだった。
 綺麗。
 綺麗。
 本当に、綺麗。

 大好きよ。
 大切なの。
 愛しているの。
 でも、そんな綺麗な感情だけで、アナタを愛することができない。

 一人は嫌。
 一人にしないで。
 離れないでずっと、ずっと傍にいて。
 酷い執着と呪いを吐き出しながら、それでも好きなの。大切なの。愛しているの。
 アタシは呪いに似た睦言しか、アナタに紡げない。



 本当は、アタシは弱さをアナタに曝け出したんじゃなくて。
 それさえも、アナタを縛る呪縛にしてしまったのかもしれない。
 弱さを曝け出せば、優しい優しいアナタは、絶対にアタシを見捨てない、と。浅ましい本能でそう、考えたのかもしれない。



 好きよ。
 大好きよ。

 傍にいてね。
 ずっとずっと、傍にいてね。

 アナタがいなくなったら、アタシはおかしくなってしまう。
 離れるくらいなら、ねぇ。いっそアタシを殺してね。
 まだ少しでも、カケラでもアタシを愛しいと思ってくれるなら、そのときは。アタシを殺してね。

 好きよ、イザーク。
 大好き。



 歪に織り上げた恋情を紡いで。
 歪に織り上げられた恋情でアナタを戒めながら。
 紡ぐ言葉は、甘く甘く。
 でもきっと、それは呪いにも似て。



 綺麗なアナタ。
 綺麗な綺麗なアナタ。
 アナタに恋した、醜いアタシ。

 綺麗な感情だけでアナタを愛せなくて。
 綺麗な愛情だけを、言葉にできなくて。
 だからアタシは、代わりにアナタに執着して。
 呪いに似た呪縛の言葉を繰り返す。










 さながらそれは、高貴な蝶を戒め捕らえ、粘着する。
 蜘蛛の糸のよう。



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 久しぶりにドリーム小説更新しました。
 その割りに、ヒロインさん歪んじゃっててすみません。
 個人的に、愛して願望の強い女の子は大好きで。それゆえちょっと歪んじゃっている女の子は大好きなんですけれども。
 万人受けはしないんでしょうねぇ、きっと(苦笑)。

 今回は、ヒロインさんサイドで。
 次回は、イザークサイドで、こんな感じのお話書きたいなぁ、とか。思っています。
 素晴らしく需要がなさそうではありますが。

 ヒロインさんは自分の気持ちを『執着』といっているけど、執着というよりは依存だろう、と思います。
 執着は、イザークに任せて。
 そんな、執着愛×依存愛みたいな。
 そんな感じのお話が、急に書きたくなりました。
 ……病んでいるのかしら、アタシ。

 ここまでお読みいただきまして、有難うございました。