探してしまう、彼女によく似た人。

珍しくも美しい宵の空の髪に、極上の翡翠。

一瞬で心奪われた、最愛の女性。

死んだと言われた今でも、

俺は彼女を愛している――……。








T章   夜の





幼い頃に、母に教えられた婚約者。

婚約なんて、と思った俺は、彼女の肖像画を見せられた瞬間に、恋に落ちて。

それくらい、彼女は美しかった。

手紙を出すことも何も出来なかったけれど、話をしたこともなかったけれど。それでも、俺は彼女を愛していた。

相手の少女は、俺より一つ年下で。

彼女が十三歳になったら、彼女に婚約を明かし、十四になったら嫁いでくるのだと言われ、指折りそれを数えていた。

彼女は、どんな女性だろう?

少しでも、俺を想ってくれるだろうか。





しかし彼女は、十三歳の誕生日を迎えた、その日の夜に死んだ――……。

彼女の誕生日の次の日に、遣わされた使者によってもたらされた真実。

突然の病で、彼女が昨夜息を引き取ったのだと――……。

俺の心は、宙に浮いたまま……。

俺の心を奪ったまま、彼女は永遠に俺の手の届かないところへ行ってしまった――……。







あいつに出会ったのは、その矢先のことだった――……。







銀の月が、かかっていた。

満月の夜の前日、アスランはそこに辿りついた。

エザリア=ジュールが治めるその国は、小さいながらも豊かな国で、そこで羽を休めてしまおうと思ったのだ。

いくら吸血鬼と言えども、普段の生活は普通の人間と変わらない。疲れもすれば、空腹にもなる。

まして、明日は満月だ。

満月が近くなると、アスランは体の調子がおかしくなる。

人間としての意識が遠のき、吸血鬼のそれに近くなる。体内バランスも、人間から吸血鬼へと変わっていく。

「くぅっ……はぁっ……!!」

湖の畔に、アスランは突っ伏した。

体中が、悲鳴をあげている。

苦しいのか、苦しくないのか。それすらももはや判然としない。

体を折り、与えられる苦痛に耐える。

近づいていく。

吸血鬼としての自我に。

人間としてのアスランは遠のき、血液に対する堪えきれない渇望が、脳髄を灼く。

その時、だった。

彼が現れたのは――……。







銀の月が、夜空にかかっていた。

領主を務めるエザリアの嫡子であるイザークは、馬を走らせていた。

ただ、走りたかった。何も考えられなくなるくらい。

そして走って走って、イザークは出逢ったのだ。

その湖は、イザークが馬を走らせる際、よく休息に用いる場所だった。

それが夜中だろうが、日中だろうが関係ない。

そんな場所でイザークが見たものは、湖の畔で突っ伏す、少女の姿だった。

苦しげな呻き声が、その唇からは洩れている。

「どうした?」









その人からは、甘い香りがした。

美味しそう……。アスランの中の吸血鬼としての自我が、そう訴える。

彼の血が飲みたい、と思った。

男の人の血は苦手だった筈なのに。

月の光を受けてきらきらと煌くシルバーブロンドの髪。

まるで宝石のように美しい瞳の色は、アイスブルー。

肌の色は白く、その冷たいまでの美貌を引き立てている。

まるで血管が透けて見えるよう。

彼の血はきっと、美味しいだろう。今すぐにでもその首筋に喰らいつきたい、とアスランは思う。







イザークもまた、動揺を隠せずにいた。

暁を思わせる宵色の髪。

輝石のように美しい極上の翡翠の双眸。

肌の白さを際立たせる、品のよい赤い唇。

――――彼女だ。そう思った。

死んでしまった最愛の女性。

肖像画の中でしか見たことのない女性に、今目の前にいる少女はそっくりだった。

否、正しくは、少女はまるで、もしも彼女が成長したらこうなるのではないか……という予想図に、よく似ていた。

欲しい、と思った。

この、目の前にいる少女が欲しい。

愛した少女亡き今、身代わりを求める愚かしさを知ってなお、焦がれずにはいられなかった。

この少女を、彼女の代わりに愛することが出来たなら……。

この少女を、彼女の代わりに……。

暗い思いが、フツフツと沸き起こる。

代わりにすればいいのだ。

彼女はもう、どこにもいない。しかし彼女のいない今、それでも彼女を求めるこの心はどうすればいい?

彼女に似た存在を手元に置いたところで、一体誰が彼を責めよう。

誰も、責められる筈もない。

この少女を、手元において。彼女の代わりに愛する。

そうだ。そうすればいい。至極単純で簡単なことだ。

イザークはゆっくりと、口元に笑みを浮かべた。

怯えているのか、なかなか話そうとしない少女を怖がらせないように。

馬を下り、地に膝をつく。

「怪我でもしたのか?」

「……」

「名前は?」

「……アスラン」

「……アスラン!?……いい……名前だな……。俺の名前は、イザークだ。イザーク=ジュール。お前、俺のところに来ないか?こんな所にいても、仕方がないだろう?」

優しく、殊更優しくイザークは言葉を紡ぐ。

この美しい少女を手に入れるためならば、笑顔くらいいくらでも大盤振る舞いしてやろうではないか。

それで手に入るなら、安いもの。

彼女の身代わり。最愛の女性と瓜二つの少女。

彼女を愛せなかった代わりに、この少女を愛する。

その身も心も、自分だけのものにしよう。

自分だけを見て、自分だけを愛するように。

永遠に愛してやるとも。

……彼女の身代わりとして。





ほしいものは、ただ一つ。

彼女だけだったのだから。

「ほら、おいで……?」

ひらひらと風に舞う蝶が、蜘蛛の巣にかかるように。

美しい罠で、永久に拘束してやろう。愛してやろう。







さし伸ばされたその手を、アスランは茫洋とした目で見ていた。

何故、この人が手を差し出すのか、アスランには分からなかった。

ただ苦しんでいる女に対して手を差し伸べたのだ、と言われても、それでは納得できない。

何かが、引っかかる。

それでも。

指し伸ばされた手、そしてそのアイスブルーの瞳にある優しい光に、アスランは捕らわれてしまった。

蝶が蜘蛛の巣にかかるように。花びらが地に堕ちるように。

あっけなく、アスランはその人に陥落していた。

その手を、取ってしまった。

「どうしてそんなに、親切にしてくださるんですか?」

疑問に思ったアスランが思わずそう尋ねると、その人はますます綺麗に微笑んで。

そっと、アスランのその体を抱き締める。

男の人にしては細いと思ったその体は、意外にもよく鍛えれていて。アスランの体はすっぽりと、その腕の中に納まった。

旅から旅の生活は、アスランの体にかなりの負荷を与えていた。

しばらく、この地に留まるのもいいかもしれない。

どうせ長いことではないし、大体永遠の命を授かっているのだから、この人が死ぬまで傍にいても、それはアスランにとって永い時ではない。

人の一生なんて、瞬き程度のものだ。

そしてもしも、この人が裏切ったときは、アスランを傷つけたときは、殺してしまえばいい。

その白い肌の下に流れる血を、最後の一滴まで大切に吸い取ってしまおう。





その腕に抱かれながら、顔を伏せたアスランがクスリ、と笑う。

アスランを腕に抱き締めたイザークは、すっかり安心したように身を預けてくる少女を気の毒に思いながらも、沸き起こる哂いを堪えきれずにいた。

それは一体、どちらに向けられたものだったのだろうか。

こうして陥落した少女に対するものか。

それとも既に死んでしまった人を思い続け、愚かしいまでの代償行為を行おうとする自分に対してか。

多分おそらく、後者に対してのものだろう。

それでも、手に入れたのだ。

彼の人に似た少女を。彼の人に瓜二つの少女を。

そして手に入れたからには、決して離さない。



















蜘蛛の糸にかかった、哀れな蝶と。

捕らえたはずの蝶に捕らわれた蜘蛛と。

どちらが先に、捕らわれたのだろう。

どちらが先に、堕ちたのだろう。



どちらがより……不幸だったのだろう――……。



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なんか性格違うぞ、王子!!

……いや。それはいつものことか。

最低な男ですみません。

ちゃんとアスランを見てやろうよ……。

アスランも、少し歪んでいる気が……。

とんでもない話ですが、これからもよろしくお願いします。