――――『俺のところに来ないか』――――
そう言われた時、僕がどれだけ嬉しかったなんて。
貴方にはきっと、一生分からないだろう。
漸く僕の居場所を見つけられたような気持ちになった、なんて。
きっと貴方には一生、分からないだろうね……。
U章 近くて遠い人
「貴方は……」
「イザークだ」
「イザークは、どういう人なんだ?」
イザークの馬に、アスランは乗せられた。
手綱は、イザークの手の中にある。
その逞しい胸に凭れるような格好のまま、アスランは疑問に思っていたことを尋ねた。
「どういう人だと思う?」
「偉い人?」
一目で分かる、高貴な立ち居振る舞い。
身に纏うのは、上質の衣。それも素晴らしく仕立ての良い……。
「俺の母は、エザリア=ジュールだ」
「じゃあ……!?」
「だが……気にしなくていい。俺がお前を気に入った。それだけのことだ」
抱き寄せる腕に力を込めながら、狂気にも似た愛情で、そう囁く。
狂おしいほどに求める、最愛の人。その人はもう、ここにはいない。この世のどこを探しても、彼女はいない。
それはなんと残酷なことだろう!!
この世のどこを探しても、いない人。それなのに、求めずにはおれない人。
幼いままの恋心は、そうであるがゆえに、激しいまでの情熱でイザークを苛む。
逢うことも出来なかった。
その温もりに触れることも出来ず、彼女を描いた肖像画に募る想いを見た。
花嫁となって彼女がここに現れたなら、必ず大切にする。
他の女には目もくれず、彼女だけを愛するだろう。
それほどまでに、焦がれた。
幼いからこそ拙く、幼いからこそ激しい情熱で。
しかし、その対象たる少女は、この世にはいないのだ。
愛している。だからこそ、その喪失に耐えられない。
そんな自分の心の弱さを嘲笑いつつも、それでも焦がれてしまったから。
だから望む。この少女に。
彼の人の身代わりを。
堪え切れないほどの渇きが、ある。
血がほしい。他のどんな食べ物でも飲み物でも、この渇きの前では何の効力も発揮しない。
今のアスランにあるのは、血液に対する言いようもない欲求。ただそれだけなのだから。
その胸に凭れながら、アスランはそっと溜息をつく。
この人の傍は、居心地が良い。
そもそもアスランが男の人の血をほしがるなんて、滅多にないこと。
それなのに何故、この人の血を吸いたいと思ったのか。
アスランにも、その確たる理由は分からなかった。
旅に出る前、両親はアスランに伴侶を見つけるよう言った。
けれどアスランは未だに伴侶を持たない。
儀式のやり方を知らないわけでは、勿論ない。
ただ知っているが故に、それに対する嫌悪感も当然感じてしまう。
出来ることなら人間の血を吸って同胞にするのではなく、もともとから自分の同胞である存在を見つけて、その人を伴侶にしたい。
アスランの長い旅は、同時にキラを探す旅でもあった。
キラを探し、キラを伴侶とすればいい。
どうせ誰かと永遠を生きねばならないとしたら、気心の知れた相手のほうがお互い気が楽だ。
それにまだ……そうすれば納得できるような気がするのだ。
まだ自分は、人の一生を歪めてはいない、と。
満月が近づけば、アスランの体は無理矢理にもアスランの体を吸血鬼のそれへとする。
その人間としての思考も何もかもが消えて、アスランに残るのは狂おしいまでの血液への欲求のみとなる。
しかしそれが過ぎれば、アスランの思考は人としてのそれに戻る。
他者の血液を糧とし、そうせねば生きられないその体を、アスランはひどく嫌悪していた。
だからこそ、儀式を行うにも抵抗を感じる。
それは要するに、一生困らない食事を手に入れる代わりに、その人間を犠牲にするだけのこと。
アスランはそう、認識してしまったのだ。
それは、大いなる誤りであったのかもしれない。
しかしその認識がある以上、アスランは容易には自ら伴侶を得ようと動くことが出来なくなってしまった。
誰かを犠牲にしてまで、生きたいとは思わない。
けれどだからといって、自ら死を選ぼうとも、容易に死ぬことの出来ないこの体にあるのは、望みもしない永遠の命と呼ばれるもので。
そんなもの、欲しい人間にいくらでもくれてやるのに。
望んだのは、穏やかな日々だった。
父に、母に、そして領民に囲まれて生活する、穏やかで退屈な日々だった。
吸血鬼としての生も、それに付随する永遠の命も、アスランが望んだことは一度たりとてなかったと言うのに。
「イザークは……」
「さっきから、俺の話ばかりだな。俺は、お前の話が聞きたい」
「話すことなんて、特にない。生まれはディセンベルで、両親は既に亡い。十三の時から、旅はしているが、マティウスにきたのは初めてだ。ただ、それだけだな」
「ずっと旅をしているのか?何故?」
尋ねられて、アスランは自問自答した。
特に、目的のある旅ではない。強いて言うなら、キラを探す旅だった。
吸血鬼として覚醒したとき、アスランは一族から永遠に追放されることが決まった。
だからといって、流浪の旅に身をやつす必要も、本来はなかったのだ。
ただ、一族から離れれば済むだけのこと。
それでもなお、旅を続けたのは、キラを探してのことだった。
アスランより五ヶ月早く覚醒し、一族から追放されたキラの足取りを掴むことは、決して容易ではなかった。
「……人を、探しているんだ」
「人を……?何故?」
「そいつと僕は幼馴染で、ずっと一緒に育った。兄弟みたいな感じで。……実際、同じ一族の人間だったんだけど。ある日いきなり失踪したんだ。だから……」
なるべくその言葉が尤もらしく響くよう、アスランは細心の注意を払った。
それは、あくまでも理由の一つに過ぎない。
「ずっとここにいればいい、アスラン」
「イザーク……」
「俺の側に、ずっといればいい……」
囁きは、酷く甘かった。
それは彼が張り巡らす、精緻な罠。
彼女を捕らえるためだけに、彼はそれを張る。
目眩がするほど美しい……けれど紛い物の、美しい罠を。
「そこまでしてもらう、理由がない」
けれど簡単には、少女は堕ちてはくれない。
流浪の生活が長かったせいか、彼女にはきちんと現実を認識する能力があるようだった。
けれど所詮、それだけの話だ。
落とすことは、容易い。
せっかく見つけた、彼女の身代わりを見失うなんて、そんなことは出来ない。
それは愚か者がすることだ。
「どうして俺がこんなことを言うか、分からないのか?アスラン……」
「うん。だって、所詮君と僕は他人で……今出逢ったばかりなのに……どうして、そんなに親切にしてくれるの?」
「それはな、アスラン……」
尋ねてくるその唇に、そっと己のそれを寄せて重ねる。
触れるだけの口付けに、彼女は大きく目を瞠った。
唇、なんて。吸血鬼として覚醒したアスランにとってみれば、血液を得るために噛み付くくらいしか使ったことがない。
幼い頃、両親と交わしたそれも、いわゆる親子の親愛の情を表すスキンシップの一つで、頬にしかされたことはなかった。
始めて感じる他者のそれを、心地よいと感じてしまう。
僅かに伸びた犬歯を彼の唇に当てると、甘い味が口いっぱいに広がった。
彼の血が、欲しい。
「……いきなり噛み付くな、アスラン。まぁ、俺も性急すぎたとは思うが……」
「ごめんなさい。いきなりされて、びっくりしたんだ」
まさか、血が欲しくなったから、などというわけにはいかず、アスランは無難な理由を謝罪に付け加えた。
そんな少女に僅かに溜息を吐きながら、イザークは少女を抱きしめる腕に力を込める。
「言わなくても、分かるだろう?」
「それは……」
「今日逢ったばかりなのに、いきなりこんなことを言うのは不躾だとは思うが……お前に一目惚れしたんだ」
「僕……に?」
「そう。だから、俺のそばにいて欲しい。駄目か……?」
「……いいよ」
どうせそれは、長いことではない。
時間というものの感覚が欠落してしまったアスランにとって、人の一生も瞬き程度のものだ。
それくらいの間なら、自分を気に入ったといってくれる人の側にいるのも、一興かもしれない。
(血も、美味しそうだし……ね)
アスランの中の吸血鬼の自我が、囁く。
それに笑みを洩らして、ふと彼を見上げると、酷く切なげな顔をしていた。
凄絶なまでの、その美しさにアスランも言葉を失う。
「アスラン……」
そう言って、彼は微笑むけれど。
その瞳は、アスランを映してなどいない。
こんなにも、彼はアスランのすぐ近くにいるのに。
その瞳は、どこか遠くを見つめて動かない。
「イザーク……?」
「アスラン」
尋ねると、彼は小さく微笑みをくれるけれど。
その瞳は、どこまでも距離を感じさせるだけだった――……。
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今回、テーマをつけるとしたらこれですかね。
「王子の色仕掛け」
……男が色仕掛けしてどうするんですか、緋月さん。
アホですみません。
んと。めでたくアスランは、イザークの囲い者決定です。
……めでたくない?……ご尤もです。
えと。次回辺り、キラも登場します。
おまけに、私の大好きな彼女も……。
嫌いな方はご注意ください。彼女ですから。
某F嬢です。分かりますよね?
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