弟のような、存在。

幼い頃から、彼を護るよう言われてきた俺にとって、あいつは『弟』で。

あいつも、何だかんだと言いながら俺を兄貴分と認識してくれていて。



ならば、『兄』は、こう言うとき、どうしてやればいいのだろう――……?









X   宰相






「あ?その書類?それはイザークの奴に回しといてくれ」


『宰相』という役職は、なかなかの激務である。
自らの主君に代わって政を行うのだから、それはなおのこと。
特に、このような大国の場合は、こなさなければならない政務も並みではない。
それを手際よく処理しながら、彼は『弟分』のどうこうを問いただした。


「そういや、イザークは?」
「イザーク様でしたら、お出かけでございますが」
「またか?」


返答に、ミゲルは少しだけ顔を顰める。
一週間前、まじめで堅苦しいイザークが朝帰りをして以来、イザークが邸を空ける回数が目に見えて増えたのだ。
ミゲルでなくとも、おかしいと思わずにはいられない。


「厄介なことに巻き込まれてんじゃねぇだろうなぁ……。て言うか!邸の警備はどうなってんだ!」
「警備は万全ですが、如何せん……」
「如何せん……じゃねぇだろうが!あいつが抜け出すのを黙ってみてんじゃねぇよ!」


ミゲルは、声を荒げる。

物心つく以前より、ミゲルはイザークの傍にいた。
やがてはマティウスを治める彼の元で宰相となる。
ごく幼い頃から定められていた、それが彼の人生だった。

それに不満があるわけでは、ない。
自らの手で政を行うのは、確かに大変だがやりがいもある。
現在仕えているエザリアは申し分のない君主だし、幼い頃から弟のような気持ちで見てきたイザークも、おそらくエザリアに引けはとらないように思う。
そんな彼らに仕えることに、ミゲルは純粋な誇らしさを感じていた。

だからこそ、イザークが心配なのだ。


「あ〜もう、あのガキは……」


ガシガシと髪の毛をかき回す彼の視線の先に、一通の投書が目に入った。
補佐を勤める青年に、何の投書かと尋ねると、なんとも形容しがたい顔を作って。


「何だよ、それは」
「それが……吸血鬼に襲われたという投書で……」
「ハァ!?吸血鬼!?寝言は寝てから言えよ。何でこんなとこに吸血鬼なんぞが出るんだ。そもそも、吸血鬼は想像上のモンスターだろうが」
「俺に言われても……」
「このくそ忙しいときに、あのガキはふらふら遊びに行って、挙句投書の内容は吸血鬼かよ!!」


バン、と羽根ペンをデスクに叩きつける。

周辺諸国はどうもきな臭く、気が抜けない。
そんな渦中にあって、『吸血鬼』。
まったく、何の冗談かと思ってしまう。


「吸血鬼といったらトランシルヴァニアだろうが。何だってうちに……。あぁ、イザークが知れば喜ぶかもな。あいつ、確かこう言うの好きだっただろ?」
「……イザーク様がお好きなのは、ホラーではなく民俗学です」
「だったっけ?まぁ、どっちもかわんねぇって」


いや、変わるだろう。という視線を側近は送るが、そこはミゲル=アイマン。
そんな視線など、意も解さない。


漂白した空気を緩和するかのように、ノックの音がする。
入るよう声をかけると、ドアが開き、衛兵が姿を現した。


「あの、ミゲル様」
「今忙しい。後にしろ」
「ですが……」


衛兵の言葉を、そう言ってミゲルは一蹴する。
しかし、なかなか引き下がらない。
滅多にないことに、ミゲルが視線を上げると、息を呑むほどに美しい女性が立っていた。
言わずと知れた、マティウスの君主、エザリアだ。


「私のお願いを断るつもりかしら?ミゲル」
「……エザリア様?どうされました?」
「私のお願い、聞いてくれる気はあるのかしら?」
「勿論ですとも、エザリア様」


悪戯っぽく尋ねる妙齢の女性に、ミゲルも切り返す。
戸口まで歩み、エザリアの前で跪くとその白い手の甲にそっと口付けた。


「どうぞ、お入りください。すぐにお茶の用意もさせましょう」
「それでは、お言葉に甘えさせていただこうかしら、ミゲル」


嫣然と微笑む女性の手をとり、エスコートする。
この辺は、幼い頃の教育の賜物で、実にそつがない。

来客用の革張りのソファにエザリアは腰掛け、ミゲルもその向かいに腰掛ける。


「お話とは何でしょうか、エザリア様」
「実は……イザークのことなんだけれど……」
「はい」
「あの子最近、私に何か隠し事をしているような気がするのよ。貴方なら、何か知らないかしら?」


その美貌と才知で一国を治めるエザリア=ジュールと雖も、人の子である。
息子が気になって仕方がないらしい。
なんとなく微笑ましい思いに駆られたが、ミゲルとてイザークのことを知らないのだ。


「隠し事など……イザークの年であれば、それくらいは当然でしょう。お気になさる必要などありますまい」
「そうだけど……」
「何かありましたか?」
「あのね、ミゲル。笑わないで聞いて欲しいのだけれど……」


エザリアの言葉に、笑うなどととんでもない、とミゲルはジェスチャーで答える。

一般的に、女性の勘は男性のそれよりも鋭い。
ましてエザリアは、この広大なマティウスを治める女性だ。
並の女性ではありえない。


「勿論、笑ったりなどしませんが?」
「あの子……意中の女性でもいるんじゃないかしら」
「イザークが、ですか?」


思わずミゲルは、失笑してしまいそうになった。
イザークの意中の女性など……。
そもそもイザークが愛しているのは、幼い頃に決められ、死んでしまった婚約者だ。
それ以外では、有得ない。


「あいつの想い人は……」
「分かってるわ、ミゲル。……あの子には可哀相なことをしてしまったと、私も思っているのよ……」


死んでしまった婚約者を想うイザークを、エザリアも何度か目にした。
そのたびに、遣り切れない思いを抱いたものだ。


「とりあえず、あいつには一度、俺から話をしておきます」


ミゲルの申し出に、エザリアはその美しい顔に安堵の色を浮かべた。
彼女にとってイザークは、大切な一人息子だ。


「そうしてくれると助かるわ。お願いしてもいい?」
「勿論です、エザリア様。あいつは俺にとって、弟のようなものですから」


ミゲルの答えに、エザリアはにこりと微笑む。
エザリアが退室した後、執務室でミゲルは髪をかき回した。
また、仕事が増えた。
しかしこの仕事は、後回しにするわけにはいかない。


「出かけてくる」
「ミゲル様もですか!?」
「あのガキ探してくるんだよ!」


がなりたてると、外出用の外套を掴み上げる。
宰相としての肩書きにはふさわしくないラフな、格好。
そのまま、ミゲルは邸を後にした――……。



**




「イザーク」
「アスラン……」


現れたイザークに、アスランは翡翠の瞳を輝かせる。
あたかも……あたかも恋する乙女そのものの、笑みを浮かべて。
その様にイザークも心を痛めるが、もともと大してない良心だ。
いまさら、呵責に悩むことなどない。


「どうだ?少しは暮らしに慣れたか?」
「うん。キラたち……キラとフレイが、良くしてくれてるよ」


フレイの名を呼ぶとき、少しだけアスランの瞳に暗いものがよぎる。
それを、イザークはあえて見ない振りをした。
たとえ絵姿にしか過ぎぬと分かっていても、その顔を持つ存在が、他の男を想う姿は、耐えられない。
わがままな感情だと、思う。
イザークは、アスランを見て、アスランを愛しているわけでは、ないのに。
その翡翠が、他の男の上に止まることは、望まない。


「立ち話もなんだし……お茶でも飲んでいかないか?」


涼やかな声で尋ねられて、イザークは喉が渇いていることを知った。
ミゲルの目を盗んで、馬でここまで駆けてきたのだ。
喉も、渇くというものだ。


「すまないな。頼んでもいいか?」
「勿論。ここは、イザークの家だろう?」
小首を傾げるようにして、微笑んで。
その言葉に、それもそうだとイザークは笑う。




甘い甘い、血。
その血管が透けて見えるのではないかと思うほど、白い首筋。
その首に牙を突き立てる。
それを思うだけで、アスランは恍惚としてしまうのだ。


(おかしいな……)


今まで、こんなことを思ったことはなかった。
吸血鬼に戻る満月の夜であれば、こんな感覚は普通だが……。
考えて、アスランは首を振った。
考えても、仕方のないことだ。
吸血鬼となって、ただでさえ日が浅く、そしていまだ伴侶を持たないアスランは、吸血鬼としてはまだまだ未熟のうちに入る。
当然、その知らないことがあまりにも多すぎるのだ。


「アスラン?どうかしたのか?」
「何でもないよ。お茶にしよう。アールグレイでいいか?」
「あぁ。ストレートで頼む」
「分かった」


にこりと笑って、室内に導いて。
分からないことは、そのうちキラかフレイに聞こう。
それで、いい。
今はこの、目の前の彼の血を得る術を考えなくては。
彼は、この国を治める領主の息子だ。
下手は、打てない。



太陽の下、煌く翡翠の瞳。
それが、暗い翳を落として笑っていたことに。

イザークは気付かなかった――……。



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しまった。宰相が仕事をしている。
改めて読み直してみて、ビックリ。
宰相が仕事しているよ……。

エザリア様とミゲルの会話が書いていて楽しかったです。
いくらヒヅキが雑食とはいえ、ミゲエザなんてカップリングはしませんので、予めご了承ください(笑)。


それでは、ここまでお読みいただき、有難うございました。