『ミネルヴァって、いい名前だよな』
そう語った青年が、いた。
恋人が言ってたんだよ、と。
照れたように笑いながら、言葉を紡いだ彼も、今は亡い――……。
屍衣纏う修羅 〜Minerva〜
アスラン=ザラ。 かつて俺の上官だった人を、俺は撃墜してしまった。 あまつさえ、俺の同僚のルナマリア=ホークの妹、アカデミーで同期だったメイリン=ホークまで。 それなのに、周囲の人間は、俺を賞賛した。 殺人を犯しながら、罪を犯しながらも賞賛されるという矛盾。 その矛盾こそが、俺が生きると決めた軍という組織の抱える矛盾であったのかもしれない。
今まで、敵機を撃ち落したことは数知れずある。 そして俺は、考えてもいなかったんだ、きっと。 あのモビルスーツ一機に一人の人間が搭乗し、彼を取り巻く家庭があり、社会があることを。 俺は、考えても見なかった。 あえて目を逸らし続けていた事象に、俺はこのとき気づいたのかもしれない。 議長に呼ばれたのは、そんなときのことだった――……。
「では、頼んだよ」 「はっ!」
涼やかな声に応えたのは、低いが明らかに女性のものだった。 ピン、と伸ばされた背筋。 教本の見本のような、完璧な敬礼。 そして身に纏う白の軍服に、その人が仕官クラスの人間であることを知る。
「やぁ、シン。よくきてくれたね」 「あ……っ、すみません、議長!お話の邪魔を……!」 「構わないよ、シン。呼んだのはこちらだ」
含むような笑顔に促され、入室した。 先客の隣に、俺もともに並び立つ。
「彼にも、君の意見を聞かせてやってはくれないかね、イザーク」 「了解いたしました」
議長の言葉を受けて、俺を見据える青い瞳。 さらりと音がしそうな銀糸が揺れて、華のように麗しい顔《かんばせ》が露わになった。 思わず顔を赤らめてしまうのは、今まで見たことのないほど彼女が麗しかったからだ。
コーディネイターにあってさえも稀有といわれるその美貌を、俺は始めて目の当たりにした。
「ジュール隊、イザーク=ジュールだ」 「シン=アスカであります!」 「知っている」
俺の言葉に、ぶっきらぼうとも不機嫌とも取れる返答を、彼女は返した。 それでも、敬礼をすれば、先ほど議長に対してしたものと同じくらい美しく返礼してきた。
「貴官が確か、アスラン=ザラを討ったと聞いたが?」 「はい」 「そのことだが、おそらくそれは誤りだ。あの男はまだ生きている。ついでに、フリーダムのパイロットもな」 「なっ!?」
重ねられた言葉に、俺は顔色をなくした。 そんな筈はなかった。 俺は確かに、あいつらを討った筈だ。
「まずフリーダムの件だが、核兵器搭載型モビルスーツが爆撃されたにしては、爆発が小さすぎる。地球に対する汚染被害も報告されてはいない。……撃墜されたにしては、妙だ」 「しかし……!」 「次にアスラン=ザラの件だが……グフに搭乗したことのない貴様には分からんかも知れんが、デスティニーの刃の切っ先が、コックピットをずれている」 「え……?」 「勿論、撃墜されたのだから無事ではないだろう。まぁ、運がよければ死んでいるとは思うが、何せ過去にイージスの自爆に巻き込まれた際にもくたばらなかった連中だ。用心に越したことはない」
淡々と述べられた言葉に、俺はそのとき何を思ったのだろうか。 安堵したのだろうか。アスランを討たずにすんだことに対して。
俺に素早く視線を走らせたその人が、険しい顔をしたのは、錯覚ではないのだろう。
「殺せなかったことに安心したか?」 「え?」 「ならば軍人など辞めろ。この世界で、今の貴様は生きてはいけない。……軍人として、あまりにまともすぎる」 「やれやれイザーク。そう言って有為な人材を除隊させるのはやめてほしいものだね」
笑みを含んだ議長の声に、ジュール隊長は恐縮したように軽く会釈をした。 しかし強い眼差しは、はっきりと俺に告げていたのだ。 さっさと軍人など辞めてしまえ、と――……。
何故、そんな目を向けられなくてはならない? 俺は、俺はアスランさえも撃った。最強と名高いフリーダムさえも。 それなのに。 俺は強いのに。 それでも、軍人には向いてない、と。そういうのか、この人は。
「貴様に関する報告書は俺も目を通している。戦果は確かに申し分ない。しかし軍人として、貴様は赤を纏うに値しない」 「なっ……!?」 「ベルリンでの一件。確かにあれは、連合……ロゴスといったほうが適切か?が暴発した結果と取れなくもない。しかしあの少女を凶行に駆り立て、その力を連合に与えてしまったのは、シン=アスカ。貴様だ」 「……」 「貴様の無知な正義感が、あれだけの殺戮を招いた。そういうことだ。幼稚な正義感で、世界は救えない」
言いたい放題のことを言われ、それでも言い返せなかった。 そうだ。俺はきっと、どこかで分かっていたんだ。 可哀想な、可哀想なステラ。 可愛くて、愛しいステラ。 俺が君を連合に返さなければ、君はあんなにも怖い思いをしながら戦わなくてもすんだ。 あんな痛い思いをして、死ななくてもすんだ。 しかし返さなければ、彼女はモルモットのような扱いを受け、やがて死んでいたのだ。
ならば俺はあの時、どんな道を選んでいればよかったのだろう。どうすれば、間違えなくてすんだのだろう。 戦いがあるから、あんなことになる。 戦いさえなければ、あぁはならなかったのだろうか。
愛しいステラ。 可愛いステラ。 君は今も、君に似合う日の光の下で、無邪気に微笑んでくれた?
「シン。彼女にはこれから、アークエンジェルとエターナルのほうに行ってもらうのだよ」 「は……?」
突然の議長の言葉に、俺は間の抜けた声を洩らす。 『彼女』ここにいるのは、俺と議長とジュール隊長だけだ。 では、『彼女』とは……。
「お任せください、議長。必ずや、奴らを討ってご覧にいれましょう」 「頼むよ、ジュール隊長」 「はい」 「君を呼んだのは、シン。他でもない、これからのこの情勢を君に理解してほしかったからだ。彼女たちは敵陣につく。だが、撃ってはいけない。彼女たちは味方だ……彼女たち、ジュール隊はね」 「……で、ありますか?」
敵なのに、撃ってはならない? これから、敵陣につく?
「潜入工作、といえば分かりやすいか?やつらの陣営に侵入して、やつらの中を引っ掻き回すために、選ばれたと言えば。もっとも、それを志願したのも提案したのも、俺からだが」 「何故?あなたは、ザラ隊長と同期だったのでしょう?」 「同期だからこそ、だ。だからこそ、あいつはこの手で殺す。あの裏切り者は……!」
静かな、憤怒。 感情の色が、その白皙の肌から透けて見えた。 怒りが、ただ彼女の中にはあった。
「お話は、これで全部でしょうか、議長」 「あぁ、下がってくれて構わないよ、イザーク。君とシンを会わせたかっただけだから」 「では、私はこれで失礼いたします」
俺と議長と、両方に施される綺麗な敬礼。 でも、俺は目が逸らせなかった。 綺麗な横顔は、泣いているように見えた。 青い瞳は、今にも壊れてしまいそうな、張り詰めた色をしていた。
「彼女が、今このザフト最強の人間の一人だ」 「議長?」 「勿論、君もね、シン。その力、私に貸してくれないかね?」 「勿論です、議長!」
議長の言葉に、俺は頷いた。 力を貸す。そんなの、決して厭わない。 何よりも、俺は彼女を解放してあげたかった。 あんな痛々しい目をした女性が、今尚白を纏い、一部隊を率いているという事実。 それが、あまりにも痛かった。
「君の思いは、杞憂に終わると思うがね、シン。彼女は……迷わない。だから彼女は強い」 「しかし」 「ならば、彼女と直接話をしてみるといい。彼女も、君に興味は持っていたようだったから、今から探せばまだ近くにいるかもしれないよ」 「有難うございます!」
議長に敬礼をし、俺は駆け出した。 コーディネイターの中にあってさえも珍しい、シルバーブロンドの髪を、目指して。
彼女を見つけたとき、その冷たい眼差しはただ外を見ていた。 艶めいた唇が、名を呼ぶ。
「ミゲル……ハイネ……もうすぐ……もうすぐだ……」 「隊長?」 「お前たちの死に、華を添えてやる。尽きることのない栄華を、その墓に飾ってやる。だから……」
白い掌が、強化硝子を叩く。 それは、尽きぬ慟哭に哭いているようだった。
「誰だ!?」 「す……すみません、ジュール隊長。俺……」 「何だ、貴様か。どうした?」
その白い頬に、涙の一滴も見受けられなかった。 あくまでも平静に、彼女は俺に相対する。
「お話を伺ってもよろしいでしょうか、隊長」 「構わないが……貴様の直接の上官は、俺ではないぞ」 「貴女に聞いてほしいんです」 「……分かった」
俺の言葉に、彼女は頷いた。 誰もいない休憩室に入ると、ロックをする。 一応密室に、男と二人きりで、この人はなんとも思わないのだろうか。 俺がそう考えていると、俺の考えなど見越していたのか、
「言っておくが、何かしたら遠慮なく喉笛を掻っ切るからな」
物騒な眼差しで、彼女は言った。 その軍服の各所には、どうやら武器が仕込まれているらしい。 小さく、俺ははい、と答えたのだった――……。
「ミネルヴァというのは、いい名前だな」 「そうなんですか?」 「何だ、自分の搭乗する艦の名前の由来も知らなかったのか?昔の神話に出てくる、知恵と技芸と学問、そして戦争を司る女神の名前だ。きっと、貴様らにも加護を与えてくれるだろう」
しかし『ミネルヴァ』は、ハイネを加護してはくれなかった。 心の中でそう、思う。 名前なんて、意味がない。
「貴女は、何のために戦うんですか、ジュール隊長」 「復讐のためだ」
簡潔に、明瞭に。彼女ははっきりとそう断じた。 一点の曇りも、迷いもない瞳で。
「復讐……ですか?」 「あぁ、そうだ。悪いな、俺は高尚な理由で戦っているわけではない。勿論、プラントは守りたいと思っている。しかし一番の理由は、復讐なんだ、俺は」 「誰……の?」 「恋人と戦友。あいつらに殺された」
憎悪に、蒼穹の瞳が燃える。 灼熱を宿したその瞳は、綺麗だった。
「クルーゼ隊にいた時、仲間がいた。弟みたいなやつだった。……アスランを庇って戦死した。 クルーゼ隊にいた時……ごく初期、恋人がいた。ヘリオポリスでストライクに撃たれた。そして……ダーダルネスで……」
その名称に、心が跳ねた。 俺自身、納得の行かない男の死。 彼女もまた、それを言っているのだと思った。
「恋人が死んだ後、やたらと気遣ってくれるやつがいた。恋人の先輩で、俺にとっても兄貴みたいなやつだった。あいつが死んだ後、こんなことを言うのは卑怯かもしれないけれどといって、告白してくれた。付き合っていた。そいつも、殺された。 ……ダーダネルスで、フリーダムに」 「じゃあ、貴女……!?」 「ハイネ=ヴェステンフルスは、俺の恋人だった男だ」
その言葉は、驚くほどすんなりと俺の心に入ってきた。
『恋人が言っていたんだ』
照れたように笑っていた、フェイスの青年。 彼があの時指していた人物は、なるほどこの人だったのか、と。 驚くほど呆気なく、俺は事実を納得していた。
好感の持てる人柄と、温かい笑顔と。 すんなりと他の輪の中に入っていく、何か天性のものを持っていた青年。 喪った時の慟哭は、俺にとってもまだ風化することの叶わない記憶だ。 そして二度までも、同じ相手に恋人を奪われた、人……。
「戦争をしているんだ。失う覚悟も、死ぬ覚悟もしていた。でも、赦せない。綺麗事を抜かして、俺からハイネまで奪ったあの男を、俺は赦せない。そしてまたも仲間を奪われたと言うのに、ホイホイとあちらの陣営についたあいつを、俺は赦さない」 「隊長」 「高邁な理想を、俺は貴様の前では掲げるべきであっただろうか。でも、それは所詮偽りの俺だ。それでは、貴様に俺の言葉は届かないだろう。だが、だからこそ語るべき言葉も、俺は持っている。 貴様は、こちらには来るな」 「隊長?」 「俺と同じところには来るな。憎しみに我を忘れて、大切なものに気づけない。俺と同じところには来るな」
真摯な眼差しが、俺を見つめていた。 蒼穹の瞳が、息もできぬほどの静謐さで、俺を見据える。 呼吸が苦しくなるほど、その瞳は真剣だった。 しかし、分からない。 何故そこまでの言葉を、俺にかけてくれるのだろうか、この人は。
「俺は、過去の大戦の折、誤って民間人を撃墜した」 「え?」 「オーブの避難民を撃墜したデュエルのパイロットは、俺だ。 あの時は、知らなかった。俺はあれに乗っているのは、味方を見捨てる卑怯者だと思った。けれどそんなことは、何の言い訳にもならない。俺は、殺した。民間人を」 「それは……でも……」 「そして貴様も、ベルリンで民間人を殺した。俺は直接的に。貴様は間接的に。 だから、かな。似ていると思った。感情に素直すぎるところや他が見えなくなるところが、俺と似ていると思った。だから、言っておきたかったのかもしれない。貴様には、俺の決意と俺の決着のつけ方を。そうした上で、こちらには来てほしくなかった。貴様には、俺とは違う道を進んでほしい」
静かに語られる言葉に、何度も頷いた。 決してそちらの道を選ばないと告げるように、頷いた。 復讐だけで戦うことをしないと、誓うように。 頷く俺に、その人は初めての笑顔を見せる。
綺麗だった。 他に言葉も当てはまらないくらい、その人は綺麗だった。
迷わない。 だから、貴女は強い。 自ら信じた道を、どこまでも信じ突き進む。
だから、貴女は哀しいほどに脆い。
「では、また。今度は戦場で逢おう。……その時は、敵同士だが」
ふっと口元に笑みを刻んで、立ち去ろうとする。 その背中に、俺は声をかけた。
「あのっ……!」 「ん?」 「帰ってきますよね……!?」 「え?」 「隊長は必ず、プラントに帰ってきますよね!?」
俺の言葉に、にっと笑う。 不敵な笑顔は、それでも薔薇のように艶《あで》やかだ。 そして、頷く。
「当たり前だ。プラントは俺の愛する祖国。あいつらの守った大切な場所。必ず、返ってくるさ。そしてあいつらの墓に、華を添えてやる。永遠の栄華で、その骸を飾ってやるさ」
そう言って、その人は立ち去った。 その背中を、俺はいつまでも見ていたのだ。
かつて彼女が搭乗していた機体、X-102デュエル。 汎用性の強い、オーソドックスな機体。 特筆すべき点のない機体に装備された追加武装、Assault Shroud《アサルトシュラウド》 攻撃から転じて、復讐とも意味する言葉と、死体を包む白い布を意味する言葉とを組み合わせた、その名前。 彼女は、自ら纏う軍服こそがそれだという。 復讐という屍衣を纏う自分に、ふさわしい名だ、と。 でも、俺はそうは思わない。
もしも本当に、その女神が戦争を加護するのだとしたら、彼女にふさわしい名は、彼女にふさわしい名こそが、『Minerva』だろう。 誇り高きザフトの、白き戦女神。 その後姿に俺はもう一度、限りない敬意を込めて敬礼を送るのだ。 そして、俺は夢想する。 『大天使』 そう呼ばれる艦に、振り下ろされる研ぎ澄まされた刃。 それを握り締める、美しくも哀しい、そして誇り高きMinervaの姿を――……。
鳴り響くは、阿鼻叫喚の鎮魂歌《レクイエム》。
流血を啜る星々。
高らかに鳴り響くファンファーレ。
ごとり、と鈍い音。
堕ちる、大天使の頸。
復讐の刃。握り締めて微笑むは、美しい修羅――……。
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アスランのあの一言だけで、どうしてシンが急に戦意を喪失するかが分からないのです。 そのきっかけを、うちの悪女に作っていただきました。 今回は、悪女じゃないですが。 次回は、飛び切りの悪女が描けたらいいな、と思います。 ものすごいことになりそうですが。
ここまでお読みいただき、有難うございました。 緋月は、『ザフトのアスラン=ザラ』は大好きです。
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