『何故、何故、何故!?』


隔離された一室で、俺は喚いた。
迸る絶叫は、絶望故のもの。


『何故、俺をあいつの元に送ってくれない!?』


俺の命など、いくらでも捧げる。

それだけの罪を、俺は犯したのに。

犯した罪に、罰も与えてはくれないのか。

いっそ生きることが罰だというのか。


『何故、俺を一思いに殺してくれない……!?』


そうやって、泣き喚く俺の元に。

久しぶりに『彼』がやってきた――……。





屍衣纏う
〜Nemesis〜





ごくごく幼いころから、『女の子の装い』というものが、苦手だった。
ひらひらのスカートなんて、鬱陶しいだけじゃないか。
かっちりとした服装を割合好んだから、レディースの腰を絞ったシャツに、細身のパンツ。
それが、大体いつもの格好だった。
恋人ができてもそれは変わらなかったし、あいつも俺を変えようとはしなかった。


『そのカッコ、イザークらしいな』


にっと白い歯を見せて笑いながら、あいつはそう言った。
あぁ、このままでいいんだ、と思った。

母の仕事の都合上、出席を余儀なくされるパーティ。
お仕着せのようにドレスを着せられて、楽しくもないのに笑って。
滑稽な俺を冷めた目で見る、もう一人の俺。

恋人ができたから、当然同じようなものを求められると思っていた。
女の装いをして、女の口調で喋って。
考えただけでも、ぞっとする。
そんなの、俺じゃない。

でも、あいつは俺にそれを求めなかった。
たまに服を買ってくれることもあったけれど、どこまでも俺の意思を尊重してくれた。
お揃いで買ったシルバーのリングは、ペアリングでもなんでもないどちらかというとメンズのリングだったけれど。
それさえも、『らしいね』と。
その一言で、あいつは俺を肯定してくれた。
だから、あいつのものになってもいいと思った。
この先、ひょっとしたら女の装いをすることもあるかもしれない。
それならばそれは、彼の前で、彼の手で。
そんな乙女チックな、普段の俺からでは想像もつかないような甘い幻想も抱いた。
『彼』が俺の全てになった。

大きく襟ぐりの開いた、オフホワイトのセーター。
細身のブラックジーンズ。
腰には、シルバーのチェーンベルトを巻いて。

私服で会う度に、ドキドキした。
少しずつ、あいつの前では進んで『女の子の装い』とやらをするようになった。
母に尋ねて、化粧法を教えてもらったり、デートの前日は、念入りにバスタイムを過ごしたり。
変わっていく自分に戸惑いながら、そんな自分が愛しかった。


「どうして、貴様は俺に何も求めないんだ?」
「いっぱい要求しているだろ、俺」
「いや、全然していない。……何故?」
「もっと女らしい服を着ろよ、とかそういうこと?」


ある日、不思議に思って、たずねた。
途端に、あいつは笑った。


「何がおかしい!?」


声を荒げる俺に、それでもあいつは笑ったままだった。
漸く笑いの発作が治まったのか、あいつは俺をまっすぐと見て。


「イザークが、そうしたいと思ってからでいいんじゃないのか?そりゃあ、イザークがドレス着ているとこ、俺だって見たいよ」
「……」
「でも、そうやって要求するのって、違うくない?俺の型に、イザーク当て嵌めていくみたいだろうが。そう言うの、嫌なんだ」
「ミゲル……」
「イザークが、俺のためにそういうカッコしたいと思えるようになってからで、いいよ。今のまんまのイザークで、俺は今は十分だし。まぁ、いつかは俺のために、白いドレス着てほしいけどさ」


片目を眇めて、笑って。
『白いドレス』の意味に、顔が赤くなった。
真っ赤になって、彼の肩口に顔を埋《うず》めた。
優しい手で髪を撫でられて、その感触にうっとりした。


「いつか……いつか、戦争が終わったら、さ。俺のために、着てよ」
「……ん」


頷いた。
嬉しかった。
肯定されたのが、嬉しかった。
ありのままの俺を受け入れてくれているような気がした。
その上で紡がれた言葉の甘さに、陶然とした。

だから、俺の世界は『彼』で埋まっていった。
彼のために変わろうとしたのではなく、彼のために変わりたいと思った。
自分が、変わりたいと願った。
それなのに。
嗚呼、それなのに。
俺の『世界』はある日突然、終わりを告げた――……。

世界が終わる音は、とてもシンプルだった。
ただ隊長に呼び出され、告げられたのだ。彼が死んだ、と。
それだけだった。
遺品の整理をして、プラントへの搬送を手配して、それだけ。
それだけで、『世界』は消えた。



彼の後を追おうとは思わなかった。
平和になったら……戦争が終わったら……そう口にしていた彼の後を追うことは、彼の生そのものを無視する行為だと思った。
彼の生を無に帰する行為だと思った。


戦後開かれた軍法会議で宣告されたのは、無罪放免だった。
何故?と思った。
民間人を誤って撃墜した。それは、決して軽くはない行為ではないのか。
軍法会議の席上で、全ての罪は自分にあると言った。
クルーゼ隊長の思惑は知らなかったが、それでも俺には、部隊長としての責任がある。
パトリック=ザラの暴走が全ての悪行の原因であると言われれば、母子揃ってザラ派に属していた俺に罰が下るのは当然だった。

そのとき、全ての罪は自身にあると言いながら、俺は願っていたのかもしれない。
俺の『世界』に還ることを。
しかしその罪は、赦されてしまった。

今までだって、俺は決して理想を掲げて戦ってきたわけではなかった。
お綺麗な理想で、人は戦えない。
お綺麗な理想で、殺し合いなんてできない。
俺はただ、母を守りたかった。
母を守ることが、結果的にはプラントを守ることに繋がった。
母を守ることが、イコール祖国を守ることだった。

恩赦など、望んでいなかった。
叶うことなら、彼の元へ『還して』欲しかった。

気が狂《ふ》れてしまったかと思うほど、だから宛がわれた控え室で叫び喚いた。

俺を、俺の『世界』へ『還して』と。


「イザーク、声が外まで聞こえている」
「ハイネ……?お前が、何で……?」
「裁判のやり直しを求めたと聞いた。議長の説得にも、応じなかったんだって?」


俺の言葉に答えることもせずに、尋ねられる。
それに、頷いた。
応じなかった。
分かりきっていた。
ザフトで、俺は圧倒的な人望を誇っているらしい。
女でありながら、MSパイロット。祖国を守るために前線に立ち続ける。
プロパガンダとして、俺は十分だったらしい。
議長は、そんなプロパガンダとしての俺を欲しているのだろう。だからきっと、殺さなかった。
そして俺を殺さない以上、他の誰も処刑するわけには行かなかったのだろう。
軍法会議など所詮、茶番だ。
あの一件で、議長はザフトに恩を売ることに、成功した。


「貴様も、俺を説得にきたのか?」
「まぁ、そんなとこかな」
「……帰れ」


死にたいわけじゃ、ない。
俺はただ、『還りたい』だけ。
『彼』と言う『世界』に。俺の『世界』に『還りたい』だけ。

嗚呼、どうしてどうして。
待ち望んでいた平和は成ったと言うのに。
どうしてどうして。
その世界に『彼』はいないのですか。
どうしてどうして。
あれほど平和を願っていた彼は……平和になったらと言っていた彼は、ここにいない?
嗚呼、どうしてどうして。


「こんなときに言うことじゃないと思うけどさ。卑怯だと思うけど」
「何だ?」
「俺、お前が好きだよ。……生きてて嬉しいし、これからも生きて欲しい」


言葉に、目を丸くした。
俺の『世界』はミゲルで完結していて、他に目なんて向かなかった。
突然告げられた言葉は、だから意外でしかなかった。
俺は、瞠目する以外、何もできなかった。
阿呆みたいに呆けた目で、だから彼を見つめた。


「何……を?」
「気づかなかっただろ、お前。ずっとミゲルしか見てなかったから」


ミゲルだけが、俺の『世界』だった。
それ以外のものを、だから俺は見ていなかった。
それは、目の前の青年を、少なからず傷つけていたのだろうか。
それでも、俺の『世界』は『彼』だけだった。


「生きろよ。ミゲルもきっと、それを望んでる。お前が死んだりしたら、あいつが悲しむ」
「……」
「それに、お前がいなくなったら、ジュール隊の連中が困るだろ。お前以外の一体誰を、あいつらは隊長に戴くんだ?」


部下たちを出されると、弱かった。
部隊長である以上、俺にはあいつらの命に対して責任がある。
その責任を、放棄することはできなかった。
自分一人の安逸に逃れるなど、言語道断だ。

俺は、俺の部下たちに対する責任を、まだ果たしていなかった。
嗚呼、これでは『彼』に笑われてしまう。
後輩だった俺たちに、先輩として面倒を見てくれた彼に。その責任を果たし逝った彼に。


「……分かった」
「ん?」
「裁判のやり直しは、求めない。俺は、俺の責任を果たす」
「そうか」


一人で、生きて行こうと思った。
それが贖罪なのだろうと、思った。
たくさんの命、奪い続けた俺の、それが。
一人では生きていけぬ弱い俺の贖罪は、それなのだろう、と。

でも、俺はハイネを愛した。
俺の『世界』に、『彼』が加わった。

そしてその『世界』はまた、崩壊する――……。












目が覚めたとき、室内は真っ暗だった。
アラームを確認すると、部屋に戻ってからすでに1時間が経過している。
あの男は、来るのだろうか。
どこかぼんやりとしている頭を軽く振って、そう思った。


「ごめんな、ミゲル……ハイネ……」


彼らが愛してくれた躯を抱きしめながら、思う。
嗚呼、これから俺は、お前たちを裏切る。
俺の『武器』など、これしかないから。
母から譲り受けた美貌を『盾』に、お前たちが愛してくれた躯を『剣』に。
変えて俺は朱《あけ》に染まる道を歩き続ける。


「すまない、ミーア」


俺の愛しい歌姫。
狂った俺の、狂って逝く『世界』で、ただ一人綺麗だった、守りたいと願った、愛しい俺の歌姫。
これから俺は、貴女を裏切る。
貴女の愛した男を、誘惑する。
でも、俺の歌姫。
貴女の愛した男は、必ずあなたの元へ送るから。
俺は愛しい貴女に、貴女が誰よりも愛した男を供物に捧げよう。
だから、俺の歌姫。
どうか俺に、哀れみの歌を。
貴女の赦しは、請わないから。
貴女は俺を、赦さなくてもいいから。

嗚呼、でもきっと貴女は、俺を『赦す』んだ。
愛しい俺の歌姫。
綺麗な貴女はそれでも俺を赦し……俺のために泣くのだろう。

そして俺に、謝罪するのだろう。
死んでごめんなさい。貴女を傷つけてごめんなさい、と。
嗚呼、優しい俺の歌姫。
愛しい俺の歌姫。
貴女の死が、俺に復讐を決意させたのは、一体何の皮肉だろう。


『イザーク?』


ノックの音に、顔を上げた。
潜めるようなその声を、知っている。
あぁ、やはり来たか。

カタン、と微かな音をさせて、俺は座っていたチェアーから身を起こす。
軽く手櫛で髪を整えて、一応鏡で簡単にチェックした。
ロックを、外す。
手動にしていた扉を、ゆっくりと押し開けた。


「アスラン?」
「イザーク……その、話が……」
「そうか。入ればいい」


《いざな》うと、アスランがついてきた。
哄笑が、零れそうになる。
安心しきっているこの男が、おかしくておかしくて堪らない。
俺が、この男にとって一番の敵……獅子身中の虫となることを、この男は知らないのだ。
それが、おかしい。

俺が貴様を恨んでいないとでも、思っているのか?アスラン。
ならば貴様は、よほどめでたくできているらしいな。


「すまない。転寝《うたたね》をしてしまっていたんだ。待ったか?」
「いや、大丈夫だ、イザーク。転寝をしたと言うことだが、大丈夫か?休んだ方がいいんじゃ……」
「大丈夫だ。少し、疲れていただけだし……大事な話があるんだろう?」


数が少ない第三勢力を効率的に運用しなければ、勝てるものも勝てないだろう。
そして連中の中でまともな軍事常識を持っているのは、アスラン一人。
後の腑抜けた連中は、ラクス=クラインやキラ=ヤマトの甘い理想に酔い痴れている阿呆ばかりだ。
アスランにかかるものは、重いだろうな。

そういえば、あの甘ちゃん二人のせいで、俺の歌姫は死んだのだったか。
あいつらが混ぜっ返すようなことをしなければ、俺の歌姫は死なずにすんだ。
それなのに、そんな連中を庇うなんて……綺麗な貴女らしい。でも、馬鹿だ。ミーア。
君は、必要な人だった。
プラントに、君と言う『ラクス=クライン』は、必要だったのに……。


「ジュール隊の運用については、君に任せてもいいだろうか。キラたちは、自分たちの下に置こうと言っているんだが……」
「あいつらが聞き入れるとは思えないな。ジュール隊には、旧ヴェステンフルス隊の者も多い」
「な……に?」
「旧ヴェステンフルス隊だ。優秀な人間が多くてな。俺も助かっている。あいつらが、キラ=ヤマトの下に甘んじるとは、思えないな。……俺は事情を知らないが」


何かあったのか?と声に出さずに尋ねる
それに、アスランはさぁ、と呟いた。
ばればれだな、アスラン。
何か隠していることが、すぐ分かる。
最もそれをいちいち指摘してやるほど、俺は優しくはないけれど。


「そうか。……それに、うちの連中が俺以外を上に戴くことに納得するとは思えない」
「慕われているのか?」
「軍上層部のプロパガンダ作戦のおかげでな。俺自身に、そこまでの価値があるとは思えないが」


それは、俺の心からの言葉だ。
確かに、俺は結果的にあいつらを救うことになったのだろうけれど。
でも、何故そこまで俺を慕ってくれるのかは、俺自身よく分からなかった。


「いや、君が部下に慕われるのは、よく分かる気がするよ、イザーク」
「そうか?」
「あぁ。……じゃあ、ジュール隊は、君に任せていいのか?」
「癖の強い連中だしな。扱いには、俺以外は苦労するだろうから」
「分かった」


苦笑いをするアスランの頭を、ポンポンと撫でた。
きょとんとした顔で、俺を見上げる。
纏う白いオーブの軍服に、吐き気がこみ上げる。





愛しい俺の歌姫。

身も心も籠絡されたこいつを捧げること、赦してくれますか?

もっとまともなこいつを、捧げた方が貴女は喜ぶだろうか。






「大分苦労しているようだな、アスラン」
「イザーク?」
「キラ=ヤマトもラクス=クラインも、軍のことは何も知らない。専門家は、ほとんどお前だけだ。苦労、しているんだろう?」


俺の言葉に、アスランが弾かれたように顔を上げる。
分かるさ、アスラン。
肯定されることは、心地よいことだから。




お前たちは俺を肯定し、俺の『世界』になった。

お前たちが、俺の中でひとつの『世界』を形作った。





「何かあったら、いつでも相談に乗るよ、俺は。……アスラン」
「イザーク……有難う」
「気にしなくてもいい、アスラン」


力づけるように微笑むと、アスランの顔が目に見えて赤くなった。
どうやら、オーブの姫とはそこまでの関係になかったらしい。
ならば、余計に面白い。
純粋な感情ほど、弄び易いものはない。
純粋な感情こそ、壊れ易い。
純粋な感情ほど、引き裂く快感を与えるものはない。

それを教えてくれたのは、アスラン。
貴様らだろう?
俺に『復讐』と言う美酒の名を教えてくれたのは、貴様らだ。


「イザーク……!」


感極まったようにアスランが囁いて、抱き寄せられる。
されるがままに任せ、その腕の中、くつりと哂った。

堕ちろ、堕ちろ、堕ちろ。
二度と這い上がること叶わぬ、光届かぬ奈落の淵まで、堕ちるといい。
俺は哂いながら、その様を眺めてやるよ。





鳴り響くは、阿鼻叫喚の鎮魂歌《レクイエム》

流血を啜る宇宙《ソラ》

陰惨極まりない地獄絵図。

高らかに鳴り響くファンファーレ。

さぁ、復讐の序曲を奏でよう――……。



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復讐篇スタートします。
しかし、イザークが頭の弱い子になってしまった気が……。
でも、狂えるぐらい大きな存在って、彼女の中で『世界』を作り変えること以外に考えられませんでした。
ミゲルとハイネが、『世界』だった。
でも、彼女の『世界』は崩壊した。
狂いかけていく『世界』で綺麗だったミーアも、喪ってしまった。
それが、復讐の動機と言うのは、独り善がりではあるけれど、否定できないと思うのです。
取り戻せない『喪った』物を取り戻したいと願うのは、『ヒト』ならばこそと思うから。
そう思っていただければ、嬉しいです。
これより先は、アスラン至上さんやアスランスキーさんにとって、本当にきつい描写も出てくると思います。
お付き合いくださる方だけ、お付き合いください。

ここまでお読みいただき、有難うございました。