ここより先は、アスラン至上さん・アスランスキーさんは回避行動をとってください。
勿論、AA・エターナル・キラ・ラクススキーさんも同様です。












『俺はもう、隊長にはついていけない!』


仕掛けた、罠は上々。

そして死ぬまで、この手の上で踊り続けるといい。

――……血塗れになりながら。






〜幕間狂言〜





「イザーク」


 ディアッカ=エルスマンの声に、純白の麗人が顔を上げた。
 透けるように白い肌は、まさしく白磁のよう。けれど冷厳とした中に、女性らしい華やぎがあり、それが彼女を無機的な印象から救っていた。
 コーディネイターにあってさえも発現し辛いと言う銀糸の髪が、さらりと流れた。

 花のように麗しい……しかしその心に灼熱を宿した彼女は、幼馴染の言葉に小首を傾げる。


「どうした、ディアッカ。何かあったのか?」
「不味いことになった、イザーク」
「うん?」


 先を促すと、彼は渋面を作る。
 よほど、悪いことがあったのか、と。彼女は身構えた。


「カイトが、キラと歩いていた」
「ほぅ……?」
「直前、『隊長にはもうついていけない!』と言っていたらしい」
「ふぅん……」


 頬杖をついて、さして気のない風に彼女は答えた。
 実際問題、気が抜けてしまった。
 何だ、その程度か。と。それだけが今の彼女の偽らざる気持ちだった。


「ふぅん、てイザーク!大変なことだろ!?」
「別に、大した問題じゃない」
「だって、あいつは……!!」


 ディアッカが怒鳴るのも、無理のない話なのだ。
 件の青年は、ハイネ=ヴェステンフルスがまだ一部隊の隊長に過ぎなかったころから、彼の副官を勤めていた男だ。
 彼がFaithとして任務に赴き、そして殉職したと同時に、その籍はジュール隊に移された。
 彼は、いわばハイネ=ヴェステンフルスの薫陶を受けた、逸材なのだ。
 そして短期間とはいえ、ジュール隊内部でも自らの地位を確立させた彼はその分、ジュール隊の内実にも、詳しい。
 彼を失ったことは、大きな痛手となるのではないのか。


「この前、頼まれて偽のIDカードを作った。勿論、議長に予め頼んではいたんだが」
「イザーク!?」
「それを、カイトに渡した。勿論、偽名だ。カイト=オステンベルク。なかなか皮肉を利かせた名前だと思わないか?」
「イザーク!真剣に!!」
「勿論、俺は真剣だ、ディアッカ」


 くすくすと笑っていたその顔が、その瞬間真剣な眼差しで彼を見つめる。
 美しい貌に浮かぶ怜悧な表情は、その整った美貌もあいまって、非人間的な印象を与えた。
 まるで血の通わぬ……温かみのない顔に、見えたのだ。


「カイトが言ってきたんだ。こういう状況になって、ジュール隊から脱落兵の一人も出ないのは、おかしい、とな」
「な……?」
「だから、偽のIDカードを渡したよ。ヴェステンフルス隊所属だった過去も綺麗さっぱり消して、全てをゼロにして。名前も付けた。カイト=オステンベルク、とな。我ながら、なかなかいい名を考えたものだと思うが?」
「イザーク……だが、本当にあいつらの側についたんじゃないと、誰に断言できる?」
「俺が、断言できるさ」


 幼馴染の言葉に、彼女ははっきりと頷いた。
 そこにあるのは、相手への絶対の信頼感。
 そうであるが故に、彼は何も言えなくなった。


「あいつと俺の付き合いは、そんなに短いものじゃないんだよ、ディアッカ。そして俺よりももっと長く、あいつが付き合ってきた直接の上官が、ハイネだ。たとえ俺を裏切ることは会っても、あいつはハイネは裏切らない。そしてハイネがキラ=ヤマトのせいで死んでしまったのは、事実だからな」
「しかし……!」


 なおも言葉を紡ぐ幼馴染に、彼女は少しだけ困った顔をした。
 本当に、こういう時はどうすればいいのだったか。
 もう、覚えていなかった。
 何だかもう、彼女にとってその全てが曖昧になってしまって。

 狂ったように脳内を犯し続ける狂気と言う名の麻薬は、他の物事から彼女の思考を逃避させていた。


「ハイネ=ヴェステンフルス……ヴェステンフルスの意味を、お前は知っているか?ディアッカ」
「……いや?」
「あいつのルーツである国の言葉らしい。今現在の公用語に直すと、ヴェステンが西の、フルスが川。だから俺はカイトに、オステンベルクの名を与えた。ハイネのルーツの国の、これも言葉だ。オステンが東の。ベルクが山だ。……もう分かっただろう?ディアッカ」
「ハイネと、対の名前だと言うことか……」
「そう。その名前自体が、あいつを縛る枷となる。そんな枷など、必要ないとも思うけどな」


 彼は、イザーク=ジュールを裏切ることはあっても、ハイネ=ヴェステンフルスを裏切ることはないだろう。
 いや、イザーク=ジュールさえも、彼は裏切らないに相違ない。
 なぜなら、嘆き悲しむ彼女に、最初に忠誠を捧げ彼女の望む道を進むよう言ったのは、シホ以外では彼が初めてだったのだから。

 彼はその忠誠を、イザーク=ジュールとハイネ=ヴェステンフルスに捧げている。


「少なくとも、アスランを揺さぶる材料になるかと思っていたんだが、残念ながらそうはならないみたいだな。だがまぁ、面白い情報が聞けるかもしれない」
「アスランとキラの仲を引き裂いたのは、お前だろう、イザーク?」
「俺が引き裂いたんじゃない。あいつらが勝手に自滅しただけの話だ」


 澄まして、彼女は答えた。
 強固に結ばれた絆。それが、彼女率いるジュール隊の特徴となっている。
 所詮信頼関係なく結ばれた、第三勢力などとそれは比べ物にさえならない。
 その絆こそを至上とする彼女には、信じられないのかもしれない。
 その程度の信頼関係もなく結ばれた第三勢力などと言う同盟関係も、それに所属するものたちも。


「俺は、あいつを信頼している。あいつは、俺を……俺とハイネを、裏切ったりはしない。あいつも、そうだ。俺がハイネを裏切らないことを、あいつは知っている。だから、俺に忠誠を誓っている。……それだけのことだ」


 だから、カイトはイザーク=ジュールを裏切らない。
 だからイザークは、カイト=オースティン――今現在はカイト=オステンベルク――を裏切らない。
 それだけの、こと。

 二者の間にはハイネ=ヴェステンフルスという存在があって、そして両者ともが、彼の存在を愛していた。もちろん、形は違う。
 イザークが妹として、そして女として彼を愛したように、カイトもまた、年下の上官を愛していた。
 それは、忠誠とも敬愛とも似た色合いの愛情を、彼は確かに、己の上官に捧げていた。
 だからこそ、今がある。
 だからこそ、カイトはイザークに膝を屈した。

 己が認め、戴いた上官――ハイネ――を除いて、決して屈しはしないと自らに誓ったそれを、彼は彼の存在の唯一の血縁者に対して破ったのだ。


「カイトは、どんな情報を持ってきてくれるだろうな……?俺がアスランと寝て得る以上の情報を持ってきたら、どうしよう」
「イザーク」
「な?楽しみだと思わないか、ディアッカ……?」


 くすくすと、純白の少女が、笑う。
 無垢な笑みは、しかしどこか空虚。
 それはきっと、その口元は確かに笑みを履いているのに、その瞳が、笑ってなどいないからだ。
 瞳は、灼熱の憎悪を宿して、鈍く揺らめいている。
 あぁ、何時からそんな風に、笑うようになった?

 忸怩たる思いで、ディアッカはそっと呟く。勿論、心の中で。
 何時から、そんな風に笑うように、なった。
 そう問いかけて、けれどそっと首を振る。
 あぁ、そうだ。ディアッカは、知っている。
 何時からイザークがそう笑うようになったか、ディアッカは知っている。
 ハイネが、死んでからだ。
 ハイネが、彼女が愛したその人が、殉職してしまってから。二人目の彼女の恋人を喪い、彼女が友人として愛した少女が死んでからだ。
 その日から、彼女はこんな風に笑うように、なった。
 その事実を、ディアッカは知っている。
 だからディアッカは、彼女の問いに、頷いた。
 微かに笑みさえ浮かべて、頷く。


「そうだな、楽しみだ」
「あぁ」


 にこり、と彼女は笑う。
 華やかで、艶やかで、空虚で、毒々しい。
 甘い蜜にも似た毒を滴らせながら、彼女が笑う。

 あぁ、と。ディアッカは思う。
 俺は、止められなかった、と。
 忸怩たる思いで、彼は思う。
 俺は、止められなかった。俺は、救えなかった。
 愛しい愛しい、幼馴染。
 彼にとって彼女は、決して情欲を刺激する『女』ではなかったけれど。それでも、大切な大切な、愛しい幼馴染。
 彼女を、救えなかった。
 彼女を、止められなかった。

 張り詰めた細い糸のような、その上を綱渡りするような、危なげな緊張感の中何とか、必死に爪を立てながら『世界』に執着していた彼女は、もう、執着することをやめてしまった。
 ただただ、ひたすら破壊を願って。それでも、彼女のものではなくなった『世界』の消滅は願えずに、もがき続けている。

 だから、良いよ、と。
 ディアッカは、思うのだ。

 俺はお前を、救えなかった。
 俺はお前を、止められなかった。
 だから、良いよ。
 行き着くところまで、望むところまで、お前は行けば良い。
 俺も、同じ場所に行くから、と。

 俺は、お前を救えなかった。
 俺は、お前を止められなかった。
 そしてこれからも、俺はお前を止めはしない。
 だからお前は、どこまでもどこまでも行くと良い。
 その心が望むままに、お前は駆け続ければ良い。
 俺は、お前の願いを叶えよう。
 お前の想いを叶えよう。


「ディアッカ……」
「何、お姫様」
「……すまない」


 とたん、貼り付けた狂気がごっそりと剥がれ落ちて、かつての彼女に戻る。
 かつての、高潔で、純粋だった。ただただプラントの平和だけを願って、武器を取ったころの。『世界』を喪う前の彼女に、その瞬間戻って。
 小さく紡がれる、謝罪。


「……良いよ」
「……ん」


 何に対して謝っているのかは、聞かなかった。
 それは、ディアッカがかつて愛したはずの少女を、結果的に死に追いやることであるかもしれないし、こうして危険な道に彼を引きずり込んだことであるかもしれない――あるいは、その両方だろうか。
 何にせよ、ディアッカはイザークの謝罪など、別に必要としていなかった。


「生きて、帰ってこい」
「りょーかい」


 犯しがたい静謐を貼り付けて、強張った顔で言い募る少女の頬に、そっと口付ける。
 幼いころ、当たり前のようにしていた親愛の情の滲んだキスに、イザークは一瞬呆然として。それから、弾かれたように、笑った。
 最近浮かべることの多くなったものとは違う、昔からの……ディアッカが当たり前のように知っていた彼女の、笑顔。
 彼女の笑顔に、ディアッカも小さく、笑った――……。




**





 殺してやる……!
 眼前を歩む亜麻色の髪の頭髪の持ち主に抱くのは、隠しても隠し切れぬ憎悪だった。
 それは最早、殺意と言い換えても、良い。
 嗚呼、嗚呼、嗚呼。
 悲劇というなら、これほどの悲劇はない。
 喜劇というなら、これほどの喜劇はない。

 ハイネ……ハイネ……ハイネ=ヴェステンフルス。
 唯一、敵わぬと思った、相手だった。
 唯一、膝を屈した相手だった。
 ハイネ……ハイネ……ハイネ=ヴェステンフルス。
 それなのに何故、貴方はこんな男に、殺められてしまったのか!

 誇り高い男だった。
 高い自尊心と、それに見合った実力を兼ね備えた男だった。
 誰も愛せないが故の博愛精神の持ち主で、それでも確かに、彼のそれは『博愛』だった。
 広く広くコーディネイターを愛していた。
 こんな子供に、殺められて良い存在ではなかった。

 彼の名は、カイト=オースティン……現在、カイト=オステンベルクの名をイザーク=ジュールに与えられた彼は、もともとはジュール隊の隊員ではなく、ハイネ=ヴェステンフルス率いるヴェステンフルス隊の隊員であり、その副官だった。
 一般的に、コーディネイターの連帯意識は非常に、強い。
 同時に、彼らの自意識も非常に強い。
 彼らは、自らの能力を超える存在以外に、膝を屈することを肯《がえ》んじない。
 そして彼――カイト=オースティンもまた、きわめてコーディネイターらしい、その性質を多分に有していた。

 彼は、オーブ生まれオーブ育ちのコーディネイターである。
 ただ彼は、ほかのオーブから移住してきたコーディネイターとは、やや一線を画していた。
 オーブから移住してきたとは言っても、彼がもともと住んでいたのはオーブの資源衛星・ヘリオポリスである。
 当時既にコーディネイターの成人を迎えていた彼は、両親とともに、ヘリオポリスで働く、技術者だった。


「ねェ、君は……」
「カイト、です。キラ様」
「もう、君までそんなことを言うの?」


 虫唾が走る思いで追従を口にすると、どうやら空気の読めないらしい『この世界の救世主様』は、照れたように笑った。
 あぁ、気持ちが悪い。

 ヴェステンフルス隊にいたころ、みなで冗談で口にしていた『ハイネ様』という言葉に比べて、この言葉の軽さたるや、どうだろう。
 まぁ、それも仕方のないことか、と。カイトは思う。
 ヴェステンフルス隊の面々は、何だかんだ言って彼が――ハイネが、好きだったのだ。彼を、心から敬愛していた。
 それも、そうだ。
 そうでなくては、彼らコーディネイターは、他者に膝を屈するなど、できない。

 コーディネイターにとって、無償の忠誠など、有得ない。
 否、例えば、ザフトは国防委員会の直下に置かれている。そのザフトが、コントロールを失った国防委員会に反旗を翻すかと問われれば、それは違う。
 ザフトに、それはない。
 なぜなら、ザフトは別に、国防委員会に忠誠を誓っているのではなく、そのコントロール下に置かれているに過ぎないからだ。
 ザフトが忠誠を誓うべきは、誠実であらんとするべきは、彼らが守るべきプラント市民であって。国防委員会に従うべきであるのは、その中世を果たすために必要な義務であるからであって。
 言葉にし難いが、別に彼らザフトは、国防委員会に忠実であらんとしている訳ではない。
 彼らが誠実に忠実であらんとする存在は、プラント市民なのである。
 国防委員会に従うのは、シビリアン・コントロールの観点から当然のことであって、それに異を唱えることも逆らうこともない。
 ただし、そんな彼らを、直接統べる隊長に対するものは、また、違う。

 隊長として、自分たち兵の上に君臨するならば、隊長たる者は常に、自分たちより優れている点を見せ付けねばならない。
 それが、彼らの価値観だ。
 実力主義が罷り通るプラント……コーディネイター社会の、更に実力者揃いが犇く軍隊という組織において、それは公然たる事実であった。
 隊長たる者は、その優れたる点を常にアピールしなくてはならない。そうでなくては部下からの忠誠を勝ち取ることは、難しい。

 ジュール隊隊長を務めるイザーク=ジュールが、女性ながらに隊長職を務めるのが可能なのも、彼らのこのような気質に由来する。
 彼女が、忠誠を誓うに値する存在だからであり、彼女がそれなりの実力を有しているから、だ。だからこそ、旧ヴェステンフルス隊の隊員も、否を唱えることなく、その隷下に屈することを選んだ。
 彼女が、ハイネ=ヴェステンフルスの血縁者であるから、ではない。もちろん、彼女がハイネ=ヴェステンフルスの唯一の血縁者であるから、という観点で、その隷下を望んだものがいたであろうことは否定しないが。少なくとも自分は、それだけの観点で、彼女の旗下に入ることを選びはしない、と。カイト=オースティン――現在のカイト=オステンベルク――は、思う。
 そういう意味で、否、ありとあらゆる意味で。彼とハイネ=ヴェステンフルスは同類だったと、カイトは思うのだ。

 自分が一番大切で、自分が愛しくて、自分が一番好き。
 ハイネ=ヴェステンフルスの博愛の裏に隠されていたのは、救いがたいまでの自己愛で、だから彼は、彼と血の繋がらない者は愛せなかった。彼が自らと血の繋がらない者に傾けられたのは博愛で、有体に言うと、彼の『愛情』は、二種類しかなかった。
 曰く、『自己愛』と『博愛』である。
 彼と血の繋がったものに向ける、『自己愛』ゆえの個人向けの愛情と、彼と血の繋がらない者に向ける『博愛』という名の万民向けの愛情。
 彼が己に向けたのは、そのどちらであっただろうか。
 そう考えて、カイトは自嘲する。
 そう。答えなど、要らない。
 どちらでもいいのだ、彼は。
 どちらであっても、構わない。
 逆に、己はどちらの愛情を彼に向けたのだろうか。『自己愛』か『博愛』か。
 嗚呼、それさえも、どうでも良い。
 確かなことは、ただひとつだった。
 彼を、大切に思っていた。
 彼は、完璧だったから。
 カイトがなりたいと思った、その理想が、ハイネだったから。
 なりたいと思い、願い。努力を重ね。けれどついぞなれなかった理想を体現した存在が、ハイネだった。
 嗚呼、ならばやはり、この感情は『自己愛』なのか。
 嗚呼、どうでも良い。


――――『お前は結局、ハイネになりたかったんだろう?』――――


 そういったのは、誰だったか。
 嗚呼、そうだ。
 彼女だ。
 ハイネの、愛してやまない従妹殿。
 ハイネに似ていない、従妹殿。
 あの男が、それでも彼なりに、まるで掌中の珠の如く愛でた、彼の愛した純銀の姫君。
 彼女の、言った言葉だ。

 嗚呼、そうだ。
 きっと己は、ハイネになりたかった。ハイネのようで、ありたかった。
 ハイネが自らの描いた理想であるならば、そこに達し得なかった自分は、紛れもなく彼の模造品だった。出来の悪い、粗悪な、模造品。
 でも、それでよかった。
 自らの理想が、彼であったから。
 彼が、自らであったから。
 だから、それでよかった。
 誇り低いわけではなく、むしろ並より遙かに自尊心が高いからこそ、そう思う。彼で、よかった、と。


「でも、君もよく、目を覚ましてくれたよね」
「はい……?」


 『君』という二人称に、軽い嫌悪を覚える。
 この甘えた子供は、他者の名前さえ、覚えることが出来ないのか。
 『カイト』。口にすれば、たった3音の音の連なり。
 『Keito』。文字に直しても、たった5文字の連なりでしかない。
 それさえも、覚えられないのか。何て、お粗末な頭脳。
 もっとも、名で呼ばれれば呼ばれただけ、憎悪は噴出すであろうことも、彼は知っている。
 名を呼ばれないことは、それはそれでいいのかもしれないな、と。彼はふと、思った。


「君、ずいぶんと昔から、ジュール隊の隊員だったんでしょう?」
「えェ、まぁ……」


 随分と昔、と言っても、ジュール隊が隊として存在したのは、第一次大戦の末期からだ。
 そして、若干のブランクを挟む。
 かつての大戦のあと、彼女は査問会にかけられた。
 その間、名実ともにジュール隊は解散していたことになる。
 第一、彼はもともとジュール隊の隊員だったわけでは、ない。
 彼はもともと、ヴェステンフルス隊の隊員であり、ハイネ=ヴェステンフルスの副官だ。
 その程度のことも、分からないのか。
 ハッキングが得意と聞いていたのだが、何のことはない。この程度か、と。拍子抜けする。
 もっとも、それだけイザーク=ジュールの情報隠蔽が巧み、と言うことでもあるだろう。
 それでこそ、ハイネ=ヴェステンフルスの従妹殿。
 彼の血縁者たるに……そして自らが頂点に戴くに相応しい、ヒト。


「それなのに君は、あの人じゃなく、僕らのほうに来てくれたんでしょう?」
「ジュール隊長も、貴方たちの側の人間だと思うのですが」
「ふふふ……別にそんな建前、今更いらないよ?少なくとも、僕らの前ではね」
「……なるほど」


 得意げに笑う子供に、彼も笑みを返す。
 どちらかというとそれは嘲笑だが、目の前の子供が、気づくことはないだろう。


「そうですね……彼女と私の間には、齟齬が生じてしまった、ってところですかね」
「そう」


 別に、齟齬が生じるわけもないのだが、そう言ってみる。
 そう。齟齬が、生じるわけもない。
 誇り高い、ジュール隊長。
 貴女はまさしく、ハイネの血縁者。
 俺が誰よりも敬愛したあの人の、貴女はまさしく、唯一の血縁者。
 彼とその血を分かつ、唯一の血縁者。
 自らの身を、憎い仇に切り売りすることも厭わない、誇り高いヒト。
 真に誇り高いヒトというのは、あぁいうヒトを言うのだろう。そう、カイトは思う。
 自らを、決して誇り低いとは思わないが、例えば己が彼女のように出来るか、といわれれば、答えは否だろう。
 俺はそこまで、捨て身に離れない。それが、彼の答えだ。
 それが、男と女という、性の違いに起因するのか否か。そんなことは、分からない。
 気持ちの量が違うというわけでも、ないだろう。
 ただ彼は、そんな行為を肯んじない。そして彼女は、やれてしまう。それだけの、話。
 だから彼が、そんな彼女を疎ましく思ったり、軽蔑したり。そんなこともまた、ありえない。


「まぁ、自分の隊長が、他人の幸せをぶち壊せる人間て言うのは、信じたくありませんでしたがね」
「そうだよね……君もやっぱり、そう思うんだ?アスランはおかしいって、間違ってるって、君もそう思うよね?」
「えェ、それはもう」


 間違っている……ね。
 ただ単に女の趣味で言うなら、アスラン=ザラは見る目があると言うかな、と。カイトは意地悪く考える。
 カガリ=ユラ=アスハと、イザーク=ジュール。
 比べ物になるわけが、ない。
 少なくとも、カイトはそうだ。
 カイトが同じ立場ならば間違いなく、イザーク=ジュールを選ぶ。そういう意味では、彼はキラ=ヤマトのこの発言には、納得がいかない。
 最もこうしてイザークのほうが……と思うこの感情、それが自らの意思なのか。それともハイネらしく振舞う――影が、実態に近づかんがために自らに課した暗示ゆえなのか。
 そんなものは分からないし、関係ない。
 ただカイト=オースティンは……カイト=オステンベルクは、彼女のほうが得難い存在と思う。それだけの、こと。
 嗚呼、俺と貴方。どこまでも完全だった貴方と、模造品だった俺。それでも女の趣味は、一緒のようですよ、ヴェステンフルス隊長……ハイネ。
 そう、心のうちで呟いて、カイトは小さく笑った。
 それは彼の人への堪えきれない愛しさで、だからこそ、嘲りが唇から零れ出る。

 決して綺麗なだけの感情では、なかった。
 どこまでもどこまでも歪んだどす黒い、自己愛にも似た感情。
 カイトがハイネに向けたのも、ハイネがイザークに向けたのも、結局そんな色合いをした感情であったけれど。それでも確かに、『愛』だった。
 だからこそ、あざける。自らの思惑と外れれば、その瞬間に容易く切り捨ててしまえるほどの安い感情を、『愛』だ何て呼ぶ彼らを。


「子供の恋愛ごっこなんて、うんざりだな。そんなものに付き合う義理などない」
「何か言った?」
「いえ、何も?」


 呟いた言葉は、子供には届かなかったようだ。
 だから、彼は気さくを装って、笑う。
 どこまでもどこまでも、それは嘲笑に似ていたけれど。
 そんなこときっと、この子供には、分からない。
 それで、良い。


「これより先、あなた方に忠誠を誓いますよ、キラ様」
「僕に、じゃないでしょう?」
「これは失礼を」


 そう言って、カイトは軽く、腰を折る。
 自ら決して認めることのない存在に膝を屈するのは、多大なる忍耐をカイトに課した。
 それでも、膝を屈する。
 この程度の苦痛など、安いものだ。
 ハイネ……ハイネ……ハイネ=ヴェステンフルス。
 俺がなりたかった、俺の理想。それをそのまま体現したかのような、貴方。
 貴方を、この子供に奪われた。俺の理想を、この子供が毀した。
 それを知ったあの絶望に比べれば、この程度の苦痛は、なんと容易いことか。

 暗く笑うと、彼は腰を屈め、その顔を俯けて、表情を隠した。
 次の瞬間には、完璧な追従がその面を飾る。
 相手に阿る種類の笑みを浮かべて、彼は言った。


「ならばこれからの世界の平和のために、力を尽くしましょう」
「うん、僕もラクスも、君に期待しているよ」
「えェ、ジュール隊のことは、私にお任せください……ラクス様のために」


 追従など、いくらでもこの唇は紡げる。
 心に思わぬ言葉でも、心を込めているかのように振舞うのは、容易い。
 まして、こんなにも取り入り易い相手だ。
 あぁ、いけない。相手を侮るあまり、隙を見せるのは、愚か者のすることだ。
 大望を果たすため、自分自身をも、これからは暗示し続けねばならないのだから。
 自分自身さえも、彼らに忠実であるかのように、振舞わなくては。そして完全にその暗示に没頭しては、ならない。常に冷静な部分を残して、振舞う。
 それが自分に可能であるかと、己に問いかけ。
 彼の冷静な頭脳は、可能であるという答えを弾き出した。
 ならば、大丈夫だ。

 この身は不完全であり、彼が理想としたものとは、程遠い。彼が理想とし、その理想をそのまま体現したかのような存在は、喪われてしまった。
 奪ったのは目の前の子供で、だから厳密な意味では、自分はこの子供に及ばないことになる。
 けれど、それはMS戦に限った話でのこと。
 それ以外の場で、この子供に劣ることは、ない。
 己は、影だ。
 ハイネ=ヴェステンフルスという、輝かしい存在の、影なのだ。
 ならばこそ、その影は彼の影たるに相応しくあらねばならぬ。
 その全てを、踏まえて。
 彼はその全てが可能である、と。そう判断した。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。
 俺なら、大丈夫。
 そしてそれが可能であるほどの実力があることを、彼は認識していた。
 そうでなくては、特務隊隊員をも務めるハイネ=ヴェステンフルスの、その副官など務めていられない。

 にこやかな笑みさえ口元に刻みながら嘲笑を送る彼に、子供は誇らしげに笑う。
 再びその面を俯けて、彼は表情を隠した。
 ぐっと瞳を閉じる。
 瞼に浮かぶのは、唯一無二の、あの存在。
 彼が誰よりも敬愛した、唯一の人。
 その姿を、思い浮かべる。

 心は静まるのではなく、憎悪が噴出して。
 それを苦労して、なだめながら。
 こみ上げる憎悪を、愛しいと、思った――……。



**




「あぁあぁぁあぁあぁぁぁぁあああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁああああああああああああああ」


 言語不明瞭な、もはや音声としか認識できない羅列が、締め切られた部屋から聞こえる。
 狂おしいその声は、血の色をしていた。


「ハイネ……ハイネ……ハイネ……ハイネ……ハイネ……ハイネぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええ」


 扉の前には、二人の人間。
 他の隊員の姿は、そこにはない。
 一人は腰まである長い、漆黒にも似たこげ茶色の髪を緩く束ねた赤服の少女――シホ=ハーネンフース。
 もう一人は、金の髪を撫で付けた緑服の青年――ディアッカ=エルスマン。
 彼らの眼前に立った緑服の青年に、目を瞠り。
 厳しい目で、睨み付ける。
 二人の様子に、彼の背後に控える面々も、息を呑んだ。
 いきり立つ激情のままに前進しようとする面々を、押しとどめる。


「控えろ」
「しかし、オースティン副官」
「控えろ。
 ……失礼。ヴェステンフルス隊副官、カイト=オースティンだ。ジュール隊長に、お目にかかりたい」
「隊長は……」


 ちらり、と。
 シホが、扉のほうに目を走らせる。
 止め処なく洩れ聞こえるのは苦鳴の声であって、とても彼女が今、他者と話を出来る状況ではないことを、物語っている。
 しかし、そう。これは一つの、踏み絵なのだ。

 ハイネを喪ったヴェステンフルス隊は、ハイネ自身が生前遺したらしい希望と国防委員会、ひいては議長の命によってジュール隊に籍を移されることが決定した。
 ヴェステンフルス隊内部にも、それを歓迎する声は、多い。
 彼ら皆が敬愛した、ハイネ=ヴェステンフルス。その強烈な個性、カリスマ性を目の当たりにした彼らにとって、今更他の人間を頭上に戴くなど、考え難いことなのだ。
 戴かねばならぬと言うのならば、彼と同等の実力を有し、同等のカリスマ性を有した存在でなくては、肯んじない。
 彼の唯一の血縁者であり、ザフトで隊長職を務めるハイネの従妹殿――イザーク=ジュール――に、だから彼らは期待しているのだ。
 彼女ならば、彼と同等の実力を有し、彼と同等のカリスマ性を有しているのではないか、と。そう、期待している。
 ならばこその踏み絵……試金石なのだ。
 ただ悲しみに打ちひしがれるだけの『女』に、用はないのだ。
 その悲しみを、いかに昇華するのか。彼らにとって重要なのは、そこだ。
 そうでなくては、例えハイネ=ヴェステンフルスの血縁者であろうと、頭上に戴くには、値しない。


「……イザーク」
『……なんだ』


 扉越しに、ディアッカが声をかける。
 返った言葉は、先ほどまでの血を吐くような言葉からは想像できないほど、静かなものだった。


「ヴェステンフルス隊の副官殿が、お前に面会を要請している」
『ヴェステンフルス隊の……?……入っていただけ』
「了解。
 どうぞ、ご入室ください」
「こちらの要請を受諾していただき、感謝する。……来い」


 背後に付き従うヴェステンフルス隊隊員を促し、入室する。
 血を吐くようにないていた少女は、宛がわれた隊長用の席に、座してはいなかった。
 凛としたその姿はいっそ高慢なまでに誇り高く、その場に佇立している。
 印象的な蒼氷の瞳は、硬く閉ざされていた。


「失礼いたします。ヴェステンフルス隊副官、カイト=オースティン。並びにヴェステンフルス隊隊員、ジュール隊長にお目にかかりたく、参上いたしました」


 その言葉に、髪よりも鈍い純銀の睫毛に閉ざされた蒼氷の瞳が、緩やかに見開かれた。
 硬質な唇が、ゆっくりと開かれる。


「ジュール隊隊長、イザーク=ジュールだ。ご足労戴き、有難く思う」


 声は、嗄れていた。
 ヴェステンフルス隊の面々であれば、多かれ少なかれ、ハイネとともにあったイザークの姿を、目にしている。
 その時とはあまりに違う彼女の様子に、虚をつかれたものも、多かった。
 挙句、彼らは耳にしたのだ。
 先ほどの、彼女の叫びを、嘆きを、慟哭を。
 それさえも感じさせぬ冷静さを装う彼女の、握り締められた拳は、震えていた。
 必死に、その激情を飲み下す。
 嗚呼、と。カイトは思う。
 やはり貴女は、ハイネの従妹殿。
 彼の輝かしき存在の、唯一の血縁者。

 気がついた時には、カイトは跪いていた。


「評議会議長並びに国防委員会の命、そして我らが隊長、ハイネ=ヴェステンフルスの遺志により、我らヴェステンフルス隊隊員一同、これよりジュール隊長の旗下に入ります。何なりと、ご命令くださいますよう」


 会との言葉に呼応するかのように、後ろに控えた旧ヴェステンフルス隊隊員が、次々と跪く。
 純銀のその人は、彼らに向かって微かに、笑った。


「貴官らの忠誠に、私は誠意を持って応えよう。……ザフトのために」
「ザフトのために!」


 イザークの言葉に、その場の隊員たちが、応える。





 理想を喪った青年と
 恋人を喪った少女。
 二人が抱えた喪失の痛みが、交錯した。
 独り善がりであることは、分かっていた。
 代償を求めることが愚かであることなど、分かりきっていた。
 それでも、二人は手を組んだ。
 それが世界を、ともすれば脅かすことなど、分かりきっていたけれど。









鳴り響くは、阿鼻叫喚の鎮魂歌《レクイエム》

流血を啜る宇宙《ソラ》

陰惨極まりない地獄絵図

高らかに鳴り響くファンファーレ

さぁ、運命の輪よ

鮮血を吐き散らして、この掌の上で、狂おしく廻れ!









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 お久しぶりです。
 『屍衣纏う修羅』をお届けいたします。
 復讐事前準備というか、事前準備その一と言うか。
 イザークさんの仲間のお話でした。
 『楽園』に出てきたヴェステンフルス隊副官が、彼女のもう一人の理解者です。
 オリキャラが出張りまくってて、すみません。

 ヴェステンフルス隊の隊員さんがジュール隊長の旗下に入っているのは、あのレクイエム事件の時に、オレンジショルダーのハイネ隊の皆さんが、隊長と一緒に行動していたのを見て、私がそう認識したからです。
 ひょっとしたら違うかもしれないけど、まぁ、それもありかな、という。
 私の認識では、彼らは(我が家の設定ですと)オースティン隊長(副官から繰上げ)の指揮下で、オースティン隊の大隊長がジュール隊長かな、と。
 そういう認識です。

 挙句、カイトさんがえらい恐ろしい感じになりました。
 ハイネ様みたいな人間、二人もいたら大変だ(笑)。
 ちょっとハイネ様に対する感情がアレですけど、私、殿方同士の親友関係て、スレスレだと思っているんですよね。
 愛情スレスレの友情みたいなの。そういうのありかなって。
 だから、こういう風になりました。
 しかし、この連載はアレですね。
 色々な意味で、危険度高いですね。
 ハイネとミゲルもアレな感じなんですけど、挙句にハイネ←カイトだし、イザークとミーアは百合っぽいし。

 次はまた、『楽園』のほうかな、と。
 楽園終了後、また、お会いできましたら幸いです。
 楽園のほうも、見ていただけたら嬉しいな。

 ここまでお読み戴き、有難うございました。