どうして と思った

どうしてそんなに 浮かれていられるのだろう

どうして?

あんなに泣いて

あんなに犠牲を払って

そして得た平和に 浮かれていられるのだろう?

それとも 喜べない俺が

あいつの死をいつまでも引き摺る俺が

愚かだと 言うのだろうか――……






〜血色の『平和』〜





「イザーク」
「ハイネか。どうした?」


 軍本部で、声をかけられた。
 相手は、ハイネ=ヴェステンフルス。
 俺より二歳年上の彼は、死別した恋人の先輩で。
 俺にとっても、兄貴分なやつだった。

 嬉しそうに駆け寄ってくる様など、大型犬を連想させる。
 クールな外見とは裏腹の、そのギャップ。
 そして、何くれとなく構ってくる。
 ハイネのそんなところに、俺は弱かった。
 それにハイネはミゲルに――死んだ恋人に、やっぱりよく似ているのだ。


「いいニュースがあるんだ、イザーク」
「吉報だと?何だ?大体、何で隊長の俺が知らないことを、貴様が知っているんだよ?」
「あ、それ?その理由はだなぁ……」


 徐にハイネは、ポケットに手を突っ込んだ。
 何やら握って取り出す。
 そのまま掌をゆっくりと、開いた。
 そして現れたものに、俺は絶句したのだ。


「Faithの徽章……!?」
「そっ。議長権限ってやつでね。昇格したんだ」
「何ィ!?」


 ハイネの言葉に、俺は思わず声を荒げた。
 何だって……何だってハイネが、昇格!?
 いや、俺も赤から白に昇格したが。
 しかしそれでも、Faithへの昇格は特別なことで。
 Faithの徽章だって、特別で。
 なのに何でそれを、無造作にポケットに突っ込んでいるんだ、貴様は!?

「ほら。イザークも憧れていただろうFaithの徽章、触ってみる?」
「いい!」
「別に触っても構わないよ?イザーク?」
「いつか自力でFaithに昇格してやる!だから、いい!」


 言い返すと、ハイネは一瞬きょとん、として。
 それから、堪えきれないとばかりに爆笑した。
 あーあーもう、俺が悪かったよ!
 だからそんなに爆笑するな、貴様は!
 腹を抱えて爆笑する男に、俺は憮然となる。
 どうせ、言い返したのがおかしいとか、言い返した内容がツボにはまったとか、そんなとこだろ。

 しかし、憮然となる俺とは対照的に、ハイネの笑いの発作はいつまでたっても治まらない。
 ……いい度胸だな、ハイネ=ヴェステンフルス。
 絶対に、シバいてやる。
 ふふふ……と薄笑いを浮かべると、さすがのハイネも笑いを治めた。


「いや、お前を馬鹿にしたわけじゃないよ、イザーク。お前らしいなって、思っただけだ」


 ハイネの言葉に、握り締めていた拳から力が、抜けた。
どうして貴様が、そんなことを言うんだよ……。
 その声で……その声でどうして。そんなことを、言う……?


『お前らしいな』

『イザークらしいな』



 それは、ミゲルの口癖。
 そう言ってあいつは、俺を認めてくれた。
 あいつはいつも、『俺』を認めてくれて……。


「イザーク?」


 急に黙り込んだ俺に、不審を覚えたのだろうか。
 ハイネが、顔を覗き込んでくる。
 それに、大丈夫だと答えた。
 大丈夫……大丈夫だ。
 まだ……大丈夫。
 まだ、立っていられる。
 大丈夫だ。まだ……。


「話がそれたな。吉報とやらを聞こう、ハイネ」


 声が、震える。
 けれどハイネはきっと、知らん顔をしてくれるのだろう。
 俺の意地っ張りな性格を、ハイネは知っているから。
 きっと、見てみぬふりをしてくれる。
 それは、確信だった。

 案の定、ハイネは気づかないふりをして、会話を続けてくれた。


「ジュール隊に一人、隊員が増える」
「隊員が?……それのどこが吉報だ。アカデミー出のヒヨッコなんぞ、うちの隊には要らんぞ」
「緑だけど、腕は確かだ。勿論、そこそこのベテラン」
「ほう……?」


 それならば、願ったりだ。
 ジュール隊は、今現在主に前線に派遣されることが多い。
 にもかかわらず、新兵が割といて。
 これ以上、新兵は増やしたくなかった。

 ベテランといえども、初陣は存在する。
 初陣を乗り越え、数多の戦場を潜り抜けて始めて、新兵はベテランへと成長する。
 しかしその初陣を生き残ることが、もっとも困難なのだ。
 配属されてきた新兵のうち何人が、成長する権利と機会を与えられるだろうか。
 それを思うと、今から暗澹とした気持ちになる。
 だからこれ以上、新兵は要らなかった。
 勿論、ベテランだといっても、戦死しないわけじゃない。
 それでも、ベテランのほうが、戦死の可能性はずっと低い。
 嫌なんだ。
 これ以上、目の前で仲間が死ぬのを見るのは、嫌だった。

 ならば戦場に出なければいい、と言われるかもしれないが。自分の知らないところで同胞が死ぬのも嫌だった。
 よって、俺は自ら戦場に出る以外、道がないというわけだ。


「名前を聞いてもいいのか?」
「新しい隊員?聞かなくても、イザークのよく知るやつだ」
「え……?」


 まじまじと、ハイネを見つめる。
 俺の人見知りの激しい性格を、知らないのか?
 あんなに一緒にいたのに?
 少し呆然とする俺なんて歯牙にもかけずに、ハイネは笑っている。
 笑いながら、俺にファイルを手渡した。
 そこにあった顔写真に、凍りつく。
 それは確かに、俺がよく知っている存在だった。


「ディアッカ……」
「そ。お前の下僕。罪を許されて、復隊だってさ。良かったな、イザーク。お前の訴えを、議長はどうやら容れてくださったようだぞ?」
「ハイネ……」
「良かったな?……これが、吉報だ」


 胸を詰まらせる俺に、ハイネは酷く、優しい眸を向けた。
 ディアッカ……俺の幼馴染。

 あいつが、あいつなりの正義でもって、ラクス=クラインの側についたことを、知っている。
 その時、ザフト兵に攻撃を加えてしまったことも。
 あの時は、それを許せないと思ったけれど。
 でも結局俺は、軍法会議であいつを弁護し続けていた。
 共に過ごした日々は、決して短いものではなく、それによって芽生えた情が、俺にあいつを弁護させていた。
 だから、与えられた恩赦が、嬉しかった。
 だから、渡されたファイルを抱きしめて……。


「ちょっと、妬けるね……」
「ハイネ……?」


 そんな俺に、ハイネは小さく呟く。
 寂しげな眸に、声が出ない。


『俺、お前が好きだよ。……生きてて嬉しいし、これからも生きて欲しい』



 俺自身の軍法会議で恩赦が下ったとき。
 処刑してくれ、と喚いた俺に、ハイネはそう言った。
 それ以降、ハイネの口から、俺への気持ちを聞いたことは、ない。

 ミゲルは死んだのに、こんなことを言うのは卑怯だと思っている。そう言ったハイネは、その気持ちのまま、何も言わずにいてくれているのかもしれない。
 俺は、ハイネの気持ちに応えられないから。
 だから、何も言わず。以前のまま……。
 そして俺は、そんなハイネに、甘えていた。
 それを、自覚している。

 でも、心地よくて。
 そうやって甘やかしてくれるハイネの傍は、心地よくて。
 気持ちに応えることは出来ないくせに、離れられずに甘えていた。
 ……ずるいやつだな、俺は。


「ほら、イザーク。たぶん着任の挨拶に来るだろうから、執務室に戻ってろよ」
「あ……あぁ」
「あまりシホちゃんの手を煩わせるんじゃないぞ?」
「なっ……!煩わせた覚えはない!」


 声を張り上げる俺に、ハイネはカラカラと笑う。
 それから徐に。
 チッチッチッ、と指を左右に動かした。


「今日の昼は、どこのメーカーのサプリメントかなぁ?」
「ぐっ……!」
「頭のいいジュール隊長は、よもやサプリメントが食事の代わりになる、なんていう風には、思ってないよなぁ?」


 ニコニコ、とハイネが微笑む。
 しかし、どこか黒いものを感じるのは、俺の気のせいだろうか。
 表情を強張らせる俺に、ハイネはポン、と紙袋を渡す。
 ……何だってこんなもの、持っているんだよ。
 黙殺していた軍服に不似合いな茶色の紙袋は、俺に渡すために持ち歩いていたらしい。
 俺に会えなかったら、こいつはどうするつもりだったんだろうか。
 ちょっと意地悪く、考えてみる。


「何だ、これ?」
「ん〜?サンドウィッチと、スコーン。それぐらいだったら、昼に食べられるだろ?」
「いや……その……」
「食べられる……よな?」


 断ろうとした俺に、ハイネが笑顔で凄む。
 これじゃあ、拒否することも出来ないじゃないか。

 でも、本当は。
 食べたくなんて、なかった。

 ミゲルが死んでから、俺の胃は食事を受け付けなくなった。
 食べれても、一日一食が限度。
 それ以上食べると、吐いてしまう。
 それでは栄養が取れないから、足りない栄養素はサプリメントや、点滴で補っていた。
 シホとハイネは、それを知っている。


「食べなきゃ、駄目か……?」
「当たり前だろ。いい加減、身体を壊す」
「欲しくないんだ」


 躯が、全然栄養を欲していないのだ。
 躯よりも精神が、栄養を欲している。
 ミゲルに、俺はどれだけ依存していたのか。こんな時に、思い知らされて。
 でも、ココロが希求するんだ。
 ココロが、ミゲルを求めてやまない。
 カラダよりもココロが、栄養を欲していた。
 愛する人が……愛してくれる人が傍にいる、ただそれだけのことを、ココロは望んでいた。

 いつまでたっても、俺の心は晴れなくて。
 いつまでたっても、俺の心はミゲルを探してふらふらしていた。
 結局俺は、ミゲルの死さえも、認められていないのかもしれない。


「何か一つでもいいから……さ。食べてくれよ。チョコチップのスコーン、イザーク好きだっただろ?」
「……あぁ」


 好きだった。
 でも、それさえももう、躯が欲しないんだ。
 大好きだったものも、躯が欲しなくて。
 俺のカラダもココロも、ミゲルだけを欲していたのかもしれない。


「俺の執務室に来るか?イザーク」
「ん?」
「紅茶、淹れてやる。それ飲んで、自分の執務室に戻るか?ディアッカの着任の挨拶、受けなきゃいけないだろ?」
「あぁ……そう、しようかな」


 ハイネの紅茶は、好きだ。
 紅茶マニアだけあって、ハイネの淹れる紅茶は、絶品で。
 ミゲルも、こればかりは敵わないと悔しそうにしていたのを、思い出す。

 ハイネの紅茶を戴くのも、悪くない。
 それに、そしたら少しは、食事も出来そうな気が、する。
 ハイネは、俺を甘やかしてくれるから。

 勿論、厳しいときは厳しいけれど。
 何て言うんだろうか。
 包容力のようなものが、あって。
 それに包まれていると、少し幸せな気持ちに、なれるから。
 少しは、食べられるかもしれない。


「ん?」
「ハイネの紅茶、飲みたい。淹れてくれ」
「ご随意に。……じゃ、俺の執務室に行きますかね」


 おちゃらけた調子で、ハイネが言う。
 それでも、鋭い緑柱石の瞳はきっと、俺が抱え込んだ葛藤だとかそんなものは全て、見逃さないのだろうけれど。
 結局俺はそうやって、ハイネに甘え続けている。
 最低だな、本当に。


「いい紅茶の茶葉が手に入ったんだよなぁ……いやぁ、良かったよ、本当に。一人で飲むのは勿体無いと思ってたから」
「そう……か」
「だから、イザークが付き合ってくれて、嬉しい」


 そう言って、にっとハイネは笑った。
 似ていないのに。
 顔は、似ていないのに。
 些細な表情とか、声とか。本当に極些細なものが、似ているように感じられて。
 胸が、詰まる。
 それなのに、その笑顔に。その声に。その優しさに、癒しではないけれど、落ち着きを感じる自分も、確かに存在していて。
 時々もう、何が何やら分からなくなる。

 けれどミゲルはもう、どこにもいなくて。
 だから余計に、俺は俺自身が心変わりすることが、許せなかった。
 ミゲルは、戦死してしまった。
 殉職してしまったのに、生き残った俺が簡単に心変わりしては、ミゲルに申し訳なかった。
 本当に、好きだったんだ。
 ミゲルのこと、本当に好きだった。


「行こうか、イザーク」


 物思いに沈む俺に、ハイネがそう言って声をかける。
 それに、微かに頷いて。
 肩を並べて、ハイネの執務室に向かった――……。



**




「本日よりジュール隊に派遣されました、ディアッカ=エルスマンであります」
「隊長のイザーク=ジュールだ。よろしく頼む」
「はっ!ザフトのために!」


 型どおりの挨拶をして、二人揃って吹き出した。
 それに、少し安心する。
 変わっていない。
 昔のままのディアッカが、そこにいたから。


「久しぶり、イザーク」
「あぁ、久しぶりだ。よもや貴様が復隊するとは思わなかったが……」
「ま。俺だって色々考えてんだよ、イザーク。
せっかく手にした平和だしな。それが短期間の講和に終わらないようにするのも、先の大戦を経験したものの務めじゃないか、ってね」
「……そうだな」


 ディアッカの言葉に、頷く。
 平和……これが、『平和』なのだろうか。
 こんな、血で贖った泡沫の講和が、『平和』と。そう言えるのだろうか。
 俺には、やっぱりそう思えなかった。
 どうして、流血の果てに手にした平和に、浮かれるのだろう?浮かれられるのだろう?
 こんなもの、いつかまた潰えてしまうに決まっているのに。
 どうして、浮かれていられるのだろう?
 平和になっても、失った命はもう、戻らないというのに……。
 何故、笑えるのだろう?
 それとも、笑えない俺が、愚かだというのだろうか。
 いまだにかの人の死を引き摺る俺が……俺こそが、愚かなのだろうか。


「しかし、貴様をジュール隊に派遣するとは……議長はよほど、貴様の能力を高く買っているようだな」
「え?イザークが、俺の配属を求めたんじゃないのか?」
「いや……?俺も先ほど、貴様の復隊とジュール隊への配属を知ったんだぞ?」
「でも……」


 言い淀むディアッカに、言葉を促す。
 黙っていられても、話は進まない。


「どこかの隊の隊長が、人事に提言したって聞いたけど?」
「え……?」


 ディアッカの言葉に、今度は俺が絶句する番だった。
 いかに白服とは言え、人事にまで口は挟めない。
 そんなことが出来るのは、議長直属で、議長に直接意見を述べることの出来る、Faithくらいで……。
 待てよ?Faith……。


「あ……!」


 ひょっとしたら、と思った。
 そうだ。だからハイネは、配属先の隊長である俺よりも先に、ディアッカのジュール隊配属を知っていたのだろう。

 ハイネに、礼を言わなくては、と思った。



 ディアッカの顔合わせや引継ぎが済んでから、ハイネの執務室に向かった。
 昼過ぎにも訪れたのだから、特に目を引く変化はなく。
 ただハイネが、虚脱したように椅子に腰掛けている姿が、印象的だった。


「ハイネ……」
「イザークか?どうした?」
「その……お前が、人事に意見してくれたんだってな……」


 当局の人事を掌握する部署に問い合わせたところ、議長御自らディアッカをジュール隊に配属するよう指示があったらしい。
 それも、特務隊から提出された意見に基づいて、と言うことだった。
 特務隊、ハイネ=ヴェステンフルスが提出した意見に基づいて、ディアッカは俺の隊に配属となった。


「意見も何も……イザークはディアッカが近くにいたほうが、暴走抑えられますよ、って議長に言っただけだ」
「でも……」


 しかし、人事に口を出す、などと。
 無理をしたのでは、ないだろうか。
 いかに特務隊Faithとは言え……議長以外、何人もその行動を掣肘出来ない立場にあるとは言え。
 否、だからこそ。
 無理をしたのでは、ないだろうか。
 仕事にプライベートを持ち込むなど、ハイネが最も毛嫌いしていることだろうに。

 特務隊は、確かに数多くの権力を一手に担っている。
 だからこそハイネは、それを不必要に行使することを嫌っていた。
 否、嫌っていると思っていた。
 ハイネ=ヴェステンフルスという男は、そういう男だったから。
 それなのに彼は、その権力を行使したのだろうか。
 ディアッカを、俺の隊に配属させるために……。


「嬉しかった?」
「え?」
「ディアッカがジュール隊に配属になって、イザークは嬉しかった?」
「それは……勿論」


 嬉しいに、決まっている。
 気心の知れた、幼馴染だから。


「そう?じゃ、俺も嬉しい」
「ハイネ……」


 俺の瞳を覗き込んで、ハイネが笑う。
 でも……。
 でも、ハイネ。
 お前、無理をしたんじゃ、ないのか……?


「無理をしたんじゃないのか?緑に降格とは言え、ディアッカを俺の隊に配属なんて……」
「それは……」
「無理、したんだろ?」


 言葉にされなくても、分かる。
 新任の特務隊が人事に口を出す、なんて。
 無理をしたに、違いない。
 それなのに何で、それを言ってくれないのだろう。


「イザークが喜んでくれるんだったら、それだけで十分だ」
「ハイネ?」
「好きな人には、笑っていてほしいわけですよ、俺は。だから、イザークが気にすることじゃない。俺が好きでしたんだから」


 俺は、応えられないのに。
 ハイネの気持ちが真剣であればあるだけ、応えられないのに。
 なのに何で、こいつはこんなにも優しいのだろう。
 言葉が、詰まる。


「ミゲルが好きでいいよ。ミゲルが好きなイザークが、俺は好きだから」


 胸が、痛い。
 応えられないからこそ余計に、ハイネの気持ちが、痛かった――……。









 それはまだ、俺がハイネを愛する前のこと。
 ミゲルが好きで、ミゲルが大切で。
 それなのに、ハイネの傍に安らぎを見出して、甘えていた。
 そんな日の、こと――……。



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 なにやら最近、まともじゃないイザーク率が高く。
 屍衣のイザークだって、もともとはまともな子だったんだよな、って。
 思ったら、イザークの過去が書きたくなりました。
 そういう突発さで書いてしまった『Elysium』ですが、ハイイザ。
 久しぶりなので、楽しいです。
 後々は、ミーアも登場します。
 このあとイザークが辿る道は、屍衣なのですが。
 少しでも、その道を選び取った理由として意識していただけましたら、幸いです。

 ここまでお読みいただき、有難うございました。