『罪』を抱いて眠る

明け方に見た『夢』は

夜明けに惑う星のように

闇に淡く 滲んだ――……










-夢に、滲む…-









 空中をたゆたうような不思議な浮遊感の中、ふと、目が覚めた。
 どうやら、意識を飛ばしてしまったらしい。
 参ったな、と。思った。

 ミゲルが、好きだった。
 彼だけを、愛していた。
 他の人間を愛するなんて、そんなこと。そんなこと、思いもしなくて。
 そんなこと、考えてもいなくて。
 一緒このまま、もう誰も愛することなく生きていくのだと思っていた。
 肌を合わせるのはだから、ずいぶんと久しぶりのことで。
 その感覚さえも殆ど忘れ果てた躯は、呆気なく陥落してしまったらしい。
 ハイネに、悪いことをしてしまったんじゃないかと、思った。

 俺を甘やかしてくれる、年上の従兄。
 そして、腹違いの、兄。


「ハイネ……?」


 腕を伸ばして、シーツを捲り上げる。
 隣に、彼の姿はなかった。
 疼くような鈍痛を引きずりながら、身を起こす。
 ハイネの姿は、ベッドの、俺の足の方にあった。
 淵に腰掛けて、頭を、抱えて。
 裸の上半身の下は、ブラックジーンズで覆われている。
 シャワーでも浴びたのだろうか。オレンジ色の髪は、濡れていた。


「ハイネ……?」
「あぁ、起きたか?」
「あぁ、起きた」
「シャワーでも浴びてくるか?風呂の用意は、一応しておいたんだが……」
「……何故、俺の方を見ない?」


 低い声で、尋ねた。
 さっきからハイネは、全く俺の方を見ようとしない。
 虚空を見つめながら、ただ言葉だけは優しいものを、かけてくる。
 そんな優しさが通用するわけ、ないのに。


「……後悔している、と言うわけか?」
「……しているよ」
「なら、忘れてしまえ」


 静かに尋ねると、ハイネは俺の言葉を肯定した。
 傷つく必要などどこにもないのに、それにほんの少し傷ついたと感じる俺自身が、滑稽に感じた。


「忘れられるわけが、ない」
「なら、俺を殺すか、ハイネ。……いや、異母兄上。あの時、殺そうとしたように……」


 ハイネが漸く、俺を振り返った。
 その瞳にある光に驚愕の色が濃いことに、今更ながら笑みが浮かぶ。
 忘れてしまったと、思っていたのだろうか。
 コーディネイターの記憶力で、そう簡単に忘れられるわけが、ないというのに。


「貴様自身のアカデミー卒業の日、貴様は俺を殺そうとしたじゃないか」
「何で、それを……」
「覚えているのかって?忘れられるわけがない。……俺は小さい頃からずっと、命を狙われていたんだ。些細な癖は全て、覚えていられるように必死に訓練したさ。俺自身の命を、守るために」
「……盲点だったな」


 諦めたように、ハイネが笑った。

 覚えている。
 覚えているさ。
 深紅の軍服を纏ったザフト兵のこと。
 覚えているとも。
 俺を殺そうとした、男のことぐらい。


「何でそれなのに、お前は俺と付き合っていられるんだ?」
「……ミゲルの尊敬してやまない先輩だったから、だな」
「なるほど。あいつが俺を先輩先輩言って慕ったから、付き合っていられたんだ?」
「最初は、怖かったさ。心の底から、恐怖を感じた。でも俺は、『知って』しまったから。俺がどんな存在であるか、知ってしまったから」


 殺されるのも、仕方のないことかと、諦めた。
 恐怖は、なくなった。
 だって、仕方のないことだから。


「ハイネ。貴様には、俺を憎み、母を憎む権利がある。そして、俺たち二人の命を奪う権利が」
「……『兄』として?」


 嘲るように、ハイネが鼻で笑った。
 怜悧な美貌に浮かぶ酷薄な表情が、彼の美貌により一層の華やぎを添えている。
 酷薄が、絵になる男なのだな、と。俺は思った。


「伯母上の、子として、だ……」
「……母は、お前たち二人を憎んではいなかった。軽蔑してもいなかった。ただ、哀れんでいた」
「……知っているさ、それぐらい。でも伯母上とお前には、その権利があった」


 命を。
 生物の倫理を捻じ曲げた。
 それを裁く権利が、あるとすれば。
 それはその被害者となった伯母と、彼女の遺志を継ぐ息子にこそ、ある。
 少なくとも俺はそう、考えていたから。


「……殺さないさ」
「あぁ、そうか」
「殺せない」
「そう」
「だってお前は、この世で唯一俺と同じ血を半分分かつ、異母妹だ。……殺せるわけが、ない」


 そう言って、ハイネは俺を強く抱きしめた。
 冷たい肌の感触に眉を寄せる間もなく、強い力でその胸に押し付けられる。
 裸の胸に押し付けるように抱きしめられて、苦しい。
 息が出来なくて、微かに喘ぐと、頭上からくぐもった笑い声が降りてきた。

 歪んでいるな、お互い。



 異母妹だから、殺せないんじゃ、ないだろ?
 お前と血が繋がっているから。半分同じ血を共有しているから、殺せないんだろ?
 俺もお前も結局、『キョウダイ』しか、愛せないから。

 歪んでいるな、お前。
 歪んでいる。俺も。
 何て何て、よく似た異母兄妹だろう。


「……後悔するなら、それは……」
「ん?」
「それはお前を、俺の罪に引き入れたから、だ」
「……今更?」


 彼の唇が紡ぐ言葉は酷く、真剣で。真摯な色を帯びているのに。
 彼の唇が紡ぐ、その声は酷く、愉しげで。
 愉悦に、揺れていた。
 本当は毛ほども、そんなこと思っていないくせに。
 否、思っていたとしても。それは決してお前にとって、罪悪感を感じるようなものじゃ、ないんだろう?
 お前と半分同じ血を繋ぐ俺が、同じところに堕ちてきて、嬉しくて。嬉しくて、仕方がないんだろう?
 ……俺と同じだよ、ハイネ。


「シャワー、浴びたい」
「どうぞ、お姫様。風呂の用意も出来ている。ゆっくり浸かってくるといい」
「有難う」


 喘ぎながら自らの願望を口にすると、ハイネがゆっくりと躯を離しながらそう、言った。
 湿った髪が、くすぐったくて。
 冷えたその感触を、少しいぶかしむ。


「……髪、冷たい」
「あぁ、湯冷めしたかもな」
「……すぐに分かる嘘は、つかないほうが懸命だな、ハイネ」


 呆れたように俺は、溜息を吐いて。
 ハイネの髪を、引っ張った。


「バスルームに連れて行ってください、異母兄上」
「……了解」
「ついでに貴様も、ちゃんと温まれ。水風呂に入る馬鹿が、どこにいる。ったく……」


 ぼやくと、ハイネの美貌がクシャリと歪んで。
 諦めのような……参ったと言いたげな、そんな笑顔が、取って代わった。


「敵わないな」


 そう呟いた彼の言葉に、聞こえない振りをして。
 手を、伸ばす。
 手の甲に恭しく口付けを施すと、ハイネはシーツごと俺の躯を抱きかかえて。
 そのまま悠然と、バスルームに向かった――……。



**




 窓から差し込む光の眩しさに、俺は覚醒を促された。
 隣にはやはり、ハイネの姿はない。
 昨日と変わらない状況に若干のデジャ・ヴュを感じながら、俺はシーツに包まれた手足を伸ばす。
 彼の寝室のカーテンは、遮光カーテンだったようだからきっと、先に起きたハイネがカーテンを開けたのだろう。
 プログラムに管理されたプラントは、今日も快晴だった。


「起きたか、イザーク」
「あぁ……おはよう」
「おはよう。よく眠れたみたいだな」


 寝室に入ってきたハイネが、ベッドの縁に腰掛けて、俺の顔を覗き込む。
 それに、頷いた。
 昨日の晩、一度目が覚めてしまったとは言え、確かに良く眠れた実感が、あったから。

 日が昇ってしまったのに眠りに就いていたなんて、どれぐらいぶりのことだっただろうか。
 少なくとも、ミゲルが死んでからは一度も、なかったことのように思う。

 毎夜毎夜、ソファに蹲って、明けない夜を見上げていた。
 朝日が昇って、空が白み始めて漸く、僅かに眠れる気がして。一人ではない気がして、眠りに就く。
 それが、当たり前になっていた。
 こんなにも眠ったのはだから、本当に久しぶりのことなのだ。


「食事にするか。……といっても、軽いものしかないけどな」
「……すまない」
「いいよいいよ、気にするな。無理をさせた、俺が悪い。それにお前が、ちゃんと眠ってくれたみたいで、俺は嬉しいよ」


 笑って、ハイネはそう言った。
 その気遣いに、罪悪感を刺激されつつ……でもどこか、安心する。
 彼と結んだ情交も、そういえば、そんな感じのものだった。

 払拭されない、罪悪感。
 でも、どこか安心した。
 まるで、母親の胎内で同じ胎衣に包まって眠っているような、そんな不思議な安堵感と安らぎ。
 もっとも、俺とハイネは双子なんかじゃなくて。母親が違うのだから、そんなこと。ただの気のせいだろうけど。

 もぞもぞと起き上がって、服に手を伸ばす。
 軍服しかないが、仕方がない。
 けれどそれより先に、ハイネが服を差し出した。


「何だ?」
「まさか、オフで軍服着る気?真面目なジュール隊長は、違うねぇ」


 揶揄するような口調のハイネに、眉を寄せる。
 確かに、普通オフにまで軍服は着ない。
 けれど、問題ない筈だ。
 今は、平和な時代の軍人ではなく。戦時下の軍人に、逆戻りしているようなものだから。
 オフ……それももう、あまり取れなくなるんだろうな。
 戦時下ともなれば、休暇は用意には、取れなくなるから。


「俺の服でいいだろ?サイズは合わないだろうけど、気にするな」
「いや、しかし……」
「……皺の寄った軍服、お前着たい?」


 ハイネは笑いながら、そう言った。
 その言葉が、昨夜のことを連想させるような気がして、頬が上気する。
 両頬が熱を持つのが、自分でも分かって。
 ニヤニヤ笑うハイネを尻目に、ぶっきらぼうに答えることしか、出来なかった。


「……服、借りる」
「素直でよろしい。……待ってな、よさそうなの、見繕ってやるから」


 言って、ハイネはクローゼットに向かい合った。
 ミゲルより細身で、ミゲルよりやや身長の低いハイネだけど、やっぱり性別の違う俺よりは、しっかりした躯に長身だから、服のサイズはとても、合わないだろうな、と。ぼんやりとしながら思う。

 ハイネが差し出したのは、シャツとスラックスだった。
 着替えの邪魔をする気はないといって、さっさと部屋を出る。
 手に取った彼の服はやはり、俺には大きいようで。
 袖をまくったり、ベルトで調整したりして、それらを手早く身につけた。
 そして、彼の後を追うように、部屋を出た――……。



**




 リビングでソファに腰掛けて、ハイネが入れてくれたお茶を堪能する。
 やはり、美味い。
 美味しい紅茶に、心がほっこりと和んでいくのが、分かる。
 朝食に出されたのは、ハイネが淹れた紅茶と、買い置きのスコーンだった。

 それらを口にしていると、ハイネが徐に口を開く。


「お前、今日オフだったよな?」
「あぁ……一応。まぁ、まだ何が起こるかよく、分からないが……。とりあえず、ユニウスの落下作業に出撃したと言うことで、ジュール隊は一応オフを貰っている」
「そう。じゃあ、昼はどこかに食べに行くか。それに、服も買わないとな」
「……おかしいか?」


 服の裾を引っ張って、尋ねる。
 彼の服は俺には大きかったから、それなりに調節して着たつもりだったけれど。やはり、どこか着こなしがおかしいだろうか。


「別に、おかしくはない」
「本当に?」
「勿論。ただ、やはりそれで一日過ごすのは、無理があるだろ」


 ハイネの言葉に、渋々頷く。
 確かに、これで一日過ごすには、無理がある。
 もっとも、時間を置けばランドリーに出した軍服が、出来上がるだろうけど。

 懐かしいな、と。ふと思った。
 ミゲルとも、こんな感じだった。
 ハイネよりも長身で、ハイネよりもがっしりしたつくりのミゲルの服は、全然合わなくて。
 二人で、笑った。

 懐かしい、夢。
 幸せだった頃の、夢。
 優しい夢の中で、幸せだったと、思う。
 その後に待ち受けていた現実を、今でも否定したくて堪らない。
 どうして、彼は死んでしまったの?
 どうして、彼は此処にいないの?

 平和になったら。そう、言っていた。
 赦されないけれど。プラントの定める法に、背くけど。
 それでも、一緒にいたいと、思った。

 願ったのが、間違いだった?
 生命の倫理を捻じ曲げて誕生した俺が、幸せを願ったのが、間違いだったのだろうか。
 それは、赦されないことだった?


「イザーク、何かあったのか?」
「何?」
「何か、あったのか?」


 俺の質問には答えずに、ハイネが問いだけを重ねた。
 彼の言わんとしていることが分からなくて、俺は唇を閉ざす。
 何か、あったのか、など。そんなの、聞かなくても分かるだろ?
 ユニウス・セブンが、堕ちたんだ。
 細かく砕きはしたけれど、その破片は間違いなく、命を奪う刃となって地球に舞い堕ちた。

 俺は、ナチュラルなんてどうでもいいけど。
 それでも、それが火種となることは、目に見えている。
 平和のために散った数多の犠牲。それらの犠牲は、2年と言う短い平和の代償にしか、成り得ないのか。
 そんな問いが、俺の中で燻っていた。


「何って、ユニウスが、堕ちただろ?」
「そうだな」
「これはきっと、戦争の火種になる、だろ?」
「……確実にな」


 言葉を飾らずに、ハイネはそう言った。
 それが、答えにならないか?
 別に、何があったわけでもなくて。
 これから、全てが始まる。
 それは、予感。

 だからだ、きっと。
 ハイネを受け入れたのは、その予感のため。
 何かが起こりそうな予感と、絶望のためだったのかも、知れない。
 俺にはもう、俺自身の感情の行方がよく、分からない。


「ユニウスで何か、あったんじゃないのか?」
「何?」
「ユニウスで、隊員が何人か殉職したのは、知っている。でも、他にも何か、あったんじゃないのか?」


 ハイネの問いに、敵わないなと、思った。
 どうしていつも、気づかれてしまうのだろう。
 俺が覚えた屈託を、ハイネは気づいてしまうのだろう。
 それだけ彼が周りの状況に目を配っているのか。それだけ俺が、周りを偽れていないのか。その、両方なのかもしれない。


「……別に、何もない」
「嘘だな」
「本当に、何も……」


 ない、と。言い切ることは、出来ないけれど。
 いうなれば、過ぎた過去に、直面した、と言うところだろうか。



 ハイネは、アカデミーを首席で卒業した。
 俺は、次席だった。
 首席でありたかった、勿論。
 間違って生まれた俺は、首席でなければ自己を確立できない気がした。

 誰よりも、優れていたかった。
 そうでなければ、母に申し訳ないとも、思った。

 我が子を慈しむ母にせめて、『優秀な後継者』として接したかった。
 優秀でなくてはいけないと、思った。
 異母兄は、アカデミーを首席で卒業した。
 異母妹である俺も、アカデミーを首席で卒業しなければ、と。思った。
 ただでさえ伯母に負い目を感じている、母に。
 異母兄は優秀なのに、私の娘は、と。そんなこと、母に思わせたくなんて、なくて。
 でも俺は、首席にはなれなかった……。
 首席になったのは、アスラン=ザラ。俺は一度も、あの男には勝てなかった。

 首席でなくては、いけなかったのに。
 母の子として。父の子として。ハイネの従妹にして異母妹として。
 俺は、首席でなくては、いけなかったのに。
 それなのに俺は、首席にはなれなかった。
 涼しい顔で、殆ど全てのタイトルを、アスラン=ザラが奪った。




 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい、母上。
 申し訳ありません、母上。
 首席卒業は、叶いませんでした。
 異母兄と同じ場所に、俺の名を刻むことは叶わなかった。ごめんなさい、母上。
 ごめんなさい。俺を赦して。
 俺を赦して。俺を愛して。
 母上に捨てられてしまったら、俺は一体どうすれば。どうすればいいのか、分からない。


「……アスランに、あったんだ」
「アスラン?アスラン=ザラか?」
「知っているのか?」


 尋ねる俺に、ハイネは呆れた顔をした。
 アスラン=ザラの名前を知らないものは、プラントにはどこにもいない。それぐらい、俺だって知っているけれど。
 ハイネは、他人には、無関心だから。
 彼が知っているとは、思わなかった。知っていても、右から左だろう、と。


「知っているさ。ラクス=クラインの婚約者で、“イージス”、“ジャスティス”のパイロット。前評議会議長パトリック=ザラの一人息子。で、アカデミー首席卒業、だろ?」


 得意そうに答えるハイネに、俺は一応頷いた。
 ほんの少し、意外だったけれど。
 ハイネは、自分の興味のないことは全て、右から左だと、思っていたから。
 アスラン=ザラに、何かしらの興味を持っている、と言うことだろうか。
 まぁ、その華やかな戦歴だとか経歴だとかに、興味を持つなと言うのは、無理な話だろうけど。


「アスランのこと、知っているんだな」
「まぁ、一応。俺の異母妹が成績で負けた、唯一の存在だからな」
「何だ、それは」
「ん?そのまんま」


 くすくすと笑って、ハイネは言った。
 俺が負けたから、気になったの?
 どんな奴に俺が負けたのか、気になって。それで?
 あまり愉快じゃないことを告げられて、見る見るうちに俺は不機嫌になる。


「父上と叔母上の娘が、簡単に負けるわけがない」
「ハイネ……」
「だから、気になったんだよ」


 異母妹のことだから、気になった。
 そう、ハイネは言うけれど。
 本当に?と、思ってしまう。
 お前、他人のことなんてどうでもいい人間じゃ、ないか。
 ミゲルを先輩として指導したのだって、理由は別だろう?声が似ているとか、そんなことじゃ、ないだろう?


「それで?アスランが、どうした?」
「……別に。思い出しただけだ」


 アカデミーの頃の、思い出の残滓を。
 見てしまった。それだけの、こと。
 きっとあの男はもう、そんな思い出さえも過去に放り投げてしまったんだろうな。
 放り投げて、捨ててしまったんだろう。
 オーブとか言う国に移り住んで、代表首長のお姫様と恋人になって。
 まるで御伽噺のような、夢物語。
 そんな幻想の前に、傷ついた現実なんて霧散したに決まっている。
 でも、俺はそうじゃないんだ。

 敗北の思い出。
 喪われた友人たち。
 そして目の前で喪った、隊員。
 一気に押し寄せたものにきっと、心を弱らせた。


「そう。……とりあえず、出かけようか」
「……」
「服買って、食事にでも行こう。閉じこもっていても、碌なことにならない」


 ハイネが、言って。
 それに俺は、頷いた。
 逆らってどうにかなるわけじゃないし。
 ハイネの緑柱石の瞳は、反駁を許さないから。




夢を見た

夢を見たよ

君が、笑っている

何て哀しい夢



**



「あら?イザーク様」


 ハイネがエレカを運転して、ショッピングモールにやってきた。
 声をかけられて、振り返る。
 聞き覚えのある声だけど、まさか。
 まさかそんなことはないだろう。そんなことは、うん。
 そう思いながら振り返った俺の視線の先で、桃色の髪の少女が綺麗に微笑んで、手を振っていた。
 ラクス=クラインを演じている、ミーア=キャンベルだ。


「ミ……ラクス嬢!?」
「こんにちは、イザーク様」
「あれ?歌姫も此処に来てたんだ?買い物?」
「はい。ハイネさんも、こんにちは」
「こんにちは」


 ミーアの言葉に、ハイネも返事を返す。
 決してぞんざいではないハイネのミーアへの扱いは、彼がそれだけミーアを気にかけている、と言うことを表しているかのようだった。
 本物だって、こんな風には扱わないだろうに。


「今日はオフになりましたので、ショッピングに参ったのですけど。まさかこんなところで、イザーク様たちにお会いするとは、思いませんでしたわ」
「えぇ、そうですね」


 ミーアの言葉に、頷く。
 いや、俺だって、こんなところで逢うなんて思っても見なかった。
 仮にも『ラクス=クライン』が、護衛もなしにうろつくなんて。
 一体、誰が考えると言うだろう。


「それよりも、イザーク様?その格好は一体、何なんですの?」
「え……?いや、何なんですの、と言われましても……」
「何故そのような格好をなさっているのですか!どう見てもそれは、貴女にサイズの合わない男物でしょう!」
「それは、はい」
「ハイネさん、貴方、イザーク様と今日はご一緒なのですね?イザーク様を、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ」
「ハイネ!?」


 ミーアの言葉にあっさりと頷いたハイネに、俺は思わず声を上げる。
 何を……一体何を、考えている!?


「こちらこそちょうど良かった、歌姫。イザークに服買ってやろうと思ったんだけど、俺に女物は今ひとつ分からないから。歌姫さえ良かったら、イザークに服、見繕ってやってよ」
「それはとても素敵な提案ですわ、ハイネさん。私、お人形遊び大好きでしたのよ?」
「それは良かった。着飾り甲斐のある等身大のお人形だと思って、一つ遊んでください、ラクス様。そうそう。ラクス様さえよろしければ、その後一緒に食事でも如何です?」
「有難うございます。喜んで、ご招待に預かりますわ。
さぁ、それでは行きますわよ、イザーク様」
「え!?ちょっ……!」


 大して抵抗するまもなく、がっちりとミーアに腕を掴まれた俺は、そのまま婦人服売り場に連行されることとなる。
 いや、逃れようと思えば、逃れられたんだ。
 本気を出せば、軍事教育を受けている俺が、ミーアを振り解くのは、容易い。
 けれどどうにもそれは、躊躇われて。
 躊躇われたのはきっと、彼女が軍事教育など何一つ受けていない、俺が守るべき存在だから、なのかも知れないけれど。
 そのまま、ずるずると連行された。












「まぁ!とてもよくお似合いですわ!」


 何度目かの試着を経て、ミーアがにっこりと笑った。
 でも、どれを着ても『お似合いですわ』で、今ひとつよく分からない。
 上に、ミーアが選んだのは悉く、ワンピースだった。
 パンツスタイルと言う、俺にとって一番馴染んだ装いは、笑顔で却下され。
 こうして延々と、仕立てのとてもよろしい、生地から素晴らしい服の数々に、袖を通している、と言うわけだ。


「そうですわね……やはり、こちらの方が良く似合っているのではないでしょうか」
「お客様は、肌の色がとても白くていらっしゃいますから、淡い色も良くお似合いですけど」
「肌の色を引き立てる、こちらのお色もお似合いですよ」


 そして、俺で着せ替え遊びをするのは、ミーアだけでなく。
 店の連中まで揃って着せ替えゴッコをする始末だ。
 赤だの白だの黒だの。
 桃色だの青だの緑だの。
 いろいろな色をとっかえひっかえして、飾り気のない試着室のその一角だけ、ひどく華やかな色合いだった。


「イザーク様、こう言うのも似合うと思いますわ」


 ミーアが差し出した、黒のワンピースだの。
 店員が差し出した、白の綺麗目なワンピースだの。
 次々と着せ替えられる。
 ……さすがに、疲れた。
 何だって女は、こうも買い物に意欲を燃やせるのだろう。
 言っては何だが、訓練の方がずっと、楽だぞ!?


「どうしましょう、イザーク様」
「ラクス嬢、どう、とは?」
「どれを購入されます?どれもお似合いで、私迷ってしまいますわ……」
「ラクス嬢でしたら、そちらの白のワンピースがお似合いかと思いますが」
「私のことではありません、イザーク様。イザーク様のお洋服ですのよ。もっと真剣に考えてくださいませ」


 そんなことを、言われても。
 て言うか、そう言うくらいならいっそ、パンツスタイルを許可してくれ。
 心の中でそう、ツッコミを入れた。


「どう?決まった?」
「どれもお似合いで、困っているところですの。出資者は、どれがお似合いだと思いますか?」
「そうだな……その黒のワンピースとか、いいんじゃないか?」


 悪戦苦闘する俺たちの前に姿を現したハイネがそう言って、ミーアが差し出した黒のワンピースを指差した。

 大きく襟ぐりの開いた、ホルターネックのワンピース。
 身体にフィットするように作られているけれど、ウェストより上部に入った切りかえしが、ふんわりとしたラインを作っていて。
 袖口も同じように、ひらひらとした作りのワンピースだった。
 この中では一番、飾り気も少ない、シンプルな作りのワンピースだ。


「じゃあ、それにしようかな……」
「そうか。じゃあ、このワンピースにあうミュール、見繕ってきてくれないかな。サイズは……」


 出資者の意向に従おうと口にした俺に、ハイネは頷き。それから女性店員に、ミュールを申し付けた。
 あぁ、また長くなりそうだ……。


「ラクス嬢。ラクス嬢は、買い物はよろしいのですか?」


 ふと気づいて、ミーアに声をかけた。
 そうだ。もともとミーアは、自分の買い物をするつもりで、此処にきたのだから。
 問いかける俺に、ミーアはにこりと笑った。


「気になさらないでください、イザーク様。私の買い物はもう、すんでおりますから」
「そう、ですか……それならば、よろしいのですが」
「えぇ。気になさらないで」


 そうは言われても、気になるのだがな……。
 心の中で、そう思う。


「あぁ、着て行くから、今まで着ていた服の方を包んでくれ」
「かしこまりました」


 ぼうっとしているうちに、ハイネがさっさと清算を済ませてしまっていた。
 確かに、彼は自ら『出資者』と名乗っていたけれど。
 けれど彼に支払わせるのは何だか、申し訳ない。

 カードを取り出そうとしたけれど、それはハイネの手で押し止められた。


「男に恥じかかせる気?イザーク」
「そんなつもりは、ないけれど……しかし!」
「いいから、いいから。お前がこう言うの嫌がるのは、ミゲルも言ってたし知っているけど。でも、いいだろ?たまには……一度くらい、兄貴らしいこともさせろ」


 小声で、ハイネは囁いた。
 ハイネの言葉に、一瞬虚を突かれたけれど。
 俺は、頷いた。



**




「あぁん、何なのよ、急に!」


 ショッピングモール内のレストランで、食事をすることにした。
 それなりに格式ばったところをチョイスしたのは、ハイネとミーアが俺に気を遣っているから、だろうか。
 もっとカジュアルな店もあったのだが、二人はそれでいいと言ったのだ。
 まぁ、さすがにランチの時間帯だから、ディナーの時間帯に比べれば幾分、カジュアルな印象であるけれど。
 そして食事を楽しんでいるさなか、ミーアの携帯が鳴った。

 マナーを気にして携帯に出ないミーアだったが、さすがに彼女の場合は仕事もある。いくらオフとは言え、急に仕事が入ることもあるだろう。ハイネと二人で促すと、ミーアは奥にある電話コーナーに姿を消した。
 そして戻ってきて、開口一番そう、言ったのだ。


「何かあったのか?」
「今から、レッスンですって……」
「大変だな……」


 ハイネの言葉に、ミーアが答えて。
 それに俺は、そう呟いた。
 俺やハイネは、自分で軍人であることを選択したけれど。
 でもミーアは、ラクス=クラインの代わりとして選択して。
 多分、そこまでの覚悟は、なかったんだろうと思う。
 けれど戦時下ともなれば、ラクス=クラインの存在が必要となるのは、確かで。
 今のような時間をとることもきっと、難しくなる。彼女はもう、その覚悟は決めているみたいだけど。


「何時?」
「2時に迎えに来るらしいんだけど……」
「今は……1300か。デザートまで、食べれそうだな」
「そうね!デザート食べていこうっと!イザーク様は、何になさいます?」


 ハイネの言葉にはしゃいだように、ミーアは声を上げた。
 デザートメニュー片手に、嬉しそうだ。
 何に、しようか……。
 考え込む。
 ハイネは、どうせ今回も紅茶なんだろう。
 甘いものは好まないみたいだから、スコーンか。


「ん〜。どれも美味しそう!あたし、イチゴのミルフィーユにしようっと!イザーク様は?」
「ラテと、ティラミスにしようかな」


 くるくる変わる表情が、可愛い。
 初めは、思ったんだ。ラクス=クラインの真似をするなんて、と。
 おかしいな。俺は、あの女なんて大嫌いだったのに。
 それなのに俺は、本物と贋者と言う視点にとらわれて、ミーアのすることに……ミーアの役割に、軽い嫌悪を感じていた。
 そんな視点、それ自体が愚かしさの表れだ。
 そんな目で見ること、それこそが愚の骨頂ではないか。
 本物ならば常に正しいことをいい、贋者ならば常に間違っているのか。
 本物は、守るべき祖国を、捨てたのに。

 彼女こそが、プラントの歌姫だ。
 少なくとも、本物よりずっと、彼女はプラントを憂えている。 そして議長によって作られたとは言え、彼女はプラントのために立ち上がる覚悟がある。
 ならばミーアこそが、プラントの歌姫となるのだろう。

 そう予感して、俺は笑った。


「歌姫を見送ったら、俺たちも出ようか」
「どこに行く気だ?ハイネ」
「……墓参り。父上と母上と、それからミゲルたち」


 デザート攻略中に、ハイネがポツリと呟いた。
 父上……公式には、俺の伯父。
 そして、伯母上。
 ミゲルの墓参りも、久しぶりだ。
 まだあの場所の空気には、馴染めない。
 彼がいない冷たさだけを、思い知るから。
 でも……。


「そうだな。……逢いたい」


 ミゲルに逢いたい。
 ラスティに逢いたい。
 ニコルに、逢いたい。
 もう、夢の中でしか逢瀬は叶わないけれど。
 逢いたい……逢いに、行こう。



 そう、思って。
 ミーアを見送るとそのまま、ミゲルたちの墓が設えられた墓地に、エレカを走らせた――……。














夢を見た

夢を見たよ、君の夢を

君が、笑っている

何て哀しい夢



君を喪ってたくさんの夜を 迎えて

たくさんの朝を、呪った

もう一度、夢を見ていいですか?

もう一度、誰かに愛されてもいいですか?

願いは、儚い夢に滲んで

淡く消えた――……



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 『Elysium』第10話をお届けいたします。お久しぶりです。
 今回は、今までとちょっと、トーンの変わったお話になりました。
 いえ、もともと『Elysium』のテーマは、幸せだったはずなんですけど。
 思いもかけず、幸せとは程遠くなりましたが。
 日常の中の微かな幸せ……日常ではないかもしれないけれど、大切な人がいる中で、幸せになれたらな、と思います。
 そこ、この後のデスティニーを言わない。

 此処までお読みいただきまして、有難うございました。