舞い上がる焔

血と 硝煙と

世界が再び 混迷する

再び 揺れる

貴方が犠牲になった『平和』が

血塗れの『平和』が終焉を迎える

その足音が、聞こえた――……










-戦火の足音-









 墓地が設えられている場所は、静謐な場所だった。
 どこか荘厳な雰囲気さえ感じるそこに、『彼』は眠っている。
 そこに、『彼』の肉体はないけれど。けれど魂は、そこに宿っていると信じても、いいだろうか。
 コーディネイターは神を、信じない。
 神から派生した宗教も信仰も、ない。だから、魂の概念なんて本当は、ある筈もないけれど。
 何も宿っていない、小さな墓石。
 貴方の存在のない、墓石。
 それに祈りを捧げるのは、あまりにも空しすぎるから。

 フラワーショップで買い求めた小さなブーケを、捧げた。
 オレンジと白の、ミニバラとカスミソウ。
 墓に捧げるには不適切な花かもしれないけれど、彼が愛した花だ。
 その方が、いい。墓参り用の花なんて、ミゲルには似合わない。あいつに似合うのは、あいつが愛した花。
 あいつが、好んだ花であるほうがきっと、いいから。


「相変わらず、寂しい場所だな……」
「そうだな」
「もっと、来てやるといい」
「……そうだな」


 ハイネの言葉に、俺は頷いた。
 神を信じない、コーディネイター。
 その死生観は、だから単純極まりない。
 神という概念のない彼らに、天国や地獄の概念だってない。
 理性を優先させたコーディネイターにとって死とは所詮、肉体の消滅であり。魂の入る余地など、どこにも残されていない。
 それでも、此処に。彼の縁が何もないと思い知るのは、哀しすぎる。
 だから、思うのだ。
 此処に、彼の魂が宿っていればいいのに、と。


「ミゲル、……貰うからな?」


 何を、とは、ハイネは言わなかった。
 静かな声が、静かに。そう、言った。
 貰うから、と。


「俺とお前の『妹』、俺が、貰うから。お前が引き受けた罪も汚濁も全部、俺が貰う。……俺が、愛する。それが、約束だ」
「ハイネ?」
「……ミゲルが俺に、お前とのことを言った、と。お前の出生を言った、と。お前がどんな存在であるか俺に言った、と。お前が薬を飲まねば生きてはいけないと言った、と。俺は言ったよな?」
「……あぁ」
「どうして、ミゲルはそう言ったと思う?」


 ハイネが、尋ねる。
 答える言葉は、ない。
 だから俺は、口を開いた。


「俺と、遺伝子が近かったから、だろう?」
「……違うよ」


 俺の言葉に、ハイネははっきりとそう言った。
 違う。
 違うのだ、と。
 そうではないのだ、と。
 ハイネは、はっきりと言葉にして。


「俺とミゲルが、『キョウダイ』だから、だよ……」
「……やっぱり」


 ハイネが、静かに言う。
 俺は、泣き笑いのような顔で、頷く。

 黄昏に染まりかけた空。
 風が、吹いて。
 俺とハイネの髪を、揺らした。


「知っていた?」
「見当は、ついていた。……いくらなんでも、遺伝子データが似通いすぎている。貴様とミゲルの」
「そう、か」
「声に至っては、そっくりだ。……それで赤の他人だと思い込むほど、俺はおめでたい性格はしていない」
「なるほど」


 ハイネは、感心したように呟く。
 別にそれは、感心しているわけでも何でもなく。ただ、自分の異母妹ならば、理解して当然だと、そう言う風に解釈しているようだった。
 もしもそう、理解できないならば。彼はその血の繋がりを嫌悪するのだろうか。


「不運。……不運だったんだろう。俺とミゲルの遺伝子データは、何の因果か似通ってしまった。俺とミゲルは、強いて言うなら、アレだ。プラントでも問題になっている……」
「『遺伝子上のキョウダイ』?」
「……そう」


 俺の言葉に、ハイネは頷いた。
 『遺伝子上のキョウダイ』意味するものは、そのまま。その言葉の通り。
 遺伝子が、不自然なまでに似通いすぎて生まれた、者たち。
 その血族を辿ればどこにも血の繋がりなんてないのに、遺伝子だけが似通ってしまった者、を指す。
 遺伝子を弄り、よからぬ因子をすべて排除したコーディネイター。
 けれど人が『よい』と思う因子もまた、似通っているものだ。
 遺伝子を弄ったコーディネイターへのツケは、子供を授かりにくい、と言うことだった。未来を望みながら、未来へ至る道が、閉ざされている。
 それが、遺伝子と言う領域にまで手を伸ばした、コーディネイターが支払った、ツケ。
 その裏で、もう一つの問題が起こっていた。
 血縁関係になどまったくないはずなのに、遺伝子が似通いすぎていると言う、現実。そう言うカップルが知らぬ間に出逢って、恋をして。
 けれど、子供は望めない。なぜなら、遺伝子が似通いすぎていて受精できない。受精しても、着床できない。着床できても、細胞分裂が起こらない。
 それは、遺伝子が似通いすぎた、ある種における『キョウダイ』だから。


「俺とミゲルは、遺伝子が似すぎていた。今問題の、『遺伝子上のキョウダイ』それが、俺とミゲルにも当てはまった」
「だから、か……?」


 だからミゲルは、ハイネに言ったのだろうか。
 ハイネに、明かしたのだろうか。

 ハイネ=ヴェステンフルスと、ミゲル=アイマンは、『キョウダイ』。
 ハイネ=ヴェステンフルスと、イザーク=ジュールは『異母兄妹』。
 ならば、ミゲル=アイマンとイザーク=ジュールは?

 ミゲルは、知らなかったのかもしれない。
 俺とハイネが、異母兄妹であることは、知らなかったのかもしれない。
 それでも、公式データには『従兄妹』と記されている。従兄妹同士の婚姻だって、プラントでは認められない。
 公式的には、ミゲル=アイマンとイザーク=ジュールは、『遺伝子上の従兄妹』とも、言えるのだから。


「荒れてたなぁ、ミゲル……」
「荒れていた?」
「あぁ。荒れていた。どうして?と。言っていた。どうして、生まれて初めて恋した女が、遺伝子上血縁にあるんだ、と。そう言って、泣いていた」
「そっか……」


 お互い、悩んでいたんだな。
 お互い、手を伸ばすことを、躊躇っていた。
 俺は、ミゲルと俺が遺伝子上血縁と呼んでもいい関係にあるなんてことは、知らなくて。ただ、倫理を捻じ曲げて生まれた俺が、当たり前のように恋人と永遠を誓うなんて不可能だと思っていて。
 適正率の低さで、悩んだ。それはプラントの法に背いてしまうから。
 母は、その法を推し進める立場にあるのに。娘である俺自ら、プラントの法に背いてしまうことを意味していたから。
 差し出された手に、俺の手を重ねることは、なかなか出来なくて。
 それでも、ずっとずっと雨に打たれても差し出され続けるようなその手の温もりが愛しくて、差し出し続ける人が愛しくて、その手を取った。

 ミゲルも、手を伸ばすことを躊躇っていたのだろう。
 手を伸ばすことを、躊躇って。躊躇い続けて。
 それでも、手を伸ばして……。


「そんなに手を伸ばすことを躊躇うなら、俺が貰う。そう、言った」
「ん……?」
「異母妹と分かっていても、俺は異母妹が欲しい。そう、言った」


 ハイネの言葉に、俺は笑う。
 正確には、『異母妹だから欲しい』だろうに。
 自分と血の繋がりがなければ、誰も愛せない。ハイネは、そう言う屈折を持って、成長した。
 今なら、分かる。それもきっと、俺と母の咎だ。

 父親の精子を使って、人工授精によって生み出された異母妹、など。一体だれが、受け入れられると言うのだろう。
 それを、ハイネは知ってしまった。
 どのような事情から、真実に行き当たったのか。それは、俺は知らない。
 俺だって、もともとは知らなかった。
 母に聞くことは、躊躇われた。
 屋敷には、『父上』の写真など、一枚たりともなく。
 母も、その話題は避けていた。
 「私の父上は、誰なのですか?」と。尋ねようと思わなかったのか、と問われれば、それは嘘になるだろう。
 けれどどこか、おそらく本能的な部分で、恐怖も感じていた。
 尋ねてはいけない、と。思っていた。

 同じだけきっと、実感もしていたのだろう。
 父の写真を、飾らない理由など、限られている。
 母が父に捨てられたか。
 最初から、精子だけ提供してもらったカップルだったのか。
 それぐらいしか、思い浮かばなかったから。
 一生懸命目を、塞いだ。
 痛い痛い現実を。痛みしか齎さないであろう現実から、目を背けて。


「屈折しているなぁ……」
「違いない」


 俺が呟くと、ハイネもククッと笑う。
 どこか歪んだ笑い方なのに、不快に思わないのはきっと、俺も歪んでいるからだ。
 俺も、歪んでいる。
 倫理を捻じ曲げて。兄と妹の、人工授精の果てに生まれた俺が一番、歪んでいる。
 その歪み、を。
 歪みと認識せずに、当たり前のように受け入れてくれる人なんてきっと。きっと、いない。
 だから俺は、『キョウダイ』しか愛せない。
 それ以外を、恋の対象に出来ない。
 だって俺は、歪んでいるから。

 こんなの、『愛』じゃない。
 こんなのきっと、『恋』じゃない。
 でも、傍にいて欲しい。
 傍にいて、言って欲しい。間違っていない、と。歪んでいない、と。此処ではそれが、正常なのだから、と。

 そう、言って欲しかったんだ……。
 当たり前のように当たり前のように。存在することを、認めて欲しかった。赦して欲しかった。
 ハイネとミゲルは、認めてくれた。赦してくれた。だって、彼らも同じ歪みを持っているから。
 同じだけ歪んでいる人がいてくれる、此処では。俺の歪みは歪みではなく、『正常』なものとなる。……それに、救われていた。

 こんなの、『愛』じゃない。
 こんなの、『恋』じゃない。
 こんなの、ただの『執着』だと、分かっているけれど。
 それでも俺にはそれがどうしても、必要だった。


「それでも、好きだったんだ……」
「……分かっている」


 俺の言葉に、ハイネが頷いた。
 分かっている。……分かっているよ、と。ハイネが囁く。
 分かっている。
 その言葉に、救われる。
 分かってくれる。理解してくれる。
 罪も汚濁も全部。全部ひっくるめて。彼は、理解してくれる。
 ハイネは、絶対に理解してくれる。
 それが、救い。
 それが、慰めだった。


「戻るか、イザーク。風が出てきた」
「……あぁ」


 ハイネが言って、俺は頷く。
 久しぶりに訪れた、墓地は。
 やはり、冷たい。
 冷たい石の感触の、一体どこに。彼が生きていた証が、残っていると言うのだろう。
 遺体さえない、冷たい冷たい。
 遺体さえも、彼が愛した大地に帰してやれなかった。
 プラントを愛し、プラントのために命を散らした男は、宇宙の深遠に飲み込まれた。
 この広大な宇宙のどこかに、彼の温もりが残っているならば。この宇宙を。彼が眠るその場所を守るために、戦おう。

 瞳を、閉じた。
 眼裏に蘇るのは、愛しい人の姿。
 愛していた。
 愛していたよ、心の底から。
 同時にきっと、依存していた。
 同じ罪に、堕ちた人。今でも愛している。
 愛するよりも恋するよりもきっと、強く強く依存し執着していたのだろうけど。

 そして今度は、同じような感情を、ハイネに向けている。
 俺と半分同じ血で繋がり、そしてミゲルとも血の繋がりはなくとも遺伝子と言う、不可侵の領域で繋がるハイネに。
 同じだけの情熱と、同じだけの背徳を。


「歪んでいるなぁ……」
「違いない」
「歪んでいる」
「でも、俺たち三人の間ではその歪みは、『正常』なんだよ、イザーク」


 クツクツと笑って、ハイネが言う。
 同じだけ、歪んでいる。
 俺たち三人、皆揃いも揃って歪んで。

 血の繋がりがなくては愛せないハイネ。
 遺伝子によって繋がれた、ある種妹を愛したミゲル。
 『キョウダイ』しか愛せない、俺。

 三人が三人とも、同じ闇と歪みを抱えていて。だからこそ、その歪みは三人の世界では『正常』なものとして完結する。
 この歪みが。この闇が。この背徳が。
 俺たちの『世界』では、『当たり前』のこと。
 それに俺は、寄りかかっていた――よりかかっている。
 そうしてなされる『肯定』に、縋りつく。
 なんて弱く、愚かしいことだろう。
 それでも、承認が欲しい。肯定が欲しい。
 そうでなければ、俺は。生きていけない気が、した。

 そんな、自己満足から始まった、『恋』だったのかもしれない。愚かしい欺瞞から始まった、『愛』だったのかもしれない。
 それでも。
 それでも、ミゲル。
 それでも、俺は。


「……愛している……愛していたよ」


 彼を、愛していた。
 今でも彼を、愛している。
 俺を認めて、肯定して。愛してくれた人。母上以外で、初めてだった。




愛しい人。

貴方が、笑ってくれるなら。

私は、貴方が犠牲になった『世界』を。

それでも守るために、戦おう。


愛しい人。

貴方が、笑ってくれるならば。

この胸から、痛みは消えないけれど。




「イザーク?」


 呼びかけるハイネに、視線を転じる。
 緑柱石の瞳を見返して、頷いた。

 捨てるわけじゃない。
 揺らぐわけじゃない。
 でも、歩み続けねばならない。
 続く命のサイクルを。巡る輪廻の輪を。血塗れになりながら、歩き続ける。
 それが、俺に課せられた、業ならば。
 俺は血刀を引き下げて、歩き続ける。
 それが、お前の望みだと、ミゲル。信じても、いいだろうか。
 立ち止まるではなく、歩き続けることを。お前は望んでいた、と。信じても、いい?

 ハイネが、手を差し出す。
 差し出された手を、俺は取った。

 一人では、歩けないんだ。
 俺は、弱いから。
 ミゲルが死んで、2年。一人で、足掻くように歩いたけど。藻掻くように、祈ったけど。
 押し潰されるような業の中、俺は世界を呪うしか、出来なかった。
 彼が犠牲になった平和を。
 彼が命を捧げた、平和を。
 呪って、憎悪して。
 それでも、引き裂けずに。粉々に砕かれた幻想のカケラを、必死で縋るようにかき集めた。

 ごめん、ミゲル。
 ごめん、ハイネ。
 でも、これ以上。
 これ以上もう、一人で歩けない。
 一人では、この平和を。この世界の安寧を、祈れない。
 お前が犠牲になった世界を、呪うしか出来ない。愛せない。


「傍に、いる」
「そうか……」
「答えは、要らない。お前の肯定は、必要ない。俺はお前を肯定し、お前を承認し、お前を愛する。――異母妹だから」
「そう……」


 異母妹だから。
 なんて、シンプルな答え。
 でもそのシンプルな答えを、どこかで望んでいるのだろう、俺は。
 『恋』じゃない。
 そんな対象じゃ、ない。俺だって勿論、きっとハイネをそんな対象にしていない。
 『恋』したのは、ミゲルだった。
 自己満足と、自己欺瞞と、保身と、独善と。諸々の醜い感情をひっくるめて。全部全部纏めて縒り合わせて。『恋』と言う感情を、織り上げた。


「ならば、俺も」
「イザーク?」
「貴方を肯定し、貴方を承認し、そして貴方を愛そう。……ミゲルへの感情とはきっと、その色調は違うと思うけれどそれでも」


 貴方を肯定し、貴方を承認し、貴方を愛しましょう、異母兄上。

 『恋』よりももっと腐臭を放つ『愛』を。
 背徳と闇と絶望と。憐憫と同情とかなしみを縒り合わせて織り上げましょう。


「いい、よ」
「ハイネ?」
「それで、いい」
「そう……か」


 分からない。
 分からない。
 分からないさ。
 俺は、俺の感情が一番分からない。
 俺の感情が……心が描く軌跡を、俺が一番理解できない。
 それでも、ねぇそれでも。
 『恋』という括りで、貴方を見れない。
 執着と背徳と憐憫を縒り合わせた『愛』がきっと、俺の感情を一言で表す最も適切な言葉。
 それでも、傍に、いて欲しい。
 護符のように……免罪のように。
 そう、思う。

 傍に、いて欲しい。
 傍に、いて。

 全ての罪を、免罪して欲しいなんて、そんなこと。そんなことは、言わない。
 殺した。
 たくさん、殺した。
 その、罪を。
 免罪して欲しいなんて、言わない。
 ただ捻じ曲げた倫理を。
 生物としての倫理を。
 彼の持つ倫理を捻じ曲げて、存在を肯定して欲しい。存在を承認して欲しい。
 あ い し て 、 ほ し い 。
 歪んだ螺旋を描く塩基室の業の中、一人生きるのは……。

 愛していたよ。愛しているよ。呪いにも似た、強さで。
 血を吐くように何度も。呪詛を紡ぐように何度も。何度も、言うよ。
 愛していたよ。愛しているよ。
 免罪を請うように。存在の承認と肯定を、希うように。
 愛していたよ。愛しているよ。
 例えそれが、新たな罪を呼ぶものであっても。焦がれずには、いられない。求めずには、いられない。
 歪められた、螺旋を刻む、塩基室の箱庭で。その業の中俺は、ヒトリだから。
 俺一人取り残された業に、箱庭に、閉じこもる俺に。差し伸ばされる手を、乞うている。
 だから囁く声は、呪いの言葉に似て。怨嗟の言葉に似て。そして返される救済を待っている。



 愛しているよ。愛していたよ。ミゲル。
 歪んで描く螺旋の、塩基室の箱庭に佇む俺に、初めて手を差し伸べてくれた人。
 初めて愛してくれた人。
 愛していたよ。愛しているよ。
 俺はお前に、あまり言葉を返せなかったけれど。
 俺はお前の好意に見合う好意を、返せなかったけれど。
 愛していたよ……愛して、いるよ。

 罪悪感。
 言葉を、感情を。俺はミゲルに、返せなかった。
 罰して欲しい。誰か、罰して欲しい。

 肯定を承認を欲しながら、愛して愛してと叫びながら、それだけの覚悟なんてなかった俺を、罰することが出来る存在がもし、この世に在るならば。
 それは……。
 それは、ハイネでなくては、ならない。
 俺の異母兄であり、あいつの遺伝子の片割れである、ハイネでなくてはならない。

 だからどうか、この躯に罪を刻んで。
 この躯に、罰を刻んで。
 俺を愛して、ミゲルは死んだ。
 俺のこの手に、遺体さえも遺してくれなかった。
 愛さなければ。愛されなければ、彼は死ななかった?
 酷く傲慢な考えであることは、分かっているけれど。
 そう思ってしまう俺にとってもう、『愛』も『恋』も呪いに等しいのだから。

 ハイネは、俺を愛してくれる。
 異母妹だから、愛してくれる。
 彼が触れるたびにその事実を思い、苛まれるだろう。
 それが俺の罰だ。それが俺の罪だ。
 世間一般の『愛』とは違うかもしれない。『恋』とは違うかもしれない。
 でも。
 歪んだ弧を描いた螺旋の、塩基室の箱庭に佇む俺は、同じ箱庭に背中合わせで佇むお前に、その『愛』と『恋』を返そう。背徳で織り上げられ、腐臭を漂わせる、闇を纏った『愛』を。
 その対象は、同じ遺伝子で繋がれたお前以外では、有得ない。
 俺とハイネ。ハイネとミゲル。
 ハイネを真ん中に据えて、同じ……同一とは言わないまでも、同じ遺伝子で、繋がれているから。





愛している。

愛している。

同じ遺伝子で繋がった貴方を、

貴方たちを、愛している。

だから同じだけの罰を、私にください。

無償の愛を受けるには、私はあまりにも汚濁を背負っているから。

私を愛してください。

それが私への、何よりの罰であることを、私は知っている。

私にとって愛は呪いで。

貴方の言葉は、何よりの呪縛となって私の身の内を苛むことを、知っているから。

それでも私は、貴方を愛しましょう。

『彼』に捧げたものとは、それは違う種類のものかもしれないけれど。

彼よりも強く、呪うように愛しましょう。

遺伝子に刻印された、それは『愛』という名の『呪い』なのだから。






 手を、繋いで。
 その肩先に、身を預ける。
 ミゲルとは、違う。
 ミゲルへの気持ちとは、違う。
 それでも、愛している。……それは呪いの言葉に、似ているけれど。

 ミゲルは何を思うだろう。
 ミゲルは、何て言うだろう。
 それは、分からなかったけれど。
 生きることを自ら放棄しない限り、彼は笑ってくれる。
 きっと、笑ってくれる。
 そう、思いたかった――……。



**




「お顔の色が、大分良いようですね、隊長」
「何だ、それは」


 シホの言葉に、俺は素っ気無く言葉を返す。
 けれどシホは、くすくすと笑った顔を崩さない。
 堪えきれない、といった調子で忍び笑いをする彼女に、俺はツッ、と視線を強める。


「今の状況、分かっているのか、シホ=ハーネンフース」
「勿論です、ジュール隊長」
「ならば何故、そう言う発言になる?この状況で、顔色がいいなど、馬鹿なことを」
「ジュール隊の人間として、隊を預かる隊長の安否は、何よりも重要なことと心得ておりますので」


 俺の言葉に、シホは澄まして答えた。
 何か、見透かされているような気がして、居心地が悪い。
 その洞察力を、好ましいと思うけれど。それはあくまでも、軍のこと限定なのだな、と思う。
 シホは、深い意味があってそう言ったのではないだろうけど。
 俺は、深い意味に捉えてしまう。


「お気を悪くされたなら、申し訳ありません」
「シホ?」
「ただ、嬉しかっただけです」


 黙りこくった俺に、気を遣ったのかシホがそう言った。
 バイオレットの、瞳。
 綺麗な、瞳が。案じるように、俺を見つめる。


――――『私の命を救ってくださった、大切な方がいますから。その方が幸せなら、私は幸せなんですよ……?隊長』――――



 不意に耳に蘇った、彼女の言葉。
 ひょっとしたらシホの目には、俺は幸せそうに見えるのだろうか。
 幸せ……幸せ……。
 俺の目に、その光は見えないけれど。


「シホ」
「……はい」
「訓練をつけてやる。訓練場に来い」


 消沈した様子のシホに、声をかけて。
 デスクチェアから立ち上がると、大股で歩いて、扉に向かった。
 軍人らしい足捌きではあるけれど、目にしたなら最愛の母はきっと、嘆くだろう。
 そして振り返って。シホに、言うと。
 俺のほうを振り向いたシホは、ぱっと笑顔を浮かべて。
 力いっぱい、「はい」と返事をした。

 情勢がどう転がるのか、それはよく分からない。
 ニュースで報じられるのは、大した内容のものではないけれど。きっと両政府の間では、水面下で色々な揉め事が起こっているのだろう。
 何はどうあれ、俺たちコーディネイターの同胞が落とした破片で、地球は幾つもの命の花を散らせた。
 その事実は、変わらず。赦せないと嘆くものも、多いだろう。

 綺麗な歌姫は、それさえも「赦せ」と言うけれど。それならば貴女は、どこにいる?
 貴女は今、どこにいる?
 自らの罪を償わず、安穏とする貴女は、どこにいる?

 呪わずには、いられないのだ、人は。
 自ら拠って立った世界を壊したものを、呪い。その破滅を願わずには、いられない。

 いくらプラント評議会が理性で言葉を尽くしても、感情的になった地球側にその言葉は、届かないだろう。
 どこか、落としどころが見つかれば、それが一番いい。
 しかし見つからなかった場合は……。
 ユニウス・セブンの二の舞だな、と。思う。

 撃った方は容易に、その傷を忘れられる。けれど撃たれた方は、忘れない。その痛みを、その憎しみを。忘れることなど、出来ない。

 ミゲルが犠牲になった、この平和が。潰える予感が、して。
 その予感に、慄く。
 その予感が現実となったのは、それからすぐのことだった――……。



**




<これより私は皆さんに、非常に重大かつ残念な事態をお伝えせねばなりません……>


 沈痛な面持ちの男が、モニターに映し出された。
 大西洋連邦の現大統領の緊急声明が発表されたのだ。

 テロリストによる地球へのユニウス・セブン落下事件からこっち、地球連合側は様々な要件を突きつけてきた。
 賠償金、武装解除、現政権の解体、連合理事国の最高評議会監視員派遣……突きつけられた要求を受け入れることは、一度認められた自治を放棄し、再び地球連合に隷属することを意味していた。
 受け入れられるわけが、ない。
 どうしてもそんなこと、受け容れられない。
 そして突きつけられた要求書には、こうも記されていた。
 「以下の要求が受け容れられない場合は、プラントを地球人類に対するきわめて悪質な敵性国家とし、これを武力をもって排除するも辞さない」
 それは事実上の、宣戦布告も同じだった。
 愚かとしか、言いようがなかったけれど。

 ユニウス・セブンが墜落したことで大打撃を受けたのは、地球だ。今の地球に、プラントと戦争するほどの力など、どこにもないだろう。それなのに、一方的に突きつけられた、宣戦布告。
 愚かとしか、言いようがなかった。
 だからこそ、どこか楽観していたのかもしれない。

 それがコーディネイターの犯した罪である以上、プラント側は賠償金を払うことは止むを得ない。
 しかしそこが、両国の落としどころとなるだろう、と。
 けれど地球側は、そこを落としどころとするつもりは、なかったようだった。
 この状況で、戦争など。宣戦布告など。正気の沙汰とは、思えない。

 ザフトは、月基地を発してプラントに向かいつつある地球連合軍に対応するため、そして牽制するためにプラント前面に展開しつつあった。
 評議会は事態の沈静化に向けて、様々な外交手段を講じているようだが、地球連合側が軍を派遣し、プラントの前面に展開している以上、その防衛のためのザフト軍もまた、展開せざるを得ない。
 それでも、まだ希望的観測を、胸に抱いていた。

 あんなにも、泣いた。
 あんなにも多くを喪って。
 それで漸く手にした『平和』が、潰えるはずはない、と。
 そこまで愚かではないと、信じていた。
 睨みあったまま、何日も膠着状態が続き。そして両軍が撤退することもあり得るだろう、と。そう信じていたのに。
 現実は、違った。
 予想よりもずっと早く、警報が鳴り響く。

 ザフトの大型空母、“ゴンドワナ”。
 ローラシア級、ナスカ級と言った艦も収容可能な、大型の構造物。
 モビルスーツカタパルトさえも要するそれは、動く要塞とも言える。
 その巨大空母に、ジュール隊はいた。
 そして、その巨大空母内を、警報が鳴り響く。


<――よって、先の警告どおり、地球連合各国は、本日午前零時を持って、武力によるこれの排除を行使することを、プラント現政権に対し通告いたしました>


 最後通告は、事実上の宣戦布告は。
 正真正銘、宣戦布告に取って代わった――……。

 警報が鳴り響くゴンドワナの、士官室から飛び出しモビルスーツデッキを目指す。
 途中で合流してきたディアッカが、声をかけてきた。


「なぁ、これ、冗談だろう!?」


 そうであったら、どれだけ良かっただろう。
 あれだけ泣いて。あれだけ多くを喪って。
 たくさんの犠牲を払った先の大戦から、2年も経っていない。それなのに、開戦などと。冗談であったなら、どれだけ良かっただろうか。

 嘆いて宣戦布告が撤回され、眼前に展開する敵が消えうせると言うならば――撤退すると言うならば、いくらでも嘆こう。祈ろう。
 しかし、そんなことは有得ない。
 そして連中は、祖国の眼前に迫っている。
 そうである以上、無辜の民を守らねば、ならない。
 それが俺の、役目だ。


(結局はこうなるのかよ、やっぱり)


 苦い思いで、胸中でそう呟く。
 結局は、こうなるのか。
 守りたいと願った、『平和』は。
 彼が犠牲になって漸く手にした『平和』は。
 こんなにも脆く、崩れてしまうのか。
 ならば何故、彼は――ミゲルは、ニコルは、ラスティは。多くの仲間は、犠牲になったのだろう。

 嘆いても、呪っても。
 それで何が変わるわけでは、ない。
 苦い思いを懸命に噛み殺して、管制に告げた。


「こちら、シエラ・アンタレス・ワン、ジュール隊、イザーク=ジュール、出るぞ!」


 鮮やかなスカイブルーの“スラッシュザクファントム”がカタパルトから射出される。
 ディアッカの“ガナーザクをーリア”も、それに続いた。
 俺たちだけではなく、おのおのの艦、そして巨大空母“ゴンドワナ”の全てのハッチからカタパルトが延び、それぞれ収容するもビルスーツを射出した。
 それらが旋回して、地球連合軍艦隊に向かう。


<第一戦闘群、まもなく戦闘圏に突入します。全機、オール・ウェポンズ・フリー>


 ノイズに混ざって、管制の声が届いた。
 時を同じくして、ザフト軍モビルスーツ部隊と、地球連合軍モビルスーツ部隊は、激突した。
 砲撃が開始され、漆黒の宇宙に火花が散り、命を燃やして花が咲く。
 虚空を無数の光条が切り裂き、両軍の間に死の橋を架けた。

 同時に、何機かの機体が光条にその機体を貫かれ、爆散する。
 死の軌跡を描きながら四散するも、その全ては無音のうちに行われ、どこか現実離れした色調さえ帯びていた。
 宇宙は、真空で。そうであるが故に全ての音を内包して押し潰す。
 けれどその冷たい宇宙が、俺たちコーディネイターの居場所だった。

 ビームの雨をかいくぐり、間隙を縫って敵軍に迫る。
 腰の“ビームアックス”を抜き放ち、擦れ違いざまに敵モビルスーツの胴を薙ぎ払った。
 息を吐く暇もなく、スコープは次の獲物に向かって照準を結ぶ。
 両肩の“ハイドラガトリングビーム砲”で切り刻み、更に次の獲物を探す。

 不意に、目に鮮やかなオレンジの“ブレイズザクファントム”が、モニターに映った。
 見る間に敵陣に切り込み、その突撃銃から放たれたビームが、巨大な戦艦を沈める。
 楽の音が聞こえるのではないかと思うほど、鮮やかにして華麗な攻撃に、思わず笑みが浮かんだ。
 オレンジのパーソナルカラーで染め上げられた、“ブレイズザクファントム”。それは、ハイネの愛機だから。

 落としても落としても、地球連合側のモビルスーツ、戦艦は、後から後から雲霞の如く湧いて来る。
 能力的に優れているコーディネイターだが、地球連合側の物量には、叶わない。そしてこの戦場に、地球連合側が注ぎ込んだ戦力は、膨大なものだった。
 ともすれば押し切られそうになる戦線を維持しながら、叫ぶ。


「えぇい、くそっ!防衛線を崩すな!宇宙《ソラ》は誰のものか、思い知らせてやるんだ!」
<はっ!>


 俺の言葉に、部下たちが応える。
 祖国を。愛する祖国を、撃たせるわけには、いかない。
 それは、全員に共通した思いだった。
 広く宇宙に進出したコーディネイターに、宇宙以外に居場所は、ないのだから。

 しかし現実は、更に残酷な真実を、無言のうちに突きつけた。
 誰もが心の奥底で恐怖しながら、必死に否定していた、事実を。
 その事態が起こったことを、各モビルスーツ、戦艦に送られた通信文が、告げていた。
 プラントが、恐怖していた、事態。
 魂まで刻印された、恐怖を、呼び覚ます事態を。


「核攻撃部隊!?極軌道からだと!?」


 通信文には、新たな指令が記されていた。
 「全軍、極軌道からの核攻撃部隊を迎撃せよ」
 それが示している事実は、唯一つだ。
 核ミサイルを有した別働隊が、ザフトが予想だにしなかった全くの死角から、プラントに迫っていると言う、事実を。知らせていた。


<じゃあこいつら、全て囮かよ!?>
「くっそぉぉぉ!」


 周囲に展開したモビルスーツに戦艦を見渡して、ディアッカがうめく。
 次の瞬間、俺はバーニアを全開した。
 強烈なGが圧し掛かり、息が詰まる。けれどそれに構わず更に、スピードを上げた。
 他のザフト機も方向を転換し、同じ方向を目指して戦線を離脱せんとするも、そうはさせじとばかりに地球連合軍の“ウィンダム”が追いすがる。
 ディアッカが反転して、その機体を撃ち抜いた。


<イザーク、行け!やつらにプラントを撃たせるな!>
「言われなくても……!」


 ディアッカの声に応え、敵を探して宇宙を疾駆する。
 広く……どこまでも広がる広大な宇宙を。
 駆けて、駆けて。
 漸くその機影を視界に捉えたとき、先頭の“ウィンダム”は既にミサイルを発射していた。


「くっそぉぉぉ!間に合わん!」


 思わず、呻く。
 それでも必死に、ガトリングビーム砲でミサイルを狙う。
 しかしあまりにも、それは遠すぎた。

 射撃は、得意だった。
 負けない自信は、あった。
 けれどあまりにも、遠すぎる。
 放たれたミサイルは、ビームの網目を掻い潜り、そのまままっすぐプラントに向かっていった。


「あぁぁぁぁぁっっ!」


 もう、間に合わない。
 すり抜けて突き進むミサイルの前方に広がる、砂時計に似た巨大な構造体。あそこには、何十万人もの同胞が、いる。
 その命を、救いたいのに、救えない。その力がない自分が、もどかしい。
 絶対零度の真空から守る外壁は、核攻撃にはひとたまりもないのだ。目の前で、目の前で。
 再び、ユニウス・セブンの悲劇が、繰り返されようとしている。

 彼が愛し、守るためにその命を散らせた、祖国が。
 愛する祖国が、灼かれようとしている。
 唇を突く絶望の声が、次に起こるだろう悲劇を思い描いていた。

 しかし、何も起こらない。
 ミサイル群に接近しつつあったナスカ級から、白い光が迸る。
 突起物を装着した形状の装備を有するナスカ級から迸った光の照射と同時に、核ミサイルも白い閃光を放つ。
 いや、放たれたミサイルだけではない。おそらくその戦艦の腹に数多のミサイルが収められていたのだろう。
 その戦艦の腹からも白い閃光が迸り、膨れ上がる。
 白い閃光が消え去った後、後には何も残らなかった。
 白い白い閃光が、全てを飲み込み。全てが、消え去った。


「何だ?……一体、何が」


 俺は呆然と呟くしか、出来なかった――……。



**




 “ゴンドワナ”に戻り、カタパルトデッキにへたり込む。
 ちょうど、モビルスーツの影になった、場所だ。
 全てのモビルスーツの格納を終え、隔壁は閉じられていた。
 それを確認して、ヘルメットを外す。
  荒く息を吐くと、頭上に影が差した。
 見上げると、鮮やかなオレンジ色の頭髪が、目に入る。


「ハイネ……」
「お疲れ、イザーク」
「貴様もな」


 ハイネが手を差し伸ばし、その手を取った。
 ぐっと力が込められて、ハイネの手によって引き上げられる。
 ふらつく足を叱咤して立ち上がると、間近で視線が絡み合った。
 その緑柱石の瞳に、沈鬱な色がある。
 多分俺の瞳にも、同じ光が、あるのだろう。


「核、撃たれたって?」
「……見た。俺の目の前で、地球軍の“ウィンダム”が、核ミサイルをプラントに向けて撃った」
「そうか」


 はぁ、と溜息を吐いて、ハイネが俺の隣の壁に、凭れた。
 汗で張り付いたオレンジの髪を、かきあげる。


「もう、プラントも止まらない」
「……あぁ」
「戦争に、なる」


 ユニウス・セブンは、開戦の狼煙となり。
 こうして放たれた核ミサイルは、コーディネイターの恐怖を再び呼び覚ました。
 もう、止まらない。
 憎しみは量産され、その連鎖はどこまでも広がっていく。
 『平和』が、終わる。

 がくがくと震える俺に気づいたハイネが、そっと俺の躯を抱きしめた。
 その背中に、そっと両腕を回す。
 戦火が迫る、その足音を。
 俺は震えながら、聞いていた――……。



舞い落ちる、焔。

命を燃やして煌くその華が。

束の間の平和の終わりを予見させて。

鳴り響く足音に、儚くその花を散らせた――……。



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 『Elysium』第11話をお届けいたします。
 今回、異常に長くなってしまいましたが。
 挙句、前半少々辛気臭い内容で申し訳ないです。
 こう言う設定にしたから、ミゲルとイザークはまだ愛情で繋がっていたけど、ハイネとイザークは、どちらかと言うと愛情よりも罪で繋がっていると思いました。
 ハイネにとっては愛する女性であると同時に、憎まずにはいられない異母妹で。でも、その血の繋がりゆえに愛さずにはいられなくて。
 イザークにとっては、その存在そのものが罪悪感を刺激して。それでも、繋がれた遺伝子の鎖ゆえに、憎むことは思いもよらなくて。
 そう言う……なんだってこう言う勝手設定オンパレードなお話になったんだろうか。
 『Elysium』も残り後4話となりました。
 この二人のお話を、見届けていただけましたら、幸いです。

 此処までお読みいただき、有難うございました。