どうか、歌を。俺の歌姫。 この大地を守るために死んだ、何百万もの同胞たち。 彼らを慰める、歌を。 歌を。 慰めの歌を。 プラントを愛する、貴方の唇で紡いで欲しい――……。 -落日の鎮魂歌- 摘み上げて、ミネラルウォーターのボトルに口をつけ、傾ける。 そのまま嚥下して、俺は溜息を吐いた。 ナチュラルよりも、強靭な肉体。より多くを詰め込めるだけの、頭脳。 それが、コーディネイターであり。その言葉どおりに遺伝子操作をされたものがコーディネイターであり。本来俺も、そんなコーディネターであるべきなのに。 生物の倫理を押し曲げて。人としての倫理を捻じ曲げて、禁断の領域に踏み込んで生まれた俺は、コーディネイターとしての強靭さとは、程遠かった。 否、強靭では、ある。 些細なことで死んだりはしないし、遺伝子操作を施された躯は、病には強い。 コーディネイターとしての強靭さは、確かにあるけれど。同じだけ、爆弾も抱えていた。 俺の躯は、代謝が異常で。 薬を飲んで、平常値を保たなければ、まともに生きることは、出来ない。 俺はそう言う風に、生まれた。 嚥下したカプセルの感触を、確かめることは出来ないけど確かめるように、喉を、胸を押さえる。 大丈夫、大丈夫。 今日もちゃんと薬を飲んで、今日もちゃんと生きている。 そう、確かめるように。 緩く背伸びをして立ち上がって、俺は室内に備え付けられたコーヒーメーカーに歩み寄り、濃い色をした液体をカップに注いだ。 その矢先、室内のインターコムがなる。 「なんだ?」 <隊長、今お時間はよろしいでしょうか?面会の方が、いらっしゃってます> 「誰だ、ハイネか?奴なら、俺は忙しいと言っておけ」 <いえ……ヴェステンフルス隊長では、ありません> 歯切れが悪く、シホが言う。 珍しいこともあるものだ、と。俺は思う。 彼女は常に、軍人らしいはきはきとした口調で話す。 こんな風に歯切れの悪い彼女は、彼女と付き合いだして初めてのように、思った。 「分かった。じゃあ、通してくれ」 <はい、分かりました。――その扉を、まっすぐどうぞ> インターコム越しに、シホの声が遠くで聞こえた。 おそらく、その面会人とやらを案内しているのだろう。 面会……面会ね。 一体誰が、此処に来るというのだろう。母が此処にくるとは、思えない。 そう言う行為が、娘の立場をともすれば悪くしかねない、と。母はいつもそう言う。 政治家として生きた彼女ならではのその認識を、水臭いと思うけれど。そうやって案じてくれることは、掛け値なしに、嬉しいから。 だから俺は、その辺の判断は母に任せて。だから、母が此処に来ることはありえないと、思う。 それに、母ならばシホは、『お母様がお見えになりました』もしくは、『ジュール元議員がおいでになりました』と言うだろう。 やはり、母ではないな。 そう認識して、俺は、では誰だろう、と考え込む。 此処に来るような人……ね。 いないと思うんだがな。 上官――上司ならば、俺を自らの執務室に呼びつけるだろうし。仲間はもう、喪われた。 その血縁者、と言う線は、有得るかもしれないけれど。ザラは欠けて、クラインは欠けて。残るはジュールとエルスマンとアマルフィ。あと、一応マックスウェルか。 ラスティの両親は離婚して、ラスティは母親に引き取られたからマッケンジーを名乗っているけれど。確か、マックスウェル家の子息だった筈。 でも、やはりその線もないだろうな。 マックスウェルとジュールは、ザラ派。 アマルフィはクライン派からザラ派に転向し、エルスマンは中立派。 むやみやたらと、ザラの片腕だったジュールの娘と接触を持つ筈がない。横の連帯のなさをアピールすることは、クライン派が政権を握った現在、敗れたザラ派の面々としては、当たり前のことだ。 じゃあ一体、誰だ? 考え込むが、考える端からそのラインは有得んな、と。そう思って閉口する。 仕方がない。とりあえず、茶菓子の準備でもしよう。 フリーザーから、ハイネが先日差し入れに持ってきたフルーツケーキを取り出す。 フルーツケーキは、ちょっと時間を置いたほうがブランデーが沁みて甘味が増す。ちょうどいい頃合いだろう。 パウンドケーキの方に押し込まれたフルーツケーキを、箱から取り出し。さて、切り分けるかと思ったところで、ナイフがないことに気づいた。 必要な備品とも思えなかったから、そういえばティータイムを過ごせるようなティーセットだとかは、俺の執務室にはおいていなかった。 まぁ、シホもそれは知っている。 聡い彼女ならば、準備して持ってくるだろう。 とりあえず、ケーキを取り出し。 これなら、紅茶のほうが合うだろうか、と思う。 紅茶は確か、ハイネがこれまた持ってきていた。 プリンス・オブ・ウェールズのアールグレイだかなんだかを出せばまぁ、格好もつくだろう。 そう思って茶菓子だのなんだのを準備していると、シホが先導して面会客とやらがやってきた。 一礼して、シホが一旦下がる。 おそらく、ティーセットでも持ってくるのだろう。 聡い彼女の、当たり前のように行ってくれる気配りに、笑みが零れそうになった。 顔を俯けた女性に、とりあえず笑顔で応対することにする。 室内だと言うのに、目深に被った帽子で、その顔は分からない。顔を俯けているのならばそれは、なおさらだ。 しかし、その身体つきは、女性のものだった。 これなら、茶菓子も無用の長物にはならないな、うん。 「失礼、不調法なもので。今、お茶の準備をしましょう。とりあえず、おかけください」 「有難う」 ……。 今、どこかで聞き覚えのある声がしたような気が、するが。 まさか、さすがに。 さすがにそれは、有得ないだろう。 きっと、アレだ。幻聴だ。 逃避しかける俺の前で、少女は俯けていた顔を上げ。にっこりと、笑った。 特徴的な、目立つピンクの髪は、帽子の中に押し込んで。 目深に被った帽子に、黒縁の眼鏡。 その奥で、俺よりも鮮やかに深い色の瞳が、にこりと笑っている。 どう見てもそれは、『彼女』でしか有得ない。 「ミ……ラクス嬢!?」 「こんにちは、イザーク様」 「な……なんで此処にいらっしゃったのです?ここは、貴女のような方がいらっしゃるような場所では、ありません」 『平和の歌姫』ラクス=クラインが、軍施設にやってくるなど。 そんなことは、有得ない。 彼女は、自身の身を守るためならどんな過剰な武装も辞さないけれど、プラント市民が自らを守るための、最低限の武装は決して、認めようとはしないから。 そんな彼女が、プラント市民を守るために存在するザフトに、足を踏み入れるわけがない。 『争いを厭うラクス様は、武装など必要ない世界を〜云々』 ラクス=クラインのてのいいスポークスマンであるクライン派は、そう言うけれど。実際のあの小娘の行動は、矛盾しっぱなしで逆に笑える。 自分だけは安全な場所で、大きすぎる兵器で武装しておきながら、他者がそれに劣る兵器で武装すれば、儚げな容姿の中眉を寄せて、あの女は言うのだ。 憎しみは捨てねばなりません。兵器は、放棄しなければなりません、と。 何て矛盾した、愚かな小娘。なんて傲慢。エゴイズムの極致だ。 要するに、自らを守りたければ彼女に助けを乞え、と言うことだろう。そうして、天上から愚かな人を見下ろす神にでもなったつもりか、馬鹿馬鹿しい。 黙りこむ俺に、けれどミーアは終始笑顔で。 にこりと笑ったまま、言った。 「あら、どうしてミーアが此処に来てはいけないの?……わたくしが此処に入っては、いけないのですか?」 「ラクス様は、平和を愛するお方。戦いを厭うお方です。ここは、ラクス様が厭う、戦いをするものたちの集う場所。ご不快でしょう」 「そうでしょうか。わたくしは、軍人の皆様は、わたくしたちを守るために戦ってくださっているのだと思っております。そんな皆様に感謝をするのは、プラントの市民として、当然のことではありませんか。……それにね、ちょっと用事があったの。その前に、イザーク様に一言、お礼が言いたくって」 「礼?」 礼を言われるようなことを、果たして俺は彼女にしただろうか。 むしろ俺が彼女に、礼を言うべきだろう。 甚だ体力を消耗し、アカデミーの訓練の方がましだと心の底から思ったが、彼女が仕える時間を犠牲にしてまで、彼女に買い物に付き合ってもらったり、したのだから。 そんなことを考えていると、シホが入ってきた。 茶菓子として持ってくるよう頼んだフルーツケーキは切り分けられ、紅茶が入れられている。 気遣いに感謝して、シホを下がらせた。 後で、残りのケーキはシホにあげることにしよう。 「イザーク様はどうして、本国にお戻りになったのですか?」 「至急戻ってくるよう、連絡があったのです、ラクス嬢」 「……だと思った。あのね、イザーク様」 「イザークで構わない」 「じゃあ、イザーク。あのね、アスランが来たのよ?」 ミーアの言葉に、目を見開く。 アスラン……アスラン=ザラ。 彼が今、このプラントにいるというのだろうか。 「アスランが?」 「そう。初めて逢ったけれど、とても素敵な人ね!あの人がラクス様の婚約者なのね!素敵!」 「……そうか。それで?演説を、したらしいな。ラクス=クラインとして。ついに、ラクス=クラインとして起つのか?」 「そう」 俺の言葉に、ミーアは頷いた。 悲壮さはない。 ただ、愛しさだけを、彼女は浮かべる。 ラクス=クラインに似せて作られた顔に、本物の愛しさを。プラントへの愛情を、乗せて。 彼女は、微笑んだ。 そこに決意を、滲ませて。 「これ、有難う」 「あぁ、その髪飾り……気に入っていただけたか?俺には、そう言うものはよく分からなくて……」 「えぇ、とっても!」 帽子を取って、ミーアが指したのは、星の髪飾り。 先日の礼に、贈ったものだ。 『議長のラクス』であるミーアに、その髪に髪飾りがなかったから。 でも、あの女と同じものを贈るのは、気が引けて。でも、違和感を感じさせない髪飾りを。 地球の引力に引かれて、地球に――オーブに惹かれて――、太陽の光がなければ輝けない、月。ラクス=クラインは、まさに『月の歌姫』に相応しい。 プラントではなく、地球に焦がれているのだから。 そしてミーアには、『星の歌姫』の名が、相応しいだろう。 確かに、月よりずっと小さいけれど。自力で輝いて、プラントの空を飾る。ミーアには、『星』が相応しいと、思った。 「これを、お守り代わりにするの。お守り代わりに、いつもつけているから。有難う、有難う、イザーク。すごくすごく嬉しい。ミーア、頑張るから。戦争が早く終わるように、ミーア、一生懸命頑張るから」 「あぁ……」 「それを言いたかったの」 それだけ、といって。ミーアは笑った。 そして照れくさそうに、シホが持ってきたフォークを手にとって、ケーキにつきたてる。 もぐもぐと咀嚼して、クイッと紅茶を飲んだ。 「このケーキと紅茶、すごく美味しいわね!」 「あぁ、ハイネの差し入れだ。舌が肥えているから、あいつの持ってくるものは美味いぞ。その割に本人は、甘いものは食わないけどな」 「ふぅん。でも、元気でた!ミーア、頑張るからね。頑張るから、見ててね。応援して何て言わないから、ミーアのこと、見ててね」 「勿論、見ている。『プラントの歌姫』ミーア=キャンベルを、見ているよ」 そう言うと、ミーアは頷いた。 頷いて、笑った。 ミーアを、見ているよ。 ラクス=クラインの幻想なんてもう、俺には見ることが出来ないから。ラクス=クラインの美しい夢なんて、俺には砂糖を塗りたくった甘ったるいだけの菓子みたいで、胸焼けがしそうで。 必要ない、夢なんだ。 必要ない、幻想なんだ。 もう俺に、その幻想は必要なくて。いらなくて。見れば、心が壊れてしまう、そんな……凶夢としか言いようがない、夢。 彼女と言う夢はもう、俺にとっては悪夢に等しい。 だから、貴女を見ていよう。 ミーア=キャンベル。貴女を、見ていよう。 貴女と言う夢を、見ていよう。 今度のラクス=クラインの幻想は、実際のラクス=クラインと違い。遥かに親しみやすい、市民に浸透しやすい夢だろう。 彼女は、笑顔で。作り笑いの笑顔ではなく、本物の。温かい笑顔で。プラント市民を愛している、と。そう歌うだろう。本物よりもずっと夢のような、『ラクス=クライン』の美しい夢を、形作るだろう。 「とりあえず」 「なぁに?」 「紅茶のお代わりは、如何か?ラクス=クライン……ミーア=キャンベル嬢」 「喜んで、戴くわ!」 笑って、ミーアがカップを差し出す。 物心ついたときから、俺はジュール家の跡取り娘で。 俺の代でジュールの血が絶えることを母上は覚悟していたけれど、だからこそ、と言うべきか。母に割合、厳しく育てられたと思う。 ジュール家の人間として、相応しいように、と。反動からか、まぁ、その間にいろいろとあったからそのせいかも知れないけれど、軍に入ってからは解放感を存分に味わって、結構好き勝手した気がする。 女としての生き方ではなく、教えられたのは跡取りとしての生き方で、そのプライドで。 だからミーアを見ていると、心の底から思う。女の子だな、と。 こう言うのが、女の子、と言うものなんだろうな、と。 後悔しているわけじゃなくて、俺はこの生き方を誇らしく思っているけれど。こんな風には、なれなかったと、思う。 ミゲルの前で、こんな風に。女の子になるのは、俺には難しくて。気持ちをまっすぐに伝えるのは、難しくて。下手なプライドがいつも、邪魔していた。 それが、悔しい。 もっともっと、大切だって、伝えたかった。 愛しているって、伝えたかった。 「じゃあ、今日は疲れたんじゃないのか?みなの前に立って、演説したんだろう?」 「それから、アスランとお食事行ったの!」 「それで?此処にきたって?もし俺がいなかったら、どうするつもりだったんだ?」 「あら?だって、ハイネさんが教えてくれたのよ?イザークでしたら、どうせまだ自分の執務室にいる筈ですよ。本国に戻ってすぐ、仕事に取り掛かる仕事中毒ですからって」 「……俺に喧嘩売る気か、あいつ」 買うぞ、と。低く呟く。 やだ、イザークって面白いわね!とミーアは笑顔。 緊張していたのだろう。 手は、震えて。 痛々しいぐらいに、震えて。 紛らわすために、紅茶をクイッと飲む。 緊張、するよな。メディアに立って、ラクス=クラインの笑顔で。ただの少女が、演説して。 緊張、するだろう。それでも、立ったのだろう。 「これ、お守りなの。頑張る、お守り。今日も、演説は失敗しなかったでしょう?」 「あぁ。大丈夫だと、思う」 「アスランには、バレちゃった」 ぺロリ、と桃色の舌を出して、ミーアが言う。 ちょっと、失敗しちゃった。そう、言いたげだ。 「ミーア、ちゃんとラクス様に似ている?ミーアのラクス様、ちゃんと出来ている?」 「勿論だ。市民は、皆ミーアをラクス=クラインだと思っている」 「でも、ハイネさんもイザークもアスランも、アタシがラクス様じゃないって、すぐに見破ったわ」 「それは……」 やっぱり、似ていない?上っ面だけでアタシ、中身が似ていない?まだ、まだ足りない?ラクス=クラインには、なれない? そう、彼女の鮮やかな海色の瞳が、言っている。 違う、違う、違う。 そうじゃない、ミーア。 俺やハイネがそう分かったのは、似ていないからじゃなくて。あの女では、有得ないから。プラントを愛し、プラントのために生きる。そんなラクス=クラインは、ただの幻であることを、知っているから。 似ていないとか、そんなことじゃない。 でも、そんなことを。そんなことを、言えるだろうか。 ミーアに、教えられるだろうか。 ラクス=クラインの幻想は、ミーアの中にだってしっかりと、生きているのだ。 その幻想を、打ち砕くのは、忍びない。 「俺とハイネは、あの女が嫌いだから、だ。だから、分かった」 「イザーク?」 「恋人が、殺されたから。それをあの女は、赦せと言うから。だから、あの女を受け容れられなくて、だから、分かったんだ。ミーアのラクス=クラインは、とてもよく似ている。でも、ミーアは、赦せとは言わないだろう?」 ミーアは、う〜んと考え込んだ。 悩んでいるラクス=クラインと言うのは、見たことがない。 いつも達観して、人の内面にまでずかずかと土足で入り込んで。気持ち悪い、全てを見透かしたような、笑顔。 あの女は、そう言う女だから。 「大切な人を喪って、憎むのは当然のことだもの。赦せ、何てミーアは言わないわ。感情を、強制したりはできないもの」 「だから、分かったんだ」 ミーアの笑顔は、純粋で。 陽だまりのような、裏表のない優しさだから。 土足で踏み込んで、人の感情にまで口出すような、そんな無遠慮さは、ないから。 だから愛しくて、好感を持って。だから、分かった。 「ミーア、じゃあ、イザークに哀しい思いをさせてるわね……。ミーア、馬鹿だから、そんなのちっとも分からなくて。ハイネさんも、嫌な思いをしているのね。ごめんなさい。気づかなくて、ごめんなさい」 「そんなことはない、ミーア。ミーアは、違う。ミーアは、一生懸命だ。そう言うところは、俺もハイネも好感を持っている。姿は似ていても、ミーアはミーアだろう?だから、気にすることはない。俺もハイネも、嫌な思いも哀しい思いもしていない。だから……」 気にしないでいいんだ。 そう、言いたいのに。喉の奥で言葉が絡まって、出てこない。 どうしよう、どうしよう。 それは、誤解なのに。 「まぁ、こっちの歌姫が気にすることじゃないわけよ。それ背負わなきゃなんないのは、あっちの色ボケ歌姫の方であって、こっちの歌姫じゃないんだから」 「そ……そうだぞ、ミーア。あっちの色ボ……オイ」 「あ?」 「いつの間に俺の執務室に来たんだ、貴様はぁぁぁぁぁ!!」 横合いから、俺を助けるようにかけられた言葉に、頷いて。 でもそれは、とてもとてもラクス=クラインを信奉するものの言葉とも思えず。声もまた、耳になじんだもので。 滲み出る嫌悪もまた、馴染んだもので。 振り返れば、案の定そこにいたのは、ハイネで。 「こんにちは、ハイネさん」 「こんにちは。歌姫」 「違うだろう、ハイネ!貴様いつ、俺の部屋に入ってきたんだ!」 「今だけど。ほら、俺最近特務で、歌姫の護衛しててねぇ……今回も、演説する歌姫の護衛するために呼びつけられたんだよ」 「そーかそーか。それでどうして、俺の部屋にまで入ってくる!護衛なら、廊下に突っ立ってろ!」 「はいはい、そう言わずに。紅茶淹れてやるから、大人しくしろって」 まだ言い足りない俺を、ハイネが制する。 ちゃかちゃかと微かな音を立てて、ティーセットを手にとって。 優雅な仕草で、琥珀色の液体を注ぎ込む。上手に淹れた紅茶は、ミゲルの瞳みたいな、色で。――否、ミゲルよりはちょっと、濃い、かな。それでも、切ない。 「そもそもミーアはどうして此処に来たんだ?」 「だから。これのお礼を言いにきたって言っているじゃない」 「駄目だろ、歌姫。久しぶりに婚約者に会ったんだから、アスランのベッドに行かなきゃ」 「そ……それもそうね、ハイネさん。ミーア、失敗しちゃった?」 「いや、次にそうすればいいさ。……で、仕事中毒のジュール隊長も、そろそろ官舎に戻って休めよ。お前、ついさっき、あんな戦闘して、そのまま本国に呼び出されて、殆ど寝てないだろ?ちったぁ寝ないと、明日の任務に差し支える」 ぽんぽんと飛び出してくる二人の会話に、今更ながらに遠い目をする。 なんだろう。この二人を見ていると、俺ってひょっとしたらものすごく、まともな人間のような気が、してきた……ぞ? 遠い目をしている俺を後目に、ハイネがミーアに次々とよからぬ知識を教え込んでいる。 耳をそばだてて聞いてみると……。 「まぁ、仮にも婚約者なんだし?何したっていいわけだし。ベッドに忍び込めばいいだろ。近くに俺がいたら、羨ましい限りだな、アスラン=ザラ。くらいは言ってやる」 「でもぉ。やっぱり、アスランの婚約者はラクス様でぇ。アタシ、すぐにラクス様じゃないってバレたのよ?それなのにそんなことしても、いいのかしら」 「歌姫は、アスランが好きなんだろ?だったら、それぐらいしないきゃ、手に入んないぞ?」 「それは……」 ミーアが、俯く。 いや、俺の執務室は一体いつの間に、恋愛相談所になったのだろう。 しかも、相談員はハイネ。 ……参考になるのか?と思うのは、俺だけだと思う。 誰も愛せなくて、誰にも本気になれなくて。いつもいつも上っ面の笑顔。しなやかに泳ぐように人波縫って。それが、ハイネだから。 本気の恋、何て。相談しても、仕方ないような気が、する。 「イザーク?」 黙りこくった俺に、ミーアが心配そうな顔をした。 そして、俺の手を取って。 「ごめんなさい、戦闘で、疲れてるよね。ミーア、今日はこれでお暇するね。また、一緒にお茶しましょうね」 「いや、ミーア……」 「ハイネさん、わたくしの護衛は、結構ですわ。他にも、護衛の方はおりますから。イザーク様を、お願いしますわね」 「畏まりました、歌姫」 ミーアがラクス=クラインのように言うと、ハイネは軽く腰をかがめて。 恭しく……まるで貴婦人に対する紳士のように恭しく、答えた。 まるで作法の教科書に出てくる紳士の、見本のような。お手本のような、そんな仕草。優雅で、優美で。 ハイネは、全てが絵になるほど、優雅で。自分をおそらく良く、知っているのだろう。どうすれば一番自分が魅力的に見えるか、そう言うのを、心得ている人間だと思う。だから、彼の動作は、その一つ一つが絵になる。 ミゲルも、そう言うタイプだったと思う。 あいつの場合は、どちらかと言うと本能で悟っている、と言う感じだったけれど。 どうすれば自分が魅力的に見えるか、きっと知っていた。いつもいつも、驚かされてばかりで。ドキドキしてばかりで。 悪びれた様子もなく謝るのに、それでもつい、頷いてしまって。 でも、一番深い部分で、大切にしてくれた。 だから、愛して。依存して、執着して。 だいすき、だった。 「とりあえず俺、歌姫をそこまで送ってくるから、待っててくれ」 「……分かった。ミーア、また、な……」 「うん!また、一緒にお話しようね!本当に、髪飾りどうも有難う!」 ぴょこん、と頭を下げて、手を振って。 優しい余韻を残して、ミーアは帰って行った――……。 ハイネの手で、官舎まで送られる。 ジュール家の本家には何度か訪れたことがある、とハイネは言っていた――考えてみれば、当然のことだ――けれど、俺自身の官舎や実家にある部屋を訪れたことは、ない。 『疎遠な従兄妹』って言うのは本当に、強ち間違いじゃない。 俺とハイネは、本当に疎遠で。 従兄妹だと言うことだって、俺自身あまり良く理解していなくて。 銃口を向けられて初めて、自分の存在に思い至って、母に尋ねた。そして漸く、知ったんだ。俺には、母以外にまだ、血縁がいるのだ、と。 「とりあえず、今日はちゃんと寝ろよ?戦闘もあって、疲れているはずだ。明日も……」 明日も、任務があるはずだから、と。ハイネは言う。 任務の内容は、おぼろげながら分かっていた。 おそらく、アスラン関係の任務が、割り振られるのだろう。 俺とアスラン、ディアッカが、クルーゼ隊の同僚だったこと。アカデミーの同期だったことは、周知の事実なのだから。 議長の思惑が、透けて見える気が、した。 たとえば、俺が「殺してくれ」と。「ミゲルの元へ逝きたい」と喚いていたとき、真っ先にハイネに説得をさせたように。 議長は、自分にとって必要な力と判断すれば、それを手に入れるための手段は、選ばないタイプの人間だと思う。 そして、アスランの力を、欲しているのだろう。 その気持ちは、分からなくもない。 アスラン=ザラは、プラントにとって戦犯であると同時に、大戦の英雄でもある。そして、ラクス=クラインの婚約者だ。歌姫として立つミーアの隣に彼があれば、それだけでプラント市民はミーアを認めるだろう。 その美しい幻想を認め、その幻想に縋りつくだろう。 全て、分かりきっていることだ。 それが、プラントに今もなお現存する、美しい夢なのだから。 「……俺は、アスランを赦せるだろうか」 「イザーク?」 「ディアッカを、赦せなかった。傷ついて、詰った。俺は、またあのような失態をするんじゃないだろうか。……だって、赦せないんだ、俺は!」 どうして、どうして。 奪われた仲間の命を、まるで意に介していないような。そんなことが、あいつらはできるのだろう。出来たのだろう。 それだけじゃない。“フリーダム”に科せられた思いさえも、あの男は踏み躙った。 あの機体は、ニコルを失った、穏健派のユーリ=アマルフィが、戦争を終わらせるために、禁忌に手を染めてまで開発した機体だったのに。それなのに、その機体を乗り回したのが、ニコルを殺した男だったなんて! 知っていたはずだ!アスランだって、知っていたはずだ! それなのにどうして、そんな真似が出来る!? あの機体を――“フリーダム”を、どうしてニコルを殺した男の手に、託すことが出来る!? 「それでもディアッカは、分かってくれただろ?」 「……」 「お前の思いを、分かってくれただろう?理解しようとしてくれただろう?目を背けていた現実を、認めてくれただろう?」 そう。ディアッカは、分かってくれた……と、思う。 俺の気持ちを、知ろうとしてくれたと、思う。 知ってくれようとしている。それは、何よりの、幸せ。 でも、その幸せは、常に当てはまるものでは、ない。 それはまるで、奇跡のような確率。 砂漠の中で、輝石を探し出すに、等しい。草むらで、針を一本、探すようなものだ。 滅多に起こりえない、そう言う種類のもの。 また、次も。同じように同じ奇跡が起こるわけも、なく。今度と言う今度は多分、俺はアスランと分かり合えないと思う。平時でも、分かり合えなかった。違う軌道を眺めた今となっては、それはより一層顕著だろう。 「それは、どうかな……」 「ハイネ?」 俺が思ったことをそのまま率直に伝えると、ハイネは苦虫を噛み潰すような、そんな顔をした。 どうしてそんな顔をするのか、分からない。 でも、そう言う顔を、するから。 「気づいていないんだったら、いいさ」 「何が?」 「お姫様は、昔も今も、鈍いってことだろ。ミゲルも言ってたもんなー。俺らの姫は、超がつくほど鈍い、鈍すぎるってな」 「なっ……!失礼だぞ、貴様ら!」 「事実だろー?何だって、気づかない……分からないかな?俺には、そっちの方が驚き」 「貴様は!」 「はいはいはいはい、怒らない怒らない。俺もそろそろ帰るからさ。お前も、しっかり休めよ」 「ぁ……」 ハイネが、言って。 俺の傍から、姿を消そうとする。 その、軍服の裾を、掴んだ。 ぎゅっと握り締めると、案の定クン、と引っ張られて、ハイネが渋い顔で振り返った。 「何だよ」 「眠れそうにない」 「だから?俺に寝物語でもしろって言うのかよ」 「それ、いいな。貴様らの馬鹿かりし頃の思い出でも語ってくれ」 「アホなこと言うな。馬鹿はミゲルだけだっての!……ってお前、本気かよ」 ハイネの瞳が、俺の瞳を覗き込む。 ハイネの瞳は、緑色。 けれどその瞳の色は、一口に緑、と言えるものではなくて。 例えば、俺の瞳は青色、と言われるけれど。蒼、にもたくさんの種類がある。 俺の瞳は、近親相愛――と言えるものではないかもしれないが、兄妹の間にできた子供、と言う意味合いではそう言うことになるだろう――の果てに生まれた俺の瞳は、その弊害としてどこか金属めいた色調をしている。 いうなれば、『メタリックブルー』と言えるのかもしれない。 ハイネの瞳は、緑であるけれど。深い緑、と言うわけではなく。 緑柱石、と称せるような、鮮やかな緑だった。 鮮やかに、鮮やかで。けれどどこか、底知れない闇を垣間見せるような、そんな色調。色は、鮮やか。どこまでも、どこまでも。どこまでも、鮮やかに煌くのに。その奥底に、光を寄せ付けないどろりとした闇を、感じる。 でも、その闇はどこまでも、慕わしいんだ。 どこか、その闇は、落ち着く。 「仕方ないな。寝物語でも何でもしてやるよ。だからさっさと、寝ろよ?」 「……分かった」 優しい声 紡がれる思い出 愛しい記憶 それは、幻想 同じ箱庭で 同じ幻想の檻で 三人で見た、綺麗な夢の残滓 だからこそ、その夢は愛しく 引き裂いてしまいたいほど、愛しく ばらばらに砕け散ったカケラを 尖ったその破片で掌を傷つけながら、掻き集める それは、愚かですか? 降り注ぐ日の光を浴びて、目を覚ます。 覚醒を促す陽光に、しなやかに四肢をゆっくりと伸ばして。 軽く、伸びをする。 見覚えのある風景に、たった一つ、異分子が転がり込んでいる。 「起きたか?」 起こしに来たハイネは、しっかりと軍服を着用していた。 そういえば、この男の無防備な姿を、まだ目にしたことがないことに気づく。 ハイネはやっぱりミゲルに、似ているけれど。そう言うところは、似ていないな、と思った。似ているけれど、違う。二人は、あまりにも違うように、思う。 嗚呼、それは闇が。 貴方の闇が、より一層、深いと言うこと? 「まだ目が覚めていないのか、イザーク?」 「……覚めている」 「本当に、朝は苦手なようだな、お前は」 苦笑するハイネに、むっとした顔を返す。 ハイネは、それには特に答えず。 とりあえず、起きてこい、と。そう言った。 ここは、俺の家なんだがな。 「あ。イザーク、おはよう」 「あぁ、おは……って!何で貴様が此処にいる、ディアッカ!」 「そりゃあ、隊長を迎えに決まっているじゃない」 「迎え?」 「臨時任務ってやつ」 軽くウィンクして、ディアッカが言った。 ハイネは、勝手にキッチンを漁って、お茶を淹れている。 これは……この家のドアを開けたのもきっと――いや、絶対――ハイネだろう。 脱力してへたり込むと、紅茶の香気が漂ってきた。 「イザーク、お茶入ったぞ」 「……分かった」 何事もないように言うハイネに脱力しながら、リビングのソファに腰掛ける。 アンティークの、ソファセット。軍人になって、初めての給料で購入した、気に入りのものだ。 ローテーブルの上に、ハイネが俺の分の紅茶の入ったティーカップを置いて。それから、隣に腰掛けて、悠然と紅茶のカップを傾けた。 「臨時任務?」 「そう。友好国の人間が、外出を求めているんだって。その護衛・監視の任務を命じられた」 「それは……」 「アスラン」 「……やっぱり」 予想通りの答えが帰ってきて、溜息を吐く。 アスランがプラントに帰ってきたことは、昨日ミーアに言われて知っている。何かあれば、呼び出されるのは自分たちだろう、とも思っていた。 予測していた筈だったけれど、その任務に対する覚悟はしていなかったんだ、と。そう、思った。 俺は、アスランを。アスランに。憎しみを、叩きつけずに、いられるだろうか。 何故、“フリーダム”をあの男に蹂躙させたのだ、と。 そう言わずに、いられるだろうか。 自信が、なかった。 アスラン=ザラの、その能力は確かに、ザフトとしてはなんとしても欲しいものだと、思う。 だからこそ、ディアッカのときのような失敗は許されるはずもなく。でも、感情に任せて詰らないかと言われたら、それもまた、分からなかった。 信頼したいと思う。 彼の、プラントへの気持ちを、信頼したいと思う。 けれど同じように、納得できないものが心のうちで、澱のように溜まっていることもまた、俺は自覚していた。 「とりあえず、着替えて。任務に就くことにしようぜ」 「……ああ」 「イザーク」 「何だよ、ハイネ」 「お前は、大丈夫だ。だから、心配せずに行ってこい」 静かな目で、ハイネは言った。 大丈夫だから、行ってこい、と。 お前は、怒りで我を忘れたりは、きっとしないから、と。けれど、自分が一番、信用できないんだ。 「大丈夫だ、イザーク」 「ディアッカ」 「仮に、アスランを詰ったとしても、アスランはきっと、その気持ちを察するんじゃないのか?あいつ、そう言うやつだっただろ」 「そう、だな」 ディアッカの言葉に、頷いた。 そう。 そう。 そうだ。 アスラン=ザラは、ぐるぐると悩みこむ奴で。プラントを離れたのだってきっと、父親が最大の戦犯となってしまったからで。自身の影響力を知っての、判断だったのだろう。 彼の気持ちを疑うのは、愚かだ。 彼の、プラントへの想いを疑うのは、愚かだ。 だって、プラントは祖国なのだ。それは、アスラン=ザラだって、変わらない。それを疑うのは、愚かだ。疑ったって、どうしようもないことだ。彼の思いは――プラントへの思いはきっと、本物だから。 悩んだって、仕方のないことだ。 感情が爆発したら、そういえばいい。 思うことを、率直に言えばいいだろう。 アスランがそれで、不快に思うことも、あるまい。 クルーゼ隊にいたときは……アカデミーにいたときは、そうやっていたじゃないか。 そうと決まれば、とりあえず着替えて。 アスランのところへ、行かなければ。アスランに会うのは、二年ぶりなのだ。そして、もう、三人だけなんだ。 クルーゼ隊の生き残りは、もう、3人だけなんだ。 アスランやディアッカがかけた後のクルーゼ隊の生き残りは、まだいるけれど。二人ともに知っているクルーゼ隊の生き残りはもう、俺たち3人だけで。ニコルの死も、ラスティの死も、ミゲルの死も。 その痛みは、3人に共有のもの。 「隠密行動が必要な任務、なんだな?」 「そりゃそうでしょ。幾ら友好国の人間とは言え、歩き回られたら困るわけだし。オーブは、地球の一国家だ。この状況では、幾ら中立のオーブの人間といっても、プラント国民の気持ちを考えると、表立って行動させるわけには、いかない」 オーブは中立だけれど、地球に存在する国家のひとつだ。 幾ら中立といっても、地球に存在すると言う、それだけで、地球連合の仕打ちに対する憤りをぶつける人間が、出ないとは限らない。 プラントに放たれた、核という禁断の炎。 その齎す痛みは、それほどに大きいのだから。 「私服か……どうするかな。この前のスカート……駄目だな。いざと言う時に動けなかったら、護衛の意味がない」 「スーツにすればいいだろ、パンツスーツに」 「貴様、この前と言っていることが違うぞ」 「別に、アスラン=ザラの前でワンピースの必要は、ない。その必要性を、俺は認めないね。スーツでいいだろ。ワンピースだと、まともに蹴りも入れられない。護衛には、不向きだぞ?」 「正論を吐いているようで正論に聞こえない発言だな、ハイネ」 溜息を吐くが、確かにパーティーならまぁ、我慢できるが、それ以外の場所では出来るだけパンツスタイルを貫きたい俺としては、これ幸いとばかりに頷いた。 「あぁ、これなんていいんじゃないか?」 笑いながらハイネが差し出したのは、モスグリーンのスーツの上下だった。 よりにもよって、これを差し出すか、と思う。 綺麗目の色ではあるけれど……中のシャツの色を選ぶと言うか。下手をすれば悪趣味と言われそうな……まぁ、別にいいが。 「インナーはこれで、ネクタイはこれでどうだ?」 「さすがに、それは……」 ハイネがそう言って選んだのは、ピンクのシャツに青のネクタイ。 まだ薄いピンクだからマシと言えばマシかもしれない。 が。さすがにちょっとその組み合わせは、どうなんだろう。 眉を寄せる俺とは対照的に、ディアッカは腹を抱えて爆笑している。 「いい!イザーク、それいい!それ着ていけよ!」 「人事だと思って、貴様は!」 「いや、ナイス!ナイスなコーディネイトだ!それ着ていけよ!アスランもきっと笑うって!」 「笑われる必要がどこにあるって言うんだ、貴様は!」 ひぃひぃ笑って爆笑しているディアッカに、拳骨を一つお見舞いしてやる。 俺が着たもの、と言うのはまぁ……言わずがもな、と言うか。 そう言うものだった。 外出を希望したアスランが希望した外出先は、ニコルたちの、墓だった。 つい先日、ハイネとともにやってきた場所だ。 時刻は、黄昏時。 それも、この前と同じだった。 買い求めた花束を、その墓石に置く。 墓石に刻まれた数字は、その墓の所有者がそれぞれ、どれだけの時を生きて死んだか、それを表している。 あまりにも多くの若者が、プラントを守るためにと軍に志願し、そして若すぎる命を、それぞれの場所で散らした。 それが戦争と言えば、それまでだけれど。 「積極的自衛権の行使……やはりザフトも動くのか」 「仕方なかろう。核まで撃たれて、それで何もしないというわけにはいかん」 沈痛な面持ちで、アスランが呟く。 『積極的自衛権の行使』と。どれだけ厚化粧で塗りたくった言葉を用いても、その指し示す言葉の本質は、変わらない。 プラントもまた、連合の攻撃に対して相応の手段に出る。その言葉が意味するのは、それだけだ。 「第一波攻撃の時も迎撃に出たけどな、俺たちは。やつら、間違いなくあれでプラントを壊滅させるつもりだったと思うぜ?」 ディアッカの言葉に、頷く。 放たれ、そして何とか迎撃できた、核の炎。 それは、プラントの国民の中に眠っていた恐怖を、再び呼び起こした。 もう、誰も止まらないだろう。 国民の意識は、間違いなくあれで防衛のための戦争に傾いた。 そうだろう。国家には、国民を守る義務があるのだから。 「で?貴様は?」 「え?」 「何をやっているんだ、こんなところで!オーブは!?どう動く?」 アスランの言葉に、苛立ちが募る。 力を、持っているじゃないか、貴様は。 間違いなく、力を、持っているじゃないか。プラントを守れるだけの力が、あるじゃないか。 オーブにいて、何をするのだ。何のために、プラントにやってきたのだ。 プラントを、守るためじゃないのか? 気づいたら、アスランに向かって、言っていた。 「……戻ってこい、アスラン」 俺の言葉に、アスランが驚いたような顔を、している。 けれど、力が。 力が、あるだろう?守れるだけの力が、あるだろう?無力に嘆いている、そんな暇はないんだ、アスラン=ザラ。 「事情は色々あるだろうが、俺が何とかしてやる。だからプラントに戻って来い、お前は……」 「……イザーク……いや、しかし」 アスランが、躊躇いを見せる。 躊躇いの理由は、オーブの姫だろうか。 それとも、今なお蔓延るザラの呪縛か。 けれど、今。その力を、プラントは必要としている。 「俺だって、コイツだって。本当ならとっくに死んだ筈の身だ」 ディアッカは、脱走罪をかけられていた。 それだけでなく、ディアッカは先の大戦の折、味方を――ザフトを攻撃している。 そして俺もまた、断罪された筈の身だ。 俺に、ディアッカのような罪は、かけられていない。けれど、クライン派が政権を奪取したあの時、ザラ派の鼓舞するままに戦場に立ったものたちは皆、断頭台に送られる立ち位置にいた。 政権の交代とは、そう言うものだ。それまで正義と信じていたものが、悪になりうる。自分が信じていた正義が、足元から崩れ去る。 それを、あの時の生き残ったザフト兵はまざまざと実感した。 そして俺は、生き残ったMS部隊の中で、上位に位置していた。責任を、一番負わされる立場に、あった。 けれど、デュランダル議長は言ったのだ。 「だが、デュランダル議長はこう言った。『大人たちの都合で始めた戦争に、若者を送って死なせ、そこで誤ったのを罪と言って、今また彼らを処分してしまっては、一体誰がプラントの明日を担うと言うのです?辛い経験をした彼らにこそ、私は、平和な未来を築いてもらいたい』と。だから俺は、今も軍服を着ている」 アスランが、真剣な面持ちで俺を見た。 そうやって助けられた命さえも、ともすれば擲とうとしたのは、それは言わない。 言っても、せんのないことだ。 デュランダル議長の言葉だって、確かにそれは彼自身の率直な気持ちだったのだろうが。同時に彼は、ザフトに恩を売ることにも成功している。 ラクス=クラインへの信奉者よりも、ザフトにおいてはデュランダル議長の信奉者の方が、多いのではないだろうか。 ラクス=クラインが、何をしてくれたと言うのだろう。 彼女はただ、大きな力で全てを薙ぎ払い。そして、全てが終わったら、責任を取るでもなく隠遁した、無責任な少女でしかない。 ザフト兵の命を救ったのは、ラクス=クラインの綺麗事ではなく。議長の、その言葉だったから。 戻ってこい、と。 もう一度言う。 それだけの力が、あるのだから。 「だからお前も、何かをしろ!それほどの力、ただ無駄にするつもりか!?」 アスランは、応えなかった。 ただ、翡翠の瞳は。 痛々しいほどに、真摯だった。 此処に、遺体なんてなくて。 何も残さずに、彼らは死んでしまって。 そして此処にあるのは、彼らの命を無駄にするような、そんな現実で。 安らかに安らかに、と歌う。 歌は安らぎになるとは、限らないけれど。 願いが奇跡を描いて。黄昏の空に、解けた。 それは、鎮魂歌のように――……。 祈りましょう 安らかなれ 安らかなれと この現実は 生き残った私が 引き受けねばならないものだから――…… -------------------------------------------------------------------------------- ハイイザ『Elysium』第12話『黄昏の鎮魂歌』をお届けいたします。 残すところ、あと3話です。 少しはイザークは、満たされたでしょうか。 少しはイザークは、幸せになれただろうか。 それは、誰が決めることでもなく彼女が決めることなのかもしれないけれど。書き手としては非常に、この子は幸せになれただろうか。なれているだろうか、と。 それだけが、気がかりで堪りません。 幸せは、誰が決めることでもないけれど。 この子が、幸せになれているように描けていれば、私は嬉しい。 そんな感じです。 私は、多少は幸せになれたと、思っているのですが。 ここまでお読みいただき、有難うございました。 |