澄んだ 透明な歌声

温かい 笑顔

おぞましい女の 面影を宿した少女は

夢見るように あどけなかった――……。










〜傀儡人形〜









「失礼致します。イザーク=ジュール、お召しにより参上致しました」
「入りたまえ」
「はっ!」


 入室し、議長の前で最敬礼をする。
 正面に座る議長の眼差しが、含むような笑みを浮かべたまま、舐めるように俺の全身に絡みつく。
 正直、不快だった。

 ギルバート=デュランダル。
 先の大戦の折、その終盤においてザラ議長の政権に取って代わったのは、臨時評議会だった。
 議会に名を連ねたのも、議長に就任したのも、クライン派だった。
 臨時評議会はやがて、その役割を終えて解散する。通常議会が回復し、その議長にはアイリーン=カナーバが就任するもの、と。誰もが信じて疑っていなかった。
 しかし蓋を開けてみれば、議長に座したのは目の前の男――ギルバート=デュランダル――だった。
 恩ある方だが、どうも胡散臭い。それが、俺の彼への印象だった。


「例の件だが、君もハイネに協力してくれたらしいね、イザーク」
「はい。……しかし、ご期待に添えませんでした。申し訳ありません」


 結局俺は、“フリーダム”と“エターナル”の行方を、掴むことが出来なかった。まずはそれを、詫びる。
 それは明らかに、俺の失策だったから。

 感情的に、なりすぎた。
 感情を制御することが、出来なかった。
 会見は、結局俺の感情を爆発させるだけに、終わってしまった。


「いや……すまなかったね、イザーク。君にはどうやら、酷な思いをさせたようだ」
「そのようなことは」


 否定の言葉を、連ねる。
 あれはただ、俺が臆病だっただけの、話。
 もっと早くに、直面せねばならなかった問題から、臆病な俺は目を逸らし続けていた。その罰が、当たったんだ。きっと。


「いや、やはり君には、少々酷だった。……すまなかったね、イザーク」
「そのようなことは、ありません。私の、失策です」
「ハイネも、全ての責めは自分が負う、と。言っている」
「な……っ!?それは違います!」


 何で……何で、ハイネ。
 あれは、俺の責任だ。
 俺が、弱かったから。

 ハイネ……俺の従兄。
 そうやって彼は、俺を庇って。背負い込んで。
 いつか、潰れてしまうんじゃないだろうか。
 いつか俺は、彼を潰してしまうんじゃないだろうか。
 それが、怖い。
 怖くて……怖くて、堪らない。


「落ち着きたまえ、イザーク」
「しかし……!」
「落ち着きたまえ。……私は別に、君たち二人、咎めるつもりなど、ない」


 静かな声で、議長はそう言った。
 俄かには信じられず、俺は呆然と議長を見詰める。
 端正な顔に、議長は柔和な笑みを浮かべた。


「君たち二人、咎めるつもりは、ない。……君は本当に良くやってくれたよ、イザーク」
「議長……」


 俺は、何も出来なかった。
 そんなこと、俺が一番良く理解している。
 それなのに「良くやった」などと。何を……何を言おうとしているのだろう、この人は。


「ところで、君はどう考えるかね?」
「どう、とは?」
「“エターナル”そして“フリーダム”について、だ」


 柔和な笑顔を崩さずに、畳み掛けてくる。

 “フリーダム”
 条約違反の、核兵器搭載型モビルスーツ。
 俺が賜る筈だった、機体。
 それなのに俺ではなく、ミゲルを殺した男が搭乗した、機体。

 あれだけは……“フリーダム”と“エターナル”だけは、この手で破壊しなければ、気がすまない。
 元素のレベルまで粉々に打ち砕いて、その藻屑を宇宙の深遠に打ち捨ててやりたい。
 その衝動を、俺は抱えている。


「私……は……」
「失礼します、議長」


 口を開いたタイミングで、扉が開いた。
 現れたのは、俺の従兄。
 どこにも……少なくとも纏う色彩において共通点の見出せない……それでも血の繋がった、俺の従兄の姿があった。


「思ったとおり、ザフト内部もだいぶ切り崩されているようです。物資の横流しも、多い。おそらくその大半は、彼らの資金源になっているものと思われます」
「なるほど。しかし、証拠はあるかね?」


 証拠……そう、証拠だ。
 証拠もなしに、決め付けることは、出来ない。決め付けては、いけない。
 直感だけで、国家権力を動かすわけには、行かないのだ。


「証拠は……状況証拠としての証拠ならば、あります」
「イザーク?」
「私は、“フリーダム”並びに“エターナル”を隠匿したのは、オーブであると考えております」
「イザーク!」


 厳しい声で、ハイネが俺を叱咤する。
 従妹に、彼は甘い。
 俺の発言が、俺に不利に働くことを、恐れているのだろう。
 議長は、いわゆるクライン派の畑から、政界に進出した人……だから。


「申し訳ありません、議長。彼女は少し、混乱しているようです。退室させてもよろしいでしょうか?」
「いや……続けたまえ、イザーク」
「議長!」


 咎めるような口調で、ハイネが鋭い声を発する。
 そこにある冷然たる冷たさと厳しさに、躯が竦む。
 ここ最近、今まで知らなかったハイネの一面を知ることが、増えたような気が、する。
 ハイネ=ヴェステンフルス。
 甘い顔立ちと陽気な表面に騙されていたが、彼も男なのだ。敵と見なせば、その牙を剥く。


「イザークを、どうされるおつもりですか?」
「ハイネ?」
「イザークを、どうされるおつもりです。こんな……こいつが何を思っているかなど、貴方にはとうにご存知の筈でしょう」
「ハイネ、落ち着け」
「イザーク……だが!」
「俺を嵌めるための罠ならば、もっと綿密に練って気づかせないよう張り巡らせる筈だ。――違いますか、議長?」
「違わないね」


 楽しむように琥珀の瞳を眇めて、その人は笑った。
 底知れないものを、感じる。
 胡散臭く感じられて、仕方がない。
 けれど今この瞬間、彼は『敵』ではない。少なくとも、俺を罠にかけようとしているわけでは、ない。そう俺は、感じた。ならば別に、問題はないだろう。


「私は、オーブの背信を目の当りにしました。あの国は、自国のためならば、同盟国など平気で裏切る国です」
「ほう?」
「勿論、国家は国民なくして成り立たないものであり、為政者たるものは、国民を守るべきであると、私は思います。国民のため、同盟国を裏切ると言うのなら、それはやむなき仕儀であると言えるでしょう。しかし、あの国は、違う」
「イザーク、お前が言っているのは、憶測だ!」
「憶測じゃない!」


 止めよう、と。
 何とか従妹を止めよう、と。それゆえに言語化されたハイネの言葉は、どこか悲鳴染みているもののように、感じられた。

 望んでいないのに、ハイネ。俺は、そんなこと、望んでいないのに。
 それなのに、俺を庇い続けるお前の情熱は、俺には酷く異質なものに感じられて、仕方がなかった。

 優しい優しい、俺の従兄。
 その情熱は、本来であれば別の存在に、捧げるべきものであった筈なのに。
 どうしてそれを捧げられるのは、俺なんだろう。
 この世界で、きっと最も異質な、俺なんだろう。


「先の大戦の折、“足つき”がオーブに逃げ込みました。公式発表であの国は、“足つき”は領海を離脱した、と言ってきた」
「それで?」
「それは、事実などではなかった。あの国は、“足つき”を庇い立てた。中立を謳いながら、あの国はあの瞬間、まさしく中立ではなく、彼の陣営に肩入れをしていた」


 あの国は、『中立』などでは、決してなかった。

 非戦を掲げ、理想を掲げる。
 掲げられた言葉は、どこまでも美しかった。
 戦いを続ける俺たちに、その言葉は切実に美しく、響いた。

 戦いたくない、誰だって。
 誰だって、殺し合いなんて、したくない。
 けれど、殺さねば、守れなかった。
 戦わねば、守れない。
 俺たちは、俺たちに劣る種族に、隷属することなど、できない。
 誰かに膝を屈し、飼われることをよしとして生きるものも、いるだろう。しかしコーディネイターは、そうではなかった。
 俺たちは、自治を欲した。
 『ヒト』として、生きたかった。
 『ヒト』として、生きる術《すべ》が欲しかった。
 それは、そんなにも愚かな大望だったのか。
 望んではいけない、願いだったのか。


――――『お前のキズ、俺は受け入れるよ』――――


 笑って、『彼』はそう言った。
 俺が抱えた『疵』を。俺が持っている『傷』を。俺が負った『瑕』を。彼は、受け入れてくれる、と。
 すべてを知った上で、『彼』はなおそう言った。

 本当は、俺の彼への気持ちは、『恋』だとか、『愛』だとか、そんな綺麗なものじゃないのかも、知れない。
 彼は、受け入れてくれたから。
 全て、受け入れてくれたから。
 その上で、『愛している』と。そう言ってくれたから。

 『彼』が、俺の全てになった。
 『彼』を中心に、俺の『世界』は回るように、なった。
 ……だから俺は、『執着』しているのだろうか。彼の生に。彼が、傍にいてくれることに、執着して。
 『恋』とか『愛』とか。そんな綺麗な言葉で、俺自身の感情を押さえつけている、だけなのだろうか。
 そんな綺麗な言葉で、誤魔化しているだけなのかも、知れない。



 それでも、本当に。本当に、ミゲル。本当に俺は、お前のコト。
 『大好き』だったんだ――。


「オーブは言いました。中立国のコロニーを破壊するとは、何事か、と。しかしあれは、中立ではなかった。ヘリオポリスという名であったコロニーの守備に当たったのは、地球軍だった。そしてそこで開発されていたのは……」


 モビルスーツ。
 地球軍の、モビルスーツ。
 そして奪取しようとして、戦死した……。

 大好きだった、ミゲル。
 友達だった、ラスティ。
 大切、だった。
 あそこにあんなものさえ、なければ。
 オーブが、あんなものさえ開発しようとしなければ。

 ヘリオポリスで、二人が死ぬことは、なかった筈。
 あんなにもあっさりと、全てが終わるなんてこと、なかった筈なのに……。


「イザーク……?」
「っ……!」


 隣から、甘い声がかかる。
 甘い甘い、声。
 大好きな、声。

 でも、違う。
 お前はやっぱり、あいつじゃない。
 お前は、ミゲル=アイマンじゃなくて、ハイネ=ヴェステンフルス。俺の、従兄だから。

 差し出された、手を。気づけば、振り払っていた。
 彼は、心配しているだけなのに。
 頼りない年下の従妹を、心配しているだけ、なのに。
 それは、とても有難いのに。
 でも、彼はミゲルじゃ、ない。
 ミゲルじゃ、ないんだ……。

 彼は、俺の従兄。
 彼は、ハイネであって。ミゲルじゃ、ないから。
 従兄であって、恋人でも、ないから。
 だからこれ以上、甘えては、いけない。

 違う。そんな優しい気持ちで切り離そうとしているんじゃ、ない。

 怖いんだ。
 『トクベツ』を作ってしまうのが、怖い。
 竦む気持ちはそれだけが原因ではなく、もっと根源的なところに、その理由はあるのだけれど。
 でもやっぱりその気持ちも、俺の感情の中で大勢《たいせい》を占めているんだ。

 『トクベツ』を作って。
 もしもまた喪ったとしたら?
 絶対に、立ち直ることなど、できないだろう。



 『トクベツ』なんて、作れない。『トクベツ』なんて、いらない。
 ハイネの気持ちを、拒絶せずにはいられなかった。でも、ハイネじゃなくても。俺は他者から向けられる情熱を、拒絶し続けるだろう。
 『トクベツ』なんて、要らない。
 そんなもの、要らない。
 一人で、立って行ける。
 ミゲルがいなくても、一人で立って生けるような、そんな強さが欲しかった。


「あの国は、信義に値しません。それは、あの国の数々の背信行為を見れば、明らかでしょう」
「しかしそれではやはり、『絶対的な証拠』には、ならないな……」


 俺の激情を宥めるように、柔和に。議長はそう、仰る。
 見たく、なかった。
 ハイネの顔なんて、見たくなかった。
 傷ついた顔をしているかもしれないハイネの顔なんて、見たくなかった。

 俺を大切にしてくれる、従兄。
 その優しさを、知っているから……。


「あの勢力には、オーブの姫も与していた」
「うん?」
「オーブ艦、“クサナギ”の姿を、確認しています。それは、中立を謳った彼の国が、紛れもなく一つの組織に与した、その表れのはずです。中立を謳い、他国を侵略しないことを理想と掲げながら、あの国はあの時、プラントを攻撃した」
「そうだね……確かに、あの状況ではそうも考えられる……」


 俺の言葉に、議長は琥珀色の双眸を伏せた。
 組んだ手の上に、顎を置いて。思案気に。


「……もういいでしょう、議長。これ以上は、やめてください」
「ハイ……ネ?」
「これ以上、イザークを混乱させるのは、やめてください。まだ、キズが癒えていないんです。これ以上は……これ以上は、あまりに酷だ」


 そんなことはない、と。
 口にしようとした言葉は、ハイネの鋭い視線に直面して、発するよりも先に俺の唇の先で凍りついた。
 逆らうことを許さない、瞳だ。
 それは、傲慢とも取れる、酷く威圧的な眼差しだった。普段の俺ならば、間違いなく食って掛かるであろう種類の、眼差し。
 けれど、何も言えなかった。
 何一つ口にするでもなく、言葉はおろか唇の動きまで凍り付いてしまったかのような、そんな錯覚。

 庇ってくれなくて、いいんだ。
 大事になんて、してくれなくていいんだ。
 そう言う風に大事にされたら、俺はいつまでたっても弱いままじゃないか。
 いつまでたっても、強くなれないじゃないか。

 強くなければ、いけないのに。
 部下たちの命を預かるに相応しい強さを、俺は手にしなくては、いけないのに。


「そうだね、確かに、君には酷なことをしてしまったな、イザーク」
「そのようなことは、ありません!」
「無理をしなくてもいい。先ほど言ったばかりだと言うのに、その舌の根も乾かぬ内から、こんなことをしてしまって……悪かったね」
「いいえ」


 すまなそうに、議長はその琥珀色の瞳を細めた。
 本当に謝罪しているのだと言うことが分かって、少し決まりが悪くなる。
 政治家が、それでどうするのだろう。言質を取られたら、お仕舞いなのに。
 だから、政治家は不用意なことは言ってはいけない、と。母はいつも、そう言っていた。
 あの人はゆくゆくは、俺に彼女の後を継がせたいと考えていたようだったから。
 俺に政治家なんて、務まるはずもないのに。

 そうやって俺にかける期待は、父上への贖罪の気持ちも、きっと多分に含まれているのだろう。
 だから、俺も母には何も言えない。

 あの人は、父上を愛しているから。
 今もずっと、俺の父である人を、愛しているから。

 本当に、俺は母にそっくりだと、思う。
 顔ではなく、この心の有様など、そっくりではないか。
 我ながら、苦笑いせずには、いられない。


「しかし、ハイネ。実は本題は、ここからなのだよ」
「え?」


 議長の言葉に、ハイネが虚を突かれたような声を発した。
 全く持って、予想外のことだったらしい。
 ちょっと間抜けな声に、俺は忍び笑いをしそうになった。
 ハイネがこんな風に、呆然とするなんて。滅多に拝めるものでは、ないから。


「こちらに来たまえ」


 執務机の奥の小部屋に、議長は声をかけた。
 薄暗い扉の向こうで、特徴的な桃色の髪が、揺れる。
 まさか……まさか……まさか……。
 まさか、あの女が?
 あの女が、ここにいるのか?

 青褪める俺の腰を、ハイネがさり気なく抱いた。
 今度は、振り払わなかった。
 気持ちの全てが、忌まわしい女のほうへ、向いていたから。


「こんにちは、ラクス=クラインですわ」


 現れた女は、俺に向かって軽く会釈をした。
 違和感を、感じる。
 こんな女、だっただろうか。

 ブルーの瞳にあるのは、好奇心の色が殆ど。
 他人の内面にまで土足で踏み込んでくるような、そんな意図は感じない。
 ただ純粋に、好奇心だけをぶつけてくるような、そんな眼差し。
 笑顔も、純朴な雰囲気そのままで。


「議長、これは……」
「おや、やはり君にも分かってしまったかね」
「彼女……は……」


 立っていたのは、微笑んだのは、完璧な贋者《フェイク》だった。

 桃色と言うよりも、ピンクの……少々どぎつい印象のある、髪。
 混じりけ一つない、ブルーの澄んだ瞳。
 思わず目を瞠るような大胆なドレスに包まれた肢体は、少女らしい丸みとたおやかさを同居させていた。

 違う……これは、違う。あの女じゃ、ない。


「こんにちは、ハイネさん」
「どうも、歌姫」
「……知っているのか?」


 ハイネに向かって、彼女はにこりと可愛らしく微笑んだ。
 その笑顔は、翳り一つないもので。
 同時に、何の不純物も感じさせないものだった。
 対するハイネも、決してぞんざいな対応は、していない。
 ハイネは、割と好き嫌いのはっきりしたところのあるやつだ。
 勿論、いけ好かない相手でも、笑顔で振舞う術を、知ってはいるけれど。
 少なくとも今の彼の彼女への対応から、彼女に対する嫌悪は、感じられなかった。


「貴女が、イザーク=ジュール様?」
「あ……はい、そうです。初めまして、その……」


 言葉に、詰まった。
 『ラクス=クライン』と呼ぶべき、なのだろうか。
 分からずに、躊躇う。
 すると内緒話をするように、彼女は俺に向かって顔を近づけてきた。


「ミーアよ、ミーア=キャンベル。でも、みんなの前では、ラクスって呼んで?」
「ミーア嬢……?しかし……」


 ちらり、と。隣のハイネに視線を走らせる。
 俺の視線の意味を了解して、ハイネがこくり、と頷いた。


「どういうこと……なんだ?」
「今お前が見ているものが、真実だ」


 俺の問いに、淡々とハイネが答えた。
 見ているものが、真実。
 目の前には、ラクス=クライン……贋者の。

 あの女は、プラントを捨てた。
 プラントを捨てて、愛する男と暮らすことを、選んだ。
 あの女は散々好き勝手なことをしておきながら、プラントに対して果たすべき責任を、果たさなかった。
 果たさずに、出奔した。

 当時のプラントの混迷ぶりを思えば、それは仕方のないことだったのだろうか。
 否、やはりそうではないと思う。
 本当に彼女が、その言葉のとおりにプラントを想うのであったなら、あの女は責任を果たすべきだった。責任を果たし、プラントに帰るべきだった。
 処刑されるかもしれない。身柄を拘束されるかもしれない。
 しかしあの女が為したことへの、それが責任を果たす道だったのだとしたら、あの女は何をおいても、その責任を果たすべきだ。

 それなのにあの女は、祖国に対し一切の責任も義務も果たさなかった。


「今、世界は非常に微妙なパワーバランスの下、かろうじて平和を享受しているのが、現実でね」
「しかし……!」
「何が起きるか、分からない」


 それは、知っている。
 理解、している。
 同盟が、結ばれた。
 講和が、結ばれた。

 けれどそれが、イコール平和、と言うわけでもなく。
 互いの弱みをつつきまくって、自国に有利に事を運ぼうとし合う。
 プラントの弱みは、ラクス=クラインと、行方の知れない核兵器搭載型モビルスーツ――即ち“フリーダム”――だ。
 この二つをどうにかしないことには、プラント側が何を主張しても、相手国は受け入れようとはしないだろう。

 『プラントは講和内容を遵守しようとしていない』と。そういわれて、終わりだ。


「それだけじゃなく、今軍では“セカンドシリーズ”の開発も、始まっている。それは、知っているね?」
「……はい」


 指揮官クラスには、以前から知らされている。

 講和内容には、各国のモビルスーツの保有数を制限する要項も、盛り込まれていた。
 その保有数は、各国人口と比例すべき、と。それが地球連合側の主張だった。

 地球に比べて、プラントの人口は、少ない。
 『オーブ解放作戦』とやらで移住してきたコーディネイターも少なくないとは言え、総力戦の様相を呈した先の大戦で、かなりの戦死者を、プラントは出してしまった。
 それは、地球連合も同じだろう。
 しかし、もともとの数が、プラントと地球では、違うのだ。
 モビルスーツの保有数制限条項は、プラント側に圧倒的に不利なものだった。
 だからこそ、プラントとしては、その不利を補う新たなモビルスーツの開発に、着手する道を選んだ、と言うわけだ。
 モビルスーツの保有数制限条項に触れるでもなく、多種多様な装備を可能にするモビルスーツの開発。それが、プラントにとって最優先すべき事項だった。
 平和になったからといって、武装を放棄するわけには、いかない。いつまた、俺たちは俺たちの尊厳を賭けて戦うことになるか、分からないのだから。そのときに守るべき術さえ持たぬのであれば、お笑い種だ。


「『彼女』の力は、私のものよりはるかに強大でね」
「それは……」
「何かの時のための、これは先行投資だよ、ジュール隊長」


 『本物』のラクス=クラインは、現在男と同棲中らしい。
 あの女が、混迷を極める祖国に戻ってくることなど、万に一つもありえない。あの女は、それを擲ってでも、あの男を選んだのだから。
 俺からミゲルを奪った……ミゲルとニコルを殺した、あの男を。

 がくがくと、躯が震えるのが、分かる。
 明確な怒りに、目の前が赤く染まる。
 あの男は、ミゲルを殺した。
 ニコルを、殺した。
 数多の命を奪っておきながら、自分は高みの見物を決め込んで隠棲中か。


「落ち着け」
「……落ち着いている」
「どこが。……ほら、力抜け。唇、血が滲んでいる。掌に、爪が食い込んでるぞ」


 低い声で、ハイネが囁く。
 あぁ、駄目だな、本当に。
 こんなことだから、ハイネも俺から、目が離せないんだろうに。
 頼りになる従兄は、頼りにならない従妹から、目が離せない。


「イザーク、君に彼女の、護衛等を頼めないかね」
「議長……?」
「彼女は、一般家庭の出でね。色々と教えてやって欲しい。彼女も、年上の教育係よりも歳の近い君のほうが、話もしやすいだろう」


 ラクス=クラインは、あまりメディアにも露出していない。
 私生活の殆どは、謎に包まれている。
 それでも、俺と彼女は何度か、会ったことがある。
 別に会いたくて会ったわけではなく、政治活動の一環でもある、パーティー会場で。
 それを、議長は言っているのだろうか。


「よろしくお願い致します、ジュール様」
「違います、ラクス嬢。イザーク、です」
「イザーク様?」
「はい、それで結構です」


 小首を傾げて尋ねる彼女に、頷く。
 すると彼女は、本当に嬉しそうに笑って……そして、頷いた。











くるくるくるくる 踊りましょう

見えない 『時代』と言う名の糸に絡まって

命尽きるまで 踊り続ける

俺たちは皆 『時代』と言う操り主の

操り人形なのだから――……





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 タイトル『傀儡人形』ですが。
 読みは、『くぐつにんぎょう』でお願いします。
 確か、そう言う読み方もあったと思うんだ。パソコンで出てこないけれども。

 ついに、ミーア参戦です。
 あぁ、アタシ本当にミーア好きなんだなぁ。可愛いと思っているんだろうな、って思います。
 番外篇『Elysium』も遂に、6話目ですね。
 何とか、10話までに終了させられたらな、と思います。
 終了後は、『屍衣纏う修羅』、本編ですけれども。
 本当に『Elysium』は、もっとカッコいいハイネが書きたいんですけどね……あまりカッコよくならないな。
 帝王なハイネ、書きたいんですけれど。
 頑張っていきたいな、と思います。

 ここまでお読みいただき、有難うございました。