どこまで どこまで

世界は 動き続ける?










〜動乱の予兆〜










 与えられた職責を、淡々とこなしていく、毎日。
 繰り返される『今日』と言う現実に、少しずつ『過去』が押し流されていくような、そんな焦燥。

 『彼』が、過去になってしまう。
 『彼』の時は、止まってしまって。
 それなのに俺は、時を重ね続ける。
 ……何てそれは、残酷。



 先の見えない、毎日。
 積み重なっていく、『昨日』と言う『過去』の集積。
 そのどこにも、彼の影が見えなくて。

 傍にいて欲しいのに、ミゲル。
 せめて影だけでも、寄り添っていて欲しいのに。


「隊長」
「あ……あぁ、何だ?シホ」
「今度の演習の計画書が、届きました」
「そうか」


 “セカンドステージシリーズ”の開発が進んでいる、昨今。
 それに付随した演習もまた、多かった。
 「平和になった」と、誰もがそう言う。
 でもこれは、果たして『平和』と言えるのだろうか。
 『平和』とは、こんな形をして、こんな色をしたものだったのだろうか。

 「平和になった」と。誰もがそう言うけれど。
 こんなの、『平和』とは思えない。
 次の戦争に向けて、各国がステップアップを図っているだけのような気が、する。
 戦力を蓄えて、次の戦争に耐えられるように。


「演習か……また忙しくなるな」
「そうですね。ヴェステンフルス隊長も、お忙しいようです」
「特務隊が、暇なわけがないだろ」
「それもそうですね」


 ナチュラルの軍隊がどうであるか分からないが、コーディネイターの自衛軍の様相が色濃いザフトでは、地位が上がれば上がっただけ、忙しくもなり責任も増える。
 その職責に耐えられなくては、エリートの代名詞ともいえるレッドにも、FAITHにもなれない。
 それが、ザフト。


「それなのに……駄目だな」


 レッドから、ホワイトになった。
 一部隊を率いる隊長に、なった。
 それなのに、俺は弱くて。

 職責に耐えられないくらい、弱くなってしまっている気が、して。
 弱い弱い、俺。


「食事に行きましょう、隊長」
「シホ……?」
「食事、行きましょう。そろそろお昼の時間ですから」
「いや、しかし……」


 食欲は、相変わらずなかった。
 それでも時々は、ハイネに引き摺られて一緒に食事はしていたけれど。


「軍のカフェテリア、結構美味しいんです。ご一緒しましょう、隊長」
「そう……だな」


 たまにはそう言うのも、いいのかもしれない。
 今まで一度も、そう言えばシホとはそんなこと、しなかったから。


「スィーツも結構、充実しているんですよ。お好きでしたよね、隊長」


 まるで、頑是無い子供に言い聞かせるように甘く、シホが言う。
 誘いの言葉は、以前の俺ならばきっと、快諾するに十分のものだったけれど。
 本当に、今はもう。何も……何も欲しくないんだ、シホ。



 満たされないものを、抱えてる。
 毎日毎日。繰り返されていく営み。
 明日になれば、『昨日』と言う『過去』になってしまう、『今日』と呼ばれる日常の集積物。
 そのどこにも『アナタ』がいない。

 ありふれていた日々から『アナタ』と言う存在が……『友人』や『戦友』にカテゴライズされる『タイセツ』なものが抜け落ちていく日々。
 喪いたくなくて、抱え込んで。
 それでも、押し流されていく生の営みと言うサイクル。

 ……あぁ、何てそれは残酷。


「食事でなくても、構いません。少し、気分転換をしましょう。それに御一緒させてください」
「……分かった」


 頷くと、シホは嬉しそうに微笑む。
 その笑顔に、俺が一体どれだけ彼女に心配をかけていたのか、おぼろげながらも分かってしまって。
 申し訳ないな、と思う。

 部下を守るのは、上官の務めなのに。
 部下に、上官たる俺が守られてどうするんだ、本当に。

 だから、ハイネは俺を放っておけないんだ。
 俺が、頼りないから。
 俺が、弱いから。
 優しい従兄は、俺の心配ばかりし続けて。

 強く、なりたいのに。
 強く、ならなくてはいけないのに。
 どうしてどうして、こんなにも弱くなってしまったのだろう。
 もっともっと、強かった筈なのに。
 もっともっと、強かった筈だ。

 母を……そしてプラントを守りたくて、軍人に志願した。
 首席卒業は叶わなかったけれど、アカデミーは総合次席で卒業した。
 前線に配属されて、今まで生き残って。

 強い、筈なのに。
 なのにどうして、こんなに弱くなってしまったのだろう。
 どうして、強くなれないのだろう。

 ミゲルが、いない。
 それだけで、どうして。
 ラスティが……ニコルが……オロールが……マシューが。当たり前のように傍にいない、それだけで、どうして。
 どうしてこんなに、弱くなってしまった?

 喪われた命に、恥じないように。
 彼らの命を代価に要求した平和を守るために、強くならなくてはいけないのに。
 例え仮初の平和に過ぎないものであっても、その影で犠牲になった数多の命。それに応えるためにも、強くならなくてはいけないのに。

 それなのに、俺はどんどん弱くなっていってる。
 ……駄目だな、本当に。



 繰り返されていく、今日と言うサイクル。
 その全てに、すっかり、疲れてしまっているんだ……きっと。



**




 食欲はなかったけれど、誰かと同席する席で、自分だけ何も食べないわけにもいくまい。それは、明らかに無作法だと言うことを、知っている。
 だからシホも、俺を食事に誘ったのかもしれない。
 ハイネとシホは、最近結託している気が、する。

 小さなミニサラダと、薄切りフランスパンの一つくらい食べれば、いいだろう。
 それと、コーヒー。

 無駄な人件費は削除するのがモットーの軍にあって、カフェテリアも大体がセルフ式だ。
 仮に給仕がいるならば、それは専らアカデミーの生徒の役割だった。
 アカデミー低学年のものの任務が、軍本部でのカフェテリア等の給仕になる。
 ザフトは基本的に、義勇軍の様相が色濃い自衛の軍隊だ。
 俺もそうだったが、評議会議員の子息や令嬢、大会社の子など、他者に傅かれる以外の生活を送ったことのない者も、数多い。
 そう言うものたちにそのような任務を与えることで、命令には絶対服従することや、他者に傅くことを、叩き込むのだ。
 それが任務であることは、だから分かるのだが、煩わしいのはあまり好きじゃないから、セルフで自分の分のトレイを用意した。
 シホも、同じだ。
 もっとも彼女の場合は、人に傅かれることに慣れていないから、らしいが。


「結構食べるんだな」
「……言わないでください、隊長」
「その細い躯のどの辺に、そんな量の食事が入るんだ?」


 純粋に驚いて、尋ねる。
 彼女のトレイの上には、スパゲッティカルボナーラに、俺と同じミニサラダ、コンソメスープに薄切りフランスパン。そしてアイスティーが鎮座している。
 均整の取れた細い躯を有する彼女のどこに、その量の食事が入ると言うのだろう。

 くるくるとフォークにスパゲッティを巻きつけたシホが、憮然とする。


「我ながら、よく食べるなぁ、とは思います。以前は、ダイエットとか食事制限もしたんですけど、力は出ないしフラフラするし、で。それ以来、やめました。それで敵に遅れを取るなんて情けないし、男に負けるのも、嫌じゃないですか」
「……確かに」


 可憐な外見に騙されがちだが、シホは負けず嫌いだ。
 女だからと言って、男に負けることをよしとしない。
 変に女を主張せず、かと言ってしっかりと少女らしい。そのバランスが、俺は好ましかった。

 頷きながら、レタスを咀嚼する。
 ドレッシングは、あまりこってりしていないノンオイルのものを。
 ちょっと爽やかな風味が、口当たりもよくて。
 少しは、食事も進むような気が、した。

 気がする、だけかもしれないけれど。
 胃に少し何かを入れることで、少しは躯が温まっていくような……妙にリラックスしていくような、感覚。
 確かに、気分転換にはなるかもしれない。

 日がな一日、執務室の白い壁ばかりを眺めていたら、気が滅入ると言うものだ。
 暖色でコーディネイトされたカフェテリア内の内装は、それだけで確かに、癒しの効果があるような気が、した。
 少しは、外に出ることを覚えてみても、いいかもしれない。



 ずっとずっと、『アナタ』を忘れずにいたい。
 『アナタ』の全てを、覚えていたい。

 感情の描く軌跡。
 現実の描く幻滅。
 そのギャップにきっと、すっかり参っているんだ……。



「美人が二人揃って、食事中?」
「……ハイネ。相変わらず、神出鬼没だな」
「人をゴキみたいに言うんじゃないよ、お前は」
「……その単語を出すな。嫌いなんだ」
「ヴェステ……」
「あぁ、いいからいいから、シホちゃん。座って食事続けて」


 立ち上がって最敬礼をしようとするシホを、ハイネが苦笑しながら止める。
 シホの性格上、当然起こりうることだと、弁えておけよ、ハイネ。
 上官と馴れ合うことをよしとしない、決められた礼儀はきっちりと守るやつなんだぞ。


「相変わらず、上官のお仕込がいいようで」


 ぽつん、とハイネが呟いた。
 別に、俺が仕込んだわけじゃない。
 ごくごく当たり前に、そう言うことが出来る人間なんだ、彼女は。


「俺も同席していい?……あ、俺はコーヒー」
「誰もまだ、いいと言っていないぞ?」
「冷たいやつだね、お前は。いいだろ、別に」


 そう言って、ハイネはさっさと空いている席に腰掛けた。
 まぁ、シホの正面や隣に座らなかったことだけは、褒めてやってもいい。
 絶対に、萎縮するに決まっているから。


「今日はコーヒーなのか?」
「ここのカフェテリア、食事やコーヒーはそこそこ美味いものを出すんだ。ただ……」
「ただ?」
「紅茶だけは、しみじみと不味い。以前頼んだら、あまりの不味さに卒倒しそうになった。それ以来、ここで紅茶は飲むな、と。俺は、学んだ」
「そうなのか?でも、シホ……」
「普段ストレートで飲む筈のシホ=ハーネンフース嬢のアイスティーには、レモンが投下されているだろ?」
「……よく見てるな」


 彼の言葉に、呆れる。
 まったく、よく見ていることだ。
 そんなところまで、普通気にかけるものなのか?


「よく飲めるね、そのアイスティー」
「私は、コーヒーが逆に苦手なので。レモンを入れたりして味を調えたら、まぁ飲めるものにはなります」
「うわぁ。そんなの、俺はごめんだね」


 心底辟易した調子で、ハイネは手を顔の前でパタパタさせる。
 拘りがあるのか、ないのか。こいつはさっぱり、分からない。

 人でも物でも、あまり執着を見せない男。
 それが、俺のハイネのイメージだ。
 紅茶は確かに好きみたいだ。自分でも、よく淹れているし、ハイネの淹れる紅茶は絶品だと俺も思う。
 でも、他に一体何に、こいつは執着を見せるだろうか。
 少なくとも俺は、知らなかった。

 従兄妹同士という、血縁関係。
 でも俺はどれくらい、ハイネのことを知っているのだろうか。
 本当はまったく、ハイネのこと、知らないのかもしれない。
 ハイネはあまり、自分のことを話したり、しないから。

 違う。
 話そうとしないのが問題じゃなくて、聞こうとしない俺が、問題なんだ。それじゃあ、お前になんか興味ないって、言っているも同じだから。本当は俺が、もっと早くに、聞いておくべきことだったのだろう。

 従兄妹同士という、血縁関係。
 だからこそ、知っておかなくてはならないことが、あるだろうに……。

 それなのに、俺は何も……何も、知らなかった……。
 ハイネのこと、何も知らない。

 俺が知っていることは、本当に僅かのことで。軍のパーソナルデータのデータバンクに、記載されている程度のことしか、知らなくて。
 趣味も、嗜好も知らない。
 従妹としてのイザーク=ジュールは、従兄としてのハイネ=ヴェステンフルスのことを、何も知らなかった。

 彼の父親と俺の母が兄妹で。
 それで、俺たちは従兄妹だった。
 ハイネの父親は、ハイネが1歳のときにテロで死亡している。
 母親も確か、ハイネの成人後に病気で亡くなった筈だ。

 従兄妹として、俺たちはあまりにも疎遠だった。
 俺が幼い頃、あったことはあるらしいけれど。でも俺は、ミゲルと付き合うようになって。そのデート中に彼に出会ったより以前の彼のことを、覚えていなかった。
 それだけ、疎遠だったらしい。
 幼いと言えど、俺だってコーディネイターだ。しょっちゅう出会った人間の顔を忘れるなんてこと、絶対に有得ない。
 そこから導き出せる答えは、唯一つだった。
 それだけ、俺とハイネは疎遠な従兄妹同士だった、と言うコト。

 それは確かに、無理のない話であったけれど……。


「……ザーク。おい、イザーク」
「あ……あぁ。何だ?」
「何だ?じゃないだろ。急に黙り込んで……心配するだろうが」
「そうか。それはすまなかった」


 素っ気無く言うと、ハイネがその口の中で何事か呟く。
 どうせ、可愛くないだとか、素直じゃないだとか。その辺だろ?
 分かっているよ、それくらい。


「俺に構ってくるなんて、特務隊はよほど今、暇を持て余しているらしいな」
「失礼なやつだな、お前は。忙しいに決まっているだろ?」


 俺の言葉に、ハイネが苦笑しながら答える。
 そう、だな。忙しいんだろうな、本当に。
 俺よりも……白服の隊長よりも重い職責を担う、FAITH。
 その重圧に耐えられるだけの、精神的な厚みを、でもハイネは持っている。
 その強さが、羨ましい。

 従兄妹、なのに。
 どうしてその強さは彼にだけあって、俺にはないのだろう。
 ハイネのような、強さ。欲しくて、堪らなかった。

 強くなれない、弱い俺。
 強くならなくては、いけないのに。
 ハイネの強さは、だから酷く羨ましかった。


「お前らも、演習だ何だで、駆り出されるんじゃないのか?」
「そうだな。また今度、演習がある。今は、『平和』な筈なのに、な」


 『平和』
 『平和』か。

 軍は、“セカンドステージ”シリーズの着手に、本格的に取り組んでいる。
 同時に、“ニューミレニアム”シリーズの開発も、始まった。

『平和』になった、と。誰もが口にする裏で進められているのは、『平和』とは異質の兵器。
 相容れる筈のない、物でしかないというのに。

 別に、“セカンドステージ”シリーズや、“ニューミレニアム”シリーズの開発に、異を唱えているわけじゃない。
 何よりも守るべきは、戦う力持たぬ、同胞。
 軍人は、そんな同胞を守ることの出来る唯一のもの。
 誇りにさえ、思っている。

 違和感はきっと、実際に歩み続ける『現実』と、口先で唱えられた偽善的な『平和』との、ギャップだろう。
 「平和になった」誰もが、そう言った。
 誰もが、そう口にする。
 それなのに影で、進められているんだ。
 新たな、兵器の開発。
 『彼女』の理想では、『武装放棄』こそが、『平和』だった筈なのに。
 まぁ、今この場所に……守るべき同胞のもとへいない女の戯言など、どうでもいいことではあるが。

 最後のプチトマトにフォークを突き刺して、口の中に放り込む。
 あとできっと、吐くことになるんだろうけれど。とりあえず今、口にさえしておけば、二人は安心するだろう。
 案の定、空になった皿を見て、ハイネはほっとしたように溜息を洩らした。

 込み上げてくる嘔吐感を、ナプキンで口を押さえることで、堪える。
 その諸々全てを、コーヒーで流し込んだ。
 許容量を超えた容量を突っ込まれて、胃が暴れだしているような、感じ。
 その感覚に、溜息が出る。

 食事さえもすっかり、ままならなくなってしまった、この弱さで。
 本当に、他者の命までも、負うことができるのだろうか。
 そんな思いが、ちらりと頭の中をよぎった――……。




















「“セカンドステージ”シリーズと“ニューミレニアム”シリーズ?あれならもう、試作機段階に入っている筈だ。まだ、聞いていなかったか?」


 執務室にくっついてきたハイネが、勝手に紅茶を淹れ始める。
 どうやら彼としては、カフェテリアでコーヒーを飲んだことが、非常に不本意でならないらしい。
 手際よくさっさと紅茶を淹れると、俺の目の前に繊細なつくりのティーカップを、置いた。
 そして、冒頭の彼の台詞に戻る。


「いや、聞いていなかった。そうなのか?」


 と、言うか。知らされていない俺に、試作機段階に入ったこと、伝えてもいいのだろうか。
 それは、おそらく軍事機密に属するものではないのか。


「もう、公式発表は目前だ。ここまできて、一体誰がこの流れを止められるっていうんだ?」
「そうだな……クライン派の連中、かな。まぁ、議長もそちらから政界に進出した方である筈だが」
「現実感のない連中の、戯言を下に国家は動かせない。武装放棄しろとあいつらは言うが、そんなことになって困るのは、誰だ。守る術を持たない国民だ。そんなこと、最高権力者である議長には許容できない、と。ただそれだけのことだろ」


 そうだな。それが、現実だ。
 でも、どうしてだろう。
 そんな現実感が、何故か酷く哀しいものに感じられる。
 どこまで、どこまで。俺たちは戦い続けなければ、ならないんだろうな……。

 この『平和』は、ミゲルやラスティやニコルの命を、代償に欲して。
 そして世界は、『平和』になったのに。
 それだけの犠牲を払って漸くこの手にした、『平和』である筈なのに。
 その崩壊はもう、目の前に迫っているような、そんな感覚。
 まだ、終戦から1年ちょっとしか経っていない筈なのに。
 そんなにすぐに、潰える筈、ないのに。


「多分、俺たちが賜るとしたら、“ニューミレニアム”シリーズの方だろうな」
「まさか。俺は多分、機体なんて賜れないと思う。そんな最新機、俺には……」
「“セカンドステージ”シリーズのほうは、アカデミー卒業したてのヒヨッコが搭乗するらしい。まぁ、一種のデモンストレーションだ。技量のない者でも、多大な戦果を齎すことの出来る、機体スペックの高さを内外に知らしめるためには、ちょうどいいだろうな」
「ハイ……」
「俺たちに与えられるのは、“ニューミレニアム”シリーズだ」


 俺の言葉を遮るように、ハイネは言う。
 “ニューミレニアム”シリーズ。与えられるのはきっと、ザフト内でも最高のパイロットたちだろう。
 以前の俺ならば、それは当然俺に与えられるべきものだ、と。そう思えたかもしれない。
 でも、今は……。
 自分の弱さを知ってしまった今、それが俺に与えられる機体だとは、思えなかった。

 パイロットの技量を必要とする、“ニューミレニアム”シリーズ。
 与えられるほどの、俺はパイロットじゃないだろう、きっと。


「何でそんなことを言うんだ、ハイネ」
「ん?」
「何で、そんなことを言うんだ?だって、戦争なんて、起こらないだろう?そうじゃ、ないのか?」


 “セカンドステージ”シリーズだとか、“ニューミレニアム”シリーズだとか。
 何でそんなこと、言うんだろう。

 戦争なんて、起こらない筈だろう?
 そのために、各国は努力している筈だ。
 それとも、この平和はやはり仮初めのもので。また、生存を賭けて戦うことになるのだろうか。ひょっとしたら、その可能性は、高いのだろうか。
 そしてそれは、すぐそこに迫っている……?
 彼の言葉は、その可能性を示唆している気がして、仕方がなかった。

 矛盾だ、これは。
 ミゲルを犠牲に捧げた平和なんて、と。今の世界を否定的に捉えながらも、心のどこかで、この平和を肯定している。
 いや、そうじゃないのか。
 肯定とか、否定とかじゃなく。

 この平和は、ミゲルやニコルやラスティや……多くの仲間たちが、その命を犠牲にしてそれでようやく、得たもので。
 だから、それがこんなにも儚く潰えてしまうかも知れない現実に、苛立っているだけだ。

 大切だった。
 心から、愛していた。
 大事だったよ、本当に。
 素直になれなくて、あまり言葉にすることはできなかったけれど。
 それでも、本当に。
 本当に、愛していた。
 恋人として、友人として。
 愛していたんだ。
 それなのに。それなのに。
 彼らの命が代価となった『平和』が、こんなにも呆気なく潰えてしまう、なんて。そんなこと、肯定できない。

 抱えるのはだから、否定でも肯定でもなく、俺自身の、矛盾。


「プラントが地球に攻め込むようなことは、ない。それは、絶対にない」
「そうか……特務隊が言うのなら、説得力があるな」
「問題はいつだって、逆のほうだな。ナチュラルどもの、動向はどう転ぶか分からない」
「何故?」


 Nジャマーキャンセラーのおかげで、原子力だってそのうち、復旧するだろう。
 そうすれば、別に宇宙に拘泥しなくてもいい。
 こちらだって、食糧はもう、殆ど自給できるから、ナチュラルに隷属することも、ない。
 共存ができないのならば、お互いを視界に入れなければいい。
 そして、必要なときだけ、付き合っていけばいいのだ。
ただ、それだけのこと。


「精神的な問題、だろうな。やっぱり」
「あぁ……」


 ナチュラルはコーディネイターに対して、精神的に嫌悪感を感じるものらしい。
 それか。


「分からない以上、常に最悪の方向を考えておくべきだ。軍人も、為政者も。その為の新兵器――“セカンドステージ”と“ニューミレニアム”シリーズ――、その為の政治。そう言うことだろ?」
「分かるさ。そんな風に言わなくても」
「頭では、だろ?お前、頭はいいさ。頭では、何でも理解できるだろう。でも、お前はまだ幼い」
「プラントでの成人年齢は、とうに超えている。ナチュラルの成人さえ、来年になれば迎える」


 ムッとしながら、答えた。
 別に、自分が大人だなんて、そんなこと思っているわけじゃなくて。
 そう断じられるのが、腹立たしかった。


「別の言葉で言い換えてもいい。お前は、純粋すぎる。その純粋さは、美徳だけどな」
「引っかかる言い方だな」
「裏はないさ。美徳だと、思っている、愛すべき美点だ、その純粋さは。でも……戦場には不向きだな
「ハイネ?」


 ハイネの呟きは、小さくて。
 届かない声をもう一度、と聞き返す。
 けれどハイネはもう、何も言わなかった。
 ただ、寂しそうに微笑む。
 どこか、諦めを滲ませて。
 それは、出会った時から――幼い頃の記憶はないから、再会、と言うことになるのだろうが――すっかりお馴染みになってしまった種類の、微笑。


「ハイ……」
「じゃ、俺もそろそろ、執務に戻るわ」
「ちょっ……!待っ……!」


 呼び止めようと、手を伸ばす。
 ハイネの軍服の裾を、確かに捉えて。
 その時、扉が開いた。

 間が悪いとは、このことだ。
 立っていたのは、俺の『幼馴染』だったから。


「ディア……ッカ」


 呆然と、その名を呼んだ。
 険しい目で、ディアッカが俺を見てる。
 そこにあるのは、嫌悪、だったのだろうか。
 問題なのは、この体勢か?
 見ようによっては、ハイネに縋り付いているようにさえ、見える。


「イザーク、お前……」
「これ……は……」
「お前、何やっているんだ!?こんな時間に、他の隊の隊長引き込んで、お前……!」
「ディア……」


 唇が、うまく動いてくれなかった。
 違う。違う、ディアッカ。
 今お前が抱いているのは、誤解だ。


「お前、お前の言葉は、全部嘘だったのか!?それなのに、他人を糾弾……」
「ディアッカ=エルスマン、これを見ろ」


 ハイネが、カードをディアッカに見せた。
 ハイネの、ID。


「お前は、誤解している」


 うろたえる俺と対照的に、ハイネはどこまでも冷静だった。
 冷静に、ディアッカに自らのIDカードを差し出す。
 Blood relationship
 血縁関係を示すそこに書かれているのは、ジュールの姓だ。
 このプラントに、ジュール姓は俺と、最早母だけ。
 そして、死んだ母の兄。俺の……伯父に当たる人。
 その名前が、そこには書かれていた。


「俺とイザークは、イザークにとっては母方の、俺にとっては父方の、従兄妹だ」
「従兄妹……?」
「俺にとって、エザリア=ジュールは叔母に当たる」


 淡々と、ハイネは言った。
 従兄妹と言う、血縁関係を。


「お前が思ったのは、誤解。……そうやって不条理な言葉を言ってしまうのは、お前がイザークを信じたかったからだろ?だったら、そう言ってやれよ」
「俺……」
「じゃ、後は二人でちゃんと、話をしろ」


 そう言ってハイネは、ぴらぴらと手を振って。
 部屋から、姿を消す。

 残されたのは、俺とディアッカだけ。
 久しぶりに、ディアッカに相対した。
 久しぶりすぎて、何を言えばいいのか、分からない。


「俺……さ」
「何だ?」>
「話、しておきたかったんだ。話を、聞いておかなくちゃいけない、と思ったんだ。だから……」
「そう、か……」


 だから、話をしよう。
 お互い、そう言葉にした。
 話を、しよう。今まで、話せなかったこと、話して。

 『幼馴染』だから。
 ずっと近くにいたから。
 言葉を尽くせば、分かり合えるかもしれない。
 そんな感覚を抱いて。
 それが、嬉しかった。

 だから、気づかなかったんだ。
 寂しそうに笑った、ハイネの胸の内を――……。











ひたひた と

迫る足音

迫る破局と 別離を

その時俺はまだ 知らなかった――……





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 10話で片をつけておきたい、と言っていたのに。
 10話で片がつきそうにありません。
 最低でも、15話いきそう。
 そして『幸せ』がテーマの筈なのに(『Elysium』って、ギリシャ語かなにかの言葉で、『楽園』なんで)、欠片たりともその気配が漂わない。
 挙句、本編に位置づけてたはずの『屍衣』より長くなりそうで、トホホです。
 早く、『幸せ』が書きたい。
 裏!裏が書きたいの!
 そのときは絶対に、『vestige』は流しません。
 以前、それ流して裏書いたとき、ぜんぜん裏的な描写に至らなかった過去が……。
 流すなら、『AQUA LOVERS』にするよ……!!

 ここまでお読みいただき、有難うございました。