世界は 廻る

人も巡る

憎悪の焔を 撒き散らしながら










〜安寧の喪失〜








「色々、考えてみた。今までのこと、考えて。分かったことが、ある」
「そうか」
「俺たちにとって、あれは確かに正義だったけど。でも、正義ってのは、一つじゃないんだよな。お前にはお前のそれが存在すること、俺は忘れていた」


 淡々とした調子で、ディアッカはそう言った。
 そう、考えることを忘れてしまっていた、と。

 ザフトにはザフトの思惑があり、正義があった。
 パトリック=ザラの暴走と言われようが、それは関係なく。
 ラウ=ル=クルーゼの陰謀と言われようが、それでもなくて。
 ただ、ザフトはザフトの思惑と正義のために戦っていた。
 それだけの、コト。
 そして俺があの女を認められないのも、それ故のことだった。

 あの女は、自らの正義しか、認めない。
 そしてあの女は、何か勘違いしている。
 「戦わぬことが正義だ」そう言葉にして、でも自ら戦う力は肯定している。
 あの戦場で行使された、あの過剰な兵器は一体、何だ。
 それだけの力を行使しておきながら、あの女は他者には言うのだ『非戦』と。『武装放棄』と。それこそが、それだけが、『正義』なのだ、と。
 それは、何て矛盾。

 そしてどこかで俺は、彼女の言う『正義』が、嘘臭いもののように感じられて、仕方がなかった。

 たとえば、軍事工廠であの『裏切り者のコーディネイター』に、“フリーダム”を与えた一件。
 あの女は、あえて監視カメラにその姿を映し、ザラ前議長を挑発するように微笑んだ。
 あたかも、それが崇高な使命であるかのように。
 オペレーション・スピットブレイクは、情報の漏洩によって失敗に終わった。
 あの時、一歩間違えれば、ザラ議長は全てを失うところだった。
 あの時、プラント本国でクーデターが起これば、ザラ議長は間違いなく、政権を追われたことだろう。
 オペレーション・スピットブレイクの失敗は、政権転覆さえも招きうる事態だった。
 しかしあの女が監視カメラにその姿を映したことで、ザラ議長は情報を洩らしたのはクライン派だ、と。ラクス=クライン並びにシーゲル=クラインにその責を負わせることに成功した。
 そしてその結果が、パトリック=ザラの暴走だ。
 もしもあの時、オペレーション・スピットブレイク失敗を盾にクーデターを起こしていれば、世論を味方につけたクライン派は、間違いなく政権の奪取に成功していただろう。世論を味方につけ、無血開城も夢ではなかった。
 けれど、あの女の行動は、その全てを夢で終わらせてしまったのだ……。

 監視カメラを無効化するコトだって、あの女ならば可能だっただろう。
 俺にとっては愚の骨頂としか思えないが、軍内部で、あの女に心酔する者は数多いのだ。
 あの女が望めば、それは容易いことだっただろうに。あえてあの女は、その姿をザラ議長の前に現した。
 そしてその眼前で、“フリーダム”を与えたのだ。

 自らの一存で、敵に自国の軍事機密を与える。公私混同も甚だしいその行動が、ザラ議長の飛躍した論理――クライン派の情報漏洩という、一種の妄想――に、真実味を与えてしまった。
 議長の疑念は、あの女の行動で確信に変わったのだ。

 一連の彼女の『言葉』と『行動』のギャップを鑑みれば、俺はとてもではないが、あの女に納得できなかった。
 あの女を信奉することは、出来ない。
 あの女が『平和の歌姫』とも、思えなかった。
 戦場に身を置き、過剰な兵器で同胞を殺す女。非戦を訴えながら、常に相手に銃口を向ける女。
 あの女は、そう言う女だ。
 あの女は、『平和の歌姫』なんかじゃ、ない。
 あの女は、ただの『女』だ。


「俺は自分で考えて、そして第三勢力に与した。でも、分からないんだ」
「分からない?」
「考えたつもりで、考えていなかったのかもしれない。考えるとか、そう言うことを放棄していたのかもしれない。俺はそもそも、軍人になった理由さえも曖昧だった。だから、流されてしまったのかもしれない。ラクス=クラインの訴える『非戦』は、心地よく脳裏に響いたから」
「そうか……」
「だから暫く、あんたの傍においてくれよ、イザーク。もう一度、俺は俺自身と向き合うべきなんだ」


 ディアッカの言葉に、頷いた。
 心の底から、以前のような信頼感が生まれるとは、信じられなかったけれど。
 それでも、大切な『幼馴染』。
 だから……。


「傷つけることを言って、悪かった」
「別に……」
「俺は、本当は俺こそが、信じたかったんだ。ミゲルと一緒だったお前を、信じたかったんだ」


 そう、か。
 昔の俺だったら、きっと怒り狂ってた。
 でも今は、酷く穏やかな気持ちだった。
 どうして、だろう。
 特に何の感情も、生まれなくて。
 何の感慨も、なくて。

 疲れているんだ、きっと。
 現実に、倦み疲れてる。



 先が見えない現実

 アナタが見えない真実

 その 全てに

 すっかり 疲れてる……























 一年が、過ぎた。
 積み重ねていった月日の前に、俺とディアッカは再び『親友』に戻っていた。

 ハイネとの距離は、変わらない。
 つかず、離れず。
 年上の、頼りになる従兄と。年下の、頼りない従妹。そんな従兄妹同士の関係が、相変わらず続いていた。
 この一年間で変わったことと言えば、俺が搭乗するMSが、“デュエル”から“スラッシュザクファントム”に変わったことだろうか。
 ハイネの言葉どおり、俺は“ニューミレニアム”シリーズを賜ることとなった。
 パーソナルカラーも許され、俺はそれをスカイブルーに塗装した。
 パーソナルカラーを許される。それは、専用機を許される、と言うことだ。


「メディカル・チェックの結果、見せろ」


 一年に一度のメディカル・チェックが行われた日、そう言ってハイネは押しかけてきた。
 オイ、それはセクハラだぞ。


「別に今見せなくても、軍のデータベースにアクセスすれば……」
「お前が書き換えた後のデータは、拝めるだろうな」


 ニコリ、とハイネが笑った。
 どこか、背筋が寒くなる種類の、笑顔だ。
 口元は笑みを湛えているのに、翡翠より鮮やかな緑柱石の瞳には、笑みの欠片さえない。
 少し、蛇に睨まれた蛙の心境が、分かった気がした。


「前よりは、健康になってるみたいだな」


 俺の手からカードを奪い取って、ハイネが言う。
 鮮やかな手並みだが、貴様……それ、体重も記載されているよな!?


「疾患も、今のところなし……。薬、ちゃんと飲んでいるか?」
「あ?あぁ……」


 頷いて、何か大切なことを見過ごした気が、して。
 暫くの自失の後に、俺は声を上げていた。
 何故、貴様がそれを知っている?


「何で、薬のことを知っている?」
「……俺はお前の『従兄』だぜ?ジュール『隊長』?」
「誰が!?誰が、言った!?誰が!!」


 ハイネの胸倉を、掴む。
 俺より高い身長のハイネを、見上げるしか出来ない。威圧することは、出来ない。それでも。
 力の限り、その胸倉を掴んで。
 睨み付ける。


「そんな余計なことを、誰が言った……!?」
「怖いな……そんなに怒り狂うようなことか?『イザーク』」


 揶揄するような口調で、ハイネが言う。
 知っている……?こいつは、全てを知っている?
 我が家のことを……母の罪を。俺の瑕を。
 こいつは、知っている!?


「貴様……!」
「知っているよ?俺は」
「誰が、そんなことを……母上か!?」
「俺、叔母上とは連絡取り合ってないよ。教えてくれたのは……ミゲルだ」


 零れた名前は、予測していたものとは、違っていて。
 束の間の激情が冷えていくのを、感じた。
 ミゲル……ミゲル、が?ミゲルが、言った?

 アイツは、俺を受け入れてくれたんだ……。





 覚えている。
 全てを知ってしまった日のコト。
 覚えている。
 自分の血を全て、抜き取ってやりたくなった日の、コト。

 生まれたときから、俺に父はいなかった。
 母に、夫はいなかった。
 俺は、エザリア=ジュールの、いわば私生児だった。
 それが、俺だった。

 自身を、呪った。
 汚らわしくて、汚らわしく思えて、堪らなかった。
 憎悪したよ、心の底から。
 俺は、俺自身が憎くて。俺自身が汚く思えて。俺自身が、大嫌いだった。


「ミゲル……が?ミゲルが、言ったのか?俺は穢れている、と?俺は、汚らわしいと?」


 『彼』は、認めてくれた。
 『彼』は、俺の生を肯定してくれた。
 生きていて、いいのだ、と。これからも、生きていいのだ、と。
 彼は、そう言ってくれたのに。
 それなのに、ミゲル……それなのに。
 お前も、それを否定するのか?
 お前も、俺を裏切るのか?

 俺が、汚いから。
 俺が、穢れているから。
 忌まわしい、存在だから……。


「あいつ、『定められた相手』がいたんだよ……」
「知ら……ない。そんなの、知らない」
「そりゃそうだろう。あいつ、お前に言ってないって言ってた。あいつは、『定められた相手』じゃなく、お前を選んだから」
「……っ!お優しいことだな!そうやって、アイツは俺を同情してたとでも、言いたいのか!?俺は、誰も愛してくれないから!俺は、汚いから!だから、アイツは俺に同情してくれてたとでも?そう言いたいのかよ、ハイネ!!」


 頬を、つぅっと熱いものが流れていく。
 それに俺は、自分が涙を浮かべていることを、知った。
 滑稽だ、あまりにも。

 知っていたんだ、ハイネは。
 全部、知っていた。
 それを教えたのは、ミゲルだった。
 何てそれは、裏切り。


「違う、イザーク」
「何が!?どこが、違う!?」
「全然、違う……」


 俺のされるがままだったハイネが、その腕が、俺の腰に回された。
 厭わしくて、厭わしくて、堪らなくて。
 逃れようと、身を捩る。
 抗った瞬間に、強い力で抱きすくめられた。


「何……を!離せ……!!」
「イザーク、ミゲルは言わなかったか?お前は、純粋で、幼いって。言わなかった……?」
「な……っ!」
「言わなかったか?時々、その純粋さや幼さが、酷く癇に障るって。その潔癖さ、癇に障るって、言わなかったか……?」


 含むように、笑って。
 ハイネの空いているほうの手が、俺の軍服の襟の袷を、割る。
 そのまま、そろりと首筋を、舐め上げて。


「ヒ……っ!」


 躯が、竦む。
 怖い……怖い……ハイネが、怖い。


「言わなかったか?その幼さと純粋さが、苛立つって。そう言っているの、聞いたこと、なかったか?」
「聞いて……ない!そんなこと、言ってない!」
「じゃあ、俺にだけ、言ったんだ」


 ふぅん、と。面白がるように、ハイネが呟く。


「ミゲルは、言ったよ?」
「……ん!」
「お前の潔癖さが、苛立つって。お前の純粋さが、苛立つって。お前の幼さは、酷く癇に障るって」
「そん……な……」
「だって、お前を見ていると、俺もミゲルも、自分が穢れていることを、思い知るから」


 俺に、苛立ってた?ミゲル……。
 俺が、こんなだから?
 呆然とする俺に、ハイネはそう言った。


「お前は時々、もの凄く癇に障る。俺も、ミゲルもそう」
「ハイ……ネ……」
「純粋で、無垢で。穢れなんて、何も知りません、て顔して。苛々する」
「や……っ!」


 力を、込めて。
 ハイネから逃れようと、腕を突っ張る。
 けれど全然、効果を発揮しなかった。
 ハイネは、ますます強く俺を抱きこんで。
 圧迫感に、俺は喘ぐ。
 呼吸が、苦しい。
 締め上げられているような、そんな錯覚を覚えるほど。ハイネの力は、強くて。


「っん……!」


 無理矢理上向かされて、口付けられた。
 貪るように激しく、蹂躙される。
 でも、性急さや粗暴さは、感じさせなかった。
 ただ、支配者のような傲慢さを、感じて。

 ねっとりと、這い回るその感覚に、身震いがした。
 逃れようと身動ぎしても、ハイネはそれを許してはくれなくて。
 ますます深く、抱き込まれて。ますますその口付けは、深くなった。
 呼吸が出来なくて、苦しい。
 縋りつくように、彼の軍服の胸のところを、掴んで。
 必死になって、躯を支える。


「んぁ……」


 漸く解放されたとき、もう躯に力が入らなくて。
 凭れるように、ハイネに向かって倒れこんでしまっていた。
 それに、ハイネが低く笑う。


「離……せ!」


 肩で息をしながら、ハイネを押しやる。
 ぜぇぜぇと唇から零れ落ちる吐息が、何だか酷く不快だった。
 自分が洩らしている音だと言うのに、耳障りに感じられて仕方がない。

 躯中に張り巡らされている血管と言う血管が、爆発しそうに感じられた。躯中を巡る血が、沸騰しそうな感じ。それが屈辱故のものなのか、それとももっと別の感情に起因するものなのか。そんなことは俺には分からない。
 分からないが、脳裏に響く警鐘がハイネから離れることを命じていた。だからそれに、従う。


「触るな……!」


 ぎゅっと自分を抱きしめるようにして、両腕を己が身に絡める。
 けれどハイネに、動じた様子は見られなかった。

 長い指で前髪をかきあげて、斜に構えたように微笑≪わら≫っている。


「お前は、自分を『穢れている』と言ったな、イザーク」
「ッ……」
「そうだな。気持ちは、よく分かるよ。俺だって、一緒だ。事実を知ったときは、躯中の血を全部、抜き取りたくなったよ。信じてもいないし、普段だったら冷笑の一つもくれてやる『神』とかいう存在を、心の底から呪った。叔母上を憎んだし、お前も憎んだよ」


 かきあげた彼の前髪が、ふわりとその端正な貌にかかった。
 赤みがかった金糸が煌いて、光の雫のように見える。
 けれどその緑柱石の瞳には、煌きとは無縁の……昏い、影のようなものがちらついていた。


「それはミゲルもおそらく、一緒だ。……俺たちは、同じ闇を抱えていた。俺も、ミゲルも……」
「っぅ……!」
「なぁ、イザーク。おまえは自分自身を『穢れている』と言う。でも、こうは思わないか?俺もミゲルも、そんなお前に惹かれた。この世界で一番穢れているのはお前じゃなく……俺たちの方だって」


 悠然とした仕草で、ハイネの指先が俺の顎を捉えた。
 くいっと持ち上げて、上向かされる。


「なぁ?……イザーク?」
「くっ……!」


 ついっと輪郭をなぞるように辿られる。
 仰ぎ見たハイネは、どこまでも悠然と笑っていた。
 どこか背筋が寒くなる類の微笑に、微かに戦慄を感じる。

 『闇』、と。ハイネは言った。
 確かに、その言葉を信じさせるような……底知れない闇のようなものを、ハイネから感じて。
 戸惑う俺の耳に、天の助けとも言うべき軍務が駆け込んできたのは、まさにその時だった。
 もっとも後になって俺は、その時覚えた安堵を、苦い気持ちで噛み殺すことになる。
 それは、この安穏とした日々の終わりを、告げるものだった――……。



**




 軍本部内に鳴り響いたアラートは、緊急事態を示していた。
 本部中の通信システムの回線が開き、画像が流れる。
 場所は、アーモリー・ワン。


「アーモリー・ワン……!?」
「何だと……!」


 自分を抱きしめる格好はそのままに、俺は震える手で通信回線をオープンにした。
 執務室に備え付けられたそれに、ハイネが慣れた仕草でチャンネルを合わせる。
 今まで俺たち二人の間に漂っていた緊迫した空気は、別の意味で緊迫したものにとって変わった。

 焼け焦げた大地。
 転がる、同胞の遺体。
 溶けた金属片。
 負傷者を運ぶ担架が、ひっきりなしに行き来している。


「アーモリー・ワンが襲撃された!?……クソッ!」
「アーモリー・ワンが……!」


 阿呆のように、俺は唯、『アーモリー・ワン』という単語を呟くことしか、出来なかった。

 アーモリー・ワン。
 そこで確か、新造戦艦の進水式と共に軍事式典が行われる予定だった筈だ。
 プラント中の名士≪セレブ≫が、式典に参加するために招かれた筈。あそこにいるのは、軍人だけじゃなかった。あそこには、民間人もいたのだ。
 苦痛に呻く同胞たちの中に、見慣れた緑や赤の色彩以外に、いかにも柔らかな素材で作られたであろうピンクやモスグリーン、オフホワイトなどの色彩の切れ端も混ざっていた。


「何てことを……!」


 思わず口を抑える俺をしりめに、ハイネは駆け出した。
 そして執務室を飛び出す寸前に、俺のほうへ振り返った。


「状況を確認してくる。ひょっとしたら、出撃する可能性もある。隊員を召集しておけ」
「分かった。……ハイネ、議長は!?」
「……議長はアーモリーだ。だから、状況を……信頼できる情報から、確認しなくてはならない。このままでは最悪の場合、プラントは割れる……!」


 分かりきっていたことだったけれど、改めて他人――しかも俺よりずっと思慮深い年上の血縁者――に言葉にされて、俺は思わず息を呑んだ。
 最悪の場合、プラントは割れる。
 ギルバート=デュランダル議長の指導の下、漸くプラントは安定を取り戻したのだ。
 今もしも、強力なカリスマ性を持つその指導者を失ったなら、プラントは割れる。


<隊長……!>
「シホか!直ちに、ジュール隊全員を招集しろ!本部内にいる者は、通信回線を開くように勧告!」
「はっ!」
「情報が入り次第、お前にも伝達する。多分、まだ混乱状態だと思うが……大丈夫だよな、イザーク?」


 真剣な眼差しで、ハイネは俺を見つめた。
 『大丈夫だよな?』その言葉の裏にあるのは、この現状への俺自身の気持ちの持っていく方向性だろう。
 矛盾を抱えながら、俺はこの『平和』を。ミゲルとラスティとニコルを犠牲に捧げた平和を、いつまでも続くものだと信じていたから。大切な人を代償にした平和は、こんなにも簡単に終焉を迎えたりはしない、と。信じていたから。
 だから彼は、確認したのだろう。俺がこの現実をきちんと受け入れることが出来るか、と。彼も俺も、部下を従えて上に立つ存在だから。
 それを知っているからこそ俺は、彼の言葉に頷いた。


「大丈夫だ、ハイネ。……情報が入り次第、こちらにも教えて欲しい。もしも出撃するとしたら、うちの隊だろうから」
「……分かった」


 静かに頷くと、ハイネは踵を返した。
 そのまま、あくまでも優雅な仕草ではあるが――駆け出す。
 今度は、彼は振り返らなかった。

 その背中を見送りながら、忍び寄る破滅の足音に、戦慄を禁じえなかった――……。



**




 状況は、刻々と変化する。
 それは、決して良いものばかりではなかった。
 それでも、安堵するに足る情報もまた、齎されていた。

 ギルバート=デュランダル議長は無事であること。
 “セカンドステージ”シリーズの一機、“インパルス”は強奪されることなくザフト側にあること。
 新造戦艦“ミネルバ”が、強奪部隊の追撃に当たっていること、などだ。

 もっとも、新造戦艦“ミネルバ”を以ってしても、未だ強奪部隊の撃墜には至っていないらしいが。


<アーモリーはどうやら、持ち直したようだ>
「そうか。それは一安心だな。……それにしても不甲斐ない。これが、ザフトか?」
<それを言われたら、お仕舞いだな。……まぁ、あそこにいたのは殆どが新兵だ。秩序だった行動を求めても、それは無理と言うものだ。あれが初めての実戦だった者も、いるんじゃないか?>
「それでも、軍人としての自覚が足りなすぎる。ザフトの軍人は、羊の群れなどではない。組織的な反抗も出来ず、民間人をも戦渦に巻き込むなど、軍人としてあまりにもお粗末過ぎる」


 通信機越しに断じると、ハイネは苦笑いめいた笑みを、その口元に飾った。
 そんな顔をしても、ハイネ。本当はお前も、俺と同じように思っているんだろう、きっと。先の大戦を経験した者たちにとって、今のザフトはあまりにもお粗末だ。軍人としてのモラルやレベルの低下も、著しい。
 これが、ザフトか。
 そう愕然とするのは、かつての大戦を経験した者たちならば当たり前のことだった。


<そう言うものじゃない。相変わらずだな、お前は>
「事実だろう?」
<まぁ、確かに。それはそうだな>


 くっと、口角を吊り上げて、ハイネが笑った。
 通信機越しとは言え、業務連絡以外の通信をハイネとするのは、久しぶりのことだった。
 あんなことがあったのに、通信を取り合ってしまうのは、俺の心が弱いせいだ。自分で自分が、情けなくなる。


<まさか、お前が口を利いてくれるとは思っていなかったよ、イザーク>


 俺の気持ちを見透かしたように笑って、ハイネが言った。
 口元を飾る笑みは、いつもの陽気さとは無縁なもので……あの日を思い出す。


「仕事とプライベートは、別だ」
<ふぅん?>


 固い声で言い返すと、ハイネは面白そうに笑った。
 今のこの状況が、彼の中で『プライベート』に属しているのは、明らかなことのように思われる。


<イザーク>
「何だ?」
<この前言ったことは、事実だ。俺は、知っている。お前のことも、叔母上のことも。知っていて、それでも俺は、お前を……>
「……黙れ、ハイネ!」


 聞きたくなかった。そんな言葉は、要らない。
 彼に、甘えている自覚はある。それでも、その言葉を……気持ちを受け入れるわけにはいかないから。
 受け入れては、いけないから。

 俺のIDカードの、Blood relationship
 血縁関係を指すその欄は、父親の欄だけ、空白になっている。
 俺に、『父親』は存在しないから。勿論、血縁上の『父親』は存在するけれど。法令上の『父親』は、存在しない。
 俺は、エザリア=ジュールの私生児。
 公的には一応、嫡子の扱いを受けてはいるけれど。
 厳密に言うと、父のいない俺は、母の私生児、と言うことになっている。――他にジュールの……母上の血を引く者がいないから、嫡子と言うことになってはいるが。
 俺の伯父であるヒト――要するにハイネの父親は、ヴェステンフルス家に婿養子に入ったから。
 ジュール家の当主はだから、俺の母親で、ハイネにとっては叔母に当たるヒト――エザリア=ジュール、と言うわけだ。


「俺は、受け入れられない」
<――――だから?>
「……それは、赦されない」
<ミゲルは、受け入れたのに?>


 これ以上、混乱させないでくれ!
 痛む頭を抱えて、俺は怒鳴りつけたくて堪らなくなった。
 頭が、痛い。
 混乱して、ぐるぐる。何か分からない黒いものが脳裏に巣食って、ぐるぐる廻って。

 放っておいてくれ。放っておいて。『愛』だとか、『恋』だとか。そんなもの今は、考えたくない。
 そんなことを考えるだけの余裕が、俺に存在していなかった。

 どうして、ハイネ。どうして、どうして。
 どうして、そんなことを言う!?どうして!
 言わなかったのに。今まで、口にしようとしていなかったじゃないか。それは、確かに俺が何も言わないお前に甘えていただけで、お前が甘やかしてくれていただけかもしれないけれど。
 言わなかったのに、今まで。あの……軍法裁判で無罪となったあの日から今まで、言わなかったじゃないか、そんなこと。
 それなのに、どうして。どうして、そんなことを言うんだよ。

 おかしい。
 何か、おかしい。
 何か、間違っている。
 おかしいだろう、ハイネ。お前のその情熱は、おかしい。それは本来、俺に捧ぐべきものではない筈。
 俺ではない――もっと別のヒトに捧ぐべきものだ。ミゲルと同じく。

 ミゲルのこと、今でも大切だと思う。
 今でも愛している、と。今でも、心の中の一番綺麗なところに、彼は存在していると。断言できる。
 でも、本当はミゲルだって、俺を愛するべきじゃなかった。他の――彼自身の、『定められた相手』に捧げるべきものだった。


<これ以上は、お前を混乱させるだけのようだな、イザーク>
「ハイネ……」
<お前の隊はまだ、コンディション・イエローが続いているのか?>
「あぁ……」


 事あれば、借り出されるのは、俺の隊だ。
 今のところ、アーモリー・ワンはどうやら、持ち直したようではあったけれど。

 地球軍の、襲撃……か。
 過去の俺たちの襲撃作戦と酷似していて。今度は、襲撃者が入れ替わっただけで。でもその襲撃作戦でミゲルとラスティは戦死して。
 だから、あの日を。ミゲルを喪ったあの日のことを、否が応にも思い出さずにはいられなかった。――ミゲルと、ラスティと。オロールと、マシューと。あまりにも多くの仲間を、喪った日のこと。


<目、腫れているぞ。夜はちゃんと眠れて……いるわけないな。でも、イエローが出ているんだったら、できるだけ寝るように心がけろ。何かあって、戦場で後れを取ることがないように>
「……分かっている」
<そっか。じゃあ、またな>


 ぷっと、微かな音を立てて、画面を砂嵐が取って代わる。
 幾分物憂い気分になって、チェアーの背凭れを少し倒した。
 頭を預けていると、何だか瞼が重くなって。

 夜にベッド――イエロー点灯中につき、本部内の簡易ベッドだが――では眠れないのに、こんなところで……と。醒めた頭の中で考えた。
 重要案件は、今のところ存在していない。
 アラートが鳴れば、目は覚めるだろう。
 緊張感が足りなすぎる、と。理性が咎める声を上げるが、理性にはほんの少し、冬眠していてもらうことにしよう。

 ふっと、まどろみの中に堕ちようとした矢先に、アラートが鳴り響いた。


「隊長!!」


 執務室の扉が開いて、シホが駆け込んでくる。
 礼儀をどこかにかなぐり捨てたような、そんな様子に非常事態が起こったことを悟った。


「どうした?」
「これを、ご覧ください!」


 シホが出したのは、光学映像だった。
 映し出されているのは、巨大なプラントの残骸――ユニウス・セブンと呼ばれていたもの――だ。


「ユニウス・セブンが、動いているのが、つい先ほど発覚いたしました」
「ユニウスが!?まさか。あれは、百年単位で安定軌道にあった筈だ。それが、どうして」
「分かりません。原因の詳細は、まだ掴めていないのです。今現在、特務隊を含め各隊にこの情報が伝達されました」
「ユニウスが……」
「隊長、国防長官より、通信が入りました」


 繋がった通信の向こうに、壮年の男性の姿があった。
 立ち上がり、敬礼をする。
 返礼がなされ、指令が伝達された。

 曰く。ユニウス・セブンの破砕作業に当たれ、と――……。
 指令を受領し、コンディション・イエローがレッドに移行した。

 ユニウス・セブンが動き出したのは一体、何が原因だったのだろうか。百年単位で安定軌道にあったものが突如地球に向かって動き出すなど、自然現象には思えなかった。
 それでも、それを見逃すわけにはいかないのだ。

 議会はどうやら、チャンネル・ワンで議長と通信を繋ぎ、直接の指示を仰いだらしい。
 ユニウス・セブン破砕作業は、無事に議会を通過し、ジュール隊とミネルバにその命令が下った。
 俺が感知しえる問題と言えば、それだけだった――……。



**




 地球の引力に引かれて宇宙を漂うユニウス・セブンは、まるで巨大な海月のような姿を、俺たちの前に晒していた。
 ほぼ半分に割れているとは言え、最長部は八キロを越える巨大な天体だ。
 ザフト軍戦艦、ナスカ級。そしてジュール隊旗艦“ヴォルテール”の艦橋で、漂う巨大な天体の姿を捉えた。先の大戦の直接のきっかけとなった、プラントの一基。農業プラント、ユニウス・セブン。今また、火種になるかもしれない、それは彼のプラントの宿命なのだろうか。
 忸怩たる思いを抱えて見やると、青白く発光するプラントは、どんどん接近してきつつあった。


「こうして改めて見ると、でかいな!」
「当たり前だ。住んでいるんだぞ、俺たちは。同じような場所に!」


 傍らに立つディアッカが、飄々と呟くのに、食って掛かる。
 上官に対する敬意なんて、ディアッカの口調からはちっとも感じられないが、それでいいのだと思う。今更こいつにそんな接し方をされたら、それはそれで調子を崩してしまう気がするのだ。


「それを砕けって、今回の仕事が、どれだけ大事か、改めて分かったって話だよ!」
「お前は先の見通しが甘いんだ。へらへらしていないで、もっと危機意識を持て!」


 怒鳴りつけて、ディアッカを送り出す。
 隊長たるもの、めったなことで機関を離れるわけには、行かない。戦場で直接指揮を執るのは、赤服の隊長のすることで。仕官服の白を纏う隊長には、もっと広い視野で指揮を執ることを求められる。
 たかだか破砕作業とは言え、状況がどう転ぶか。それは誰にも分からないのだから。

 “ボルテール”のリニアカタパルトが開き、モビルスーツを射出する。
 次々と飛び立つ機体は、その殆どが“ゲイツR”だ。

 工作部隊は母艦から射出されたメテオブレーカーを受け取り、二機一組で氷の大地に降り立った。
 そのまま作業を開始しようとした、まさにその瞬間。
 漆黒の宇宙を、ビームが貫いた。


「何……!?」
「攻撃されています、隊長……!」


 艦橋クルーが、凍りついた声を上げた。
 よもや、攻撃を受けるとは、思っていなかったのだろう。

 敵機は……敵機は、どこに所属している?やはり、地球連合なのだろうか。しかし、何故?
 考える俺の視線の先に、紫と黒でカラーリングされた機体が飛び込んできた。
 各所に装備されていたブースターが目に止まるが、それの原型となった機体は、ザフトに所属するものであれば誰だって分かるだろう。――否、たとえザフトに所属していなくても、分かるに違いない。


「“ジン”……!?」
「そんな、何故、“ジン”が……!?」


 しかしそれに、答える暇はなかった。
 工作部隊は、丸腰だ。ココで躊躇っているうちに、僚機はどんどん撃墜されてしまう。
 迷っている暇など、ありはしない。


「ディアッカ!部隊をいったん下がらせろ!“ゲイツ”のライフルを射出する!メテオブレーカーを守れ!」
<分かった>
「俺もすぐに出る!」


 艦橋を飛び出て、モビルスーツの格納庫へ向かった。

 隊長は、広い視野で部隊を指揮するもの。特に白服の隊長に求められているのがそれだということくらい、俺にも分かっていた。
 しかし、目の前で部下が戦っているのに、後方で指揮だけを執るなんて、俺には出来そうになかった。
 後方で指揮を執る将を名将というのであれば、俺は愚将でもいい。陣頭で戦って、苦難も痛みも共に背負いたかった。――俺は、前線しか知らないから。

 ライフルが射出され、“ゲイツ”も反撃を開始したが、効果は上がらなかった。
 どうやら、敵はかなりの技量を持つ者たちらしい。


<工作部隊は作業を進めろ!これではやつらの思うツボだぞ!>


 檄を飛ばすと、浮き足立っていた部隊に統制が戻った。
 そして、何故か“ミネルバ”に乗艦し、破砕作業を手伝うアスランやディアッカと共に、戦闘を引き受けた。
 奪取されたモビルスーツも襲撃してきたが、かろうじてユニウス・セブンは半分に割れた。
 しかし、それまでだった。

 タイム・オーバーで、ジュール隊は引き上げることとなる。
 “ミネルバ”の艦主砲が、残りの破片を引き受けることとなり、議長の身柄は、“ボルテール”に移された。








 砕けきれなかった破片が、地上に舞い落ちる。
 命の華が、地上で燃えた……。








世界は 廻る

ヒトも 巡る

憎悪の焔を 撒き散らしながら

自分の手で 自分の首を絞めて

そして世界は……

世界は再び 『安定』を喪った――……



--------------------------------------------------------------------------------



 漸く運命本編に突入いたしました。
 でも纏めきれなくて、凄まじいことになりました。
 後半なんて、もう……。
 本編に沿いながら書くのとか、戦闘シーンとか。物凄く苦手なのですが……。
 精進していきたいです。

 いきなり人が変わったように押せ押せモード突入のハイネ様、ですが。
 その辺は次回、と言うことになるのでしょうか。
 珍しく今回、あまりヘタレじゃないかもしれません。
 いえ、ハイネ様がヘタレにしかならない緋月がおかしいのですけれども。

 此処までお読みいただきまして、有難うございました。