大嫌いな、男。

あいつは、それだけの存在。

あいつを愛したことなんて、一度もなかった。

あいつもそれを、求めはしなかった。

ただ、奪うように愛された。

でもそれは、本当は愛なんて代物じゃなくて。

戦場という特殊な環境がそうさせただけの、代償行為に近くて。

戦場で始まって、戦場で終わった。

それだけのことだった――……。






T   きっかけ






きっかけは、一通の招待状。

『Invitation』そう書かれた白い封筒が、マティウス市にあるジュール邸に届けられた。

青緑色の長衣を翻し、アプリリウス市から帰宅したイザークに、母であるエザリアが嬉しそうに微笑みながらそれを手渡す。

「招待状……誰からですか、これは」

「裏を見て御覧なさい」

「……ディアッカ……」

差出人は、ディアッカ=エルスマン。

現在オーブにすむ、イザークの親友からのものだった。

「……結婚するようです。ナチュラルの……足つきに搭乗していた女性と」

「まぁ。それはおめでたいわね」

「ですね。招待、受けたほうがいいのでしょうか……?」

尋ねるイザークの、自分に酷似したその顔を包み込むようにして、エザリアはイザークの瞳を覗き込む。

戦後、エザリアは評議員の座を追われた。

そして今、エザリアの代わりにイザークがその地位についている。

イザークの立場を思えば、おいそれとオーブになど足を運べるものではない。

「貴女は、どうしたいの?」

「……それは、無論……。ディアッカは、幼馴染だし……」

「なら、いってらっしゃい」

「でも、仕事が……」

十八歳という年には過剰とも思えるような負荷が、彼女の身には課せられているのだ。

そして彼女の性格上、与えられた仕事を私情のために放棄することは出来まい。

自分に似すぎた娘の、その生真面目なところも、エザリアはよく理解していた。

「アイリーンに頼んで御覧なさい」

「議長に……ですか?」

戦後、穏健派だったアイリーン=カナーバは最高評議会議長に収まっていた。

「違うわ、イザーク。議長としてのカナーバ議員にではなく、アイリーンに頼むのよ」

評議会議員を両親に持つその子弟は、当然幼い頃から付き合いがあり、家族ぐるみともいえるような関係を築いている。

イザークも今は議長などと呼んでいるが、イザークにとってカナーバもまた、「アイリーン小母様」と呼んで差し支えのないほどの関係なのだ。

「彼女なら、正直に話せばきっと分かってくれるわ。大切な親友の晴れの日ですもの。お祝いしてあげたいでしょう?」

「はい」

エザリアの言葉に、イザークの顔に笑顔が戻る。

嬉しそうな娘の笑顔に、エザリアも笑みを浮かべて。

「たまには休息も必要よ、イザーク。貴女は少し、無理をしすぎるわ」

羽を伸ばして来い、ということらしい。

母は母なりに、自分を案じてくれていたことが分かって、イザークは少しくすぐったいような気持ちになった。

「ところでイザーク。貴女の婚約のことだけど……」

「失礼しました」

逃げ出そうとするイザークを、エザリアはその襟首を掴んで阻止する。

「貴女はジュール家の人間なのよ。もっと自覚を持ちなさい」

「結婚せずとも、家は継げます」

「じゃあ、貴女の次にジュール家は誰が継ぐの?」

「婚姻統制を行っても、第三世代は生まれないんですよ?婚約なんて無意味です」

「イザーク!!」

母の気持ちは、よく分かる。

おそらく母は自分に、女性としての幸せを与えたいのだ。

母のために、プラントのために隊長までこなしたイザークに、今度は女性としての幸せを与えたいのだろう。

いつ死ぬとも分からぬ戦場に送り出してしまった、それに対する贖罪の気持ちは勿論あるだろうが、それ以上にイザーク自身の幸せのために。

けれどイザークには、それには応えられない。

ジュール家の名誉のため、花嫁は純潔でなくてはならない。

けれどイザークは違う。イザークの純潔は、あの男に奪われてしまったのだから……。

母とジュール家の名誉のためにも、イザークは結婚するわけにはいかなかった。

「俺はまだ、結婚なんて考えられません」

「その男言葉も何とかなさい」

「今更『〜ですわ』だの、『〜よ』などといった女言葉は、気持ち悪くて使えません」

「イザーク!!」

「お話がそれだけなら、これで失礼します。アイリーン小母様のところへ行って参りますので」

そう言い、イザークはさっさと踵を返す。

きびきびとした足運びはいかにも元軍人らしい。

しかしイザークの場合、それは決して粗野なものではなく、同時に優美さすら感じられる。

愛娘の後姿を眺めながら、エザリアはそっと溜息を吐いた。

何故ああも、婚約を……結婚を嫌がるのだろう。

イザークには明かしていないが、イザークを妻にと求める者は相当数に上る。

ジュール家の人間であることを差し引いても、あれほどの美貌の持ち主だ。彼女を得たいと思う者が多くても、それは当然のように思える。

親の欲目を差し引いても、イザークは美しいとエザリアは思うし、世間でもそういう声をよく耳にする。

美しく、高潔で。穢れを知らない……それが、イザークのイメージだ。

「何か、あったの?イザーク……」

あの戦争中、エザリアは殆どイザークを省みることが出来なかった。

夫亡き後、たった二人きりの家族だったというのに、エザリアは仕事に忙殺さえ、イザークは軍に志願し……。

それは、大きな過失だったのではあるまいか。

けれど明かさぬと自ら決めた以上、イザークが何があったか話す筈もない。

娘によく似たそのアイスブルーの双眸を静かに伏せて。

祈るしか出来ない自分の無力さに、エザリアは忸怩たる思いを味わっていた――……。



**




「母上も、勝手なことを仰る」

結婚。女ならば、誰もが憧れるだろう。

結婚。

愛する人と、永遠を誓うもの。

けれどそれは、出来ない。ジュール家の名誉にかけて。

今でも、時折魘されてしまう。

……あの男のせいだ。

イザークを穢した、あの男。

あのときの光景が、今も眼裏をよぎって離れない。早く忘れてしまいたいのに。あんな嫌なこと。あんな屈辱。早く……。

あの男はもう、プラントにはいない。

それなのに、こんなにも心乱される自分が癪だった。

あんな嫌なこと。あんな屈辱。忘れたくとも、容易には忘れられないそれ……。

年下の男に、いいように躯を弄ばれた。

誰がなんと言おうと、イザークは自分で自分が許せない。

議員の青緑色の長衣に身を包み、自動モードに切り替えたエレカの中で、イザークはアイスブルーの瞳をしっかりと閉じた。

思い出したくもない、屈辱。

思い出したくもない、自分の声。

嫌だ……嫌だ……嫌だ……。

あれは戦場が見せた悪夢。

自分とは関係ない。そう言い聞かせてもなお、痛い痛い記憶。

「許さない……」

あの男。イザークを穢した、あの存在。

許せない。許したくない。

振り払うように瞳を閉じ、自己暗示を続けるイザークの耳元で、楽しげな……楽しげな男の声が、よぎった。

――――『イザークは一生、俺のものだよ』――――

俺だけの、Precious Rose……。







アスカガ嫌いもここまでくるとたいしたもんだな、と自分で思ってしまう緋月翠です。

アスカが嫌いで、アスカガな戦後なんて見たくなくて。

それでこんな長編まで始めるかい、貴様は!みたいな感じですね。

私的に、イザークは白薔薇王子様ですから。

ついでに、イザアス大好きな私は、実際はイザアスイザです。

どちらかというと、イザアスよりですが。

それでは、長くなりそうな長編ですが、最後までお付き合いいただけますと嬉しいです。