あの男の名を、存在を忘れられないのは、 別にあの男を愛しているとかそういう甘い感情ではなく。 この手で殺してやりたいほど憎悪しているからなのだ、と。 躊躇いもなく思う――……。 U 再会 カナーバの許へ赴くと、顔なじみの執事が彼女の執務室へと案内してくれた。 「こちらでございます、イザーク様」 「有難う」 礼を言い、部屋に入る。 亜麻色の長いウェーブの髪を持つ女性は、やってきたイザークの姿に笑みを洩らした。 「久しいな、イザーク」 「先ほども、議会でお会いしましたよ」 「いや、『ジュール議員』としてのそなたには会ったが、『イザーク』に会うのは久方ぶりだ」 「実は、今日は議長閣下にではなく、小母上にお話があってまいりました」 イザークの言葉に、カナーバは頷き、椅子を勧める。 ややもするとメイドが現れて、二人の前に薫り高い紅茶と菓子を置いて退室した。 「話しとは一体なんです?イザーク」 「ディアッカ=エルスマンが今度、ナチュラルの少女と結婚することになりまして……」 「それはめでたいわね。それで?」 カナーバの口調が、『カナーバ議長』のものから『アイリーン小母様』のものへ変わっていることに、イザークは気付いた。 休暇を申し入れるのは気が咎めるが、背に腹はかえられない。 親友の晴れの日を、祝ってやりたいのだから。 「出来ましたら、小母上。休暇をお願いしたいのですが……」 イザークが言うと、カナーバはふうと溜息を吐いた。 それに否定的なものを感じて、イザークさすがに気落ちする。 「行ってらっしゃい。ディアッカには、私からもおめでとうと言っていたと伝えて頂戴」 「よろしいのですか……?」 おずおずと尋ねると、カナーバはさもおかしいと言いたげに笑った。 「貴女がディアッカと親友であることは、評議会議員は全員知っています。きっと皆、分かってくれるわ」 「有難うございます、小母上」 喜ぶイザークに、カナーバもそっと笑みを作って。 「水臭いことを言わないで、イザーク。それが当然と判断したからよ」 それでも、親友に直接祝いを述べることが出来るのが、嬉しくて仕方がない。 「行ってらっしゃい、イザーク。少し、羽を伸ばしていらっしゃい。貴女は、無理をしすぎるわ」 潔癖症で、完璧主義者。他人にも厳しいが、より自分に厳しい。それは美点であるが、行き過ぎれば欠点にもなり得る。 「はい」 頷いて、イザークは立ち上がろうとした。 しかしそれは、カナーバに止められる。 「いい紅茶が手に入ったのよ。それ。あなたにも是非、飲んで行ってほしいわ」 「はい、分かりました。いただきます」 陶器のティーカップをそっと持ち上げ、中身を一口、口にする。 甘い香りとふくよかな味が、口いっぱいに広がった。 「美味しい……」 「それは良かったわ。……エザリアが貴女のことを、気にしていたわ。戦争中、貴女に何かあったのではないか、と」 「……何もありませんよ」 震えそうになる己の声を、何とか叱咤して平常通りに保つ。 思い出したくも、ない。 あんな屈辱。あんなこと。思い出したくもない……!! 「ただ、今は仕事を優先させたいんです。結婚すれば、なかなか思うように仕事をすることは出来ませんから」 「そう?」 イザークの考えていることなど、見透かしているような瞳。 やや目を逸らすようにして、イザークは無難なことを口にする。 それは、事実でもあった。それが、理由の全てではないだけ……。 「この話は、打ち切りましょうか」 語りたくないことを、無理矢理口を割らせてまで聞きたいとは思わないし、そこまで趣味の悪い人間でもない。 カナーバがそう言うと、あからさまにイザークはほっとしたような顔を作った……。 話が決まると、あとは早かった。 イザークも急いで準備をし、結婚式の二日前にはオーブに辿り着けるように調整をした。 白のシルクのシャツに、細身の黒のズボン。 簡素な出で立ちは、だからこそ一層着ている者の持つ侵し難いまでの雰囲気やその美貌を際立たせる。 「イザーク!」 「ディアッカ」 シャトル発着所に着き、さてこれからどうしたものかとイザークは思案する。 いきなりディアッカの家を訪れるのはやはり非礼になるだろうから、やはり予約していたホテルに行くべきか。 そう思っていた矢先、聞き覚えのある声に呼びかけられ、イザークはそちらを向いた。 立っていたのは、案の定ディアッカだった。 「ここで何をしているんだ、貴様は」 「イザーク迎えに来たに決まってるじゃない。元気していたか?」 「ふん、余計なことを」 ぶっきらぼうに言葉を綴るのは、照れているから。イザークと付き合いの長いディアッカは、その辺のことも理解していた。 「アイリーン小母様がおめでとうと伝えてくれと仰った。タッド小父上も、来れなくて残念そうにしておられたぞ」 「いいよ、親父は来なくて。それじゃイザーク、行くか」 「どこへだ?」 さりげなくディアッカはイザークの荷物を持ち、ゲートを出ようとする。 その行為をまた、当たり前のようにうけながら、イザークは尋ねた。 「うち。せっかくイザークもくるんだし、身内でパーティでもと思って」 「……それは俺がそういうものが嫌いだと知っての嫌がらせか……?」 「んな格式ばったものじゃないから、大丈夫だって。ミリィもお前に会いたいって言ってたし」 「分かった。そういうことなら招待を受けよう。俺も、ミリアリア嬢にお会いするのは楽しみだ」 剣呑な雰囲気を漂わせるイザークにミリアリアが会いたがっていると言えば、イザークも諦めたように溜息を吐いて、ディアッカの提案を受け容れた。 何だかんだといって、彼女は人に気遣うことが出来る人間なのだ。そうと相手に悟らせないだけで。 付き合いの長いディアッカは、イザークのそんなところも分かっている。でなければ、これほど長い間親友なんて続けられない。 「お前は、どうなわけ?結婚とか」 「今は仕事のことしか考えられんな。忙しいんだ。それに……」 「うん?」 「今更女に戻れと言われても、苦笑するしかない。そんなの、求められても困る」 あの戦争を、激動の時間を、男と偽り、自分の力だけで這い上がるようにして生き抜いた。 そんなイザークにすれば、今更男に頼って生きるような生き方が出来ないのも、道理で。 決して嘘ではなくとも、理由の全てではないそれは、ディアッカにとっても納得のいくものだったらしい。 己の力だけを頼みにしてきたものが、他人を頼るというのは、難しいことこの上ない生き方といえよう。 そしてイザークにとって結婚とは、まさにそのとおりだったのだ。 「俺はあの戦争を、俺だけの力ではないにしろ、自分の力で生き抜いたと自負している。今更女に戻って、夫を頼る生き方なんて、出来ない」 「そっか……。まぁ、いいんじゃないの?お前らしくてさ」 「有難う」 礼を言うようなことではないかもしれないが、それでもイザークは嬉しかった。 自分の生き方を、理解してくれる人がいること。それが、かけがえのない親友であるということ。 そのことが、イザークは嬉しかったのだ。 二人を乗せて、エレカは真っ直ぐにディアッカの家へと向かった。 ……イザークは、知らなかった。 そこに、イザークから純潔を奪った男が――アスラン=ザラが来ていることを――……。 Precious Rose二話目をお届けします。 カナーバさんとエザリアママンは、政治的な理由で対立しただけだと思いたいです。 ついでに言うと、戦犯としてママンが銃殺とかいうような笑えない展開になっていないといいなぁ……。 話の中には出てきていませんが、イザークはまだ顔に傷あります。 そう容易には消さないでしょ、イザークだしと思って。 ここまで読んでいただき、有難うございました。 |