――――『もっ……やめっ……』――――

――――『何言ってるの、イザーク。イザークだって嬉しいくせに』――――

――――『離し……!』――――

――――『駄目だよ、イザーク。イザークは、俺だけのものなんだから』――――



思い出すのは、戦場で味わったあの恐怖。

だからそれを、この躯に刻み込んで上げなきゃね。

楽しそうに。楽しそうに囁かれる、声――……。


力づくで蹂躙され、穢された躯と心。

それは容易には消し去ることの出来ない傷として、彼女の心に刻印されていた――……。






V   悪夢






エレカは素晴らしいスピードで、ディアッカの私宅へと向かう。
少しぞんざいな仕種で助手席に座り、高く足を組むイザークに、ディアッカはやれやれといわんばかりに溜息を吐いた。
エザリアの心配は、実は別のところにあるのではないか、と。
イザークは、はっきり言って強い。
アカデミー二位の成績は勿論伊達ではなく、並の男ではおそらく彼女に敵いはしないだろう。


心配すべきはこの親友に、恋人がいるかどうかだな、と。ディアッカは思った。

別に、結婚こそが女性の幸せだ、なんて言うつもりはないし、そんなことを思いはしない。
ただ、青春の全てを軍隊に捧げ、そして今なお評議会議員という重い肩書きを背負っている親友が、哀れだった。
もう少し楽な生き方だってある筈なのに。不器用だな、と。

黙り込んでいるイザークに、ディアッカは言葉をかけることを躊躇う。
少し……ほんの少しだけ震えているように見えるのは、目の錯覚だろうか。
何も語らない、プライドの塊のイザーク。
彼女が語る時まで、待つしか出来ない自分に、忸怩たる気分を味わう。
冷たい色をした彼女のアイスブルーの瞳が、なぜかその時微かに潤んでいるような気がして、胸がざわめいた――……。



**




自宅に到着し、ディアッカは助手席のドアを開ける。
さも当然のことのようにそれを受けたイザークは、ディアッカに荷物を持たせると彼を先導に屋内に足を踏み入れた。

綺麗に整理整頓された、室内。
そこに、この家の主人の性格の一端を垣間見たような気がした。
ディアッカが選んだ女性はきっと、それなりに家事が得意でそして綺麗好きなのだろう。

「ミリィ、ただいま」
「おかえりなさい、ディアッカ。あら。こちらが、イザーク?」

くるん、と外側にカールした明るい色の髪。
深い色合いのブルーの瞳に、健康的で快活な笑顔。
確かに、ディアッカが惚れそうな女性だ。
好ましく思って、イザークはミリアリアの手を取ってその甲に口付ける。

「お初にお目にかかります、ミリアリア嬢。私はイザーク=ジュールと申します。本日は、お招き有難う」
「ご丁寧にどうも。私のことは、ミリィと呼んでください」
「では、私もイザークと」

社交の場での挨拶の手本のようなものを繰り広げるイザークに、ミリアリアも笑って応える。
ややもして身を起こしたイザークは、ちらりと悪戯っぽく笑った。


「この人、本当にディアッカの親友なの?全然違うじゃない、あんたと」
「いや、イザークは一応いいとこのお嬢だし……」
「フン。貴様もいいとこの坊ちゃんだろうが、一応。これくらいの挨拶、当然だろうが」
「私、なんかドキドキしちゃった。なんて言うか……そう!ベルばらの気分」

男装の麗人に女性として扱ってもらうことに、少々倒錯的な喜びを感じる。
事実、イザークはあまりにも綺麗だったから。


確かに、第三勢力としてラクス派に所属していたミリアリアは、コーディネイターの『美人』に接する機会もあったが、イザークの美貌は、そのどれにも当てはまらない。
艶かしく女性らしいわけでも、少女めいた可愛らしさでもなく、凛とした清冽な印象を与える美貌。
清雅な雰囲気に、すらりとした立ち姿は真冬に咲き誇る寒椿を連想させた。
決して屈することなく、厳しい環境にあって尚も美しくその花を咲き競わせる。そんな、真冬の花のイメージが。

「えっと……一応庭のほうにキラたちもいるんだけど……」
「ん〜……まぁ、とりあえず、庭に出るかイザーク。荷物は部屋に運んどく。俺んちに泊まるだろう?」
「いくらなんでもそこまで非常識じゃないぞ、俺は。結婚する二人の間に割り込むか。ホテルはちゃんと、部屋を取っているから、後でそちらに……」
「女一人でホテルに泊まらせるのって、すっげ心配」
「……貴様と一つ屋根の下よりは安全だ」
「うっわ、可愛くねぇ」

ディアッカとイザークの言葉の応酬に、ミリアリアはくすくすと笑う。
バツが悪くなって赤面するイザークに、ミリアリアはディアッカと一緒に庭のほうへ出るよう促した。

「準備が終わったら、私も行くから。先にお庭の方へ二人で行ってて」
「了解」
ちゅっとミリアリアの額に軽く口付けるディアッカに、そして嬉しそうに微笑むミリアリアに、胸が締め付けられそうになる。
どこまでも幸せそうなその、光景。
決して彼女が手に入れることが出来ないものと諦めてしまったもの。
愛する人と、一緒にいることの幸せ。


まぁ、二世代目同士で婚姻を行うなら、遺伝子の適性率が重要になるとはいえ、そこに本来の自分のあるべき姿を思って、イザークは溜息を吐いた。

一生、手に入れることの出来ないものだ。
ジュール家の、面子のために。
純潔を尊ぶ風潮は、プラントの上流社会にあっては未だに根深いものなのだ。
ジュール家の面目の失墜と、母への侮辱、そして母から侮蔑の目で見られることに、イザークは耐えられない。
イザークにとって、エザリアが全てだった。
幼い頃に父をなくしたイザークにとって、母が注いでくれる愛情だけが全てだったのだ。
そんな母を侮辱されることにも、母からふしだらな娘と蔑まれることにも、イザークは耐えられそうになかった。


小さく溜息を吐く。
結局、堂々巡りは続いて。
答えは、容易には見つかりそうにない。
今のままでも、十分に満ち足りているし、やりがいのある仕事を与えられることに、誇らしさを感じる。
けれどそれを「幸せか」と問われたとき、容易に頷くことができない自分がいることもまた、事実だった。



ああ、あんなことさえなかったなら……。







庭の緑が、目に沁みて。泣きたくなった――……。














**




庭に出て、椅子に腰掛ける。
ガーデンパーティーの様相を呈したそこにいるのは、知らない人間ばかりだった。
落ち着くが、同時に物寂しさを感じる。

「あ、あの。イザークさん?デュエルの、パイロットの?」
「……誰だ、貴様は」
「イザーク、コイツは……」

突然見知らぬ人間に声をかけられて、思わずイザークは不機嫌な声で答えた。
チョコレートブラウンの髪に、アメジストの瞳。
年下、だろうか。不安げに見上げてくる瞳は、無垢そのものだ。

「いいよ、ディアッカ。……初めまして、イザークさん。僕は、キラ=ヤマトといいます。ストライク、そしてフリーダムのパイロットです」
「貴様が!?」

思い出されるのは、戦場で味わった屈辱。
ストライクに敗れ、傷を負い、あまつさえニコルは……。
目を剥くイザークに、キラはそれを当然の反応と受け止めていた。
キラは、彼女の……女性の顔に傷をつけた挙句、彼女の仲間を殺してしまったのだ。例え殺したくなかったといったところで、その事実は変わらない。

けれどイザークももう、ストライクのパイロットを闇雲に憎むほど、子供ではなかった。
彼女は戦争の、その悲惨な現実を知った。
そしてキラに命を救われもした。
胸を焦がさんばかりの憎しみは、今もその胸の内を渦巻いているが、キラだけに罪ありというわけではない。
イザークも、戦争をした。そして知らなかったとはいえ、民間人の乗るシャトルを撃ち落としたのだ。

「貴女は、僕を怨む……憎む権利がある」

悲しそうに伏せられた、アメジストの瞳。
断罪を望んでいるかのようなその姿に、痛みを覚える。

「……貴様だけが悪いわけではない」
「イザークさん……」
「俺も同じだ。ニコルのことは確かに許せんが、俺だって……民間人の乗るシャトルを、知らなかったとはいえ撃ち落として……」

戦争を、していたから。
だから起こってしまった悲しい事象。
その埋め合わせをする術は、ない。
悲しいから、辛いから。だからといって殺め続ければ結局、誰もいなくなってしまう。


結局必要なことは、どこかで『許す』ことなのかもしれない。
それすらも、生者の傲慢と取られかねないが、それしか、喪われた命に応える術はないから……。

「でも、僕は女の子の顔に、こんな傷まで……」

キラの手が伸ばされて、イザークの顔に刻まれた傷に触れる。
秀麗な、艶麗な美貌に刻まれた、醜い醜い傷。

「本当に、ごめんなさい」
「いや、これは……」
「傷物にしてしまった責任は、必ず取ります。僕がイザークさんをお嫁さんにしますから……!」

勢い込んでいうキラに、思わずディアッカが笑った。
続いてイザークも、その口元にふっと笑みを浮かべる。

「気にするな」
「でも、こんな綺麗な人に、僕は……!」
「気にしなくて、いい」

こんな傷なんて、何てことない。イザークの尊厳を、誇りを傷つけるものではない。
あの傷に比べれば、この程度のこと、なんでもないのだ……。

「あれぇ、イザーク」

突如かかってきた声に、聞き覚えのあるその声に、イザークは目に見えて顔色を変えた。
大きく見開かれたアイスブルーの瞳に、男の姿を映し出して。

「来てたんだ?酷いな、俺には挨拶もなし?」
「貴様……」
「話があるんだけど、イザーク?勿論、聞いてくれるよね?」

笑顔の裏に隠されたその本性が、恐ろしい。

「聞いてくれるよね?イザーク。……ジュール家の名誉、失墜させたくはないよね?」

暗に訴えていることがなんであるかを思い知って、イザークは微かに震えた。
思い出したくも、ない。
逢いたくなんて、なかった。
「おいでよ、イザーク」

君は、俺のものなんだから。


囁く男の声に、白昼夢を、それもとびきりの悪夢を見ている気がして……。
躯が、震えた――……。







『Precious Rose』第二話目をお届けします。
アスラン、というよりザラ登場。
あ、まだザラじゃないかもですが。何とかザラは登場させないように頑張りたいです。

……ザラ出てきたら収拾つかなくなりそうなものなので。

とりあえず、イザーク不幸ですね。
書いてて一番楽しかったのは、キラの『傷物にした責任は取ります』発言だったりします。

ここまで読んでいただき、本当に有難うございました。