ねぇ、君は、俺のモノなんだよ? なのに、他の男に笑いかける、なんて。 そんなに俺を試して、楽しいの? X 灰猫 青い顔色で、ディアッカの元に戻ろうとする。 駄目だ。これでは、気づかれてしまう。 いつもいつも傍にいてくれた腐れ縁の幼馴染は、ことイザークの変化には敏感なのだから。 普通に、していなくては。 目を閉じて、念じる。 それでも、躯の震えは収まらない。 白のシルクシャツの胸元あたりを握り締めて、イザークは唇を噛み締めた。 あの男を、受け入れなくては、ならない。 オーブにいる間、好きにされることでしか、もう自分を守れない。 『母が愛してくれるくれるイザーク』を、『母に愛される資格を持つイザーク』を、守ることはできない。 胸が、潰れるほどに苦しい。 込み上げてくる吐き気に、イザークは白い手でその顔を覆う。 「久しぶりにディアッカに逢えて嬉しいのか?俺の姫君。そんなところで立ち尽くしちゃ駄目だろ?」 突然かけられた軽口に、イザークは思わず目を開けた。 声は、勿論覚えてる。 イザークの記憶層に、間違いなく記憶されているもの。存在しているものだ。 「ハ……イネ?」 「何亡霊でも見たような顔してるわけ、イザーク」 「な……何で、貴様がここに?」 「あのな。仮にも評議会議員が、護衛なしでオーブに行くんじゃないよ。ここは一応、敵国と同じなんだぜ?」 「それ……は」 ディアッカには申し訳ないが、オーブは敵国と同じだった。 少なくとも今のプラントの大部分は、その考えで占められている。 穏健派のカナーバですら、その声を抑えることは難しいのだ。オーブの罪状が明らかとなってしまった現在では。 確かにオーブは、終戦に向けて貢献しただろう。しかしもともとは、オーブの蒔いた火種が大きくなって更に泥沼の様相を呈してしまった戦場だ。 オーブがその軍事力をもってモビルスーツの開発を手がけなければ、もっと早くにこの戦争は終わっていた。 その考えが大部分を占めるのは、止むを得ないのだ。 そしてその声があるからこそ、本来であれば戦犯として処刑される筈のエザリアも、今なお命を繋いでいるのだ。 「それで、貴様が護衛に?」 「そっ。感謝しろよ、イザーク。特務隊FAITHを護衛に出来る議員なんて、お前ぐらいのもんだぜ?」 特務隊が護衛の任に当たるのは、相手がよほどの要人であったときに留まる。 例えば、議長であったり、各国の首相が相手であった場合は、特務隊自らが護衛の任に当たる。 以下にジュール家のご令嬢と言えど、一介の議員に過ぎないイザークに特務隊が護衛に当たるというのは、確かに破格の扱いだった。 「具合でも悪いのか?俺の姫君?」 「誰が姫だ、誰が」 「お前。黙ってりゃ姫じゃん。十分。そうでなくても、お前は俺にとってかけがえのない存在だから……さ」 「だが……」 「それより、ディアッカどこにいるわけ?からかってやんないと」 「相変わらずだな、ハイネ」 少しだけ、イザークの顔に笑顔が戻る。 それに、ハイネも嬉しそうに笑って。 特務隊FAITHに所属するハイネは、イザークにとってもかけがえのない存在だった。 それは、ディアッカも知っている。 知らないものばかりのこの場所で、そして再会してしまったアスランの存在もあいまって参っていた彼女の神経に、ハイネの存在は救いを齎したのだ、確かに。 「でも、何で貴様が此処に?いくら独立した行動を認められているFAITHといえども、任務が……」 「エザリアさんに頼まれたんだよ。あと、議長にも。『誰か護衛を連れて行っていると思っていたのに、あの子ったらまた一人で勝手気侭に出かけて!』って。怒ってたぞ?エザリアさん」 「……本当か?」 「マジマジ、大マジですよ、俺のお姫様」 軽口を叩くハイネだったが、本格的にイザークの顔から血の気が引いた。 あの母を怒らせるなどと……恐ろしい以外の何者でも、ない。 「ま、そのうち淑女の嗜みとか言ってエザリアさんのレッスンが始まることだけは確実だな」 「人事だと思って!!」 「当たり前だろ?俺にとっては人事だっての。大体今日だって、久しぶりに幼馴染に会うってのに、そんなカッコするかね、普通」 イザークの服装を上から下まで見回して、ハイネは言う。 白のシルクシャツに、黒の細身のズボン。 飾り気など、まるでない。 飾る必要など感じさせぬほど麗しい彼女ではあるが、飾ればますます光るというのに。 だから、勿体無いなとハイネは思うのだ。 「煩いな、貴様は」 「言葉遣いもいい加減戻そうな、イザーク。そう言う喋り方するお前、嫌いじゃないけどさ」 「ふん。 そう言えばハイネ、貴様、どこに泊まるつもりだ?急にこちらに来たのなら、部屋なんて取ってないだろう?」 「イザークのところに止めてくれる?どうせお前、ツインかスイート取っただろ?」 「あぁ、構わんぞ。ていうか、ちょうどよかったし」 「ん?」 怪訝な顔をするハイネに、イザークはぼそぼそとディアッカに言われたことをハイネにも告げる。 女が一人でホテルに泊まるなんて不安、というアレだ。 「女が一人でホテルに泊まるなんて危険だから、自分の家に泊まったらどうだ?って言われたんだ、ディアッカに」 「それはそれは」 「さすがに結婚前の新郎新婦の家に泊まるなんてこと、俺には出来ん」 「ディアッカめ。俺がいないからって俺のイザークに部屋に泊まるよう勧めるたぁ、いい度胸してんじゃねぇか」 低く唸るようにハイネは言うが、どうもイザークにしてみれば論点がずれているような気がして仕方がない。 まったく、この男は、と溜息混じりに思う。 イザークより年上だというのに、全然気疲れを感じさせないのは、この男の一種の才能だろうか。 顔は、イザークのことを姫、姫というが、自分だって『王子』と例えられても不思議でないくらい、整っているというのに。 「安心しろ、イザーク。イザークの貞操は俺が守ってやるからな!」 「……ディアッカは結婚前だっての」 論点をずらして勢い込んでくる男に、遠い目をする。 けれど同時に、思うのだ。 この男も、イザークの身が清らかなままだと思っているのだ、と。 いまだ純潔を保っているのだと思っているのだろう。 イザークの身は最早、男を知ってしまっているというのに……。 「ハイネ……」 「何、イザーク。どうした?」 「ハイネ……」 押しつぶされてしまいそうなくらい、胸が苦しい。 大事な人なのに。かけがえのない人なのに。 自分を守るためにイザークは、これからも彼らを欺いて生きていく。 その事実が、痛い。 俯くイザークを、ハイネはそっと抱きしめる。 暖かい。 この場所は、暖かい。 いつも、イザークを守ってくれる。この場所は、暖かい。それを、知っている。 だから、イザークは抵抗一つせずにハイネの腕の中に納まった。 「本当に、何かあったのか?イザーク」 「何も……ない。本当に、何も……」 「ならいいけど。イザーク、俺はお前の味方だからな?いつだって俺は、お前の味方だから。何かあったら、話してくれよ?」 「あぁ……」 頷きながら、きっと一生ハイネに話すことなどないのだろう、とイザークは思う。 ハイネには、言えない。 ハイネにも、言えない。 忘れてしまいたいのに。 何もかも、リセットしてしまいたい。 あんな事さえなければ、大切な人たちを欺くことも、なかった筈なのに……。 「有難う、ハイネ」 「いえいえ。俺の腕でよければいつでもご提供しますよ、姫君。……少しは元気になったか?」 「あぁ。有難う。……ハイネ、ディアッカのところに行こう。一応、祝辞のひとつも言うべきだろ、此処は」 「そうだな。……なぁ、ディアッカの心を射止めた子って、どんな子?」 即座に話題を転換してくれるハイネが、有難い。 大して言葉を費やすでもなく、ハイネは分かってくれる。 イザークが望むことを、朧気でも分かってくれるから。 だから、落ち着くのだ。ハイネの傍は。 「可愛らしい女性だった。健康的な感じで、活発そうで。でも、優しそうだった。少し、気は強そうだったが」 「あぁ、まさしくディアッカの好みの子、って感じだったわけね。そりゃますます会うのが楽しみだ」 「あまりからかうなよ、ハイネ。ディアッカだって、貴様が来るのはきっと予想外だっただろうし」 「いやぁ、案外予想してるんじゃないか?まさか評議会議員閣下が単独で来るなんて普通思わないだろ」 ハイネの言葉に、それもそうかと頷く。 エスコートするように手を差し出してくる男に、少し笑って。 その手を、取る。 ジュール家でパーティが催される際、イザークのエスコートを務めるのは大抵この男だったので、今更どうこう言うような感慨は、ない。 ただ、安心するから、一緒にいる。 「今度は是非ともドレスを纏っていただきたいものですね、姫君」 「今更女装する気はないぞ」 「それは違うからな?イザーク。ま、プラントに戻ってからのジュール家主催のパーティーを楽しみにしてますよ、俺は」 「絶対に嫌だ!そんなのに出席するぐらいだったら、仕事の一つも片付けたほうがマシだ!」 「エザリアさんに言えよ、そう言うことは。いずれにせよ、罰パーティ開催は決定事項みたいだけど」 「何で母上を止めてくれないんだ!」 「いやぁ、エザリアさんにイザークに誂えた新しいドレスを着た姿、見たくないの?って言われたら、断れねぇだろ?」 「裏切り者!」 ぽんぽんと返ってくる会話が懐かしくて。 幼い頃から傍にあった笑顔が嬉しくて。 イザークも知らず知らずの内に笑顔を作る。 立ち去ったと思っていたアスランが、その翡翠に、滾る憎悪の色を宿していたことに、気づかないまま――……。 次回、修羅場です。 あぁ、ザラの登場がどんどん遠くなっていく……。 でも、修羅場なのでプチザラも登場するやも……。 いずれにせよ、早めの更新が出来るよう頑張っていきたいです。 ここまでお読み戴き、有難うございました。 |