『この戦争が終わったら、結婚しよう』


大人たちが勝手に始め、年若い少年たちを死地に追いやった。

冷たい戦争の最中、二人は出逢った。

互いに心通い合わせ、いつしか二人はそう誓い合うようになった。

そんな未来を、当たり前のように信じていたのに――……。





もう一度、キスしたかった





「やっぱり、もうやめよう。こんなの、うまくいく筈がない……」


陽の光が、燦々と差し込むリビング。
しかし、ソファに座る人物の表情は、それとは対照的に暗い。
戦後になって身につけるようになってきたスカートの裾を、握り締める。
すっかり肉の落ちてしまったその腕は、死者を連想してしまうほど、青白くなっていた。


「何を、今更。貴様がそんなことでどうする」
「でも……!」
「あぁ、もう、煩い!!」


怒声に、少女はびくりと肩を震わせた。



幸せな未来を、願った。
祝福されて、結ばれる未来を夢見た。
けれど今、二人は現実と直面していた。

『幸せ』になんて、なれる筈がない。
それが二人の、『現実』だった。

その現実に彼は苛立ち、少女は怯える。



あの日、結婚を誓い合ったあの日。
幸せそうに微笑みあった恋人たち。
それを知った仲間たちは、祝福さえしてくれた。
けれど今、あの日夢見た幼い夢は、現実の前に擦り切れかけていた……。



室内は、すっかり荒れていた。
室内の内装は確かに豪奢で、調度品は、年代を思わせるものが多い。
しかし、それでも室内は、荒廃の色が濃かった。

ひっくり返されたサイドボードに、割れた花瓶。
破片がそのまま放置され、鋭利な断面を覗かせる。
彼の目の前には、まだ日も高いというのに酒瓶が置かれ、その手には酒の満たされたグラス。
灰皿には、煙草の吸殻。
どれも少ししか吸われずに揉み消され、それが彼の苛立ちを克明に物語っていた。
彼女は、ただ下を向いている。
切れてしまいそうなほど、色を失った唇を噛み締めながら。
その左手薬指には、ブルートパーズの指輪。
しかしそれさえも、すっかり色褪せて見える。

その、すっかり荒れ果てたリビングのソファで、二人は相対していた。


「だって、しょうがないじゃないか……だって……」
「煩い、煩い、煩い!!」
「話を聞いてくれ、イザーク!僕は……」
「煩い!
こっちは朝から査問会だ何だですっかり神経すり減らして帰ってきたって言うのに、そんな辛気臭い面≪ツラ≫を見せるな!」
「ご……ごめんなさい」


彼の怒りに直面し、彼女はその身を竦ませた。
しかしそれさえも、彼の苛立ちを余計に刺激してしまう。
苛々としながら、彼はまた、ぐっとグラスを呷る。
そして中身を飲み干したグラスを、そのまま壁に叩きつけた。
がしゃんとガラスが砕け散り、床に零れ落ちる。

それに、思い知らされてしまった。
幸せな夢が、現実を前に確かに磨り減ってしまったことを。
今のこの現実は、幸せを思い描いていた夢の、残滓≪ざんし≫に過ぎないのだ……。

『幸せ』を夢見てきた。
彼と一緒に、『幸せ』になることを、望んだ。
しかし今、彼と一緒にいても、ちっとも幸せじゃない。
微塵≪みじん≫も、幸福を感じない。
彼はいつだって苛立っているし、彼女はそれに怯える。
どこまでも続く無限ループな悪循環を、二人そろってぐるぐる回り続けているだけだ。

戦争は、終わった。
大人たちが勝手に始め、少年たちを死地に追いやった戦争は、終結した。
しかし、大人たちは今度は、自分たちが勝手に死地に追いやった少年たちから、贖いを求めた。
その流血を、望んだのだ。

年若い少年たちを戦火に駆り立てたことも忘れ、偽りの美辞麗句を並べながら。


『罪は、償うべきだ』



と――……。
年若い少年たちを戦地に追いやったのは自分たちであったと言うのに、その舌の根も乾かぬうちに、今度は戦場を駆け抜けた少年たちを処刑すべきと主張した。
そして彼は、その犠牲者だった。

なまじ高い能力があったことが、この場合は災いしたというのだろうか。
一個小隊の隊長にまで上り詰めた彼は、それによってより厳しい詮議を受ける身となった。
そして、彼女は……。

彼女は、戦後A級戦犯の烙印を押された、パトリック=ザラの血を次ぐ唯一の存在として、厳しい監視に晒されていた。
彼女が終戦のために尽力したことすらも大人たち――クライン派――は忘れはて、流血を求める民衆に、ともすればその身を投げ渡そうとする始末。
自らの潔白の証明だけでなく、彼女の身の安全までも求め、彼の疲労は極限まで達していく。
そしてそれは、彼女への行き場のない……やり場のない苛立ちへと発展していた。



幸せに、なりたかった。
彼と、幸せになりたかった。
祝福されて、彼の姓を名乗る日を、夢見てた。




けれど、現実はどうだろう。

証拠品押収などと言う大義名分の下、荒らされてしまった屋敷。
日々の事情聴取。
査問会議に軍法会議。

少年たちを戦争に駆り立て、その若い命を散らさせたにも拘らず、のうのうとしながら高処≪たかみ≫から処刑を命じるこの国の為政者――大人たち。
それは、彼らの幻想を打ち破るに、十分以上の効力を発揮していた。

処刑されると分かっていて、罰せられると分かっていて、国を守るために戦場に赴くものなど、いない。



唇を噛み締めたまま、砕け散ったグラスを彼女は見つめた。

『覆水盆に還らず』
≪いにしえ≫より伝わる故事成語が、脳裏に浮かぶ。
もう、元には戻らないのかもしれない。
割れたグラスが、今の二人の関係を暗示しているようで、心が冷える。
このまま、彼とは終わってしまう関係なのだろうか。


「すまない、アスラン……」


項垂れる彼女に、彼は声をかけた。
怜悧な美貌に、先ほどまで浮かんでいた苛立ちはかき消され、ただ彼女を案ずるような表情を浮かべながら。


「すまなかった。八つ当たりをした……」
「ううん……気にしないで、イザーク」


それを見つめながら、彼女も頷く。
本当は、彼が悪いのではない。
本当は、自分が一番悪いのかもしれない。
彼を諦められず、彼に固執して。
今もなおプラントにとどまりたいと願う自分が、一番彼を傷つけているのかもしれない。
少なくとも彼女は、そう思っていた。

だから、彼女は言うしかないのだ。


「これ以上、うまくいく筈がない」

「自分がいて、うまくいく筈がない」



と――……。

愛し合ってさえいれば、幸せになれると思っていた。
すぐに思考回路がハツカネズミになる自分は、彼さえいれば、きっとまっすぐ前を見ていられると思った。
しかし現実は、彼女を抱え込むことで彼は、傷ついている。

彼の母親は、戦犯として監禁されている身の上だ。
プラントのために。それだけのために戦争を決意した彼の母への、生き残ったクライン派の仕打ちは、酷薄の一言に尽きた。
パトリック=ザラが戦死したことも、理由の一つであったのかもしれない。
彼が生きていれば、少なくとも彼女――エザリア=ジュール――への取調べは、まだしも軽いものですんだのかも知れない。
少なくともあの時、ザフト軍を統括していたのは彼、パトリック=ザラだったのだから。
エザリア=ジュールは、パトリック=ザラが死んだことで、とばっちりを受けているに過ぎないのだから。

母親を殊の外敬愛している彼は、どれだけ母の身を案じていることだろうか。
それなのに、彼は今、『彼女』という名のお荷物まで、抱えてしまっている……。

全て……嗚呼全て、自分のせいなのだ。

離れてしまえば、いい。
そうすれば彼は、彼にかかる嫌疑も、まだしも軽くなるだろう。
母親は元ザラ派で、そのうえ彼女までも抱え込んでしまっているから、彼は今、こんなにも苦しい局面に追い込まれてしまっている。
でも、自分さえいなければ。
自分さえいなければ全てうまくいくと分かっていてもなお、彼から離れることが出来なかった。


「ごめんな、アスラン。ごめん……」


彼は、呟く。
けれどきっともう、彼の方も限界だろう。
彼がどれだけ責任感が強く、どれだけ自分に厳しいか、彼女は知っている。
しかしそれでももう、限界だろう。
これ以上は、二人揃って共倒れになってしまう。
それだけは、避けたかった。
彼だけは、守りたかった。
彼はいつも、彼女を守ってくれたから。
彼はいつも、心の拠所だったから。
これ以上、彼の負担にはなりたくなかった。


「もう、寝よう。イザーク」
「そうだな……」


謝罪の言葉を繰り返す彼に、そう提案する。
何だかひどく、眠たかった。

現実は、あまりに二人に冷たいから。
眠ってしまおう。
明け透けな昼の光は、全ての秘め事のヴェールさえも毟り取ってしまう。
だから、眠ってしまおう。
陽の光と違って、月の光は優しいから。
その光は決して、彼らを拒みはしないから。



**




彼がすっかり寝静まったことを確認して、彼女は滑るようにベッドから降りた。
安らかな寝息に、胸がいっぱいになる。
着痩せしているように見えるが、実は鍛え抜かれたその躯は、その腕の中は、いつも暖かくて。
彼自身の平熱は低いというのに、暖かいから。
いつもいつも、守られているような気がした。
その温もりに、安らぎを見出した。


「今度は、僕が君を守るよ……イザーク」


囁いて、そのこめかみに口付ける。
何だかしょっぱい味がして、彼女は自分が泣いていることを知った。

もう、他に道などないのだ。
彼は今まで、彼女にたくさんのものをくれた。
彼を愛して、幸せだった。
一緒に生きていけたら……と願った。
きっと毎日毎日喧嘩は耐えなかっただろうけれど、きっときっと幸せになれた。
けれど、自分の幸せなんて、彼の幸せには替えられない。
彼の未来と、秤になんてかけられないから。
だから、もういいのだ。
彼以上に大切なものなんて、自分にはもうないのだから。

ひっそりと、彼女は笑った。
その翡翠の双眸に、はっきりとした決意を宿して。
通信回線を、開く。


「パトリック=ザラの娘、アスラン=ザラです。議長とお話したい。今後のことで、重要な用事です。……お繋ぎして戴けますか?」



**




翌日彼が目覚めた時、少女はその腕の中で、安らかに眠っていた。
寝顔に口付けを贈ると、ベッドから降りてクローゼットに向かう。
慣れ親しんだ軍服に、袖を通した。

今日、全てが決まる。
本日開かれる軍法会議にて、彼の処遇が明らかになるのだ。
退路がないと思えば、いっそさっぱりとした心持ちになった。


「行って来る……アスラン」


その寝顔にそう、話しかける。



彼は信じて、疑っていなかった。
彼女を守れる、と。
彼女を守ってみせる、と。
彼は、信じていた。
それだけが、彼の願いだったから。
彼女を幸せにすることが彼の願いであり、未来であり、運命である、と。
彼はそう信じて、疑ってなどいなかった。

守れると、思っていた。
新しく議長に就任したギルバート=デュランダルは切れ者と評判だ。
そんな彼ならば、世論を利用することぐらい計算するだろう。
正直な話、年若い軍人たち全てを粛清または処刑するなど、正気の沙汰とは言えまい。
それによって自らの首を絞めるのは、大人たちだ。
彼らは、戦えない。
モビルスーツに搭乗して戦えるのは、彼ら年若い少年軍人だけなのだから。
もしもここで全てを処刑し粛清すれば、一体誰がこれからのプラントの明日を担い、プラントを守っていくというのか。
まともな思考回路を持つ人間ならば、それぐらいすぐに計算する。
そしてギルバート=デュランダルは、その程度の計算は容易にする人物だ。

それで犯した罪が消えるわけではない。
罪は罪として、永遠に彼の魂に刻み込まれる。
自身は断罪されても、構わないのだ。
ただ、彼女と母の命さえ、安堵してくれるのであれば。
この命で二つの命が買えるのであれば、この命など惜しくはない。
けれどそれではきっと、彼女は傷つくから。
きっと、悲嘆に暮れるから。
だから、生きたいと願う。
ただ、それだけだった。

守りたかった。
守りたかっただけなのだ。
プラントを。
母を。
愛する人を。
守りたいだけだった……。



**




裁判の結果は、『恩赦』だった。
勿論、全ての罪を赦すものではない。
ただその罪を、処刑以外で贖うべし。それが、裁判の後被告となった少年軍人に言い渡された言葉だった。

戦争であれば、人を殺しても良いのか。
そう主張する大人たちも、いた。
しかし大人たちの都合に振り回された少年軍人たちに、同情の声の方が圧倒的に多かったのだ。

彼らは、守ろうとしただけだった。
自ら属する国家を。
守ろうとしただけだった。
そしてそれを主導したのは、大人たちだ。
いくらクライン派が休戦を訴えたと声高に主張しようとも、結局彼らは止められなかった。
彼らもまた、少年たちを死地に追いやった存在に過ぎない。
その責任を放棄しての彼らの被害者意識に、ウンザリする者が圧倒的に多かったのだ。
勿論、大人の中にも。

そんな情勢も反映して、彼の罪は赦された。
それだけではない。
監禁・拘束されていた彼の母もまた、赦されて家に帰れることになった。
今後、一切の政治活動は停止せざるを得ないが、それでも命には代えられない。

さぁ、早くそれを彼女に教えてやろう、と。
彼は喜び勇んで彼女の待つ屋敷へと、帰路に着いた。
しかし扉を開けた瞬間に、彼は凍りつく。

綺麗に……綺麗過ぎるほど綺麗に、整えられた室内。
それは、どこか冷たささえ感じた。
何も……何もなかった。
人の気配さえも微塵も感じられず、閑散としていた。


「アス……ラン?」


呼びかけるが、返答はない。


「アスラン……アスラン……アスラン!?」


次々と、屋敷中の扉を開く。
しかしどこにも……どこにも彼女の姿は見当たらない。
心が冷えていく感覚に、彼は懸命に抗った。
発狂したように、彼女の名前を呼ぶ。


「アスラン……!アスラン……何処だ、アスラン!?」


そして、彼は見た。
二人の寝室。
そのサイドデスクに置かれた、書置きを。





Thank you very much for long time.

Please you should be happy.

Good bye.


Athrun Zala






ただ一言、そう書かれた書置きがあった。
そしてその書置きの横には、ブルートパーズの宝石≪いし≫をあしらったリング。


「何故……何故だ、アスラン……!?」


ぐしゃり、と便箋を握り締めた。
それから、顔を上げる。
その脳裏に、彼女が身を寄せそうな場所の心当たりを思い浮かべる。
そして彼は、浮かび上がった場所に向けて走り出した。
彼の脳裏に浮かび上がった候補地――シャトル発着所に向けて――……。



**




辿り着いたその場所で、彼は肩を大きく上下させた。
いかに軍人といえど、自宅からエレカを乗り継ぎ、さらに全力疾走したとあって、さすがに息が乱れる。
少々息を整えると、入り口に向かって歩む人並みをかき分け、彼は前進した。
そして、彼は見たのだ。
印象的な、藍色の髪を。
その、後姿を。


「アスラン……!!」


叫ぶと、華奢な後姿が微かに身動ぎした。
電光掲示板に表示された行き先は――……オーブ。


「アスラン……行くな、アスラン!」


呼びかけると、人影はゆっくりと振り向いた。
しかしその瞳は、彼の全く知らないものだった。

まるで彼の存在を黙殺するかのように、冷たい視線で彼に向き合う。


「何?こんなところまで追いかけてきたわけ?」
「アスラン……?」
「鬱陶しいなぁ。しつこすぎ。ちゃんと書置きしたじゃないか、さよなら、って」
「アスラン……何故……?」
「何故?決まっているじゃないか。君と一緒にいても、ちっとも楽しくない。君と一緒にいても、幸せになんかなれない。もう、君と一緒にいるのなんて、ウンザリなんだよ」


大きく瞳を見開いて、彼は固まった。
それでも、搾り出すように言葉を紡ぐ。


「それが……貴様の選んだ答えか?」
「そうだよ。……さようなら、イザーク。僕は君以外の……君よりもっといい人と幸せになるよ」


侮蔑も露わに、彼女は言葉を口にする。
誇り高い彼なればこそ、その侮蔑に痛みを覚えた。
彼は、人から賞賛されることはあっても、侮蔑されたことは、ないのだから。

傷つけられた誇りを、彼は宥めた。
そして、その怜悧な美貌を嘲笑に歪める。


「何処へなりと、好きなところに行くがいい」
「そうするよ」


それだけを口にすると、彼女はさっさと踵を返した。
それを睨みつけながら、彼もまた、踵を返す。

苦い悔恨が、彼の美貌に彩を添えた。
分かっていた。
狂おしいほどに、彼女を求めながらも、自分の立つ現実は、理解していた。
彼女とは、一緒にはなれない。
分かっていた。
認めたくはなかったけれど、知っていた。
彼では、彼女を幸せになど出来ない。

プラントを離れ、どこか遠くへ行くこと叶うならば、彼は彼女と生きていけただろう。
しかし現実に、彼は彼の祖国を捨てられない。
彼女とともに、生きてはいけない。
彼女はそれをきっと、敏感に察知していたのだ。
国か、彼女か。
二者択一を迫られたとき、選び取るのは何れか。
それは……彼は『国』であったということ。
ただ、それだけだった。
だから彼では、彼女を幸せには出来ない。
彼が捨てられない『国』が、彼女の断罪を求めているから。


「すまない……すまない、アスラン……」


拳を握り締めて、彼は襲いくる痛みに耐えた。
幸せになりたかった。
彼女と、幸せになりたかった。
彼女を、守りたかった。

けれど現実には、彼は彼女を守れない。
彼は、彼を育んだ祖国を捨てられない。
そしてそれはこれからも、彼女を傷つけ続ける。

こうする以外に、なかった。


「幸せに……幸せにな……アスラン」


それでも、願う。
それでも、祈る。
この先、幸福などなくとも構わない。
彼女という存在なくして、彼に幸福など有得ぬのだから。
だから、どうか。
彼女が、幸福でありますように。
これからの人生、彼女の上に幸福がありますように。
それだけを、願う。
それだけを、祈るから。


唇を、彼は噛み締めた。
堪えようとしても堪えきれず零れ落ちた雫を、拭うことも出来ぬまま。
彼は、祈ることしか出来なかった……。










































「ごめん、イザーク……」


搭乗口の入り口にしゃがみこむようにして、彼女は嗚咽を洩らした。
きっと、彼を傷つけた。
けれど、こうする以外道はなかった。方法はなかった。
彼女がいては、彼は幸せになれない。
彼は、『国』を捨てられない。
そして捨てさせることを、彼女は望まなかった。
それは、彼女の愛した彼ではない。
彼女が愛したのは、『国』を愛し、自らの責任を果たし、どんな苦難があろうとも毅然とした、誇り高い彼だった。
だから、彼女は望まない。
彼女のために『国』を捨てる彼を、彼女は望まない。
けれどこのまま彼女を抱え込んでいては、彼はきっと自滅してしまう。
そんなことは、絶対に出来なかった。


「ごめんなさい……ごめんなさい、イザーク……ごめん……」


幼子のように、泣きじゃくる。
それでも、これしか道はなかった。
こうする以外に、彼を解放する道を、知らなかった。
例えそのことで彼を傷つけてしまっても……それでも、彼の未来を守りたかった。


「幸せに……幸せに……どうかどうか、幸せに……君にふさわしい人と、どうかイザーク……」


幸せに、なりたかった。
彼と一緒に、幸せになりたかった。
けれど、彼女の存在は、彼にとって足枷にしかならない。

何れ、彼も気づくかもしれない。
それが、怖かった。
彼から別れを切り出されたら、きっと絶望するだけじゃすまないから。
だから、自分から別れを告げた。
嗚呼、でもこれできっと。
きっと、彼は彼女を憎むだろう。
彼女を憎んで、彼に相応しい……優しくて理知的な、美しい女性に恋を語るだろう。
それで、いい。


「愛してる……ずっと、愛してる……イザーク……」


















分かたれた道の岐路に立ち止まり、涙を灌ぐ。
傍らにあった温もりは、今はもう遠い。
ただ、叶うことならば。
もう一度、抱きしめたかった。
その温もりを、抱きしめて。
そしてもう一度……。


もう一度、キスしたかった……。



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微妙に運命エッセンスを取り入れつつ、別れ話。
タイトルは、B'zの同名の歌より。

オフ会もどきオールのカラオケのお姉様の18番ソング。
何れ、これをネタに小説を……と思っていました。
うん。
湿っぽくなった。
そのうち、復縁話を書きたいです。
いくらなんでも、これはあんまりでしょう、ヒヅキさん……。

ここまでお読みいただき、有難うございました。