その視線の先を知っている






妹の視線の先には、常にひとりの青年の姿があった。

それは、彼ではなかった。

妹の視線の先にいたのは、常に自分以外の存在。

それが、哀しくて。悔しくて。




想うことが、罪だと言うならば。

お前を愛した俺はそれだけで。

お前と言う存在に囚われた、罪人――……。











「おい、イザーク。また来てるぜ。お前の妹ちゃん」


傍らの男に言われ、顔を上げる。
美しい翡翠を輝かせて、そこには妹の姿があった。
風に乗ってサラサラと流れる、フワリとした藍色の髪。
それは、空よりも一層蒼い。


「アスラン」
「兄さん!ねぇ、一緒に帰ろう、兄さん。……貴方も」


声をかけると、嬉しそうに駆け寄ってくる。
一緒に帰ろう。
それだけが、どれほど嬉しいかなんて、この妹は知らない。
知る必要は、ない。

けれどその感情も、妹が傍らの男に話しかけた瞬間に霧散する。


「駅前に、新しいケーキ屋さんが出来たんだよ、兄さん。一緒に行こう」
「ケーキ?」
「そう、ケーキ。ね、お茶して帰ろうよ。どうせ今日も、父さんたち遅いんでしょ?」


覗き込むようにして、尋ねてくる。
それに、頷いて。
すると妹の顔が、日が差したように明るくなる。
彼の大好きな笑みを、浮かべる。

あぁ、口付けたいな、と思った。
柔らかな髪。
綺麗な翡翠を閉じ込めた、瞼。
口付けたい。自分のものにしたい。
そんな欲求は、常に彼の身の内にあった。
でも、堪え続けた。
妹、だから。

そう言う対象で見てはいけないはずの、存在。
なのに何故、こんな感情を抱くようになったのか。

気づいたときには、彼の周りに『女』は存在しなくなっていた。
彼の情欲を刺激する『女』は、妹だけになっていた――……。


「イザークの、妹だろ?名前は?」
「はい。コイツは……」
「アスラン=ジュールです。……貴方は?」
「ミゲル=アイマン。イザークの……先輩だな」


ペコリ、とアスランが頭を下げる。
可愛いね、と。ニコニコとした瞳で、そんな妹を見つめる男。

やめろ。見るな。
そいつは、俺のものだ。
見るな……見るな……。


「イザーク。何睨みつけてんの。別に、お前の妹ちゃん……アスランちゃんだっけ?取って喰いやしないって」
「お前は、手が早い。妹に手を出してみろ。いくらお前が俺の兄貴分だろうがなんだろうが……殺す」
「おっかないね、お前は」


くすくすと、ミゲルが笑う。
ここまでお前が本気になるのって、珍しいね。そう、言いながら。

何処までが本気で、何処までが冗談か分からない。つかみ所のない男。
けれどそんな彼の傍は、非常に居心地がよかった。

過剰に干渉を働くことは、ない。
かといって、無関心を決め込むわけでもない。
干渉して欲しいとき、頼りたいときを察してくれるような、そんな男。
だから、居心地がいい。
適度な距離感が、心地よい。


「兄さん……一応、先輩なんでしょ?」
「あぁ、『一応』な」
「またすぐそうやって苛めるんだからな、お前は。先輩虐めして、楽しい?」


妹ちゃんはこんなに可愛いのに。

そう言って、笑う。

触るな。俺のものに、俺の妹に触るな。
彼女は、彼だけのもの。彼だけが愛でればそれでいい。
だから、触るな。

口に出してはいえない言葉を、視線にこめる。

――――兄妹。何て何てそれは、重たい鎖。

兄妹でさえなければ。とっくに自分のものにしていた。
両親共に同じでなければ。
片方だけでも違えば。すぐに自分のものにした。
自分のものにして、誰にも見せずに……彼だけのものにした。



敬愛してやまない、母。
超克の対象であると同時に、尊敬する父。
その二人に対して許されぬ感情と分かっているからこそ、耐えた。

妹を穢すは、父母の愛情に背くも同じこと、と。


「兄さん。都合、悪い?」
「いや。待ってろ。荷物とってくる。お前ももう、帰るだけだろう?」


妹の望むこと。出来るだけかなえてやりたいと願うのは、やはり妹以上の目で見ているから、だろうか。
愛しているから、だろうか。

彼の言葉を聞いた瞬間、大きな翡翠の瞳を見開いて喜びを露わにする妹が、愛しくて。可愛らしくて。
彼もふっと、その唇に笑みを刻み込む。
けれど――……。


「先輩も、ご一緒にどうですか?」
「え?俺もいいの?」
「はい。兄さんのこと、教えてください。僕、学校での兄さんのこと、知らないから」


高等部の、アスラン。
同じ敷地内とはいえ、大学部のイザーク。
両者が顔をあわせる機会など、殆どない。


「いいよ。その代わり、家でのあいつのこと、教えて。……からかって遊ぶから」
「先輩、酷い」


アスランの言葉に、ミゲルも笑う。
一幅の絵のような、光景。

サラサラした金髪の、ミゲル。
フワリとした藍色の髪を持つ、アスラン。
日の光の下、息を呑むほど美しい光景。
それが、癪に障る。

それは、当たり前の光景だった。
血の繋がりがないミゲルは、アスランを付き合うことも出来る。
誰に憚ることなく、彼は、イザークが一番欲しいものを手に入れることが出来る。
それが、悔しい。
悔しくて、悔しくて堪らない……。

ごく当たり前の光景を、手に入れることが出来ないイザークにとって、それは羨ましい以外の何ものでもなかった。
イザークには、決して手に入れることの叶わない、もの。
妹も、穏やかな光景も。
手に入れることは、叶わない。

なぜならアスランは、イザークの妹だから。





翡翠の双眸が、真っ直ぐとミゲルを見据える。
ミゲルが、それに笑顔で受け答えをする。
アスランの視線の先。
アスランの視線の先に映るのは、ミゲル=アイマン。イザーク=ジュールでは、ない。

傍にいたから、気づかなかった。
愛する翡翠が、ミゲルを見つめていたことに、気づかなかった。
自分を透過していたことに、気づけなかった。

悔しい……悔しい……。








その視線の先を、知ってしまった。
愛しい翡翠が見つめる先。
それが、己ではないことに、気づいてしまった。

アスラン。
俺を、見てくれ。
その視線の先に、俺を映して。

ミゲルじゃなく、俺を――……







『この腕に抱いた温もりを、もう一度…』第三話をお届けします。
……またミゲル登場させてるよ、この女。なんて言うのは言わないお約束ということで、ですね。
だって、ディアッカとかだったら、イザーク嫉妬するまでもないかな、って。
ごめん、ディアッカ。
ミゲルとかだったら、ちょっと俺こいつには敵わないな、って部分もありますから、嫉妬するんじゃないかな、って。
ほら、やっぱりミゲルの方が年上だし。
無意識で『敵わない』って思う部分、あると思うんです。

メールいただいて久しぶりに書いたら、設定とか忘れていて、少し困りました。
でも、独占よくバリバリの兄(イザーク)と、嫉妬心バリバリの妹(アスラン)は、書いててとても楽しかったです。


ここまで読んでいただき、有難うございました。