無理して笑わなくてもいいよ 好き。 兄さんが、好き。 誰よりも、貴方が好き。 ![]() 最近出来たばかりのその喫茶店の名物は、ガトーショコラ。 ほろ苦いケーキ生地にミントを添えたホイップクリーム。 ケーキの上には、粉砂糖が飾られている。 「美味しそう」 「ガトーショコラだけでいいのか?お前、そっちのイチゴのショートケーキのほうが好きだろ?」 「でも、名物はこれだって言うもん」 「どうせお前、ケーキの二個ぐらい楽に食えるんだから、二つにすればいい。飲み物は?」 「お二人さん、イチャイチャしすぎ」 後から呆れたようにかかる声に、アスランとイザークは慌てて離れた。 金糸の髪をガシガシとかき上げたミゲルが、悪戯っぽくニカリと笑った。 ガラスウィンドウの前に張り付いたアスランは、慌ててミゲルも前に来るよう言った。 ウィンドウの前でメニューをちらりと見ると、ウェイトレスにミゲルが注文を始める。 「俺はビスコッテとエスプレッソ。イザーク、お前は?」 「……俺も食うのか、やっぱり」 「そりゃそうでしょ?お前は?」 「……ブレンドとスコーン」 「アスランちゃんは?」 「ガトーショコラ」 小さく答える。 兄とアスランの顔は決して似ていると言いがたいから、人前で一緒にいても恥ずかしいことはない。 けれど恥ずかしいと思ってしまうのは、アスランが兄に恋心を抱いているからだった。 「それとイチゴのショートケーキ。あとカラメルマキアート」 「兄さん?」 「支払いは……」 「イザーク。支払いは俺がするよ。まさか後輩とその妹ちゃんに奢らせるわけにはいかないからさ」 バイトしてるし、先輩に任せなさい、なんて。 おちゃらけて言う兄の先輩に、アスランは小さな声で、けれどはっきりと礼を言う。 有難う、とごめんなさいはしっかり言うように。兄は昔から、口をすっぱくしてアスランに言うのだ。 面白いのは、そう言う本人はちっとも素直にそう言えない所だろうか。 注文をして支払いを済ませると、小さなカウンターの方に行くように言われる。 この店は、基本的にセルフサービスのようだ。 カウンターの方に行き、レシートを示すと、注文したとおりのコーヒーを目の前で淹れ、ケーキが出される。 結構な量だから、ミゲルとイザーク、二人で席までそれを運んだ。 先に席に着いたアスランは、笑顔で二人を手招きする。 「ほら、アスラン」 「有難う。先輩も、どうも有り難うございます」 「いいって、いいって」 苦笑しながら手を振るミゲルに、アスランは小さく笑った。 それに、イザークが一瞬怖い顔をしたのを、アスランは知らない。 「モカのほうがよかったか?アスラン」 「ううん。これも好き」 アスランの隣に腰掛けながら、イザークが言う。 それに、アスランは僅かに頸を振った。 確かに、甘いものが好きなアスランとしては、モカのほうがよかったかもしれないが、アスラン自身カラメルマキアートは決して嫌いじゃない。 それに、何と言っても大好きな兄が選んでくれたものなのだ。 不満なんて、ある筈がない。 「仲いいねぇ、お前ら」 「うち、両親が不在がちなんです。だから、兄さんとは仲いいですよ?昔から、お兄ちゃん子って言われてたんです、僕」 「へぇ。そうなんだ?」 ミゲルの言葉に、アスランは嬉しそうに頷く。 ずっとずっと、イザークが傍にいた。 寂しい時も、辛い時も。いつも傍にいてくれて、時には慰めてくれた。 そんな兄を、アスランは知らず知らずの内に、愛するようになっていたのだ。 「美味いか、アスラン」 「うん。美味しいよ。あまり甘くないから、兄さんも食べれるかも……。ねぇ、兄さんも一口、食べる?」 「そうか?じゃあ、一口だけな。……クリームはつけるなよ?」 「分かってるよ。……ハイ、あ〜ん」 フォークでケーキを掬って、兄の口元までもって行く。 薄い唇を微かに開けて、アスランの差し出したフォークに食いついてケーキを租借する。 そして微かに、顔を顰めた。 「嘘吐きアスラン。十分甘いぞ、これ」 「えぇ。甘くないよ」 「いや、甘い。……ほら、やっぱりお前は、ガトーショコラよりイチゴのショートケーキだ」 してやったりといった風情で笑う兄に、アスランは微かに頬を膨らませる。 何でも見透かされていたような気がして、少し決まりが悪い。 そんな二人に、ミゲルが笑った。 「いや、大学にいるときのイザークとは大違いだ」 「バカ、ミゲル!」 ミゲルの言葉にバツが悪くなったイザークが、その口を塞ごうと手を伸ばす。 しかしサラリとそれをかわすと、ミゲルは楽しそうに告げた。 「大学での兄さん?」 「そ。酷いヤツだぞ?女にもてるけど、長続きはしないわ付き合っても冷淡だわ」 「それって……兄さん、彼女、いるんですか?」 「オイ、やめろミゲル!」 「いるって言うか、いた?この前別れたばっかりだろ、イザーク」 「ミゲル!」 ミゲルの言葉に、アスランは凍りつく。 確かに、妹の欲目を差し引いても、イザークはかっこいい。 その辺の女なんか、束になっても敵わないと思うほど、綺麗だ。 けれどそんな兄に彼女がいたなんて、アスランは知らなかった。思いもよらなかった。 けれど、そうだ。イザークに、今まで彼女がいなかったと考えることのほうが、おかしい。 これほどの魅力に溢れた青年なのだ、イザークは。 「アスラン、ほら、ケーキを食え。ミゲルも、つまらんことをコイツに吹き込むな」 「へぇ。ひょっとして、妹ちゃんには教えていなかったわけ?イザーク。……教えたら、都合が悪かった?」 悪戯っぽく輝く琥珀の瞳が、それでも挑むようにイザークを見やる。 それに、真っ向からイザークは鋭い視線を叩き込んだ。 「そっか、いたんだ、兄さん……僕、全然知らなかった……」 「いや、それは……」 「どうして、教えてくれなかったの?言ってくれたら、我侭何ていわなかった。休みの日に一緒に水族館に行こう、とか。遊園地に行きたい、とか。見たい映画がある、とか。そんなこと僕、言わなかったよ……?」 「違う、アスラン」 「どこが違うの?兄さん、彼女よりも僕を優先して、そのせいで彼女と別れちゃったんでしょう?」 兄がもてることなんて、知ってた。 それなのに、特定の誰かが既に存在していたなんて、思いもよらなかった。 そこに思い至らなかった自分が、いっそ滑稽に思えてくる。 「アスラン、話を聞け」 「僕に言い訳をする理由がどこにあるって言うの?僕は所詮、ただの妹だよ。そんなの、彼女にしなきゃ」 『ただの妹』 自分で紡いだ言葉だというのに、傷つく自分が少し滑稽だった。 自虐的に笑いながら、わざとらしい仕草でカップの中のカラメルマキアートをすする。 甘いはずのそれが、ほんの少し苦く感じられて、泣きそうになる。 「美味しいです、先輩。本当に、奢っていただいて、有難うございます」 「いいよ、これぐらい。おれも、いい店教えてもらったしね」 「先輩、甘いものお好きなんですか?」 「いや、俺じゃなくて俺の彼女がね。いい店教えてくれて、ホントにサンキュ。今度アイツ連れてくることにするわ。すっげ喜びそう」 「そうですか、それは良かったです」 にっこりと、アスランは笑う。 まだ何かいい足りないらしい兄が、怖い顔でアスランを見ているが、その視線に、アスランも答えるような真似はしない。 口を開けば、何を言ってしまうか分からない。 彼女でもないのに、兄妹なのに、未練たらしく縋りついてしまいそうで、嫌だ。 兄妹なのに、見苦しく理由を問い詰めてしまいそうで、嫌だ。 そんな自分も嫌だし、そんな兄を見るのも嫌だ。 自分と一緒にいるのに、他の事を考える兄なんて、想像するだけでも嫌だ。 結局、その店にいる間中、アスランはイザークを無視し続けたのだった――……。 「アスラン、いい加減にしろ」 帰る道すがら、ずっとシカトし続けるアスランに、遂にイザークが感情を露わにした。 もともと、あまり気の長い性質(タチ)ではないのだ、イザークは。 「何が?」 「そうあからさまに俺をシカトしようとするところだ。いい加減にしろ」 「別にしてないし。兄さんの考えすぎじゃないの?」 イザークの前を歩いていたアスランが、後方の兄を振り返る。 家々の間から微かに覗く月を背にして、微笑(ワラ)った。 イザークは、気づいているだろうか。 その笑顔が強張っていることに。 指先が震えていることに。 平気な顔をして笑顔を作るはずだったのに、どうもアスラン自身、自分の笑顔が強張っている気がして仕方がなかった。 笑わなければ、いけないのに。 自分と彼は、『兄妹』なのだ。それ以外の何者でもない。 それ以上の感情で、触れてはいけない。 「お前、今日は何か変だぞ、アスラン」 「そんなことないよ」 「誰かに、何か言われたのか?いつも、何か言われているだろう、お前。俺のところに来る度に」 「あぁ……」 アスランは、気のなさそうな顔でそう呟く。 別に、誰かに何かを言われたわけじゃない。 ただ、現実を思い知らされているだけだ。 自分と彼は『兄妹』だという、避けようのない現実を。 「別に何もないよ」 「嘘をつけ。だったらどうして、そんな笑い方をするんだ、アスラン」 「ぇ?」 「無理をして笑うな、アスラン」 イザークのてが、アスランに向かって伸ばされる。 その華奢な痩身を、そっと抱きしめて。 耳元で聞こえる、ハイヴァリトンの声。 イザークの、声だ……。 「辛いことがあったのなら、俺に言え。そんな顔をして、笑うな。お前の笑顔は、時々痛いんだ、アスラン」 「兄さん……」 「無理して笑わなくてもいいんだ、アスラン」 「兄さん……」 そっとアスランは、イザークのその広い背に腕を回した。 間近で感じる温もりが、ただ心地よい。 けれど同時に思い知るのだ。 所詮自分たちは、『兄妹』なのだ、と。 零れそうになる涙を、アスランはぐっと堪えた。 そのまま、その耳元に囁くように声を落とす。 「大丈夫……大丈夫だよ、兄さん。大丈夫だから、そんなに心配しないで」 笑顔も嫉妬も。 いつも、貴方という存在にある。 貴方だけが僕を、笑顔にもそれ以外にもすることが出来るんだ――……。 ![]() お久しぶりの更新です。 すっかり兄がヘタレてしまいました。 が。このお話も頑張っていきたいです。 いづれかっこいい兄も書けるようになったらいいな、と思います。 それでは、ここまでお読み戴き、有難うございました。 |