こいのうた






ずっとずっと、僕だけを見ていて。

お願いだから、女として僕を見て。

僕を愛してよ。



そう願ってしまうのは、僕の我侭ですか――……?











「おはよう、アスラン。何、それ。早弁?」
「違う。朝食」


教室でもぐもぐとパンとカフェ・オ・レを食するアスランに、キラが声をかける。
キラ=ヤマトは、アスランの親友だ。
そして、幼馴染でもある。
幼いころは何をするにも一緒だったが、さすがにこの年にもなればいい加減お互いを異性とも認識して、以前ほどの交流はなくなった。
更に言うなら、キラは家庭の事情でアスランの隣家から引っ越していた。
もっともそれでも、今も変わらずにお互いを親友として認識しているわけだが……。


「何だって今日はご飯食べてこなかったのさ?いつも、イザーク兄さんと一緒に食べてるじゃない」
「……その名前を言うな」
「……何かあったわけ?」


アスランの言葉に、キラが尋ねる。
もぐもぐとパンを食べるアスランは、不機嫌そうにむっつりと黙ったままだ。

アスランにとってキラが幼馴染であるならば当然、イザークにとってもキラは幼馴染となる。
1つ年上の頼れるお隣のお兄さんを、キラは昔から『イザーク兄さん』と呼んでいた。


「あんな馬鹿兄のことなんて、知らない」
「馬鹿兄って。
……イザーク兄さんに向かってそんなこと言えるのは、アスランだけだよ、きっと」


はぁ、とキラは溜め息を吐いた。
苛々としながら、アスランはそんなキラを見つめている。
それでも食事の手を休めないあたり、さすがというところだろうか。
ぐっと、紙パックのカフェ・オ・レを呷る。
まさにその、瞬間。


「アッスラ〜ン!おはよう〜」


椅子に座ってもぐもぐと食事をするアスランの後ろから、タックルをかまされる。
一瞬喉を詰まらせたアスランだったが、根性で口の中の物を飲み込んだ。
ゲホゲホと咳き込むと、邪気のない笑顔で少女が笑っている。
アスランの友人、ミーアだ。


「や……やぁ、おはよう、ミーア。一瞬危うく三途の川が見えたよ」
「やだ、アスランったら。朝から面白い冗談ね」
「……冗談じゃないから」
「ふふ、相変わらずだね、ミーア。おはよう」
「……おはよう、キラ」


アスランとミーアの会話に、堪えきれないといった調子でキラが笑う。
笑顔のキラに、ミーアは明らかにテンションダウンした調子で挨拶を返した。
その理由を知っているからこそ、アスランはミーアのそんな笑顔が痛い。


「そういえば、オリコン一位おめでとう、ミーア」
「チェックしてくれたの?アスラン」
「勿論だよ、ミーア。良かったな」
「ええ」


アスランの言葉に、ミーアは嬉しそうにふふふ、と笑った。


「きっとラクスも喜んでいるよ、ミーア」
「そう……かしら」
「そうだよ。だから、何時までも負い目に考えちゃ駄目だ。ねぇ、キラ?」
「そうだよ、ミーア」


アスランの言葉に、キラも力強く頷く。

ミーアのフルネームは、ミーア=クラインと言う。
事故死した歌姫、ラクス=クラインの、彼女は双子の姉妹だった。
そしてキラは、ラクスの恋人だったのだ。

双子の姉であるラクスに常に劣等感を感じていたミーアはだからこそ、キラの前だと萎縮してしまう。
そこに見える姉の影に、怯えるのだ。

アスランもキラも、そんなミーアにかけるべき言葉は、見つからない。
それは、ミーアが自分の力で乗り越えねばならない壁であるからだ。
けれどそれでも、何かあれば何時だって力を貸す気でいる。
彼らは、そんな関係だった。


「それにしても、どうしたの?アスラン。こんな時間から、早弁?」
「ホームルーム前に早弁はしないよ、ミーア。これは朝食」
「いつも朝食はジュール先輩とじゃなかった?態々《わざわざ》朝っぱらから叩き起こしてでも一緒に食べるんでしょ?」
「ミーアまで……あの馬鹿兄の話はやめてくれ」


『馬鹿兄』の一言で、ばっさりと実の兄をこき下ろすアスラン=ジュール。
余談だが、アスランの兄は昨年の生徒会長でもあった。


「『馬鹿兄』って……何かあったの?アスラン」
「……最近、帰ってくるのが遅いんだ」


ミーアの問いにたっぷり数十秒ほど時間をかけて、アスランが答える。
瞬間、二人揃って『何言ってるんだ』とでも言いたげな顔をするが、アスランにしてみれば死活問題なのだ。

以前ならば、一緒にテレビを見たり、映画を見たりして過ごしていた。
休みの日は一緒に出かけたし、学校帰りにお茶したり。
それなのに、そんな兄は最近帰りが遅い。
急にバイトを始めてしまったり、やれ教授に呼び出されているのと、家を空けてばかりだ。

避けられているの、だろうか。
ふと、アスランは考えた。
ひょっとしたら自分の気持ちが、兄に知られてしまったのだろうか。
麗しく潔癖な兄はアスランの邪念に気づいて、それで……疎ましく思っている?


「それで?」
「それで……うん。それで、今日はゼミのコンパで遅くなるって」
「あら、ゼミのコンパなら仕方がないじゃない」
「僕は家で一人なのに?自分は外で女引っ掛けて遊ぶって言うんだよ、あの馬鹿兄は!」


憤懣《ふんまん》やる形《かた》無しといった風情のアスランだが、他の二人の同意は得られない。
アスランだって、本当は分かっている。
これは、自分の我侭だ。
駄々をこねて、自分の思い通りにならない兄に焦れているだけ。
自分だけを見て、自分だけの傍にいて、と。子供のように繰り返しているだけなのだ。


「じゃあ、アスランもコンパ、行ってみる?」
「ミーア!」


ミーアの提案を、キラが諌める。
が、アスランはその提案に飛びついていた。


「何?何?」
「合同コンパ。クラスの子でも他の学校でもいいから男の子も誘って、セッティングしてあげるわよ。アスランが希望するなら」
「アスランに変なこと吹き込むんじゃないよ、ミーア。後で僕がイザーク兄さんに半殺しにされるじゃないか」
「そもそも!そこが問題だと思うのよね、あたし」


キラの言葉に、むしろ我が意を得たりとばかりにミーアが食いつく。
しかしそこが問題と言われても、アスランには見当もつかないのだが……。


「そこ?」
「そう。アスラン、ジュール先輩とキラ以外の男の人を知らないでしょう?」
「うん」
「それじゃあ、駄目だと思うのよ。他も見てみなきゃ。ジュール先輩は確かに素敵な人だけど、兄妹でしょう?アスランはもっと、色々な人を見てみるべきだと思うわ」


ミーアの言葉に、アスランは薄く笑った。
それが真実アスランを思っての言葉だと、分かっている。
それでも、アスランは思うのだ。
きっと兄以外の人を、愛することなどないのだろう、と。

兄以上の人がいるなら、それも可能であったかもしれない。
兄以上に美しく、兄以上に賢く、兄以上に勇敢で、兄以上に情があって、兄以上に……そんな人、いる筈がない。
それが、不幸だったのかな、とアスランは思う。

アスランの世界は、兄で完結してしまった。
兄こそがアスランの理想そのものになってしまったのだ。

それでも、ああ、それでも。
兄妹。
それはなんて、重い十字架。

妹である以上、あの美しい人がそれ以上の眼で、アスランを見てくれることはない。
美しく高潔なあの人の視線に、アスランが止まることなどない。
そんな人を、愛してしまった。
そんな人に、焦がれている。

何て何てそれは、重たい十字架。


「アスラン?」


黙り込むアスランに、キラが尋ねる。
小さく微笑むと、アスランはその話を打ち切ったのだった――……。



**




家に一人でいるのもつまらなくて、放課後はキラと遊びに行った。
ミーアも来たがっていたのだが、今現在売れっ子の歌手に、そんな時間はない。
渋々と二人を見送るミーアと別れて、キラと一緒にゲームセンターに行って、それから一緒にご飯を食べた。
楽しくてつい時間を忘れて遊んでいた。


「あ……アスラン。そろそろ帰ったほうがいいよ」
「何で?まだ時間あるじゃない」
「もう、結構な時間じゃない。今帰らないと、10時を過ぎちゃうよ」
「兄さんはまだ帰ってこないから、一人じゃつまらないよ」
「それでも。女の子が出歩いていい時間じゃないよ。帰ろう」


キラの提案に、渋々と頷く。

町を歩いていると、軽快なポップスのメロディが聞こえてきた。
ミーアやラクスの曲以外殆ど聞くことのないアスランでも知っている、テレビでも良く流されるラブソング。
恋する女の子の切ない気持ちを、そのアーティストは歌い上げている。

でも、君はまだいいじゃないか。

歌詞の中に登場する少女に、アスランは思う。
君は、まだいいじゃないか。
気持ちを伝える術《すべ》だって、もっているじゃない。
それさえも持たないアスランにしてみれば、そんなの贅沢だ。
贅沢すぎる悩みでしか、ない。

流れるメロディを振り切るように、走った。



広大な敷地を持つジュール家の門扉《もんぴ》くぐると、誰もいないはずの家にはライトが既に点灯していた。
父さんと母さんが帰ってきたのかな、と思う。
がっしりとした造りの玄関を開けて、家の奥に向かって声をかけた。


「ただいま〜」
「アスラン!今何時だと思っている!!」
「……兄さん?」


家の奥から現れたのは、兄だった。
何故、兄が家にいるのだろう。
今日は遅くなると、言っていたのに……。


「な……なんで兄さんが家にいるの?今日、コンパだったんでしょう?」
「朝からあんなに盛大に不機嫌になられちゃ、こっちが堪ったもんじゃないだろうが。それよりも、アスラン。お前、どういうつもりだ?こんな時間までうろついて、一体何を考えている!」
「それは……」


ただ単に、拗ねていただけだ。
少しは兄も困ればいい、と。そう思っていただけ。
それなのに、こうまで怒気を露わにするなどと、彼女の想像の範疇を超えていた。


「まぁ、いい。とにかくあがれ」


促され、アスランは室内に足を踏み入れる。
リビングのテーブルの上には、ちょこんと紙袋が乗っていた。
アスランが大好きな洋菓子店の、それは紙袋だ。


「これ……兄さん、何時帰ってきたの?」
「ついさっきだ。お前ももう少しうまくやれば、俺に叱られずにすんだのにな」
「でも……」


アスランの問いに、兄はそう言って嘯《うそぶ》く。
けれど、アスランは知っていた。
その洋菓子店の営業時間は、8時までだった筈だ。
現在の時刻は、10時半になろうとしている。
兄は、待っていたのだろうか。
コンパの途中で帰ってきて、詫びのつもりでケーキを買って。
帰ってこない妹を、待っていたのだろうか。

思いついて携帯を取り出す。
マナーモードにして音を消していた携帯には、10件以上の着信がある。
全て、兄からのものだった。


「ごめん……なさい」
「何が?」
「朝のことも、ごめんなさい。我侭言って……今も、心配かけて、ごめんなさい」


ぽろぽろと、唇から言葉が溢れる。
頬には雫が伝って、それと同じくらい。
溢れて、とまらない。
最後には言葉にも出来ずに、しゃくりあげてしまった。


「いいから、アスラン」


躊躇《ためら》うように宙を彷徨《さまよ》っていた兄の手が、アスランの頭を撫でた。
もっと、もっと触れてくれていいのに。
もっともっと、触れて欲しくて堪らないのに。
それ以上の接触は、してはもらえなくて。
そこにある距離感が、二人の関係を思い知らせた。

所詮自分たち二人は、兄妹なのだ、と。


「ケーキでも食うか、アスラン。お茶を淹れてやる」
「うん」


こみ上げそうになる涙を、堪える。
それから、笑顔を作って。
何時からこんな風に、笑うようになったのだろう。
哀しくても、笑うようになったのは、何時からだっただろう。
それでも、兄を困らせたくないから。
だから、笑顔を作る。
笑顔を作って、兄に抱いている恋情に蓋をして。

兄妹。
何て何てそれは、重たい十字架。






ねぇ、僕を見て。
僕を見てよ、兄さん。

胸に響くラブソングはいつも、哀しいものばかり――……。







兄がヘタレです。
ついに妹にケーキまで貢ぐ男になりました。
頑張れ、兄。

ミーア好きが講じてミーアまで参戦です。
アスラン思いの可愛い女友達が描けたらいいな、と思います。

ここまでお読みいただき、有難うございました。