その全てでもってこの結末を選んだから、自分の下した決断を後悔したりはしない。 誰がなんと言おうと、俺は今、『幸せ』だから――……。 U 「久しぶり、イザーク」 「ああ。アスラン」 「話がしたい」 「俺……私には、話すことなどない」 頑として話し合いを拒絶する、イザーク。 白いその手はしっかりと子供の手を握り締め、まるでアスランから護っているようにすら見える。 左手の薬指には、シルバーのリング。 ……結婚したの、だろうか。 休日の夕暮れ時。 子供を連れて買い物に来る者は多く、それは決して珍しくはない。 けれどそこに、イザークの夫に当たるような人物が、見当たらないのだ。 ずっとミゲルを忘れなかったイザーク。 そんな彼女が結婚する筈など、ないと思っていたけれど――……。 「ははうえ?」 「いい子だ。悪いが、少し待ってくれるか?」 「うん」 「へぇ。いい子だね。君、名前は?」 聞き分けの良いその子の返事に、アスランはしゃがんで名前を問う。 「お兄ちゃんは?」 「俺?俺はアスラン=ザラだ。君は?」 「ミゲル。ミゲル=ジュール」 にこっと、誰かを髣髴とさせるような笑顔で微笑むその子供から、目が離せなかった。 ミゲル?ミゲル=ジュールだと? これは一体、どういうことだ? 「この子は?」 「俺……いや。私の子供だ」 「だって、その子……」 子供は、あまりにもミゲルに似ていた。 確かにイザークにも似ているが、どちらかといえばミゲルの面影を色濃く残している。 誰がなんと言おうが――生き残ったクルーゼ隊の、ミゲルを知っている面々が見れば誰しもが、そう言うだろう。 ――ミゲルに似ている――と……。 「この子は私の子供だ。それ以外の何者でもない」 「でも、その子……ミゲルに、似ているよ……?」 風に乗って、サラサラと音がしそうな金色の髪。 瞳は琥珀ではなく、イザークのものと色合いがよく似たアイスブルー。 そして何よりも名前だ。 ミゲル=ジュール。 ミゲルの名前、そのまま……。 「教えてよ、イザーク。俺はずっと、君を探していたんだよ?」 「何故私を探す必要がある?」 「君に伝えたかったこと、何一つ伝えられずにいたし。ある日いきなり失踪したら、誰だって心配するだろう?」 「……それは確かに、そうだな」 探さなくても、良かったのに。 自分は、今のままで十分に幸せで、満ち足りているのに。 「教えてよ、イザーク」 「……分かった」 逃げることを許さない翡翠の瞳に、イザークはついに根負けした。 足元で黙って大人たちの話を聞いているミゲルに、優しく声をかける。 「ミゲル。今日はこれから食べて帰ろう。何が食べたい?」 「ハンバーグ!」 「ハンバーグだな。分かった。……そこの喫茶店に入ろう。それでいいか?」 「分かった」 子供――ミゲルからリクエストを聞くと、イザークは呆れたように微笑み。 それからアスランに向き直り、硬い声で話しかける。 アスランは黙ってそれに頷き、三人は近くの喫茶店へと足を運んだ――……。 運ばれてきたハンバーグに、ミゲルは笑顔を浮かべてそれを食べ始める。 イザークとアスランの前には、コーヒー。 しかしそれは手をつけられることなく、だんだんと冷めていく。 「それで、その子は……?」 「私の子供だ。私と……ミゲルの」 「ミゲル?だってミゲルは……」 ミゲル=アイマンは、アスランの目の前で戦死した。 その時既に身籠っていたと? そしてその上身重の体で前線に出て闘い続けたと? 出来る筈がない。 「……アイツが殉職した時……」 震える声で、イザークは語りだす。 まだ、彼女の中でミゲルの死を清算しきれていないことは、その声で明らかだった。 まだ、彼女は忘れてはいないのだ。 彼を――ミゲル=アイマンを……。 「私はその時、既にこの子を妊娠していたんだ」 「……嘘だろう?」 「残念ながら、事実だ。ミゲルが死んで、この子は人工子宮に移した。発覚が早かったから、何とかなったんだ」 そういえば、とアスランは思った。 確かに一時期、イザークが戦列を離れたことが、あった。 ミゲルとイザークが恋人同士であることは、艦の皆が知っていたから、彼が死んだショックによる心労だろうと、皆で話していたほどだ。 その時、なのか? その時には既にミゲルの子供を妊娠していて、その子を人工子宮に移したと? 「アイツの仇は、必ずこの手で取ってやろうと思った」 「イザーク……」 「だから私は一度、この子を自分から切り離したんだ。アイツの仇を取るためには、この子は邪魔にしかならなかった。でも、この子はアイツの子供だ。どうしても、産んであげたかった――」 中絶など、考えもしなかった。 この子を流産することも、いやだった。 けれどせめてミゲルの仇は討ってやりたい、と。そう思ったから。 そして思いついたのが、子供を人工子宮に移すことだった。 幸いにも妊娠が発覚したのが早かったためそれは可能となり、イザークは己から、芽生えた命を切り離したのだ。 あの時の、身を切られるほどの痛みは、きっと一生忘れない。 気が、狂うかと思った。 休暇が与えられ、プラントに戻るときはいつも、真っ先に子供の許へ行った。 人口羊水の満たされたガラス張りの器の中、コードを繋げられて生き延びる、小さな小さな命。 ゴメンね、と。何度叫んだだろう。何度嘆いただろう。 それすらも、自分本位の感情が招いた事象に過ぎないと分かっていたけれど。 愛した人との子供に、こんなにも痛々しい姿をさせる自分を、呪った。 憎悪した。 ぽたり、とテーブルの上に雫が落ちる。 心配そうに己を見上げるミゲルに、イザークは自分が涙を流していることを知った。 「ははうえ?」 「ん?気にしなくていい、ミゲル。食べていなさい」 「うん」 紙ナプキンで、ミゲルの口元についたソースを拭ってやると、ミゲルは笑った。 こんな風に笑ってもらう権利など、自分にはないというのに……。 「これからどうするつもりなんだ?イザーク。まさかずっと身を隠しているわけにもいかないだろう?そもそも何で……」 「理由はどうあれ、この子は私のせいで私からではなく人工子宮から生まれた。好奇の目に晒されることは目に見えている」 「でも……」 「アイツの代わりに、私がこの子を守る。ただ、それだけだ」 彼から、たくさんのものを貰ったから。 肉親以外の誰かを、愛しいと思う感情。 彼の腕の中で眠りに就いた、甘い記憶。 一緒に眺めた夜明け。 そして……この子。 何よりもかけがえのない、子供を。 彼は、与えてくれた。 それで、十分だった。 だからせめて、この子は守ってやりたい。 彼の思いに答えるためにも。 自らのエゴで一度はこの体から切り離してしまった、その罪に報いるためにも――……。 「この子がいれば、私は幸せだ」 彼が遺した、ただ一つの存在。 こんなにも愛しい、子供。 それだけで、十分。 他には何もいらない。 他のものなんて、いくらでも切り捨てられるから……。 大好きだ、と。 愛していると、彼は何度も言ってくれた。 けれどイザークは、言えなかったのだ。 彼は何度も何度も言ってくれたのに。 イザークは、いえなかった。 不器用な性格が災いして、素直になれない性格のせいで。 愛している人に、愛している、と。満足するほど伝えられなかった。 こんなことなら、もっと素直になればよかった。 もっともっと、彼に言いたかった。 言ってあげたいのではなく自分が、彼に言いたかったのだ。 愛している、と。大好きだ、と。 唇が腫れ上がるくらい、言いたかったのに……。 伝えたい言葉の半分も、伝えていない。 それなのに、彼は逝ってしまったのだ――……。 彼がくれたものを、その半分でも返せただろうか。 ……返せていない、と思う。 彼には貰うばかりで、何一つ与えなかった。 愚かな愚かな自分。 こんなにも好きならば、最初から彼にもっと与えればよかった。もっと愛してもらえばよかった。 こんなにも、好きなのに――……。 「探してくれて、有難う」 「イザーク」 「でも、もうこれきりにして欲しい。私は一人でも十分生きていける。あの夜のことは、ただの……ただの過ちだったんだ。責任を感じる必要はない」 「違う!違うよ、イザーク!俺は……」 アスランが言葉を紡ごうとするのを、イザークは手で制す。 これ以上の言葉は、要らない。 アスランの痛いほどの想いは理解しているし、そんな感情を向けられる自分を誇らしくも思う。 けれど、イザークはアスランには何も返せない。 イザークの心にいるのは、ミゲル=アイマン。 アスラン=ザラではないのだ……。 だから、アスランには何も言わせてはいけない。 アスランには、アスランの人生がある。 今はそれでいいと思っても、後で後悔するような生き方は、して欲しくなかった。 アスランは、ミゲルが気にかけていた人物だから。 ミゲルは、アスランを可愛がっていたから。 数少なくなってしまった、仲間だから――……。 「俺はずっと、君が……!」 「無理だ。私が愛しているのは、ミゲルだ。私は……私はお前を愛せない」 そういう対象には、見ることが出来ない。 心は、彼に捧げてしまったのだ。 人間には、持てる情熱に限りがあって。 そしておそらく、自分の情熱は全て、彼に捧げてしまったのだろう。 今も、アスランを見ていても、何の感情のぶれもない。 こんな気持ちのままで、前のように縋りつくのは、卑怯なことのように思うから。 「ごちそうさまでした」 「偉いぞ、ミゲル。……美味しかったか?」 「うん」 「そうか。それは良かった。……帰るぞ。話は終わった」 「うん。……おにいちゃんは?」 イザークの、瞳。 ミゲルの表情。 そのままで、ミゲルがアスランを仰ぎ見る。 「お兄ちゃんとは、さよならだ。ちゃんとバイバイしろ」 イザークの言葉に、こくんと頷く。 アスランに向き直ると、そのままの笑顔で手を振って。 「バイバイ、おにいちゃん。またね」 ニコニコと微笑みながら手を振る少年に、アスランも笑顔で手を振り返す。 ぐいぐいと、見た目にもかなり力を入れて、一刻も早く立ち去ろうとする意図がみえみえのイザークに。 姿が見えなくなると、アスランは笑った。 美しい翡翠の双眸に、歪んだ色をちらつかせて――……。 いい加減私、人工子宮ネタ多いな、と思いつつ。 でも、MS戦の時にかかる加速Gって絶対に胎児にはよろしくなさそうだし。 いや、一番の原因は、私がミゲイザの子供が見たくなったからです。 絶対可愛いと思いませんか? |