恋しました、何て。

自覚しちまえば、あとは簡単。

ようは、さ。

その相手を、どうやって手に入れるか。

それだけでしょ?






V






目の前でニコニコと笑顔を浮かべる男を、イザークは睨みつけた。
けれど男が堪えた様子は、ない。
寧ろ睨めば睨むほど。その笑顔はますます鮮やかになっている気さえして。
心の中で、イザークは悪態をつく。

こういう男は、どうやって撃退すればいい?
数少ない経験値のもと、対処法を探り出す。
答えは、出ない。
こんな男は、初めてだった。


「何の用ですか、アイマン先輩」
「違う違う、イザーク。ミゲルでいいって言ったでしょ?」
「では、ミゲル。何の用ですか」
「その敬語も、ちょっと嫌」


埒が、明かない。
イザークは、あからさまに顔を顰める。


「昨日は俺に殴りかかってきたのに。今日は随分と大人しいんだね」
「……誰のせいだと……っっ!」
「うんうん。やっぱりイザークは、そうじゃなきゃ」
「貴様ぁっ!」


相手をぶん殴ろうと、イザークは腕を振り上げる。
絶対に、一発殴らなければ気が済まない。
体重を乗せて、腕を振り下ろす。
入った。そう、確信した。


「おっ。さすがはアカデミートップ10。でもまだまだ、詰めが甘いな」
「なっ!?」


けれど切れのいい手刀は、ミゲルにかわされてしまう。
難なくかわされて、イザークは屈辱に顔を赤らめた。
緑とはいえ、実戦経験のあるミゲルと、実践の経験のない赤のイザーク。
実戦を経験したことのあるミゲルにとって、教本のお手本のようなイザークの攻撃は、至極読みやすかった。

シュミレーションならば、それでいい。
訓練でも、それでいい。
けれど実戦では、それは通用しない。
いかに相手がナチュラルといえど。いかにコーディネイターが優れていようとも。
初陣の新兵がベテランのナチュラルの手で命を落とすことは、多くはないとはいえ現実に存在している。


「それでお仕舞い?」
「貴様ぁっ!」


狭い廊下で、イザークは尚も攻撃を繰り出す。
相手が先輩だ、とか。ここは廊下だ、とか。そう言ったものは完璧にイザークの中から抜け落ちていて。
ただ闇雲に、相手に攻撃を加えていく。


「はぁっ。またやってるよ」
「イザーク!いい加減にしないと。相手は仮にも先輩だよ!」
「煩いっ!黙ってろ、腰抜けども!!」
「……口開かなきゃ、深窓のご令嬢のイザーク=ジュールさ〜ん」
「ラスティ、貴様!あとで覚えてやがれ!」


掴みかかろうと、腕を伸ばす。
蹴り上げる。
その全てを交わされて、腹が立って。そんなときのラスティの言葉は、イザークの頭にあっという間に血が上らせる。


「て言うか、女性用軍服はスカートじゃなかったっけ?」
「貴様みたいなやつの前で、スカートなんてはけるかっ!」
「まぁ、スカートじゃ、こんな風に蹴ったりは出来ないねぇ」
「ていうか貴様、いい加減に逃げるな!一発殴らせろ!」
「それ、蹴りだから」


楽しそうに、笑顔を崩さない。
それが、余計に腹が立つ。


「余裕ぶってると、痛い目見るぞっ!」
「そう?何時までも見られそうにないんだけど」
「いいやがったな、この野郎!」
「女の子なんだから、もっと丁寧に喋ったら?」


ムキになっているのは、イザークだけ。
それが無性に、癪に障った。
ムカつく。
この男、本当にムカつく。

アスラン以上に、神経を逆なでするような男はいないと、そう思っていた。
でも、違う。
この男、アスラン以上にムカつく!

イザークとアスランの身長差は、変わらない。
寧ろ、イザークのほうが五センチ、背が高い。
けれどミゲルは、違う。
イザークよりも、背が高い。
それでも、高々数センチの差だろう。
けれどその高々数センチが、異様にリーチの差として跳ね返ってきていた。

本気で殴ろうとしても、技をかけようとしても。
ミゲルはイザークの動きを見切って、かわす。
その、繰り返し。

さすがのアカデミー総合成績次席の才媛も、いい加減肩で息をしだす。

男と女の圧倒的なまでの力の差。
実戦経験者とそうでないものの力の差。
それを、まざまざと見せ付けられて。
冷たい色を湛えたイザークのアイスブルーの双眸に、屈辱のあまり涙が浮かぶ。


「あらら。もう終わり?」
「ミゲル先輩。イザーク苛めたら、俺許さないからね!」
「貴様にどうこう言われる筋合いはないぞ、ラスティ!コイツは絶対に、俺が殴る!」
「相手は先輩だってのに、アイツは……」


ディアッカが溜息をつくのが、分かる。
ラスティの声とかも、やけにリアルに聞こえる。
何で高々緑の男を、殴れない。
イザークの攻撃は、一つも相手に入らない。
でももし相手がイザークに攻撃してきたら、それは容易く入るのだろう。
相手は、自分を見縊って攻撃してこないだけ。
なぜなら、イザークは女だから。
実戦の経験もない、いわばひよこだから。
だからそうやって、余裕ぶった態度を取るのだ。
それは、堪らなく……。




堪らなく、屈辱的だった。

イザークの高すぎるプライドを、負の部分から刺激するには十分だった。




特徴的な、裾長の軍服。
それが、邪魔だ。鬱陶しい。
スカートに比べればいくらかましだろうに、蹴りすらまともに入れられないのは、この軍服の形状にも問題があるんじゃないか!?
半ば八つ当たり気味に、考える。

肩で息をして入るイザークに比べ、相手は涼しい顔をしていて。
息すら、乱していない。
確かに、イザークはずっと攻撃を繰り返していて。
相手はそれを、的確に見切って無駄なくかわしていて。
疲労は、イザークのほうこそ多く蓄積される道理だ。
頭では、分かる。理解できる。




でも、ムカつくものは、ムカつく。


「女の子なのに、さすがは赤ってトコかな」
「女だからって、どうこう言われる筋合いはない!」
「褒めてるのに。困ったな、ジュール家のご令嬢殿は」
「何処がだ!黙って聞いてれば、さっきから俺をバカにする発言ばかり繰り返しやがって!」
「……黙って聞いてないっしょ、イザーク」


イザークの言葉に、ラスティが小さく突っ込みを入れる。
けれど、コーディネイターの良すぎる耳。
挙句、人というものは悪口なんかは聞く気がなくとも耳に入ってしまうもの。
ラスティの突っ込みは、イザークの耳にばっちり届いていた。


「ラスティ、貴様。次の訓練で絶対に泣かしてやる」
「え?そ……それは勘弁して、イザーク。イザークの、マジで痛いから」
「知るかっ!」
「何、ラスティ=マッケンジー。お前、勝てないの?」
「ミゲル先輩。俺、総合五位ですよ。勝てるわけないっしょ」


イザークは、総合次席なのだ。
そしてイザークの成績がいいものは、何も勉学面だけに留まらない。
射撃は、首席。
モビルスーツ戦、ナイフ戦は次席。
爆薬処理が三位。
全てにおいて、イザークはラスティの上を行く。


「貴様はまともに訓練しないからだ!」
「え?じゃぁ、今度の訓練で勝ったら、イザークのキス頂戴。多分イザークの、ファーストキスでしょ?」
「ふざけたことを言うな、貴様!!」


イザークがいきり立つ。
例えるならば、効果音は。

シャギャァァァアアアア!

……イザークらしいと言えるかもしれない。
尤も、そんなことで感心されても、イザークは余計にブチ切れるだけだろうが。
誰もが手に入れたいと焦がれずにはいられない秀麗な美貌は、完璧すぎて近付きがたくも思われて。
けれどその性質が、それにいささかの変化を齎す。

黙っていれば、人形のように――それこそビクスドールのように――整った美貌。
けれどその美貌の下に内包されているのは、抜き身の剣さながらの激しい性質だ。
だからこそ、手に入れたいと願う。
完璧すぎるものに、人の食指は動かない。
けれどそこに、完璧さを損なう瑕があれば、話は違う。
完璧な、クールビューティ。
けれど激しい性質。
それは、筆舌に尽くしがたい魅力を醸し出していた。


「へぇ。キスもまだ?」
「そんなこと、貴様に関係あるかっ!」
「ないといえばないけど、あると言えばある……かな」
「せんぱ〜い。それ、どういう理由ですかぁ?」


呆れたようにラスティが呟く。
この2人の喧嘩は見ていて楽しい……が。少々面白くない。
妙に仲がいいような気がして、気に食わない。
明るいオレンジの髪の下に覗く青の瞳を、忌々しげに細めて。
小さく呟く。

それは、ラスティですらいまだ判然としていない、ささやかな感情の向く先。


「いい加減に……いい加減に避けるなっ!!」
「そりゃ避けるっしょ」
「うるさいぞ、ラスティ!」
「はいはい。黙っときますよ」


ラスティがむくれたように呟けば、イザークもフンと肩を聳やかして。
再び、ミゲルに対峙する。

切れのいい手刀を繰り出し、蹴り上げる。
左足を軸にして、回し蹴り。
避けるのを見越して、裏拳。
けれどどれ一つとして、ミゲルに入らなくて。
不快で、屈辱で。目の前が真っ赤になる。

その焦りが、ミスを招いた。
ブンッ、と振り上げた拳は、大振りすぎて。しまったと思った時にはもう、イザークの右腕はミゲルに掴まれていた。


「離せ!」
「離すわけ、ないでしょ?」


喚きながら尚も空いている手で殴りかかるイザークのその手をも掴んで。
そのまま、壁に追い詰める。
アイスブルーの瞳に、その時明確な恐怖の色が浮かんだ。

白皙の、肌。
花びらのような、唇。
誘われるように、その唇にミゲルは己のそれを重ねた。


「……っんぅ」


微かに洩れるくぐもった声すら、色っぽくて。
ミゲルは口付けを深くする。
食いしばるように引き結ばれた唇に、舌を這わせて。何度も何度も辿る。
呼吸すらも漏らすまいと貪られて、呼吸の苦しくなったイザークが僅かに唇を開いた隙を突いて、舌を侵入させる。
歯列を辿り、割る。


「っと。初めての姫君に、無理させすぎたな」


その躯が弛緩して、ぐったりと凭れかかってくるのを知覚して、漸くミゲルは戒めを解いた。
アイスブルーの瞳に、うっすらと涙を浮かばせて。
キッと睨みあげてくる。


「ご馳走様」
「き……貴様ぁぁああ!!」


叫ぶイザークに軽く手を振って、笑いながら、逆方向へ足を進める。


「またね、イザーク」
「またがあって、堪るかっっ!!」


朱を上らせて喚き散らすイザーク。
物が飛んできかねないと危険を察知したミゲルは、さっさとトンズラすることを決めて。
そのまま、歩み去ろうとする。

その時、青い瞳が強い視線でミゲルを睨みつけているのに、気がついた。――ラスティだ。


ニコリ、とミゲルは人好きのする笑顔を浮かべる。
そのまま、すれ違いざまに呟いた。


「イザークは、渡さねぇから」
「その言葉、そっくりそのままお返しします、ミゲル先輩」


交錯する、青と琥珀の瞳。
幾許かの予兆すら交えて、それは確かに交錯した。
一人の人物に対する、執着。それだけを内包して……。







賽は、投げられたのだ――……。







久しぶりにVoteを覗いたら、何時の間にかMisericordeが二番になってるじゃないですか!
かなりびっくりしました。
これは……どっち派の方なんでしょうかね。
ミゲイザ?アスイザ?
これ、気になって仕方がありません。

話は変わりまして。
前半殆どギャグ調になりました。
理由は絶対に、イザークの「シャギャアァァァァアアア!!」にあると信じて疑いません。
て言うかミゲル、手が早いよ……(遠い目)。
色っぽいシーンが色っぽくならなくて困ったものですが、こういうシーンを書くのは結構好きです。
ちなみに。
この小説のタイトル。
Misericordeは、『ミセリコルデ』と読みます。
一応、いっとこうかな、と。

それでは、ここまで読んでくださり、有難うございました。