――――『愛しているよ』――――

何度も、何度も囁かれた言葉。

――――『綺麗だね、イザーク』――――

髪を梳きながら、そう囁いた琥珀の瞳の優しい光。



俺は、いえなかった。

――――『愛している』――――と。

――――『傍にいて欲しい』――――と。

満足するほどに告げられないまま、アイツは死んでしまったんだ……。






W






家に辿り着いて、室内に足を踏み入れる。
ジュール家のご令嬢が住むには幾分手狭の……しかし二人で暮らすには丁度良い大きさの、マンション。
イザークの性格なのか、そこは非常に綺麗に整理整頓されていた。

ミゲルをベッドに寝かしつけようと、布団の中に追いやる。
するとミゲルが、きらきらとした瞳で問いかけてきた。


「ははうえ」


尋ねかけてくる青い瞳は、確かに彼女の持つ色彩。
彼女が母から譲り受けた、瞳。
それと同じものを、少年もまたその母親から受け継いでいる。


「今日のお兄ちゃん、だれ?」


問われて、どういうべきか一瞬躊躇ったのは、彼との間にある関係が、単なる『同僚』で終わらなかったからだった。
一度だけ、関係をもった。
ミゲルが死んだ後、一度だけ。

淋しくて、淋しくて。
傍にある温もりに縋りついた、弱い弱い自分。

そんなことを、言えるわけがない。


「お前の父上の後輩だ」
「ちちうえの?」
「そうだ」


『父』と聞いて目を輝かせるのは、父親がいないからだろうか。
母一人、子一人。
女手一つで、イザークはミゲルとの間の忘れ形見を育ててきた。

半ば、贖罪の念。
そして、何よりもその子供を……そしてその父親を、愛していたから……。


「父上の話、聞きたいのか?」
「うん。ききたい」


そういえば、あまり話をしていなかった。
思い出すのが辛すぎて、心のどこかで蓋をしていた。
けれどこの子には、しっかりと話してやろう。
彼女が愛した男性のことを。
少年の、父親のことを。


「お前と同じ、綺麗な金髪をしていた」
「ぼくと、おんなじ?」
「あぁ。瞳は……琥珀。金に近い、綺麗な瞳だった」


いざ言葉にしようとすると、なかなか適切な言葉が浮かばなくて。
イザークは少し苦笑する。

あんなにも、愛した人。
記憶は、風化する気配すら見せない。

煙草を吸っている姿、とか。
あぁ、その時の仕種が、妙に色っぽい男だった、とか。
おちゃらけた性格で、でもいつもイザークを気遣ってくれた、とか。

そんなことばかりを思い出して、泣きたくなった。

あぁ、そういえば。
こんなこともあった……。



**




その日は、非常に調子がよろしくなかった。
要するに、アレだ。
月に一度の、憂鬱な日。


「なんで女なんだ、クソッ!」


悪態を吐こうが、もって生まれた性別は変えられようもない。
痛む腹を抱えて、あぁ、なんだか腰も痛いと苛々していた。

食事なんて、当然食べられる筈もない。
見ただけでムカムカして、結局口にするのはスープが精一杯。


「おい、イザーク。しっかり食べろよ」
「うるさいっ!」


スープ以外口にしようとしないイザークに、アスランがそう言う。
しかしイザークの反応は、冷淡を極めた。
何も分からないくせに、つべこべ言うな、と。
イザークは当然のことのように考えた。

男に、分かる筈もない。
女をやめたいくらい痛い、などと。分かる筈もないのだ。


「イザーク」
「なんだ、ミゲル!今日は、貴様に構っている暇なんて……!」
「今日は訓練休みな。隊長には、俺から言っとく。ほら、部屋行って横になるぞ」
「おい、ちょっと待て、貴様!」


軍人が、訓練を勝手に休める筈もない。
何を勝手なことを、と。当然イザークは思った。
しかし、ミゲルが意に介した様子もない。

さっさとイザークの手を引くと、廊下を歩き出す。


「離せ!なんなんだ、貴様は!」
「いいから、黙って言うことを聞きな」
「ミゲル!」
「辛いんだろうが、お前」


ミゲルの言葉に、イザークは頬を朱に染めた。
ひょっとして、気づかれたのか。

女にとって、男にそれを気づかれるほど屈辱的な……恥ずかしいことはない。
思わず顔を赤く染めるイザークに、ミゲルはあくまでも淡々とした口調で。


「女なんだから、ちっとは休みな。誰も気にしない」
「そんなわけ、いくか!」


勝手に訓練を休むなど、出来るはずもない。
そして何よりも、そんなことはイザーク自身許せない。

別に、重い病気というわけではない。
女の子であれば、誰しもが月に一度経験すること。
ただ、それだけ……。


「その調子で訓練出られても、邪魔なだけだ」
「何だと、貴様!」
「軍が遊びじゃないことくらい、分かってるだろうが。だったら、万全の体調でいられるように、常に気をつけな」


気をつけたからといって、どうにかなるものでもない。
男には、こんな気持ちは分からない……。

暗証番号を入力すると、ミゲルはイザークを室内に押し込む。
イザークをベッドに追いやり、自分は備え付けの簡易キッチンへ。


「ミゲル?」


尋ねると、ややもしてミゲルがトレイを片手に現れた。
トレイの上には、イザークのマグ。
湯気が、出ている。


「飲め。んで、さっさと寝な」
「なっ!」
「美味いから。それ飲めって。俺の特製だぞ?」


言われて、イザークはカップを覗き込む。
中身は、ホットミルク。
甘い香りがして、誘われるようにイザークはマグに口をつけた。


「美味しい……」
「だろ?ポイントは、ミルクにちょっとだけ蜂蜜を混ぜること」
「蜂蜜……?あぁ……それで……」


言葉が、覚束なくなってゆく。
ぐらりと揺れる視界の片隅で、ミゲルが笑っているのが見えて。
何かしやがったな、この野郎、と。口の中で悪態を吐く。






イザークが夢の世界の住人となったのを確認すると、ミゲルは小さく溜息を吐いた。


「悪いな。こうでもしなきゃ、お前寝なかっただろう?」


サラリ、と、その銀の髪に触れる。
しなやかな、その髪。
触れたくて、触れてみたくてたまらなかった。


「無理しないで、ゆっくりと休みな」


ミゲルには、分かっていたのだ。
イザークの体調の不振の理由も。
分かっていて、何も言わずに部屋に押し込んだ。

そうでもしなければ、イザークは休むことを許容しなかっただろう。
イザークは、そう言う人間だから。




サラリとしたイザークの、銀の髪。
触れてみたくて、堪らなかった。
指どおりのよい髪は、掬い上げればするりと滑り落ちる。


「無理は、すんなよ?」


いずれ、彼女の力は必要になる。
ザフトのために。コーディネイターのために。
そしてこの、疲弊しきった戦局を打開するために、彼女の力は必要となるのだ。

ならば今は、大事をとって構わない。


「ホント、何でお前がザフトなんかに入ったんだよ」


綺麗な、指。
綺麗な、貌。
イザークは、その全てが綺麗。

血豆を滲ませて、固い銃を握ることなんて、似合わないのに。
綺麗な貌を、血に染めるなんて、似合わないのに。
それでも彼女は、ここにいる。


「体の調子が悪いときは、甘えていいんだよ。……お前は、女なんだから」


そう言って、ミゲルは苦笑した。
あぁ、違う。
そんな理由では、ない。


「お前だから、休ませてやりたいんだな、俺は」


苦笑して、ミゲルはもう一度その髪をかきあげて。
囚われてしまったことに、苦笑してしまう。
けれど、それでもいい。
それでも、構わない。

彼女に囚われるなら、本望だ。


「分かってんのか?イザーク。お前は、ザフトに入隊することで、とんでもない男の心を捕らえちまったんだぞ?」


きっと、彼女は分からない。
……分からなくて、いい。
捕らえられたことに、息苦しさを感じるよりも、捕らえられたことが心地よくて。

そっとそのこめかみに口付けると、ミゲルは部屋を出たのだった――……。



**




「ははうえ?」
「あぁ、すまないな、ミゲル。お前の父上は……そうだな。とても、優しいやつだったよ」


今はまだ、それ以上を語れない。
問いかけてくる息子に笑いかけると、父親によく似た息子は、嬉しそうに微笑んだ。
そっとその額に、おやすみのキスをしてやる。
微笑んだ彼女の息子は、小さく欠伸をした。


「お前は本当に、父親に似ているよ」


囁きに耳を傾けながら、少年は眠りに就いた……。














息子が眠りに就いたことを確認してから、キッチンの方へ行く。
グラスに氷を落とし、琥珀色の酒を注ぎこむ。
それからもう一つのグラスには、氷とミネラルウォーターを落とし、その中に同じ酒を注ぐ。
ストレートのグラスは、テーブルに置いたまま。
もう片方のグラスを、手にとって。


「お前の息子だぞ、ミゲル。……いい子だろう?」


あの日殉職してしまった彼は、その姿を目にすることも叶わなかった。


「帰ってくると言ったのにな、お前は。……帰ってこなかった。お前、俺に嘘をついた……」


帰ってきて、欲しかった。
傍にいて、欲しかった。
結婚しようといってくれたのに。
なのに、帰ってこなかった……。

左手の薬指に嵌められた、指輪。
彼が贈ってくれたもの。
それに、そっと口付けて。


「俺は、あの子と2人で生きていくから。あの子がいれば、十分だから」


だから、この街を離れよう。
この街に住んでいることは、アスランに知られてしまった。
長居は、出来ない。
彼の翡翠の瞳の中に、己への執着を見てしまった。

それは、愛情だったのかもしれない。彼――アスランの、自分への。
ただ一度だけ、関係を結んだ。
淋しくて、縋りついた。
それが彼に、己への執着を生んでしまったのだろうか……。

罪深い、ことだ。
たった一度だけの関係が、彼の人生を歪めてしまったのかもしれない。
けれど、自分には彼は、必要ではないのだ。
彼に執着した。
己の全力を尽くしても、彼には勝てなかったから。そのただ一点において、彼に執着した。
けれどそれは、愛情ではなかった……。

愛情も情熱も、捧げた相手はただ一人だけだった。


「愛しているのは、お前だけだ。ミゲル……」


だから、彼の死に固執する。執着してしまう。
風化することなど思いもつかない、彼への気持ち……。



ぐっと、グラスを空ける。
琥珀色の液体が喉を滑り落ち、胃に沁みる。
とんっ、とグラスをテーブルに置くと、寝る準備を始める。

朝になれば、ここを引き払う準備をしなくては。


「愛している、ミゲル=アイマン。……俺に、アイマンの姓を名乗らせてくれなかった、お前を」


すっと、アイスブルーの瞳を、細めて。








己を見つめていた翡翠の瞳の意味に気づくのは、夜が明けてからのことだった――……。







更新希望アンケート、一位奪取記念。
でも本当に、この話ほどどちらのカップリングで書けばいいのか、分からない話もないです。
いや、最終的には、アスイザですけど。
それまでの紆余曲折とか。
色々あるわけでして……。

書いているほうも、実はイマイチ時間軸が把握できないという……。
イザークの年は、22歳くらいとお考えください。
子供は、4歳くらい。
それでいくと、アスランは21歳ですね。

次回は、アスランに視点を戻します。
ちょっと……アスカが好きな方にはお勧めできないお話しになりますので、ご注意ください。

ここまで読んでいただき、有難うございました。