俺はお前を愛せない。 それなのにあの日のように、縋りつくわけにはいかない――……。 〜]B〜 「アスラン」 意を決して、イザークはアスランの名前を呼んだ。 多少傷つけても、アスランを思いとどまらせなければならない。 イザークは、アスランを愛せない。 それは、彼女が一番よく分かっていることだった。彼女は、アスラン=ザラを愛せない。 彼女が愛しているのは、今も昔もミゲル=アイマンただ一人で。 いくらアスランがそれを望んでも、イザークは拒絶するしかない。 彼女が、心の底から希う存在は、ただ一人だから。 「俺は、お前を愛せない。応えることは出来ない。今の俺は、屍だ。あいつが死んで、あの子のためだけに生きている、ただの屍だ。俺にはもう、情熱も愛情も存在しない」 「イザーク」 「それに、オーブの姫君は、どうするんだ?」 「え?」 突如イザークの唇からでてきた『カガリ』を示す単語に、アスランは鈍い反応で答えた。 何故そこで彼女が、その名前を……その存在を出すというのか。 「どうして、そこでカガリが出て来るんだ?」 「貴様とオーブの姫君が恋仲であることくらい、知っている。結構話題になったしな。知らない者の方が少ないだろう」 淡々と言葉を紡ぐイザークに、喚き散らしたくなった。 一体何故?どうして、そこでその名が出てくる? 彼女とは、何もなかった。 将来を誓ったわけでも、愛情を確約したわけでもない。 そもそも、抱いてすらいない相手なのに。 「俺が愛しているのは、イザークだ」 「アスラン……それは……」 「俺が愛しているのは、君だけだ。それなのにどうして、君はそれを否定しようとするんだ?」 二人の言葉は、それぞれ対極を示していた。 いかにアスランが「愛している」と囁いても、イザークはそれを頭から否定する。 そしていかにイザークが「愛せない」と言っても、アスランにとってそれは最早どうでもいいことなのだ。 愛してもらうことを――同等の愛情を返されることを望んでいるわけじゃない。決して。 ただ、愛しているのだ。彼女を。 「駄目だ。貴様には、オーブの姫がいる。彼女と一緒になればいい。俺ではなく、それは彼女こそが相応しい」 「愛していない女性と一緒になるのは、相手にとって何よりの不幸だよ。俺はカガリを愛せない。君と再会して、俺ははっきりと認識した。俺は、君以外を愛せないのだ、と」 「違う、アスラン。それは単なる思い込みだ。貴様は俺に、過ぎた思い出を重ねているだけだ。それは違う」 過ぎた思い出だ。 あの日、縋りついた。 ミゲルが死んだ。 哀しくて、辛くて縋った。 好きだとイザークに告げた彼に、身を任せた。 それだけの、こと。 その記憶が、アスランをオーブの姫から引き離したのだろうか。 オーブの姫。 金髪に褐色の眸の、生気に満ち溢れた、美しい姫だった。 アスランには、彼女こそが相応しい。 彼女を愛して、彼女からも愛されて。 それこそが、まっとうなのだ。 「貴様は俺に何を求めるんだ、アスラン。俺は屍だ。あいつを喪って、俺は死んだ。あいつの仇も討てず、ただ自分が朽ちるその日を待っている。そんな屍に、一体何を望むんだ!?」 「イザーク……」 「ミゲルだけだ。俺には、ミゲルだけなんだ。ミゲルと、小さなミゲル。二人以外に、俺の生きる意味はない。俺は……」 「それでもイザーク、俺は君を愛している」 ストレートな言葉が、心に沁みる。 それでも、彼はイザークを愛していた。 乱暴な言動に隠された、仲間思いの彼女を。 冷たい美貌の彼女を。 それでもずっと、アスランは愛していた。 ミゲルを愛した彼女を。 ずっと、彼の想いに気付いてくれなかった彼女を。 それでも、ずっと……。 「駄目だ、アスラン。それではあの頃と何も変わらない。貴様はもう、俺を忘れて貴様の人生を生きるんだ。オーブの姫とともに……」 「愛してもいない人と生きることが幸せだと、君は本当に思っているのか?イザーク。俺が愛してるのは君だ。カガリじゃない」 「思い込みだ、アスラン。貴様はオーブの姫に言ったのだろう?守る、と。貴様は、姫を愛しているんだ。俺への想いは、過ぎた過去への執着に過ぎない。いい加減気付け、アスラン」 「イザークのほうこそ、いい加減に認めてくれ。俺が愛しているのは君だ。カガリじゃない」 きっぱりと、アスランが言い切る。 けれど、答えられないのだ。 ブラウン管越しでも、はっきりと分かった。 オーブの姫は、アスランに恋をしている。 似合いだと、思った。 少し悲観的思考に偏りやすい彼には、あぁいう風になんでもぽんぽんと言ってくれる、真っ直ぐな彼女が相応しい、と。 似合いだと思った。似合いの一対だと思った。 幸せになってくれたら、と願った。 戦場でであった、数少ない仲間。 生きて戦後を迎えた数少ない仲間である彼には、あの辛い戦争を経験した彼には、誰よりも幸せになって欲しかった。 イザークでは、駄目だ。 イザークはミゲルを、愛しすぎた。 いくらアスランに想われようが、それを受け入れることは出来ない。彼女が愛しているのはミゲル=アイマン。 彼女に「アイマン」の姓を名乗らせてくれることなく逝ってしまった人、ただ一人なのだから。 「ははうえ。キッチンの上のジュース、のんでもいい?」 玄関で未だに問答を繰り返すイザークの耳に、彼女の息子の声が届いた。 キッチンの上のジュースと言われて、何のことだろう、と思う。 そこに、飲み物を用意した覚えはない。 「まさか……」 青褪めたイザークが、室内に駆け込む。 いくらなんでも、飲ませるわけにはいかない。 どうしてさっさと処分しなかったのか。 単純なミスを犯してしまうくらい、彼女は慌てていたらしい。昨日の突然のアスランとの邂逅で。 「駄目だ、ミゲル!飲むな!!」 「ふぇ?」 「飲んだのか?飲んだのか?ミゲル」 「のんでないよ?」 グラスを手に持ったミゲルが、それをイザークに向けて差し出す。 ほっと、イザークは息をついた。 「何、これ。お酒?」 「アスラン!?」 「上がらせてもらったよ、イザーク。さ、ミゲル。食事は終わったかい?」 「うん!おにいちゃん、あそぼう!」 イザークと同じ色のアイスブルーの眸をキラキラさせて、ミゲルがそう言う。 その笑顔に、イザークは胸が痛くなった。 寂しいのだろうか、子の子は。 一生懸命愛しているつもりだった。 寂しい思いをさせまいと、それだけを考えていた。 事後処理の終わった後失踪したのも、この子と二人だけの静かな生活を作りたいと思ったからだった。――もう、時はあまりないから。 それでも、この子は寂しかったのだろうか。 父親のいない生活は、寂しかったのか。 「寂しかったのか?ミゲル」 ぽつん、と尋ねる。 一生懸命やっているつもりだった。 母のように。イザークを女手一つで育ててくれた母のように。寂しい思いをさせまい、と。それだけを考えていたつもりだったのに……。 「なんで?」 「お兄ちゃんが来て、嬉しそうだから」 「ぼくは、ははうえがいてくれたら、それだけでいいよ?」 ニコリと笑いながら、そう言う。 けれどそれを、額面どおり受け取ることなど、出来なくて。 寂しかったのだ、この子は。 そう言うものなのかも、知れない。 休日のショッピングモール。 親子連れで溢れる館内。 父親に肩車をしてもらったり、父母揃った子供を、ミゲルは羨ましそうに見ていた……。 聡くて賢い子だから、それをイザークに見せまいとしていただけ。 小さい頃のイザークと、変わらないのだ。 母を悲しませまい、と。それで片意地を張って、寂しくない振りをして。本当は、寂しくて……。 「そうか……。アスラン、悪いが、この子と遊んでやってくれ。父親がいなくて、寂しかったんだと思うから。遊んでやってくれたら、嬉しい」 「いいけど……イザーク?」 「すまない。少し気分が悪くて。私は部屋にいるから、帰るときに呼んでくれ」 「ははうえ、だいじょうぶ?」 「大丈夫だ、ミゲル。いつものことだから」 気遣わしげに尋ねてくるミゲルに、イザークは笑顔を作る。 子供にまで気を遣わせるなんて、情けない。 そう、思う。 「大丈夫か?イザーク」 「大丈夫だ。本当に、いつものことだから」 心配してくるアスランに、ぶっきらぼうに答えて。 そのままふらふらと部屋に戻る。 部屋に戻ると扉を閉めて、イザークは床に突っ伏した。 愛しているつもりだった。 寂しい思いはさせていない、と。そんな思いはさせまい、と。それだけを考えていた。 けれどあの子は、言えなかっただけなのだ。イザークの気持ちを思い遣って、何も言うことが出来なかった。 「母親なのに、何も気づいてやれなかった?俺は……俺は……」 きちんと生んでやることさえ、してやれなかった。 イザークがしたことといえば、コードロープに繋いで無理矢理成長させて、そこから引きずり出しただけ。 人工的に作られた子宮の中で、人工的に成長させて。きちんと生んですらやれなかった。 だから、母親にもなれないのだろうか。 気づいてすら、やれなかった。 笑顔に、安心していた。 何も言わなかったんじゃない、ミゲルは。何も言えなかったのだ。 気づいてやらなくてはいけなかった。母親だから。 「ゴメン、ミゲル。お前の子供なのに、俺は……俺は……」 あんなにも痛々しい姿をさせて。 その上子の体たらく。何てことだろう。 自分の腹を痛めず、その出生さえも捻じ曲げて誕生させてしまった。 だから、自分は母親になれないのだろうか?愛してやれないのだろうか。 「ぐぅっ……!」 涙に暮れるイザークを、苦痛が襲う。 胃の腑から、何か熱いものが込み上げてくる。 喉を灼く熱に、堪らずイザークは嘔吐した。 真っ白のイザークの手を、その掌を、赤黒いものが汚している。 ――血だ。 息苦しさから涙の滲んだアイスブルーの瞳を、見開く。 ……タイムリミットが、近づいてくる。 イザークの意思さえも押しのけて。 近づいて、来る……。 「俺は、どうしたらいい……?」 その掌が、腹部をそっと押さえていた――……。 お久しぶりです、『Misericorde』。 漸くアスイザちっくになりますよ。 アスイザスキーの皆さん、お待たせいたしました。 これから、アスランには一生懸命頑張っていただきますので! どちらかというとハッピーエンドには程遠いお話ですが、お付き合いいただけましたら幸いでございます。 |