愛している。 愛している。 ――君だけを、ずっとずっと愛してる。 〜]F〜 「あがったよ、イザーク」 「じゃあ、ミゲル。お前も風呂に入っておいで」 「は〜い」 ややもして、アスランが室内に現れた。 タオルで湿り気を帯びた髪を拭きながら、イザークたちに歩み寄る。 その身を包むのは、ダークグリーンのパジャマ。 やはり、アスランには少し、大きいようだった。 成長期も終えたアスランは、イザークよりは背が高くなったが、それでもミゲルほどには伸びなかったらしい。 色も、やはりミゲルを意識して買ったものだから、どこと無くアスランが着るにはちぐはぐな印象があった。 アスランと入れ違いに、小さなミゲルがバスルームへと姿を消す。 やはり、賢く利発な性質(たち)なのだろう。一人で、一通りのことは何でも出来るようだった。 おそらくそれは、イザーク自身の教育の賜物でもあったのかもしれない。 一人で、大体のことは出来るように。そう躾け、育てたのだろう。 いっぱいの愛情で以って、育てたに違いない。 甘やかすだけなら、誰にでも出来る。 父親のいないミゲルにとって、イザークは時には母であり、時には父のようであったのかもしれない。 優しさと、厳しさで以って、育てたのだろう。 このくらいの年齢の子供にしては、ミゲルは落ち着いているし、言葉もはきはきと喋る。 食事時にテーブルの上を散らかすような真似もしないし、うろちょろと歩き回って手を煩わせることも無い。 父親がいないから、と。そう後ろ指を差されることが無いように。ミゲルが不当な評価を下されることが無いように、彼女なりに一生懸命、子供を育てたに違いない。 そんな姿が想像できてしまって、アスランは少し微笑ましかった。 「どうだ、アスラン。一杯」 「身体の調子がよくないのに、飲まないほうがいい、イザーク」 「少しぐらいなら大丈夫だ。……それとも貴様、呑めないのか?」 「なっ……!呑めるに決まっているだろ!」 挑発され、アスランが思わず食って掛かる。 落ち着いた、大人びた女性の色香を漂わせ始めたイザークに、アスランは戸惑わずにはいられない。 以前なら、挑発されて食って掛かるのは、イザークだった。 それが今、覆されている。 年上の、そして子を持つ母ならではの、それは余裕であったのかもしれない。 棚からグラスを3つ、イザークは取り出した。 フリーザーから、ロックアイス。 そして別の戸棚からは、ウィスキーのボトルを取り出す。 それから、ペットボトルのミネラルウォーター。 「ウィスキーなんて呑むのか、イザーク?」 「あいつの好みだ」 「ミゲルの?」 「そう。一番好きなのはビールのようだったが、それじゃ酔えないらしい。ワインを嗜む趣味は無いとか言って、ウィスキーを好んでた。……嫌いか?」 「いや、大丈夫。ストレートで頼むよ」 アスランのリクエストに、イザークが頷く。 2つのグラスはストレートで。もう1つのグラスは、水割りで。 酒を作ると、ストレートのグラスの1つを、イザークはアスランの方へ渡し、もう1つを対面式のキッチンの上に置く。 それから、自分は水割りを手に取った。 グラスをあわせて、酒を呷る。 濃いアルコールに、熱いものが喉元をすぎていく。 酒の芳香を味わうように、その芳醇な味を確かめるように、アスランは丹念に舌の上で酒を転がした。 「美味しいね」 「貴様といいミゲルといい、どうしてそんな酒をストレートで呑めるんだ?理解に苦しむ」 「変に薄めたりするより、こっちの方がずっと甘いんだよ、イザーク」 「そうなのか?一度咽(むせ)て以来、ストレートで飲んだことは無いな」 「イザークが酒を呑むこと自体、俺は意外だよ。そういうの、好きじゃなさそうだから」 「そうか?」 分からない、と言う感じのイザークに、アスランは力いっぱい頷く。 嗜好品の類をイザークが好む、と言うのは、アスランにとって意外だったのだ。 どちらかと言うと人体に害のあるそれらを、イザークが好む、と言うのが。 「まさかと思うけど、煙草まではしてないよな?」 「当たり前だ。子供によくないだろうが。貴様ももし、煙草を吸いたいんだったら、外で吸えよ。ミゲルの健康を損なうような真似をしたら、容赦せんからな」 「怖いな」 本気で凄むイザークに、アスランは苦笑する。 アスランが煙草を吸っているかどうかなんて、少し近づけば分かるはずだ。 独特の匂いは、もしも煙草を吸っていれば躯に染み付いて、容易には離れないのだから。 「今後のことなんだが……本気で貴様、俺たちに付き合うつもりか?」 「当たり前だろ、イザーク。元はと言えば、俺が火種になってしまったようなものだ。君たち二人、守らせて欲しい」 「そうか。有難う。 ……今後のことなんだが、このプラントを離れようと思う。ミゲルの故郷のプラントに行こうかと思うんだ。いかにオーブの姫君と言えども、俺とミゲルが付き合っていたことは知らない筈だから、目晦ましになるだろう。知っているといえば旧クルーゼ隊のメンバーくらいだが、あのころのメンバーは大体戦死しているし、ことこの状況に陥って、ディアッカが彼女にそれを教えるとも思えない」 「そうだね。それが一番かもしれない」 イザークの言葉に、アスランは同意した。 確かに、それが一番いいだろう。 ある意味、敵――オーブ代表首長、カガリ=ユラ=アスハ――の裏をかけるかもしれない。 いや、かかなくてはならない。 ことこの状況にいたって、情けは無用だ。 いかに彼女がアスランを想おうが、そんな感情は、はっきり言ってアスランには迷惑なのだ。 挙句、この醜態だ。 カガリと言う女に対し、アスランははっきりと興醒めした。 所詮あの程度だったのだ、彼女は。 あれでは、彼女を指導者に戴く国民が、不憫と言うものだ。 一生をかけて愛すると想った女性は、ただ一人だった。 そしてその人が想う相手は、彼ではなかった。 それでも、愛している。 それでもアスランは、彼女を愛している――愛してしまったのだ。 だから、不可能なのだ。アスランにとって。 イザーク以上の女性が現われでもしない限り、この気持ちが醒めることは無い。 挙句この体たらくでは、カガリに惹かれる可能性など、万に一つもアスランに存在しなくなっていた。 「お似合いだと思ったんだ、俺は。これで貴様も幸せになれると思った。……でも、期待外れだった、オーブの姫は。あれでは、貴様が幸せになれると思えない」 「イザーク?」 「男としての貴様に対し、俺は何の感情も無い。強いて言うならば、罪悪感だけは感じている。俺は貴様を利用した。でも、仲間としての貴様には、そこそこに情だって持っている。 あの戦争で失い続けた貴様が幸せになってくれればと願うのは、仲間であれば当然だと思っている。オーブの姫とだったら、それが可能だと思っていた。でも、考えを改めたほうがいいような気がした。もっとも、それは貴様自身の問題ではあるから、俺がどうこう口を挟む問題じゃないが」 「イザーク……」 「幸せになって欲しい。アスラン」 微かに、本当に微かにイザークが微笑む。 今にもかききえてしまいそうなほど、その微笑みは儚い。 まただ、とアスランは思った。 不安が、過(よ)ぎる。 何故、こうも不安に感じるのだろう。 不安に思う必要など、どこにも無いはずだった。 彼女は、生きている。 こうして生きて、命を繋いで、アスランの目の前にいるのに。 その存在が、泣きたくなるほど希薄に感じられる。 何がどうして、そう思うのか。それはアスランにも分からなかった。 ただ、不安だけがかきたてられる。 不安で……堪らない。 消えてしまいそうだ、と思う。 手を伸ばせば、確かに届くところに彼女はいるのに。 手を伸ばしたら、触れようとしたら、消えてしまいそうな気がして。 「い……いきなりどうしたんだ、イザーク」 「ん?」 「いきなりそんなこと言われたら、吃驚するだろ。どうしたんだよ、イザーク」 「いきなりじゃない。ずっとそう思っていた。……貴様には、すまないことをした、と。ずっと……」 いくら後悔しようが、イザークはまたも同じ轍を踏もうとしている。 今度こそ、アスランはイザークを許さないだろう。 ミゲルも、きっと許してはくれない。 何よりも、自分が一番許せない。 それでも、こうしてイザークはアスランの優しさを、利用する。 「君は幸せ?」 「あぁ、幸せだ。ミゲルに愛されて、あいつとの間に子供まで生まれて。これ以上の幸せなんて、望んだら罰が当たる」 「なら、俺も幸せだ」 やんわりと翡翠の双眸を和ませて、アスランが言う。 優しい光を宿す翡翠を、イザークはただ見つめるしか出来ない。 「君が幸せなら、俺も幸せだ。……俺が愛する女性はきっと、後にも先にも君だけだ。愛する人が幸せなら、俺も幸せだ。例えその心が俺に無くても」 「アス……」 「少し、切ないけどね」 寂しげに笑って、アスランがイザークの頬に触れる。 入浴を済ませたアスランの手はいまだ熱を持っていて、温かい。 吐露された本心に、イザークは内心慌てる。 切ない。 確かに、切なく思うだろう。 一方通行の、想い。 決して重ならない距離。 お互い想う人は、ただ一人。 けれど、その想いが届くことは、無い。 「でも、イザーク。君は優しいから……優しすぎるから言うけど。同情は要らないよ、俺は」 「アスラン」 「そんなものは、要らない。言っただろう?俺は、想うだけでいい。君を想って、君と君の愛する子供を守らせて欲しい。それだけでいい。それだけを、望ませて欲しい。 本当は、小さなミゲルの父親になりたかったよ、俺が。でも、君はそんなこと、許してはくれないだろう?君は、優しいから。本当に、哀しくなるぐらい、優しいから。だから、俺はこれだけを望ませて欲しい、イザーク。君とミゲルを守らせて欲しい。それだけで、いいんだ」 「有難う」 イザークは、アスランを利用する。 その優しさを、利用し続ける。 それでも、アスランは微笑(わら)う。 優しく、微笑んでくれるのだ。 その微笑に、全てが赦されていくような、そんな錯覚を受けた。 赦される筈が、ない。 何よりも、自分で自分が一番赦せない。 それでも、その微笑みは、あまりにも優しいから。 あまりにも優しいから、胸が締め付けられる。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 謝ることしか出来ず、イザークは必死になってその心の中で謝罪の言葉を呟き続ける。 ごめんなさい、と。 利用して、ごめんなさい。 弱くて、ごめんなさい。 何も言えなくて、ごめんなさい、と。 「ははうえ、上がったよ」 「ちゃんと身体はしっかり拭いたか?ミゲル。 あ〜、また髪がびしょびしょじゃないか。仕方がないなぁ、こっちにおいで」 「むぅ!ひとりで できるもん!」 子ども扱いをする母親に、ミゲルが頬を膨らませる。 くすくすと笑いながら、イザークが両手を広げてミゲルを迎える。 苦労をしているだろうに、その横顔には不幸の影が見えなくて、アスランも微かに笑った。 幸せになってくれればいい。 彼が愛する唯一の女性だけは、幸せになって欲しい。 それだけを、祈る。 目の前で、愛しい女性が微笑む。 それだけで、幸せだと思えた。 決してその存在は、彼のものにはならない。彼のものでは、ない。 それでも、愛しい。 それでも、アスランは愛している。イザーク=ジュールと言う、その存在を。 愛している、のだ――……。 『Misericorde』17話をお届けいたします。 完結までのカウントダウン開始です。 とにかく、カッコいいアスランを。 それだけを目指して、精進してまいりたいと思います。 完結まで、今しばらくお付き合いいただけましたら幸いでございます。 ここまでお読みいただき、有難うございました。 |