曇りない笑顔を見せる君に。 本当の気持ちでただいまといえたら、良かったのだろうか――……。 〜]H〜 夕飯の支度が出来るまで、アスランにはミゲルと遊んでもらって。 そして出来上がった食事に、アスランが感嘆の声を洩らした。 「ロールキャベツ……」 「好きなんだろ?ロールキャベツ」 「どうして……?」 目を見開いて、アスランが尋ねる。 呆然とした様子がおかしくて、少し可愛くて。 けれどこんな顔をさせてしまうくらい自分はアスランに冷淡だったかと思うと、少し複雑な心境になった。 「世話になっているからな。たまには、お前の好きなものでもと思ったんだが……嫌だったか?」 「そんなことはない!」 「そうか。なら良かった」 「ははうえ、これがロールキャベツ?」 「そうだぞ、ミゲル。ほら、さっさと二人とも席に着け。食事が冷めるだろ?」 二人を促し、席に着かせる。 テーブルの上には、ロールキャベツ。 それからボウルに盛られたシーザーサラダに、ガーリックトースト。 サラダにはカリカリのベーコンなども盛り付けられていて、ボリュームは十分だった。 食事の挨拶をし、スプーンを取る。 「美味しい……」 「そうか。それは良かった。ザラ家のロールキャベツがどんなものか分からなかったので、こちらの自流で作ったんだが……」 どちらかと言うと、アスランの食べてきたロールキャベツはコンソメで味付けがなされていた。 対するイザークの作ったものは、シチューベースといったところだろうか。 色とりどりの野菜が煮込まれ、その中にメインのロールキャベツの姿がある。 薄味のスープに、程よく煮込まれた野菜が絶品だった。 「確かに、俺が家で食べてきたものとは違うけど、でも、美味しいよ」 「そうか」 「うん。おいしいよ、ははうえ」 「そうか。残さずちゃんと食べるんだぞ、ミゲル」 「は〜い」 母親の言葉にいいお返事の見本のようなものを返すミゲルに、アスランが微笑する。 熱々のスープは美味しいが、いかんせん熱いため、幼いミゲルはふぅふぅと何度も息を吹きかけていた。 「おいし」 「分かったから、慌てるんじゃない、ミゲル」 「むぅ」 「拗ねるな拗ねるな。まったく、急に子供になったんじゃないか?ミゲル」 笑いながら、それでも満更でもなさそうにイザークが言う。 そんな親子に、アスランの微笑がますます深まって、二人そろって赤面した。 「ほら、お兄ちゃんに笑われたぞ、ミゲル」 「僕じゃなくて、ははうえに わらったんだよね?お兄ちゃん」 「ミゲル……なかなか言うじゃないか。アスラン!お前も笑っていないで何とか言え!」 イザークは言うが、そんなの、よりアスランを爆笑の渦に誘い込むだけだ。まったく持って、何の意味も在りはしない。 情報収集はこまめにすること。 元軍人である二人に叩き込まれた軍人としての理性によるのか、あれ以来テレビはほぼ付けっ放し。寝る前のラジオは日課になっている。 今もニュース番組をランダムに流してはいるが、敵方にまだ動きはなさそうだ。 オーブ政府による国営のニュース番組をつけてみたが、胸糞が悪くなったのですぐに消してしまいたくなる衝動に駆られた。 イザークはそれでいいと言ったのだが、アスランが嫌だったのだ。 イザークを否定し、貶めるプログラムを視聴することが。 しかしそのイザークも、自らの生家が映し出されたときには、さすがに冷静ではいられなかったらしい。 思わず顔色を変えたイザークの視線の先に、エザリアが映し出された。 相変わらず美しい、懐かしくも慕わしい、母の姿だ。 「母上……」 言葉を詰まらせるイザークの視線の先で、ブラウン管越しのエザリアは気丈に言い放った。 『娘もアスランも、そしてオーブの姫君ももう成人。自分のことは自分で責任の取れる年齢であるはずでしょう。それを周りが騒ぎ立てるのは、いかがかと思いますけれど』 上がる非難の声に、エザリアはきっと睨み付けた。 『大人の人間が、色恋沙汰に周りの人間を巻き込むのは、私もどうかと思いますけれど』 はっきりとしたカガリへの中傷に、オーブのアナウンサーは顔色を変えて怒鳴りつけようとする。 しかしエザリアに、臆する色はない。 『私の娘を先に中傷したのは、そちらでしょう。私の娘がそんなことをするものですか。人の娘の罪をでっち上げて外野が騒ぐのは、いい加減にしなさい!』 一喝するエザリアに、さしものアナウンサーも顔色をなくす。 これ以上エザリアにお説教をするほどの厚顔さは、持ち合わせていなかったらしい。 そんなアナウンサーを鼻で笑うと、エザリアは車に乗り込んだ。 「母上らしいな」 「本当に。さすがイザークのお母さんだね、エザリアさん」 「ミゲル、今の女の人が、お前のお祖母様《おばあさま》だ」 「おばあ様?」 「そうだ。綺麗な方だろう?」 尋ねる母に、ミゲルは頷く。 実際『おばあ様』は、母によく似て美しい人だった。 母より少し、温かみのある美貌だったが、それでも硬質な美貌は二人に共通している。 甘さも温かさもない、震えるほどに冷たい美貌。それが、イザークとエザリアの共通点だった。 「あまり動じてはいらっしゃらない。さすが、母上だ」 「それでも、お辛いだろうね、エザリア様……」 「ん?」 「君はエザリア様ご自慢の一人娘だったから。こうも非難されるのは、お辛いだろうね、エザリア様。そのご心痛は、察するに余りあるよ……」 「だから子供なんて、生まなければと思われていなければ、それでいい。この子は私の何よりの宝なのだから。母上がこの子を、孫として愛してくれればそれでいい。そうでなければ、例え母と雖《いえど》も許せない」 母は、心を痛めているだろう。 実際、ブラウン管越しの母は、酷く消沈しているように見えた。 母が自分を愛してくれていること。 それは、痛いほどに感じている。 それを、我が子にも向けて欲しかった。 この子も同じくらい、愛して欲しい。 自分が生んだ、ミゲルはかけがえのない子なのだから。 「エザリアさんは、きっとこの子も愛してくださるよ」 「……だといいが」 「だってエザリア様も、母親だろう?」 こともなげに言われて、イザークは目を瞬《しばた》かせた。 それから、笑顔で頷く。 そうだ。心配する必要は、ない。 自分をあんなに愛してくれた母が、自分の産んだこの子を愛してくれないはずがない。 こんなにも素直で可愛い孫がいるなら、少しは喜んでくれるかもしれない。 早く孫の顔が見たいわ、はエザリアの口癖であったことだし。 もっとも、相手はきっとミゲルではなかったのだろう。 相手は他の上流の人間で、ミゲルではなかったはず。 「そのうち、お祖母様《おばあさま》のところへもいこう、ミゲル」 「うん」 「ほら、慌てて食べるな。こぼすぞ。アスランも、呆けてないで食事をしろ。まったく。子供は二人も要らんぞ、私は」 暗に大きな子供のようだと言われて、アスランが頬を若干膨らませる。 年上としての余裕と言うものが備わってきたらしい彼女は、時折アスランを必要以上に子ども扱いする。 それが、アスランの悩みの種だった。 「ミゲルみたいな表情をするな。大の男が」 「そう言われてもね、イザーク。膨れたくもなるよ」 似たような表情で、むっとしたような顔を作る二人に、イザークが声を立てて笑う。 それはなんて、幸せな時間なのだろう。 愛しいと思う。 誰よりも、何よりも。 あのころよりもっとずっと、イザークが愛しくてならない。 食事を終えると、ミゲルをバスルームに追い立てる。 食器を洗うイザークを、ソファに腰掛けたアスランがただ眺めて。 それだけで、いいのだろう。 それだけで、幸せだと思えるから。 これ以上の幸せなど、要らない。 「紅茶でも淹れようか、アスラン」 「あ、うん。お願いします」 「何をそんなに畏《かしこ》まっているんだ?そんな必要、ないのに」 くすくすと笑いながら、イザークがティーセットを持ってくる。 ティーポットは温めた後湯を捨ててきたのだろう。 ポットとカップのためにそれぞれティースプーンで一杯ずつの茶葉を落とすと、よく蒸らしてカップに注ぎ込んだ。 透き通った琥珀色の液体は、香りも良くて。 思わずくんくんと鼻を鳴らすと、それにもイザークが笑う。 「貴様、本当に面白いな」 「なっ……」 顔を赤らめるアスランにかまわず、笑い続ける。 その笑顔が、愛しいのだ。 幸せだと、思った。 傍には、愛する女性がいる。 例えその心に自分がいなくとも、それでも愛してならない女性が。 傍にいて、笑ってくれる。 一緒に食事をして、同じ屋根の下で眠りに付く。 目が覚めれば、おはようと言ってくれて……。 それだけで、幸せだった。 それだけで、幸せだと思えた。 どうしてだろう。 どうしてこんな日々が続くと、疑いもせずに思っていたのだろう。 一瞬にして費えた平和を、知っていたのに。 一瞬にして灰になってしまった母がいたことを、覚えているのに。 それなのに、疑いもせずに信じていた。 このままの日々が続くと、信じていた。 油断していたのかもしれない。 自分が傍にいる限り、イザークにもミゲルにも害を加えられる存在などない、と。 油断していたのかも、知れない。 そんな驕りが、この結末を招いたのか。 ならばいくら悔やんでも、悔やみ足りない。 君はもう、どこにもいない――……。 傍にいて欲しかった。 傍にいて、笑っていて欲しかった。 ただ、君を守りたかった。 望んだことは、ただそれだけだった筈なのに。 ただそれだけを、願った筈なのに。 俺のこの気持ちが、君を殺した――……。 『Misericorde』も残すところ後1話となりました。 プラス、エピローグですが。 真相は次回に持越しです。 二人が選び取る願いを、見届けてやってくださいましたら嬉しいです。 ここまでお読みいただき、有難うございました。 |