「俺にこの子を育てさせてください」


そう言って、祖母に土下座した父さん。


「幸せになれ」


それだけを望んだ、母上。

そんな貴方を、父さん。

俺は何よりも尊敬している。

そんな貴女を、母上。

俺は今でも、愛しています――……。






〜UI〜






「ミゲル!?ミゲル、何処だ!!」


美しい母が、自分の名を呼んでいる。
必死な声が、名を呼び続ける。
それは、悲鳴にも似ていた。

倉庫に、声が反響する。
美しい銀糸を乱した母が、名を呼び続ける。
汗で濡れた銀糸の髪が、細い首筋に纏わり付いて。
それでも、構わずに名を呼ぶ。

答えたいのに、答えられない。
口はガムテープで塞がれて、手は戒められている。
母の元に駆け寄ることも、出来ない。


「ミゲル……!ここにいるんだろう、ミゲル!返事を……ミゲル……!」


血を吐くような、声だ。


「ミゲルを返せ!そこにいるんだろう、カガリ=ユラ=アスハ!それが……それが一国を治める者のすることか!」
「先に私からアスランを奪《と》ったのは、お前だろう!やられたことを、やり返しただけだ!」
「愚かな……仮にも一国を治める者のすることか!」


容赦のない弾劾に、ミゲルを誘拐した女はその顔に朱を上らせた。
あっという間のことだったのだ。
母が目を離した一瞬の隙に、ミゲルは攫われた。攫ったのは、明らかに訓練を受けた者たちだったのだ。
コーディネイターとはいえ幼いミゲルが、太刀打ちできるものではなかったのだ。


「綺麗な顔だな、お前は確かに。その顔で、アスランを誘ったくせに」
「何故俺がそんなことを?するわけがないだろう。俺たちと共に生活をしているのは、奴の意思だ。俺たちには……関係ない」


否、きっと関係あるのだ。
それはイザークにも分かっている。
それは、何よりも哀しい罪だ。
知らずイザークに魅了されたアスランと、その懊悩を知らず他の男を愛したイザークと。
どれだけ想われようと、同じ想いを返せない。
それは、哀しいことではないのか。
それこそが、何よりの罪だ。

無知は、罪だ。
アスランの気持ちから目をそらし続け、過ちを犯した。
知らず知らずのうち傷つけ続けたイザークを、それでも赦してくれたアスラン……その気持ちにさえも、応える術を持たない。

応えては、いけない。
未来があるならばともかく、この身は最早長くはないのだ。
だから、応えてはいけないのだ。
応えては、アスランの妨げになる。それだけは、分かっている。
彼には、幸せになって欲しい。
それは、確かにイザークの願いなのだ。


「もう二度と、アスランの傍にいられなくしてやる……!」
「本物の愚か者だな、貴様は」
「その顔、二目と見れなくしてやろうか?いや……」


パチン、とカガリが指を鳴らした。
現れたのは、一応身元を証明するものを持たぬ……しかし明らかに軍人と分かる男たちだった。
その身体の動きが、何よりもそれを証明している。


「その女、お前たちの好きにしろ」
「カガリ様?」
「コーディネイターでも滅多にないほどの美貌だそうだ。皆で輪姦《まわ》して楽しんでやれよ。
……そうすればもう二度と、アスランの前にも現れられないだろうから」


厭な笑顔を浮かべたカガリが、そう言う。
自分を見る男たちの目に、不快さを感じて、イザークは眉を顰めた。
同時に、自嘲する。

女として欠陥品になってしまったこの躯もまだ、男の劣情を刺激するものであったらしい。
それが、ただおかしい。
もっとも、そう簡単にこの身をこんな男どもにくれてやるつもりは、ない。
自分が認めた男以外に、この身を捧げるつもりなど毛頭ないのだから。

服の袖口から、ナイフを抜き出した。
軍人であったころからの習性から、武器は常に携帯している。
すらりと刃を抜き放つと、冴えた煌きが零れた。
ナイフを、構える。
ナイフ戦でも、成績は次席だ。アスラン以外に負けたことは、ない。


「死ぬ気で来い。……貴様らナチュラルの信じる地獄とやらに、叩き込んでやる」


好戦的な笑みが、その秀麗な口元を飾った。
息を呑むほどに美しく、残忍なその表情に、周囲の者たちは息を呑む。
それでも、所詮女、と。そう侮ったのだろう。
群がってくる男たちに、冷たい冷笑を投げて寄越す。
その程度の腕この自分を害そうなどと!

身を守るためとはいえ、さすがに殺してはまずいだろう。
現在、議会の殆どはクライン派が占めている。
奴らに付け入る隙を与えてはならない。戦闘能力を奪う程度にとどめなくては。

瞬時にその程度の計算をやってのけると、その身が跳躍する。
着地し、しなやかな腕が弧を描く。
正確に筋を絶ってみせると、回りこんできて男の鳩尾を蹴り上げた。


「ぐぅ……!」


呻き声を上げて、男の身が沈む。
意識があっては面倒なので、さらに蹴りを加えて失神させた。
母一人の前に、男たちは次々と沈んでいく。
母のそのような姿を始めてみたミゲルだったが、その姿はまるで舞踏のようですらあった。
楽の音こそない、そして血腥い光景であるにもかかわらず、その姿は舞踏としか例えられぬほどの、華麗なものだったのだ。


母が多勢の男どもを片付けているうちに、ミゲルへの拘束が、緩んだ。
纏う衣装こそ美しくとも醜悪な女が悔しそうに母を睨み付けているのを、ミゲルは見た。
一瞬の隙を突いて、駆け出す。


「ははうえ……!」
「ミゲル!おいで!!」


母の腕が、さし伸ばされた。
血に汚れた手が、返り血を浴びた面が、そこにはある。
それでも、恐怖は感じなかった。
苛烈な光を宿すアイスブルーの瞳に涙の雫を浮かび上がらせた、母の瞳。
その美しさだけを、ミゲルは見ていた。


「ごめんな、ミゲル!怖かっただろう?大丈夫か?怪我はないか?」


ガムテープを外しながら、母が尋ねる。
それに、ミゲルは頷いた。
怖くて堪らなかったけれど、きっと母は助けてくれると信じていた。
だから、泣きもせずに耐えていたのだ。
しかし美しい母の笑顔に安心して、その瞳に涙が浮かぶ。
その一瞬、だった。
ミゲルに向かって、ナイフが振り下ろされる。
アスランを奪ったイザークから、最も大切なものを奪おうとしたのだろう。
とっさに、イザークはミゲルの腕を引いていた。
ナイフは、まっすぐと振り下ろされ、イザークの肢体を刃が滑る。


「はは……うえ……?」


生暖かい血が、ミゲルの顔に降り注いだ。
ぞっとするほど美しい深紅が、ミゲルの身を濡らす。








そこからの出来事を、ミゲルは覚えていない……。










痛い痛い、それは緋色の記憶――……。











**




目が覚めたとき、消毒液の匂いがした。
翡翠色の瞳を心配そうに歪ませたお兄ちゃんが、ミゲルの顔を覗き込んでいる。


「ミゲル……気分は?」
「だいじょ……ははうえは!?お兄ちゃん、ははうえは!?」


母は、どうしたのだろう。
自分を庇って、刺された母は。


「ミゲルが、俺を呼んだだろう?すぐに、俺が駆けつけたよ。……母上はそこに……」
「ははうえ!」


慌ててミゲルはベッドから起き上がった。
そのまま、指された方に向かい、そして絶句した。

呼吸器が取り付けられ、苦しげに息をしている。
細い腕には、点滴の管。
青褪めた顔をして、それでも母はミゲルの姿を認めると、笑顔を作った。


「ミゲ……無事か……?怪我……」
「だいじょうぶだよ、ははうえ。けがなんて、してない。ははうえが、まもってくれたから……」
「そうか……良かった」


儚い笑みが、母の口元を飾った。
それに、恐怖を覚える。
このまま母が死んでしまうのではないか、と。
そんな予兆に身震いした。


「お前の、父上を、守れなかった……でもお前を、守れた……嬉しい……」
「ははうえ!」
「イザーク、もうすぐエザリアさんも到着される。だから……!」
「母上……が?」


アスランの言葉に、イザークは目を丸くする。
それから、笑った。


「母上に、お逢いできるの……か?」
「あぁ。逢える。だから」


もう二度と、目にするのも叶わぬと思っていた。
その母に、逢える。
懐かしくも慕わしい、人に。
もう一度、逢う事が出来る。


「イザーク……貴女……!」


ちょうどその時、エザリアが病室に現れた。
室内に足を踏み入れ、エザリアは絶句した。

無理もない。
久しぶりに再会した娘の顔に死相が出ていれば、誰だって絶句するだろう。


「お久しぶりです、母上」
「イザーク……イザーク!」
「親不孝を、お許しください、母上。私は……親孝行も出来なかった。不孝ばかりして……申し訳なく、思って……」
「いいのよ、イザーク。だから、喋っては駄目」
「ミゲルを、お願いします、母上」


母に、ミゲルを頼もう。
誰よりも愛した子供。
誰よりも愛した男との間に生まれた子供。
託せる相手など、イザークには母を除いてより他ない。


「私と、あいつの子供です。私が愛した男との間に生まれた、たった一人の子供です。母上、この子を……この子のことを、頼みます」
「イザーク……」
「私は、幸せでした、母上。あいつを愛して、この子に恵まれました。母上は反対されたけれど、私は、幸せでした。だから、母上。この子を、愛してください。私を愛してくださったように、愛してください。この子が幸せであれば、私はそれだけでいいのです……重ね重ねの不孝を申し訳なく思います、ですが……」
「分かりました、イザーク。この子のことは、私が面倒を見ます。だから、イザーク。貴女はまず、自分の身体のことを……」
「自分のことは、自分が良く分かります、母上。私は、助かりません。ですから、お願いしたいのです、母上」
「イザーク」


母の秀麗な美貌が、青褪める。
恐怖に戦く母に、懺悔だけを覚える。
苦しめた。
何度も何度も、自分は母を苦しめた。

婚前に子供を身籠って、相手の男は殉職して。
それでも生むのだといって、ナイフを突きつけた。
失踪して、4年もの間音信不通。

苦しめた母に、何もしてやれず彼岸に旅立たねばならない。
それが、何よりの不孝だと、知っているのに……。


「ミゲル……こちらがお前の、お祖母様だ。ご挨拶を」
「お初にお目にかかります、お祖母様。イザーク=ジュールの子、ミゲル=ジュールと申します。お目にかかれて、光栄です」


母に促されて、舌足らずな口調で一生懸命ミゲルが、教えられたとおりの文句を口にする。
4歳の子供が話すには幾分形式ばったそれをつっかえることなくミゲルは口にした。
必要なことは全て、大体叩き込んでいるのだ、ミゲルに。イザークは。

ジュール家という名家の孫として生を受けた息子が、いずれジュールを名乗ったとき、気後れなどせぬように。


「初めまして、ミゲル。貴方の祖母の、エザリアよ。よろしくね?」
「はい、よろしくお願いします」


気さくな調子で、エザリアはミゲルの挨拶を受けた。
そうすることでイザークに、伝えようとしているのだろう。彼を、孫として愛すると。
母の意図するところを察して、イザークがほっとしたように息を吐く。

自分でも、分かる。
この命尽きようとしていることが、はっきりと分かるから。
だから、言わなければならない。
だから、いってはいけない。

一度でも愛していると言ってやれば、この男は幸せになれたのだろうか。
ささやかでも幸せを感じることが出来たのだろうか。

だからこそ、口にしてはいけない。


「アスラン……」
「イザーク、無理をするな」
「そんな顔をするな、アスラン。気にしなくて、いい。どうせもう、永くは生きられなかったんだ……」
「イザ……」
「見ただろう?私の身体。もう、ボロボロなんだ」


人工子宮に移す際に、子宮を摘出する手術をした。
そこから、病を併発してしまったのだ。
ただでさえ危険の大きい手術を無理難題を押し付けてまで行ってしまった、それが代償だった。
腹部には、そのときの手術痕が今でもくっきりと残されている。
犯した罪のそれは証であり、代償だった。


「もう、女じゃない。生きられるのだって、10年ないと言われた。だから……」
「姿を、消したのか?」


アスランの問いに、イザークは頷いた。
だからこそ、二人だけで生きようとしたのだろう、イザークは。

仕事をすれば、どうしても子供にかまけていられなくなってしまう。
タイムリミットの迫る躯を抱えたイザークはだから、戦後失踪する道を選んだ。
自らの果たすべき責任を果たした上で、彼女は失踪したのだ。
子供と、二人だけで生きていくために。


「どうせ、永くないと言われた……それを、愛する子供のために使えたなんて、こんな幸せなことは、ない……」
「イザっ!」
「だから、貴様が自分を責める必要は、ない」


微笑む。
はかなくも美しい笑みを、その面に浮かべて。

言わなければ、ならない。
今度こそアスランは、自分の道を選んで。
幸せになってほしい。
大切だから。アスランも。
まだ芽生えかけている気持ちに過ぎないけれど。
きっと自分はミゲルを忘れることなど出来なかっただろうけれど。
それでも確かにイザークは、アスランに惹かれかけていたから。

だから、傷つける。
だから、突き放す。
大切だから、幸せを望む。
それに自分と言う存在は、不要なのだ。


「言っておきたいことが、アスラン」
「何?」
「俺は一度も、貴様を愛したことなど、ない」
「イザ……ク」?
「こんな酷い女は、さっさと忘れろ。貴様なんて、利用していただけだ。他に感情なんて、ない。俺は貴様を、愛したことなど、ただの一度もない。だから……」


傷つける。
分かっている。けれどこれ以外の術を、イザークは知らない。
こんな女はさっさと忘れて、他の女と幸せになれ、アスラン。
それだけを、アスランに望む。願う。


「幸せに……な?ミゲル。アスランも……」
「いやだ……いやだ、ははうえ!」
「イザーク!」
「しっかりなさい、イザーク!」
「ご迷惑を、おかけしました、母上……親不孝を、許してください」


でも、幸せだったから。
ミゲルを愛して。
ミゲルに、愛されて。
幸せだった。

ミゲルに愛されて、アスランに愛された。
自分と言う存在を、愛してくれる人がいた。
それは、幸せだったから。


「父上に、ミゲルを守ってくれるよう、言っておくからな?ミゲル」


これからは、自分とミゲルと二人で、愛するものたちを見守り続けるから。
だから、どうか泣かないで。
自分は、幸せだったのだから。





喉が、詰まって。
呼吸が苦しくなった。
何だか、眠たくて堪らない。

願うから。
願い続けるから。愛する者たちの幸せを。
例えこの腕に、二度とその存在を抱くことが叶わなくなろうとも。
例えこの身がこの世から消えてしまっても。










愛して、いるよ?
だからどうか、幸せに。
それだけを、願い続けるから。
魂だけになっても、願い続けるから。





薄れ行く意識の中で、それだけを願った。

どうかどうか、幸せに。







それだけを祈りながら、その意識は黄昏の彼方に、飲み込まれていった――……。







カガリファンの方、すみません。
うん。嫌な女になった。
イザークは、「俺をモノにしたいなら全てを捨ててみせろ!」ぐらいの漢らしい子を推奨します。
女の子だろうと何だろうと漢らしい子。
そんじょそこらの男よりずっと漢らしい子。
それがイザークだと思う。

ここまでお読みいただき、有難うございました。