その日、彼女は非常に機嫌が悪かった。


「どけ!腰抜けども!!」


苛々オーラ全開で、はっきり言って近づき難い。


そしてそれは、彼女だけではなかった――……。






バレンタインの憂鬱






「今日はイザーク、機嫌が悪いですね」
「全くだ……何があったんだ?あいつ」
「また、ミゲルが何かしたんじゃないですか?」
「はぁ!?何もしてねぇよ」


対するミゲルの機嫌も、非常によろしくない。
琥珀の瞳は、抜き身の剣さながらの、ギラギラした光を放っている。


「ミゲル……欲求不満ですか?」
「チクショウ!もう三日だぞ、三日!三日もイザークに触ってねぇんだぞ、俺は!」
「いや、そんなの俺に言われても……」


天を振り仰がんばかりに嘆きを表すミゲルに、ディアッカも溜息をつく。
こうなったミゲルを、止められる人間がいるだろうか。否、いるまい(反語表現)。

これも巻き込まれた人間の不運か。
溜息しか洩れない。



ここ最近、イザークは妙に忙しそうだった。
普段から仕事は完璧にこなさなければ気が済まないタイプの人間だったが、それ以上の負荷を課せられれば仕方ない。
夜勤に告ぐ夜勤に、昼の日勤。
書類整理と来れば、仕事を完璧にこなさなければ気が済まない彼女が恋人と一緒に過ごすよりも休息を必要とするのは道理で。

ミゲルもイザークも、そう言う意味では非常に軍人らしいといえたのだが……。
はっきりいってミゲルの方はもう、限界だった。
いくらなんでも、あんまりだろう。
これほどまでに恋人と一緒にいれないとなると……。
いくらなんでも、我慢の限界だ。


「昨日はイザーク、夜勤もなかった見たいですけど?」
「あぁ!?何か言ったか?」
「ひょっとして……昨日もその……」
「そういやイザーク、昨日帰ってきたのは遅かったけど……。てっきりミゲルのトコ行ったのかと思ってたけど?俺は」


ディアッカがそう言った途端、ニコルはさっと物陰に隠れた。
ここまでの話の流れを考えると、それが適切な気がしたのだ。
そしてそれは……間違ってはいなかった。


「チクショウ!苛々する!ディアッカ!憂さ晴らしに付き合え!!」
「げぇっ!二……ニコルは……!?」


助けを求めて振り返るが、もう既に逃げ出したあとで。
ディアッカはそのままずるずるとミゲルに引き摺られていった……(合掌)。



**




「イザークッ!!」


散々ディアッカとシュミレーションに明け暮れて健康的に憂さ晴らしをした後、先輩命令と称してディアッカに部屋に戻らないよう釘をさすと、無理矢理聞きだした暗証番号を打ち込んで、扉を開く。
部屋には、明かりも点いていなかった。
パチン、とスイッチを押すと、ランプが点灯する。
ベッドの方に目をやれば、シーツが若干膨らんでいた。


「イザーク?」


甘く囁いて、ベッドの縁に腰掛ける。
そのまま優しくシーツごと抱き上げると、微かに身動ぎした。
どうやら、眠っていたわけではないらしい。
そっとシーツを剥ぎ取ると、案の定イザークだった。


「何の用だ、貴様は。入室を許可した覚えはないぞ」
「お前、今日が何の日か、分かってる?」
「血のバレンタインの日だな。それが何か?」
「んなことは分かってる!俺が言いたいのは……」
「いいから、離せ」


冷たく言い放たれて、さしものミゲルも凹む。

先にイザークを見初めたのは、ミゲルだった。
欲しくて、欲しくて。
どうしても欲しくて、アタックを繰り返して。
漸く堕ちてくれた至上の人は、些かミゲルに冷たい。
彼女に甘さを求めているわけではないし、そんな彼女は彼女でないことくらい分かってはいるけれど、もう少し……もう少し自分みたくなってくれたらいいのに。

イザーク以外には何もいらない。
そんな自分みたく、想って貰えたら嬉しいのに。

ミゲルの力が緩むと、するりとイザークはミゲルの腕の中から逃れる。
拘束や執着。捕らえられることを、彼女は望まない。


「俺、別にイザークに何かを望むつもりなんて、全くないけど」
「それで?」
「でもさ、バレンタイン何だぜ?せめてもう少し……」
「軍人に、そんなイベントごとが関係あるか。バカバカしい」


冷たい輝きを放つ、アイスブルーの双眸。
普段より一層、その光は冷たいような気さえして。
ミゲルもい加減、凹む。

ミゲルにとってイザークは、至上の人だ。
他の何者にも替えがたい人。代替のきかない存在。でもイザークは、そうじゃないのかもしれない。
いつも、想うのはミゲルばかり。
別にそれが不満なわけではないけれど、さすがに少し堪える。


「イザークは、俺のこと、好き?」
「あぁ?」
「答えてよ」


冷たさも、束縛を厭う性質も、十分分かってる。
……分かってる、つもりだ。
でも言葉が、欲しい。
普段から、囁くのはミゲルだけ。
イザークとは恋人関係にあって、身体の関係まで及んではいるけれど。
でもなかなか、言ってくれない。
ミゲルの欲しい言葉。囁いてはくれない。


「終わりにしよっか、イザーク」
「え……?」


ミゲルの言葉に、イザークが凍りつく。
大きなアイスブルーの瞳を、零れそうなほどさらに大きく見開いて。
不覚にも思わず、可愛いなんて思ってしまって。
そんな自分に、ミゲルは苦笑した。


「俺は、お前のこと好きだよ」
「……」
「でも、お前は違うんだろ?」


ミゲルが言うと、イザークが俯く。
それに尚更、不安が煽られて。
罪悪感。
そんなところだろうか。
イザークはミゲルのことなんて本当は好きでも何でもなくて。
でも、身体の関係にまで及んで。
とりあえず、居心地がいいから暫くは傍にいるのを許してやろうとか。そんなトコだろうか。
そしてそれがばれないと、思ってた?

自虐的に考えて、ミゲルは口元を歪める。

しかしそんな考えも、顔をあげたイザークによって、あっという間に覆されてしまった。

痛々しいほどに噛み締められた、唇。
血の赤みも加わって、普段以上に扇情的な、それ。
アイスブルーに浮かぶ、透明な雫。


「……で?」
「イザーク?」
「何で、そんなこと言うんだ?俺が……俺が、チョコ用意できなかったから?俺に飽きたから?自尊心が高すぎて扱い難いから……負担になった?」
「え?」
「好きだと何だとか言って。でも本当は俺のこと、負担になった?だから……だから?」


イザークの言葉に、ミゲルは目を白黒させる。
考えが、現実に追いつかない。
イザークの言葉が、分からない。
……理解できない。


「俺だって……俺だって、頑張ったんだ。本当に頑張って、チョコだって作ったけど……」


おずおずと差し出されたものに、ミゲルは一瞬硬直した。
どう見てもそれは、チョコレートには見えない。


「でも俺、料理なんて今までしたこともなくて。本のとおりに作った筈なのに、こんなのしか出来なかった……こんなの、渡せる筈がない」


悔しそうに、唇を噛み締める。

ジュール家のご令嬢であるイザークが、料理をする姿というのは、確かに想像できない。
数多くのメイドに囲まれて、おそらく包丁の一つ、フライパンの一つも手にしたことなどないのだろう。
そんな想像、容易に出来る。
それが、当たり前だと思う。
でも目の前には、チョコレートに見えないとはいえ、手作りのものがあって。


「これ、イザークが?」
「トリュフ、作ろうと思ったんだ。お前、甘いの苦手だって知ってるし……これだったら甘くないからいいですよって言われて、材料買って」
「うん」
「毎晩厨房借り切って練習したけど、作れなくて」
「毎晩?」
「毎晩。夜勤の日は、除くけど。でも、お前が作るみたいには出来なかった。見た目から不味そうだし。こんなのしか俺、出来ない……」


料理の一つも、満足に作れない。
大切な恋人、なのに。
何一つしてやれない。
それが、悔しくて。そんなことを思うのはでも、イザークの高すぎるプライドが許さなくて。

女なのに、何も出来ない。
ミゲルの方が、料理も上手い。
掃除も洗濯も、ミゲルは必要なことは何でもこなせる器用な人間。でもイザークは、出来ない。
アカデミー次席も、何の役にも立たない。
そんなの、女の価値になんら寄与しない。
寧ろ、男の上を行く……マイナス面しか持たない。

悔しい……悔しい……悔しい……。

いつか、飽きられるんじゃないか。
そんな不安はいつも、抱えてた。
綺麗な金髪に、明るい琥珀の瞳。
太陽のような、彼。
器用で、何でも出来て。
そんな彼が自分を好きでいてくれるのが、嬉しくて。
でも同時に、不安だったのだ。
いつか、飽きられるんじゃないか。いつか、捨てられるんじゃないか。

今は、2人とも軍に所属している。
それも最前線だから、女性の数は多少少なめだ。
そんな中で、パイロットとしてイザークは軍に所属している。それが、珍しいから。
だから、今はいい。
でもいつかは、戦争も終わるだろう。そうなったとき、自分に恋人を繋ぎとめておくことが出来るだろうか?

母譲りの美貌も、軍にあっては珍しいが、外にはもっとたくさんの女性がいる。
イザークほどの美貌だって、軍には珍しいが、外には掃いて捨てるほどいる。
そうなったとき、イザークにミゲルを繋ぎとめることが、できるか。
答えは、否だ。

この顔一つで、男を繋ぎとめられるとは思えない。
ミゲルが、『綺麗だよ』と囁くたびに不安になることなんて、分かるはずがない。



涙なんて、イザークは容易には流さない。
でも噛み締められた唇から、確かにイザークの慟哭を聞いた気がして、ミゲルは堪らなくなった。
自分のように言葉にしないだけ、イザークの方が思いいれは深いのかもしれない。

イザークが箱に収めた、チョコレートだと言う物体を一つ、手に取る。
イザークが、声を上げて。でもそれに構わず、口に放り込む。


「ま……不味いだろ?早く吐き出さないと、腹壊すかも……」
「……美味い」
「え?」
「見た目はちょっとアレだけど、美味しいよ?お前これ、ちゃんと味見した?」


言われて、イザークは首を横に振る。
見た目から不味そうで、味見なんてとてもしなかった。
寧ろ、見ただけで吐きそうになったのに……。

食ってみる?と言われて、躊躇した後頷く。
男らしい骨ばった、けれど男の癖に繊細な指が、チョコと思しき物体を一粒、摘み上げて。
イザークの口に放り込む。


「あ……れ……?」
「美味いだろ?」
「不味く、ない」


イザークの感想に、ミゲルは苦笑した。
心底驚いたような、声。
なんだか愛しくて、可愛くて。


「お前が俺を想って作ってくれたものが、不味いわけがない」
「ミゲル……」
「でもさ、イザーク。欲しいのは、チョコレートじゃないんだけど?」
「え?」


言われて、イザークは怪訝そうな顔を、する。
可愛いなと思いながら、そんなイザークを抱き上げ、膝の上に座らせる。
慌てたような声を出すイザークが、愛しくて仕方がない。


「好きだよ?イザーク。だから……」


愛してるって、言って?

囁きに、頬を赤らめる。


「俺……っん」


囁く唇に、口付けを。
吐息すら洩らさず、貪って。
洩れる微かな吐息にすら、煽られる。


「愛してるよ?」


時折唇を離して、白い首筋に舌を這わせながら、囁く。
しがみつくように強く、イザークはミゲルの軍服を掴んだ。


「俺……も」
「聞こえないよ?イザーク」
「俺も……好き。……愛して、る……」


囁きに、満足そうにミゲルは笑って。
イザークをそっと褥に、横たえた――……。














コーディネイターにとって、屈辱的な日。

たくさんの人が無惨に殺された、痛ましい……。

だからこそ、恋人と過ごしたいんです。

その温もりを、未来に繋げるために――……。







珍しい。
私にしては、本当に珍しい。
甘くなったよ、ママン。
甘いお話、書こうと思えばかけるんだね、ママン。

その代わり、イザークアホですけど(あわあわ;)。
こんなのもあり……と言う事で。
ほら、女の子ですし!
このお話は、バレンタインにつきフリーとさせていただきます。
一日遅いアップで申し訳ありません;