9歳年下の少女は、はにかんだ笑みを浮かべていた。 確かに美少女ではあったけれど、彼にとってはなんら感情に訴えるものではなかった。 子供じゃないか。 そう思った。 しかしそれから数年後。 運命は、思いも寄らぬ方向で、二人を再び廻り逢わせた――……。 Prologue 戦争に、なるのだろうか。 鬱々とした気分で、彼は考えた。 社会は、混迷の一途を辿っていた。 先の戦争で、彼の祖国は敗れた。 それに伴う多額の賠償。 腐敗した内閣。 広がる「持つ国」と「持たざる国」の格差。 統一の遅かった祖国は、他へ市場を拡大することが出来ない。 となれば、市場拡大を目指して海外に進出するしか道はなかろう。 そしてそれは、『戦争』でしかあがなえない問題なのだ。 戦争ともなれば、今までのように好き勝手に生活をすることも出来ないだろう。 母の顔を考えれば、軍に入らねばならない。 それは、彼がこれまで続けてきた研究や、探求の道からの撤退を意味していた。 鬱々とした気分は、それ故のことと言える。 祖国を憂える気持ちは勿論ある。 しかしその主張するところに、最後の部分で納得できない奇妙さを抱えてしまうのだ。 それが、今の迷いの原因であったのかもしれない。 祖国の意思とどこまでも己の思考が一致していたのならば、迷うことなく軍に入っただろう。 しかし一致しないから。 だから、考えずにはいられない。 そうやって、出口の見えない迷路に迷い込んでいた時だった。 数冊の書籍と、一通の論文を抱えて、彼は家路を急いでいた。 迎えなど煩わしいから、いつも頼まない。 母にはまた、小言を言われるかもしれないが、それもいいだろう、と。 くいっと、暗闇でイザークは袖を引かれた。 イザーク=ジュール。 稀有なプラチナの髪と、灼熱の炎を内包したごとく蒼い瞳を持つ青年は、名門中の名門、ジュール家の嫡男でもあった。 「誰だ?」 冷たい声が、暗闇を震わせる。 冷然とした声音は、それでも極上の響きをもって聞く者の心に染み入る。 「ねぇ、一晩……」 「断る」 「ねぇ、いいでしょう?貴方を悦ばせる術なら……」 「クズを相手にする気はない」 こんなところで袖を引くなど、客引きの娼婦がいいところだ。 一目で懐の具合が知れてしまうほどの上等な仕立ての服を着ていれば、こんなことは珍しくもない。 まして、彼ほどの美貌の青年だ。 言い寄られることなど星の数ほどで、もはや数えるのも飽き飽きしたほどだ。 相手は、ひゅっと息を呑んだようだった。 それでも、袖を引く力は緩まない。 「離せ。汚らわしい」 「でも……ねぇ、お願い。一晩……一晩でいいから」 イザークは溜息を吐いた。 勿論、振り払うことは可能だ。 所詮たかだか女。 男であり、士官学校を卒業したイザークの力に、敵う筈がない。 しかし悲しいかな。名門家の嫡男としての教育を叩き込まれた彼は、女性を無碍に扱うことが出来なかった。 たとえそれが、いかに神の教えに背く悪徳の根源とでも言うべき女であっても、だ。 「お客をとらないと、夕食をもらえないの」 「だから?そんなこと、俺に何の関係もないが?」 どこまでも冷たく言い放つと、女の腕がイザークの首筋に絡みついた。 誘うような仕草は、しかしどこかたどたどしい。 体つきも華奢で、少女の域をでていないと思われる。 キスをせがむように顔を寄せてくる女を、その手をイザークは振り解いた。 細い顎を掴みあげると、そのまま上向かせる。 何故そのような行動に出たかは、彼にも分からなかった。 恥知らずな女の顔を拝んでやろうと思ったのかもしれないし、あるいは他の意味を持っての行動であったのかもしれない。 上向かせ、無理矢理朧な光を放つ街灯の方に顔を向けさせると、そこに見知った面影を見出した。 「……アスラン……?」 数年前に、出会った少女。 あの頃はまだ幼かった少女……――いや、あの頃はまだ幼女であったわけだが――がそこにはいた。 忘れるはずが、なかった。 幼くはあっても、桁外れに可愛らしい少女だった。 宵色の、まだ太陽に染まらない時間帯の空をそのまま写し取ったかのようなその髪。 所有の難しい翡翠の、それも極上品に似た色を湛えた瞳。 白磁のように肌理の細かい肌。 その少女が。 数年前出逢ったっきりの少女が、成長した姿でそこにはいた。 「アスラン……お前、アスランか?」 「……誰?貴方」 残酷な運命が、軋む音を立てながらその歯車をまわした。 まさにその瞬間だった――……。 イザアスで一度は書いておきたかった純愛。 今までのサイト掲載の作品とは少々雰囲気を変えて。 悲恋で終わってしまう恋を書きたいと思いました。 やや辛い描写等も入るかもしれませんが、お付き合いいただけましたら幸いでございます。 ここまでお読みいただき、有難うございました。 |