神なんて、信じない。

けれどこの願い叶ったなら、信じてもいい。

その絶対性とやらを、信じてやろうじゃないか……。









のエデン









 はぁはぁ、と。どちらともなく、肩で息を吐く。
 周囲の喧騒さえも、遠く。
 ただ、互いのみを、その瞳に映し出していた。

 目の前の、敵。
 屠るべき敵を、見据えて。

 先に動いたは、どちらであったか。
 それとも、それは同時であったのか。
 逡巡する暇さえなく、屠るべき相手へと跳躍した。

 白刃が、煌く。
 鋭い刃に映るは、飢えた獣めいたギラギラとした輝き。
 その喉に喰らいつかんばかりの勢いで、彼の構えた刃が滑る。
 華麗とも思える仕草でそれを受け流すと、彼女は反動を利用して足技を繰り出す。
 繰り出された回し蹴りを、彼は軽くバックステップすることによってかわした。
 無防備な軸足めがけ、リーチの差を利用して足払いをかける。
 それよりも早く、彼女は体勢を立て直し、再びその手のナイフを構えた。

 対戦して、一体いかほどの時が過ぎたのか。
 長くも、短くも感じられる。
 肩で息を整え、くっと、呼吸を止める。
 勝負は、おそらく一瞬。
 おそらく、次に決まる。

 それは、互いが抱いた共通の認識だった。
 異なるのはきっと、勝利者となるのがどちらであるか。それだけであっただろう。
 彼は自らが勝利者足らんと欲し、彼女もまた、自らが勝利者足らんとした。
 それだけが、両者の相違であったのかもしれない。

 間合いが、詰まる。
 じりじりと、間合いを詰める。
 次の一瞬。
 それで、勝負は決まる。

 先に仕掛けたのは、やはり彼のほうだった。
 繰り出されたナイフを、身を沈めて彼女はかわした。
 そのまま、相手の懐に入り込む。
 失態を悟った彼が、体術で牽制する。


「そこまで」


 かかった静止の合図に、二人はそれぞれナイフを収めた。
 指定の場所に、互いに相対して並び立つ。


「勝者、アスラン=ザラ!」


 ほぼ、両者は互角だった。
 ただ、最後。
 彼のナイフよりも彼女のナイフのほうがより、相手に致命傷を負わせるに足るものだった。
 それが、審判の判定に繋がったのだ。

 はぁはぁ、と。肩で息をしながら、彼女は笑いかける。


「腕を上げたな、イザーク」


 手を差し出すが、それに彼が答える素振りは、ない。
 宙に浮いた友好の印に、彼女は困ったように微笑んだ。


「イザー……」
「触るな」


 彼に触れようとした彼女の手は、いとも簡単に振り払われて。彼女は思わず、その手をもう片方の手で握り締める。
 何故、彼が怒気を露わにするのか。分からない。
 彼女の翡翠の瞳は、戸惑うように揺れるだけだ。


「次は、負けん」
「俺もだ、イザーク」


 彼の言葉に、彼女もまた、負けん気を露わにして微笑む。
 それに余計に不快を感じて、彼は踵を返した。


「さすがですね、アスラン!」


 笑顔で駆け寄ってきた年若い少年の賛辞に、彼女は微笑んだ。
 それでも、驕ることも高ぶることもない。
 その謙虚さが、少年をして彼女に好意を抱かせていた。


「そんなことはないよ、ニコル」
「でも、やっぱりすごいですよ。僕だったら、イザークに押し切られてましたからね」
「ニコルは、イザークに比べたら体力がないからな」
「筋力もね。こればかりは、仕方ないです。もっと、トレーニングをしないと」



 悔しそうに呟きながらも、相手への賛辞は惜しまない。
 その姿勢は、好意で迎えられることのほうが、多い。
 一つとは言え年下の少年の、そう言う姿勢は、彼女にとっても好ましく思える。

 でも、彼女は少年のようには、なれない。


「俺は、勝たなきゃいけないから……」
「アスラン?」
「何でもないよ、ニコル。それより、さっさと移動しないと。次の訓練に、遅れる」
「そうですね。行きましょう」


 彼女の様子を気にかけつつも、少年は歩き出す。
 何も言われないことに安堵しながら、彼女はもう一度、呟いた。
 今度は、心の中で。


(俺は、勝たなきゃいけないから……)


 勝たなければ。
 勝たなければ。
 勝ち続けなければ。

 そうしなければ自分は、あの『場所』を失う。
 唯一にして絶対の『居場所』を失う。
 だから、勝たなければ。
 勝たなければ。
 勝ち続けなければ。

 勝ち続けてさえいれば、この『居場所』は守られる。
 唯一にして絶対の『居場所』は守られる。
 けれど負ければ……。
 負ければ、それさえも奪われてしまう。
 それさえも、失ってしまう。


(勝たなきゃ……勝たなきゃ……勝ち続けなければ……)


 唯一にして絶対の、『居場所』。
 失いたくなければ、勝ち続けなければならない。
 そうしなければ、何事にも執着を示さない『彼』は、見向きもしなくなる。
 この一つしか、方法は知らない。
 この一つしか、ない。
 たった一つの感情しか、自分は向けてもらえないのだから。
 それを失うことは、『彼』から無価値の存在として擲たれることを意味する。
 それはなんとしても、許容できなかったから。

 勝たなければならない。
 勝ち続けなければ、ならない。
 傾けてくれる一片の感情だけは、失うわけには行かない。



**




 初めは、何の感慨もなく、その光景を眺めていただけだった――……。
 下級生たちが、熱心に射撃の訓練をしていた。
 たぶん、上級生に教えを請うているのだろう。
 アカデミーならずとも、ごく普通の学校でも見られる、当たり前の光景だった。

 しかし……。
 目にした光景に、息が止まるかと、思った。

 下級生のほうは、知らない。名前はおろか、顔さえも見たことはなかった。
 それはきっと、自分が非社交的な性格をしているからだろう、と。気にも留めなかった。
 驚いたのは、そちらではない。
 驚いたのは……。
 驚いたのは、指導をしている上級生が、『彼』だったこと。


『おい、肩が下がっているぞ!』

『貴様の筋力で、この銃では反動がつきすぎる。その程度のことも分からんか』

『トレーニングの量を増やせ。このままでは話にならん』


 いつもどおりの、嫌味のオンパレード。
 それに、思わず苦笑した。
 あぁ、彼だ。そう思った。

 けれど……。


『そうだ。やればできるじゃないか』


 そう言って彼は、確かに笑ったのだ。
 信じられなかった。
 あの、笑顔。
 夢でも見ているのだと、思った。
 ならばそれは、なんて悪夢なのだろう。

 あんな顔、知らない。
 あんなふうに笑うなんて、そんなこと。そんなこと、知らない。



 いつも、すぐに突っかかってきて。
 眉間にはいつも、皺がよっていて。
 何度殺しても、殺したりない。そんな瞳で、睨み付けられて。
 それが、彼ではなかったのか。

 違う。
 彼がそんな反応をするのは、自分だけだ。
 他の誰にも、彼はそんな反応は返さない。
 それは、自分だけ。

 それだけは。
 そんな彼だけは、自分だけのものだ。
 自分だけのものに、したかった。

 そのためには。



 勝たなければ、ならない。
 勝ち続けなければ、ならない。
 常に、彼の前に立ちはだかる存在でなくては、ならない。
 そうでなければ、彼は今傾けてくれているその感情さえも、傾けてはくれなくなる。



 だから、勝つ。
 だから、勝ち続ける。
 そのアイスブルーの瞳が、この身を映し出している限り。

 いや、勝ち続けなければ、ならない。
 そうでなければ、彼は自分に気持ちを傾けてはくれない。

 『憎しみ』
 それが、彼が自分に抱いてくれる感情の名前。
 その感情しか、彼は向けてくれないのだから。
 その感情しか、彼は与えてくれないのだから。


(なら……なら、勝ち続けるしか、ないじゃないか)


 憎しみしか、与えてくれないのだから。
 それ以外の感情など、与えてはくれないのだから。

 それなのに、こんなにも囚われてしまったのだから。







幸せです。

幸せです。

幸せなのです。

狭い狭い檻の中。

『彼』という存在に囚われて。

それは一体、何という名の檻であったのでしょう。

月のような人が、私に施した檻は――……。



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 なんとなく、書いちゃったもの。
 イザーク編に続くでしょうねぇ。

 初心に帰って。片思いって言いなぁ、でした。
 いや、可愛くない片思いですみません。
 ちょっとばかし黒いアスランが好きです。

 ここまでお読みいただき、有難うございました。