全て全て暴いて差し上げましょう。

麗しき平和の歌姫。

血まみれの聖女。

貴女の欺瞞と矛盾とを、白日の下に晒しましょう。

そうでなくてはもう、何一つ守れない……









ちた純潔の白









 緑の軍服を纏った少女が一人、ザフトの本部を歩いている。
 カツリ、カツリ。
 規則正しく刻まれる、足音。
 女性の軍服と言えば、一般兵を表す緑の軍服は、カーキの短い上着に、膝丈のタイトスカート、そして黒のショートブーツとなる。しかし廊下を歩くその少女は、緑のタイトスカートではなく。ズボンと、そして漆黒のロングブーツを着用していた。
 腰まである髪は、コーディネイターには珍しいと言われる漆黒。
 それもただただ黒いわけではなく、光の反射で、それは深い緑色に似た光沢を放ち。
 双眸を彩る瞳の色は、翡翠。どこか金粉をまぶしたような、不思議な色彩だった。
 腰まである長い黒髪を首の後ろで束ねて。
 束ねた黒髪が、彼女の歩みに合わせて、その背中を跳ねる。柔らかな……と評したいが、彼女はとても早足で。柔らかく跳ねると言うよりも、勢いよく弾んでいる、という言葉が適切だろう。

 大切な人を、喪った。
 その人がいなくては、自分はとても生きていけない。
 そう、思っていた。
 けれどそれは、ひょっとしたら誤りであったのかもしれない、と。こう言うときに思う。
 事実、彼女は生きている。
 生きてはいけない。そう思いながら、けれど彼女は生きれてしまっている。
 あの時。
 彼の訃報を耳にしたとき、死んでしまえばよかった。
 酷いショックで、心臓が停止すれば、良かった。
 そうすれば、彼のもとへ逝けたのに。
 大切なその人は、少女に、彼の後を追うことは決して、赦さなかった。自ら命を絶つならば、絶対に赦さない、と。そう言っていた。少女も、そう言ったのだ。
 自分が死んでも、後を追わないで、と。
 こうして時が流れて、改めて思う。
 嗚呼、あのときの自分は、何て無知だったのか。
 知らなかった。傍に逝けないことが、自分にとってどれだけ残酷なものか、知らなかった。
 その約束さえなければ、すぐにも彼の元へ逝ったのに!


「駄目……考えるな、考えるな。それでも、あの人の命を贄に、平和は為ったのだから。恨めば、それはハイネの命を軽んじることになる。何のために、ハイネが犠牲になったのか、分からなくなる。……考えるな、考えるな」


 何度も、そう念じる。
 どうして、ラクス=クラインをプラントに迎えられると言うのだろう。
 どうして、ラクス=クラインは議長として、プラントに帰れると言うのだろう。
 彼女は、ハイネを殺したのに。大切な大切な人を、殺したのに。それだけじゃない。どれだけの命が、彼女によって奪われたか。

 嗚呼、いけない。
 考えては、いけない。
 考えては、いけない。考えてしまえばもう、憎しみの刃を振り下ろすことに、躊躇いを感じなくなってしまう。
 それでは、いけない。
 彼の命を犠牲にして、平和は成った。
 彼があれだけ祈っていた、平和は成ったのだから。

 嗚呼、彼のことを、考えよう。
 平和を祈っていた彼のことを、考えよう。
 その為に今は、あえて自らを盾とするのだ、と。そうしなければ守れないものを守るのだ、と。その為に、戦うのだ、と。そう言っていた彼のことを、考えよう。

 嗚呼、でも。
 頭が、痛い。
 この酷い、頭痛。耳鳴りさえ、する。
 早く、今日の仕事を終わらせて。定時を迎えたら、まだ彼の匂いの残る部屋に、帰ろう。
 彼はもう、どこにもいないけれど。彼の気配は、確かにあの部屋に残っているから。
 早く帰って、彼の温もりに包まれて、眠ろう。

 痛む頭を抑えながら、廊下を歩く。
 曲がり角をいくつか曲がると、聞き覚えのある声が、聞こえてきた。
 どうやら、道を間違えてしまったようだ。
 出口を目指しながら、軍本部の奥深くまで入り込んでしまったらしい。
 彼女の階級では、それ以上の侵入は許されていない。引き返さなければ。

 けれど、その声に。
 聞き覚えのある、憎悪しか感じない声に。引き返そうとする足は、縛り付けられたように、動けなかった。――動かなかった。


「キラ、大分疲れているようですわね……わたくしのために、キラにまでこんな……」
「気にしないで、ラクス。僕は、君を守りたい。そう、思ったんだ。それがこう言う形でなせるんだもの」
「キラ……」


 桃色の髪の少女が、愛しそうに鳶色の青年に抱きつく。
 ギリ、と。漆黒の少女は唇を噛み締めた。
 どうして……と。思わずには、いられない。

 自分から大切なものを奪った、ラクス=クライン。その彼女には、大切なものがある。それを、赦されている。
 それが、堪らなく妬ましかった。
 灼けるような嫉妬を、憎悪を。そのとき少女ははっきりと自覚した。

 私にだって、いた。
 想いを傾けて、優しさを囁いて、情熱を分かち合う。
 そう言う人が、いた。
 でも、奪われた。
 彼は、奪われた。
 奪ったのは、お前じゃないか、ラクス=クライン。
 それなのに、どうして。
 どうして奪ったお前は、当たり前のように恋人と笑いあっているというの。

 駄目だ。これ以上は、駄目だ。
 均衡が、崩れる。
 頼りない理性の上に、漸くバランスを保っている、この精神の均衡が崩れる。
 駄目……駄目……。ラクス=クラインは、プラントに必要なのだ。
 だから、いけない。これ以上は、いけない。
 これ以上、言葉を聞いてはいけない!立ち去らなければ!!
 それなのに、どうして。どうしてこの足は、言うことを聞かないのだろう!


「正直、僕にザフトを導くことが出来るかどうかは、わからない。個性的というか、皆アクが強くて。どれだけ僕たちが平和を願っているのか知らないわけじゃないだろうけど……分かり合うためには、時間が必要みたい」
「そうですか……それは、哀しいことですわね。でも、キラならきっと、大丈夫ですわ」
「ラクス……」
「キラは、優しい人ですもの。キラならきっと、大丈夫です。貴方は、先の大戦であれほど傷ついていらっしゃったのに、前議長に私の命が狙われたとき、私を守るためにフリーダムに搭乗して戦ってくださいました。キラは優しく……そして、強い方です。きっと、皆分かってくださいますわ」


 あれ……?
 あれあれ……?
 ねぇ、今。何て言ったの、かな?
 今、何て、言った?
 今、何て。

 『フリーダム』って、聞こえた……。
 私の恋人を。私の大切な人を。私のハイネを。
 殺した、“フリーダム”のパイロット。
 ねぇ、今。“フリーダム”のパイロットって、言った?
 私のハイネを殺して。私の父を殺して。そして他のザフト兵を殺して、デュランダル前議長を殺した。
 “フリーダム”のパイロットって、言った?

 パタパタと、脳裏で小さな音がする。
 ばらばらに散らばっていたピースが、驚くほどの精密さでパタパタと埋まっていく。
 そうか。
 そいつは、そいつが。
 私の大切なあの人を、殺した。その、元凶か。
 私のハイネを殺し、父を殺し、前議長を殺し、ザフトを殺しつくし殺戮しつくした。貴様が、その元凶か。

 息が、詰まる。
 もう、あの日以上の絶望なんて、どこにもないと思っていた。
 あれ以上の絶望なんて、どこにも存在しないと思っていた。
 けれど、そうじゃない。
 絶望なんて、容易く塗り替えられるのだ。

 ゆったりとした仕草で、漆黒の少女は踵を返した。
 けれど、その歩調は競歩に近い。
 すたすたと歩いていた彼女は、赤い髪の少女――メイリン=ホークとぶつかった。


「ぁっ……!」
「ごめんなさい!」
「こちらこそ、すみません」


 小さく上がった悲鳴に、漆黒の少女は謝罪する。
 大丈夫です、と赤毛の少女は笑顔で言って。頷く笑顔に、漆黒の少女もまた、笑顔で返して。
 嗚呼、でも。笑えている自信なんて、全然ない。
 どこか、笑顔は歪んでいるんじゃないだろうか。
 もう、笑えない。笑えないよ。笑顔なんて、無理だ。
 これだけの絶望を前に、笑えるものか。

 相手に怪我がないことを見て取ると、サーシャはそそくさと立ち上がり、足早に駆け去る。
 その背後で、小さな会話が交わされていたことも、知らずに。


「あら、あの子、軍に復帰したのね」
「先輩、彼女ご存知なんですか?」
「えぇ……ここ最近、療養中だったのよ。復帰したのね、あの子」


 漆黒の少女とぶつかり、別れたメイリンに、通信の先輩が声をかけた。
 どうやら、あの漆黒の少女の知り合いらしい。


「療養……?どこか、お身体の具合でも?」
「身体じゃなくて、精神の方」


 普段だったら、おそらく気にかけやしないだろう。
 けれど、どうしてだか気になった。
 だから、先輩に当たる女性の発言を、聞いて。
 目を、見開いた。


「精神、ですか?」
「そう……あの子、恋人が戦死したのよ」
「そう、ですか……」
「……ダーダネルスで、ね。ラクス=クラインが乗艦していた、AAの介入で」


 憎々しげに、紡がれた言葉。
 けれどメイリンに、相手の気持ちを忖度する余裕はなかった。

 考えてみれば、ザフトに名を連ねるものが、ラクス=クラインを憎悪するのは、当然のことであっただろう。――ザフトの名を冠しながらも、『歌姫個人』に忠誠を誓った、ザフトにしてみれば裏切り者を除いては。
 けれど、ラクス=クラインがプラントに凱旋してからこっち、そのような正常な判断力は、所謂クライン派の脳裏から奪い去られて久しい。
 ラクス=クラインの掲げた正義は、『正義』の一つの形でしかなく。ラクス=クラインただ一人が『正義』を訴えているわけでもなく。
 誰もがそれぞれの『正義』を掲げながら、自分たちの『正義』と合致しないものを『悪』と決め付け駆逐し、より強い力で淘汰する。そんな単純な論理さえ、彼らの頭からは抜け落ちてしまった。
 勝ったから正しいのではない。彼らにしてみれば、正しいから、勝ったのだ。


「ダーダネルスって……?」
「あぁ、メイリンはミネルヴァに乗艦していたんだったわね。じゃあ、メイリンには、話さないほうが良かったかも……ごめんなさいね」


 すまなそうに、先輩は謝る。
 けれどメイリンは、その謝罪を拒絶した。
 今は、謝罪なんていらない。
 あの、悲しい目をした少女のことが、知りたかった。
 それは、ただの同情なのかもしれないけれど。

 『ダーダネルス』という単語で思いつくのは、あの場で繰り広げられた戦闘だ。
 そして、彼女の先輩は、『ミネルヴァ』といった。
 ミネルヴァに搭乗していた兵で、あの時命を落としたもの――発射直前の“タンホイザー”の近辺にいた整備兵だろうか。しかし、何かが引っかかる。
 そう考えたとき、メイリンの脳裏に、一つの固有名詞が浮かんだ。


「彼女の、恋人って……まさか……」
「……ハイネ=ヴェステンフルス」


 潜められた声が、そう言った。
 その言葉に、メイリンは瞳を見開くこととしか、できない。

 恨むのは筋違いだ。
 憎むのは、筋違いだ。
 ラクス=クラインは、平和のために戦ったのだから。
 そう、メイリンは口にしようとした。
 しかし、言葉にならない。
 彼女が口にしようとした綺麗な言葉は、凍りついたように。彼女の舌の上で、空しく転がり続けただけだった――……。









この絶望を、一体どうして

貴女に拭えると言うのだろう。

奪う貴女に

略奪者である貴女に

救えるものなど何もないというのに――……










 イザークとアスランが、それぞれ信頼する仲間を集め、自らの考えを語ってから、数日が過ぎた。
 表面上は、何も変わらず。それぞれが、それぞれの役割を果たすために、動いている。そう言う状況が続いていた。
 彼らのしようとしていることは、唯一つだった。それは、どのような美辞麗句で飾っても、唯一つの意味合いしか持たない。
 どれだけ言葉を飾っても、どれだけオブラートで包んでも。彼らの願いは、『政権転覆』のただ一言に尽きる。そのための準備は慎重を要した。
 その状況だからこそ、見逃すことも、ある。
 見逃してはいけないことを、見逃すことも、ありうるだろう。
 そして事実、彼らは重大なことを見逃してしまった。

 キラ=ヤマト、並びに“ストライク”、“フリーダム”という単語は、ザフトにとってもプラントにとっても鬼門だ。
 少なくとも、この三つの単語を一つに結びつけるような。そんなことは、決して許してはならなかった。
 彼女が幾ら、『キラは平和のために戦ったのです』と囀っても、プラントに銃を向けたことは、変わらない。

 キラ=ヤマトが“ストライク”のパイロットであり、“フリーダム”のパイロットであること。それは決して、知られてはならないことだった。まだ、戦争の傷跡が深い、今は。


「あら、メイリン、どうしたの?」
「お姉ちゃん……あのね……」


 ルナマリア=ホーク『艦長』に与えられている執務室に、ノックもなしに入ってきた妹に、ルナマリアは一瞬、眉を寄せ。
 しかしすぐに、気さくを装って声をかけた。

 その笑顔に、メイリンは、話そうとしたのだが、言葉に詰まってしまった。
 何と言っていいのか、分からない。

 第二次大戦の折、新兵でミネルバに配属された彼女たちにとって、戦争の不条理とともに直面した死が、ハイネ=ヴェステンフルスのそれだった。
 戦争は、不条理だ。
 戦場は、哀しい。
 何の理由も感慨もなく、悪戯に流血を求める。
 従軍したての彼女たちは、それを知らず。そして、思い知らされた。戦場において、死は身近に存在していることを。
 それを思い知らせたのが、ハイネ=ヴェステンフルスの死だった。

 それを思うと、同じように傷を負ったであろうルナマリアに、その傷をみすみす抉るようなことを、言えるわけがなかった。
 そう判断して、彼女は何も言わなかった。


「どうしたのよ、メイリン」
「……うぅん。何でもない」


 メイリンの言葉に、ルナマリアは訝しげに眉を寄せ。
 勝気なその顔に、不満げな色を浮かべた。

 彼女だって、暇ではないのだ。
 通常業務と並行して、『新生ザラ派』の一員としての業務をこなしている。

 ちなみに、『新生ザラ派』とは、ラクス=クライン率いる現政権を転覆しようと目論む勢力の名称だ。
 『クライン』を追い落とすのは、『ザラ』。それは、第一次大戦半ばからの、人々の認識であるから。

 その、『新生ザラ派』としての業務をもこなすルナマリアに、暇な時間など存在しない。
 勝手に部屋にやってきて、だんまりを決め込まれて。こっちだって暇じゃないのよ、と。ルナマリアはメイリンに言ってやりたくなる。

 戦後、二人の姉妹の間には、大きな溝が存在するようになった。
 全てを清算し、水に流すべきであったのかもしれない。普段のルナマリアであれば、それは可能であっただろう。けれど、物事には『許せること』と『許せないこと』が存在する。
 あの戦争中、最後の最後にメイリンが口にした言葉は、ルナマリアにしてみれば決して『許すことのできない』ことだった。
 ザフトの誇りを。貶めたあの言葉は、断じて許容できない。

 ルナマリアは、『赤』だ。
 ザフトの誇りと謳われ、それを体現することを求められる、『赤』だ。
 だからこそ、例え姉妹といえど、ザフトの誇りを貶めたメイリンが、許せなかった。

 そしてメイリンは、ルナマリアのその思いこそ、理解できなかった。
 彼女は、自分こそが正しいことをした、と。そう思っていたから。姉であるルナマリアは、前議長に騙され、間違ったことに手を染めたと認識しているから。だからルナマリアの思いは、彼女の理解から外れていた。
 ミネルバに搭乗していたころのルナマリアであれば、妹の変調に真っ先に気づいたかもしれない。けれどルナマリアはもう、妹へそれほど関心を払わなくなっていた。
 だから彼女も、気づかず。
 そしてそれから数日後。事件は、起こった――……。









国はまず、はじめに民ありき。

民あっての国であり

民あっての王。

王ありきでは、ない。

国ありき、ではない。

民なくして王は王足りえず、

民なくして国は国足りえない。

国は、王は。まず、民ありき。

……民に害をなす王など、要らない。










「効果的にラクス=クラインの権威を失墜させるなら、狙いどころは議長就任会見だな」
「確かに、それは効果的だが……だが、それによって事実を知らされるプラント市民の気持ちを思うと、迂闊に賛同することはできないな、イザーク。まずは、話し合いの場を持ってみないか?」
「相変わらずお甘いことだな、アスラン。だが、話し合いの時期は、とうに過ぎている。これ以上、我慢を強いるつもりか?」
「そんなつもりはないよ。ただ、やるからには徹底的にしなくてはならない。中途半端なやり方では、かえって傷は増える一方だ。狙いどころは議長就任会見というが、それまでもう、そう日はないぞ?」


 真剣な顔で、アスランとイザークは顔を突き合わせていた。
 ラクス=クラインの、幻想。その幻想を、叩き壊す。
 もう、修復さえもできないところまで。
 神の如く天上に君臨する歌姫を引きずり落とし、ヒトに戻す。
 全ての欺瞞を、過失を、誤謬を。かの戦争の最中行われた全てを、白日の下に晒す。ザフトにとって都合のいいことも悪いことも、そう全てを。そして全てを明確にしなければ、先の大戦を延々と一定のクールで繰り返すことになってしまう。
 全てを明るみにして、そうして初めて、戦後処理は始まるのだ。
 何もかも、全て。
 全て包み隠さず、表に出さねばならない。
 そして表に出したものを踏まえて、後の全ては国民の審判に任せよう。

 国はまず、民ありきなのだ。
 国の指針を決めるのもまた、民であるべきなのだ。
 その総意に、従おう。


「ジュール隊長!アスラン!大変です!」


 凶報が舞い込んできたのは、盗聴等のシステムを完璧に遮断したイザークの執務室で、アスランとその部屋の所有者が、密談をしている最中のことだった。
 ノックの音とともに、赤毛の少女が入室して来た。
 よほどのことがあったのだろう。
 足音は乱れ、彼女の赤毛も乱れ。そして、呼吸もやや、乱れていた。
 取次ぎをしたシホも、困惑している。


「どうしたんだ、ルナマリア?」
「大変なんです!その……一般兵まで、キラ=ヤマトが“フリーダム”のパイロットであることを、知ってしまいました!」
「何だと!?何があった!?」


 ルナマリアの言葉に、眼光鋭くイザークが立ち上がった。
 立ち上がらないまでも、アスランもその視線を鋭くする。
 ルナマリアの後ろに立つシホも、困惑の表情を厳しいものに改めた。

 キラ=ヤマトが“フリーダム”のパイロットであり、現在白服を纏っているなどと。そんなことは断じて、知られてはならなかったのに。
 どこから情報が洩れた。
 どこから!?


「どこからその情報は洩れた!?情報の管理には、万全を期していた筈じゃなかったか!?」
「その……一般兵の一人が、二人の会話を耳にしたらしく。それで今、二人を問い詰めていて……」
「二人の会話を耳にした、だと!?なんて迂闊な!どうしてそんな重要な会話を、耳目のある場所で話せるんだ、あの二人は!!」
「それで?問い詰めている一般兵とは、誰だ?」
「サーシャ=ミリアムです」


 ルナマリアの言葉に、イザークは記憶を辿る。
 何かの折に、耳にした名前だと、思ったから。
 そうやって過去を遡行して。
 そしてイザークは、舌打ちした。


「どうした、イザーク」
「拙いことになった」
「その……サーシャ=ミリアムという女性が、どうかしたのか?」
「俺の記憶が確かなら、その女……ハイネ=ヴェステンフルスの婚約者だ」
「え……!?」
「それだけではありません、ジュール隊長。確か、サーシャ=ミリアムは、ハイネ=ヴェステンフルスの恋人でもあった筈です」


 イザークの、そしてシホの言葉に、ルナマリアは息を呑んだ。
 ハイネ=ヴェステンフルス。
 覚えている。
 その名前。その存在を。覚えている。
 温かい記憶とともに、痛みを抱きながら。
 覚えている。
 その喪失の痛みを。覚えている。

 自分たちだってそうなのだ。
 婚約者であったならなおさら、その喪失の痛みはなおさらであっただろう。



 留守をシホに頼み、残りの三人は、駆け出した。
 今しがた、問題が起こっているほうへ。
 騒動が起こっているほうへ。
 駆け出し、そして……。
 そして、彼らが見たものは。


「返せぇぇぇぇ!お前が殺した!お前が殺した、あの人を!ハイネを、返せ!!!」


 屈強な兵――クライン派の連中だ――に取り押さえられ。
 翡翠の瞳から涙を零しながら絶叫する、少女の姿だった。
 ぽろぽろと、溢れる涙は、ただ悲しみの色をして。少女は、哭いていた。
 どこまでもどこまでも、ただ哀しく。


「……っ正義なんて……平和なんていらない!こんなものは要らない!ハイネがいないのに、そんなものは要らない!お前なんか、要らない!!返せ……返せ……返してよ!お前たちが殺した、ハイネを返せぇぇぇぇ!!」


 その慟哭を、背負うべき人間は。ただただ呆けたように……。
 キラとラクスはただただ互いを守るように抱き合い、異様なものを見る目で、見つめていた――……。









『お前のいる、このプラントを守るために、戦う』


旅立つその日に、貴方が言った言葉。

笑いながら、貴方が言った言葉。

ねぇ、お前たちと、どこが違うと言うの?










「サーシャ=ミリアム!」


 鋭い声で名を呼ばれ、サーシャという少女は、ビクリと肩を震わせた。
 そして恐る恐る、声のしたほうを見やる。
 アスランと同じ……深い深い、光を透かすことも困難なのではないかと思うほど深い翡翠色の瞳には、水晶の雫を滲ませて。
 少女が、振り返る。
 取り押さえられた際に殴られたのだろう。
 白い少女の方には、殴打を受けたと思しき鬱血が刻まれていた。


「拳を下ろせ、サーシャ=ミリアム」
「でも……でも、コイツらが!コイツらが、ハイネを殺した!コイツが!この“フリーダム”のパイロットが!それなのに、白を……白服を、着ているなんて……!」
「言い訳は許可していないぞ、サーシャ=ミリアム。拳を下ろし、直ちに出頭しろ」


 ざわざわと広がりつつ喧騒に舌打ちしながら、イザークは言った。
 ザフト広しと言えども、白服に金刺繍を施された軍服を着ているものは、少ない。
 白服の隊長よりも更に大きな権限を持つ者。それが、金刺繍の軍服を許されたものだった。
 直属の上官でなくとも、その命には従わねばならない。

 取り押さえられてもなお、掴みかからんとしていた少女は、唇を噛み締め。しかし、軍人ゆえに振り上げたその拳を、下ろした。
 軍服を纏っている以上、上官の命令は、絶対だ。例えどれだけ、その決定を不服と思っていても。それでも、従わねばならない。それが、アカデミーそして軍属を通じて叩き込まれた、軍人として守るべき規範だ。

 拳を下ろし、ゆっくりとした足取りで、少女がイザークの前にやってくる。
 歩き方が、ぎこちない。
 どこか、怪我をしているのだろうか。
 いや、怪我をしているだろう。普通ならば目に付く箇所に暴行は加えないが、彼女の白い頬は赤黒く腫れ、唇の端には、血の痕さえ滲んでいるのだから。

 歩み寄る少女を、彼女を取り押さえていた兵士が、ニヤニヤと笑いながら突き飛ばした
 歩くことさえも困難と思われた彼女は案の定、よろけて膝をつく。


「出頭しなきゃなんねぇんだろ、さっさと立てよ」


 漆黒の髪を掴み、引きずるように立たせるその男に、イザークの眼光が鋭さを増した。
 軍規には、私的闘争や暴行を禁ずる条項が確かに存在している。にもかかわらず、上官の目の前で――正確には、議長の目の前でもあったのだが――その禁止事項を犯すとは!
 男に近づくと、イザークはその男を、問答無用で殴り倒した。


「暴行罪で貴様は営倉入りだ。MP!このクズを営倉に放り込め!」
「はっ!」
「な……っ!何で、俺が……!」


 無様にうろたえる男を冷たい目で睨みながら、ルナマリアがサーシャに駆け寄る。
 大丈夫?と尋ねる可愛らしい少女に、サーシャは微かに笑みを乗せて頷いた。
 差し出された手に掴まって、立ち上がる。
 金刺繍は許されていないものの、白服を纏う少女だ。……艦長、だろうか。


「とりあえず、怪我の手当てをしましょう。ジュール隊長、出頭するのは、その後で構いませんよね?」
「あぁ、それでいい。だが、写真はとっておけ。暴行の証拠だ。……もっとも、現行犯だから何とも言えんだろうが」
「じゃあ、行きましょ。……あ、シン!丁度いいところに!この人医務室に連れて行きたいんだけど、怪我が酷いみたいなの!肩貸してあげてよ。私は、右側につくから」
「分かった!」


 同じく騒ぎを聞きつけてやってきたのだろうシンに、ルナマリアは気さくに声をかけた。
 シンも、ルナマリアの言葉を快諾する。
 それだけ、少女の様子は、酷いもので。シンの内に眠る保護意識が、ふつふつと刺激されたのだ。
 それに、話の内容を垣間見たところ、彼女はハイネ=ヴェステンフルスの関係者らしい。
 彼らにとっても忘れがたい、赤味がかった金糸の鮮やかな、あの青年の。


「大丈夫ですか?肩、体重かけていいですよ」
「有難う。貴方たちは……」
「俺、シン=アスカです。コイツは、ルナマリア=ホーク。俺たち……」
「私たち、ハイネと同僚でした!」


 あえて明るくシンが声をかけると、漆黒の少女は、痛々しい痕跡の残る頬の筋肉を動かして、微かな笑みを浮かべた。
 ルナマリアの『同僚』と言う言葉に、その笑みは更に深まる。


「そう、なの……」
「あの人、飄々としていたけど強くて、心が強くて。いつも周りを見ていて、私たちのこと、気にかけてくださってました。……私たち、あの人と一緒に過ごした時間は短いけど、忘れません」
「俺もです!」
「有難う」


 ルナマリアとシンの言葉に、サーシャは嬉しそうに笑った。
 ハイネと、一緒に過ごしたという、二人。
 サーシャの知らない時間を知っている、二人。
 サーシャの知らないハイネを、知っている二人。
 そんな二人が、本当にハイネを思っていることが、分かって。
 ハイネの死を悼んで知ることが、分かって。
 胸が詰まって言葉が出ないから、有難う、と言って。サーシャは、笑った。
 感謝の言葉は、この場合ぜんぜん適切な言葉じゃなくて。礼を言うようなことでもないと分かっているけれど、でも、他に言葉なんて、浮かばなかったから。


「さて、ラクス=クライン」


 ほのぼのとした空気さえも周囲に舞い飛ばしながら医務室に向かう三人を後目に、イザークは冷たい声を出した。
 彼女たち……キラ=ヤマトにラクス=クラインを見つめる眼差しも、絶対零度の冷たさを秘めて。
 その硬質の唇が、ゆっくりを開かれた。


「何故、彼女に暴行を加えるのを、見ていたのですか?止めなかったのですか?」
「そんな……ラクスは……」
「黙れ、キラ=ヤマト。軍法では、あのような暴行を黙認した者も営倉入りだ」
「キ……キラが営倉に入る必要はありませんわ!」


 軍人にとって、守るべき当然の規範である、『軍規』。
 それを例に挙げて反論を粉砕するイザークに、けれど答えたのは、ラクス=クラインで。
 その反論もまた、『論』というにはあまりにも、お粗末なものだった。
 ただ、そのか弱き両の手を広げ。 キラを庇うように、ラクス=クラインが立ちはだかる。
 その愛らしい貌に、挑むような決意を秘めて。
 そして、言う。


「彼女が、わたくしたちに攻撃を加えたのです。わたくしたちは――」


 被害者です、と。
 そう口にした女こそ、一番の加害者だと言うのに。
 そう自覚することさえ、しない。

 無知は罪というが。
 この女の無知はもはや、喜劇の域だと、イザークは思った――……。









ラクス=クライン。

プラントの麗しき聖女。

しかし、貴女は知っていますか?

貴女がともにありたいと願った彼は。

プラントにとって、悪夢でしかない相手だと――……。










 とりあえず、場所を移りましょう、とアスランは言った。
 見れば、野次馬が群がっている。
 確かに、此処にこれ以上とどまるのは得策ではないだろう。そう判断したのか、ラクスはアスランの言葉に素直に頷いた。
 気づいたのだろうか。
 彼女たち――ラクスやキラ、そしてクライン派の兵士――を見つめる眼差しが、概して好意的なものではないことに。

 そして、場所を移り。
 アスランは徐に、口を開いた。


「ラクス」


 どちらかと言うと、曖昧な笑みこそが一番に麗しい青年が、目の前で銀の麗人を睨みつける少女の、名を呼んだ。
 アスラン=ザラが満面の笑みを浮かべることは少ないが、彼と言う存在は、満面の笑みよりもまだ、困ったように微笑む曖昧な笑みの方が、麗しいだろう。
 鋭く研ぎ澄まされた雰囲気と、他者を寄せ付けない非人間的な美貌。完璧すぎて近寄りがたい。それが、イザーク=ジュールであるとするならば。
 穏やかな憂いと内に秘めた情熱、思わず手を差し伸べたくなる類の。人間だからこその迷いと戸惑いを纏った。それが、アスラン=ザラではあるまいか。
 イザーク=ジュールが月であるならば、アスラン=ザラはそれを包む夜の闇だった。
 負けず嫌いではあるが、一方で他者と争うことを好まない穏やかな性質をも持つアスランは、自分から進んでトップに立とうとはしない。
 夜空を彩る月をも抱え込む闇のように、彼はどこか、自身を脇役に処す傾向がある。
 しかし、彼はやはり、本来ならば頂点にあるべき人間なのだろう。そしてその名に背負う『暁』の通りに、プラントの未来を導く者として定められたのではないか。現に今、イザークはアスランにその場の主導権を譲っている。
 まだイザークよりも与しやすいと思ったのか。ラクス=クラインは、穏やかな貌に穏やかな笑みを載せて、アスランに尋ねた。


「何でしょうか、アスラン」
「先ほどの話ですが。ジュール隊長が仰ったことをもう一度、私は貴女に尋ねます。何故貴女は、あのように過剰な暴力を許したのですか?彼女が、貴女を傷つけたのですか?……見たところ、貴女にもキラにも、何の外傷もないようですが」
「アスラン、君も見ていたでしょう?あの子が、ラクスにいきなり掴みかかろうとしてきたんだ。あの人は、それを止めようと……ラクスを守ろうとしたんだよ?それなのにどうして、君はそんなことを聞くの?」
「確かに、わたくしは説得を試みるべきだったのかもしれません。ですが、あちらが先にわたくしたちに危害を加えようとしてきたのです。ですから……」
「ラクス」


 アスランの言葉に、キラが反論し。
 そしてそれに、ラクスの言葉が続く。
 いつまでも止まらない言葉の濁流を、アスランはただ一言、『ラクス』と呼ぶことで封じた。
 穏やかな中に、決然とした意志を煌かせて。柔和に柔和に微笑みながら。


「ラクス、俺もイザークも、貴女にそんなことを聞いているわけではないのですよ」
「アスラン?」
「もういいでしょう。これ以上は無駄だと言うことが、よく分かりました。――そうですね。貴女の仰るとおり、彼女の行いもまた、確かに『正しい』ものではなかった。感情に任せて国家の重責に在るものに掴みかかるなど、ザフト兵として言語道断。ああ、その責めは、勿論追求します。どうぞご安心を」


 穏やかに微笑みながら、アスランの言葉は、さながら抜き身の剣のように鮮やかにラクスの言葉を切り捨てる。
 それは、今までラクスたちとともに在ったアスランからは考えられないことだった。
 ラクスが戸惑いを載せてアスランを見つめるけれど、アスランの笑顔は変わらない。
 ただ穏やかに穏やかに。穏やかに、彼は微笑む。
 けれど再び唇が開かれたその時。その唇が紡ぐのは、ラクスの責任を追及するものだった。


「それに……貴女方は何てことをしでかしてくれたんです?今の一件で、キラ=ヤマトが“フリーダム”のパイロットであったことが、末端にまで知れ渡ってしまった。聞けば、彼女が貴女とキラの会話を漏れ聞いたからだ、とのことですが」
「どうして、キラが“フリーダム”のパイロットであることが問題になるのか、わたくしには分かりませんわ、アスラン。キラは、平和のために戦ったのです。どうしてそれが問題になるのでしょうか――なるはずがありませんわ。本当に平和を愛するならば」


 ラクスの言葉に、イザークはシニカルな笑みを口元に浮かべた。
 ああ、何て馬鹿馬鹿しい。
 知らないからこそ、言える。そんな言葉。
 知ろうとしないからこそ、言える。そんな言葉。
 彼女に――ラクスに絶望を覚える人間がいることを、さっきの一件で思い知らされただろうに。まるでさっきのことなんて、無かったかのように。

 あの少女を見ただろう?とイザークは思う。
 泣いていた。嘆いていた。
 それは、彼女一人とでも?他のザフト兵を見なかったか。唇を噛み締める者はいなかったか。拳を握り締める者はいなかったか。
 『平和のために戦った』それが、その一言が。犠牲になった者たち、そしてその愛する者たちへ、奪った者が贈る、その罪の免罪符になるとでも?

 おかしそうに、口元だけ笑うイザークを、キラが睨みつける。
 ラクス様の有難い御説法を、有難がらずに聞くイザークを、咎めるように。


「ラクス、確かに貴女は平和のために戦ったかもしれない。しかし、そうして得た平和を、受け入れられない人間もいるのです」
「どうして?だって、ラクスのおかげで世界は平和になったんだ。どうして、そんな……
「しかし、犠牲はあっただろう。そうして犠牲になった者たちに言うのか。憎むな恨むな赦せ、と」
「そうです。そうしなければ人は、いつまでも争い続けることになってしまいます」


 イザークの揶揄に、ラクスは毅然と答えた。その隣で、キラはラクスの言葉に誇らしげに笑う。
 ああ、それは確かに、正論なのだろう。
 しかし彼女の正論は、癒しにはならない。
 彼女の言葉は、誰も救わない。
 少なくとも、プラントの人間は。

 癒せるというのか。愛するものを喪った、その絶望が。
 癒せるというのか。愛するものを奪われた、その嘆きが。
 癒せるというのか。その正論が、その言葉が、その綺麗事が。それらの嘆きを絶望を痛みを。あらゆる方向へ向かう負の感情を、癒せるというのか。悲しみを、拭えるというのか。
 ――否!


「彼女は、ダーダネルス海峡における戦闘で、AAの乱入における混戦により、恋人を喪いました。恋人を喪った少女に、彼女にとってはその元凶でもある貴女方が、憎むな恨むな赦せ、と?」
「“フリーダム”のパイロットが白服を纏い、ザフトにいる。それだけで、傷つくものがこのプラントには大勢いる。お分かりにならないのですか、貴女は。このプラントで、“フリーダム”の名が、どれだけの意味を持っているのか」
「……何を仰りたいのですか?」
「キラ=ヤマトに白服を与える趣旨の命令を今すぐ撤回し、彼をオーブに戻してください」
「できません。それに、アスラン。何度も申し上げますが、キラは平和のために戦ったのです。それなのにどうして、キラがわたくしの隣に在ることが、ザフトを傷つけることになるのでしょう。論旨が飛躍していますわ」


 アスランの言葉を、ラクスはあっさりと切り捨てる。
 そう、できないのだろう。大切な大切な、愛しい恋人とともに在れない、など。

 アレだけの、あからさまな憎悪を目の前にしても。
 ザフト兵の……プラントの負った傷を思いやって欲しいと願っても。
 彼女は知らない。分からない。知ろうとさえ、しない。


 麗しき聖女ラクス=クライン。
 凱旋した新しきプラントの『王』
 けれど、民を傷つける王など、民は必要としていない。
 まず最初に、民ありき。
 国も王も。
 民あってこそのもの。
 民を傷つける王など、ラクス=クライン。
 イラナイ、のですよ……?









「お前のその手に」


緑柱石の瞳に真剣な色を煌かせて、彼は言った。

どこまでも真摯に、どこまでも深く。

煌くその瞳を、私はただただ見つめる。


「お前のその手に、俺は平和な未来を残そう」


そのためなら、俺は幾らでも罪を犯すだろう。

それでも、守りたいもののために……そうしなければ守れないもののために、戦う。

そして必ず、お前のその手に、コーディネイターの平和な未来を残そう。

その為に、俺は戦おう。

そう、彼は呟いた。

戦いを厭う彼が、そう言った。



その感情さえも、貴女は罪だというの?










 アスランとイザーク。対するラクスとキラの話は、結局何の益もなく終了した。
 益と言うならばこれで、ザフト兵のラクス=クラインの幻想は、殆ど完膚なきまでに潰えたことぐらいだろうか。

 そう。ただ、実感したのだ。
 その幻想が、潰えたことを。
 彼らにとって煌びやかであった夢が。
 確かに、終焉を迎えたことを。

 その傷は、あまりにも深い。

 見てしまったのだ。華奢な女性軍人に過剰防衛とも言える暴行を許容しているラクス=クラインを。
 それはまさに、先の大戦の縮図だったのではないか。

 混乱するプラント。
 指導者をなくし、混迷の極みに立たされた、プラント。
 勝利者の顔で悠然と蹂躙する、オーブ。
 先程のあれは、先の大戦の縮図だ。
 そして“フリーダム”のパイロットを侍らせたラクス=クラインは、諌めることさえも、しなかった。

 言葉にできぬ思いを、皆が懸命に堪える。
 それでもザフトの混乱は最早、止めようもなく。
 波紋は、広がる一方だ。


「失礼いたします。サーシャ=ミリアム、出頭いたしました」


 緑の軍服に身を包んだ少女軍人が、現れた。
 イザーク=ジュールの、そこは執務室だ。
 現在、ザフト内での実権の殆どは、彼が握っている。
 ラクス=クラインは盛んに自身がこの問題に介入することの意義を訴えたが、イザークにとってそれは世迷言でしかなく。綺麗なだけで中身の伴わない退屈な説教に耳を貸す趣味もまた、なく。
 故に彼はただ、己がこの一件に関して裁断することを明確にした。――軍組織を考えれば、それが最も妥当であっただろう。イザーク=ジュールはサーシャ=ミリアムの直接の上官ではないが、その更に上に座して命を下す上位者であるから。


「入れ」
「はっ!」


 礼をとると、少女は静かに入室した。
 その歩みは、やや覚束ない。
 少女の白い頬には、ガーゼが当てられ。動きがぎこちないところを見ると、目に見えないところにも包帯で覆われている箇所もあるのだろう。
 動きはぎこちなく。躯は痛々しく。
 それでもその眼光は、少女のものとは思えぬほど強く。どこまでもどこまでも暗い。


「サーシャ=ミリアム。自分が何をしたか、分かっているか?」
「……はい。ですが、自分は間違ったことを言ったとは、思っておりません。ラクス=クラインが、そしてあの白服の男が、私の大切な人を殺した。あいつらは確かに、そう言っていました。だから……」
「咎めているのは、そう言うことではない。なぜ、あんなことをあの場で言った!」
「それが事実ではないのですか!それが真実ではないですか!我々ザフトは皆、ずっと謀られていた!あの男を……“フリーダム”のパイロットを、白服の隊長として、戴くべき上官として迎えよ、と。そう仰るのですか!?そうせねばならないのですか!?どうして、ハイネを殺したあの男を、白服の隊長として迎えねばならないのですか!?」


 彼のデスクの前までやってきた少女に、イザークは厳しい言葉を投げかけた。
 いずれ知れてしまうことだった。
 キラ=ヤマトが“フリーダム”のパイロットであることは、いずれザフト兵全てに知れ渡ってしまうことだった。
 けれど、あんなやり方で知れ渡ることを望んだわけでは、ない。
 イザークの声は、知らず知らず刺々しいものに、変わった。
 しかしそれをも上回る激情が、少女の唇からは迸った。

 高ぶる感情に任せて、翡翠の双眸に涙の雫が浮かぶ。
 綺麗に綺麗に。それでも、瞳だけは凛と煌かせて。

 言い返そうと、イザークは息を吸い込んだ。
 しかし言葉は、どう選んでも罵声にしかならないだろう。それは、イザークとて分かっていた。
 女性を詰るなど、敬愛すべき母たるエザリアからフェミニスト教育を施された彼としては、紳士としてもっとも恥じるべき所業であったけれど。
 けれど、どれだけ言葉を探しても、それ以外の言葉が出てこないのだ。

 しかし、言葉は。発する前に止められた。
 アスランが、イザークの肩に手を置き。
 その言葉を、押し留める。


「分かるよ」
「え……?」
「キミの絶望、キミの悲しみ、キミの憎しみ。俺は、分かるよ。俺たちは、分かるよ。当たり前だろう?俺たちは、ザフトだ。どうして、ザフトを連中に蹂躙されるに任せることなど、出来るだろう」


 翡翠の瞳を穏やかに。
 穏やかに和ませて。
 穏やかな雰囲気そのままに、アスランは言った。
 どこまでもどこまでも。
 穏やかに、穏やかに。
 まるで謳うように口にするアスランに、少女は目を見開く。
 信じられない。彼女のその顔はそう、語っていた。


「でも、だからこそ、手段と時期を選ばなくてはならない。今、君の声は彼らには届かない。届かなければ、君の嘆きも絶望も、ただの負け犬の遠吠えだ。そして今、少なくとも彼女たちに、君の声は届いていなかったよ」
「そんな……」
「ねぇ」


 翡翠の瞳が、笑みの形に歪む。
 唇が、弓張月を思わせる形に、吊り上った。
 その笑顔は、どこか禍々しい。それでも。
 禍々しく、恐ろしいのに。恐ろしいのに、目が離せなかった。
 恐ろしいのに、美しくて。
 息を呑むほどに、美しくて。
 目が、離せない。


「キミの望みを叶えるためなら、君は何だって出来るかい?」
「おい、アスラン!」
「キミは黙っていてよ、イザーク。俺はこの子に聞いているんだから。――ねぇ、キミは、何でも出来る?」
「……手を、貸してくれるの?」


 少女は小さく、尋ねた。
 それに、青年は笑いながら頷く。


「キミの望みに、俺は手を貸そう」
「本当に?」
「あぁ。そのための効果的なシナリオは、こちらが用意する。でも、本当に君は、何でも出来る?」
「できるわ」


 相手の言葉の詳細を聞くでもなく、少女は頷いた。
 その瞳を、爛と煌かせながら。


「ひょっとしたら、キミがプラントを追われ、天上の聖女を貶めたと排斥されるようなことを俺はキミに要求するかもしれない。それでも?」
「それでも、私はやる。それで、私の願いが叶うなら。私は、何だってするわ」


 だって、彼は、帰って来ない。
 もう、どこにもいない。
 この世のどこを探しても、もう。どこにもいない。
 それなのに、奪ったものたちは、互いに微笑みあっているなんて。
 彼を殺した人間は、恋人と笑いあっているなんて。

 独りよがりであることは、分かっていた。
 自己中心的な考えであることも、分かっていた。
 けれど、負の方向へと崩れ行く精神のバランスを、その均衡を。保つことは、できなかった。

 頷く少女に、アスランは更に笑みを深める。


「私はあいつらに、思い知らせたいの。私の大切なものを奪ったあいつらに。その為に力を貸してくれると言うなら、私なんて幾らだって使っていただいて構わない。」
「そう。それじゃあ……」


 アスランは、にこり、と笑って。
 そして軽く、お辞儀をした。


「ようこそ、新生ザラ派へ。君を歓迎するよ、サーシャ=ミリアム」



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 加筆修正の量が多すぎて、イヤンな感じです。
 ん〜。苦し紛れの姑息な手段だった筈なのに。
 すごい修正に時間がかかりました。

 オリキャラを出すことには抵抗を感じていたんですが。ただ、彼らの欺瞞の犠牲者を、出したいと思いました。
 アスランも勿論犠牲者であるけれど、彼らはアスランの傷にはとんと頓着しませんから。
 犠牲者としてのアスランは、弱いだろう、と。
 むしろ、君が間違っていたからだ、ぐらいは言いかねないと思うのです。偏見かもしれないけれど。
 まったく彼らと関わりがない。でも、彼らを憎んでやまない犠牲者を、出したいと思いました。
 姑息な手段であるとは、承知しています。

 オリキャラをハイネの婚約者設定にしたのは、私が彼の死を今なお引き摺ってしまっているのも勿論ですが。あのシーンでの彼らの誇らしげな姿に、一番矛盾と憤りを感じたからでもあります。
 後は、ハイネほどの男なら、婚約者がいても不思議じゃない(むしろいなかったら、そっちの方が吃驚だ)と、緋月が思ったからでもあるのですが。

 長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただき、有難うございます。