嗚呼 愛しています

愛しています 誰よりも

何よりも 愛している



だから赦せない









の色










 ホルスターを抑え、銃が収まっていることを確認する。
 弾丸は、足りるだろうか。
 十分に持ってきてはいるけれど、彼を仕留めるには十分だろうか。

 しばし眉を寄せて、考える。
 射撃は、彼には敵わない。
 彼の、針穴に糸を通すがごとき射撃を圧倒することは、難しい。
 けれど、確実に仕留めなければ、ならない。
 アスラン=ザラは、きゅっと唇を噛み締めた。


「侵入者を捕まえろ!」
「どこに行きやがった!?」


 ばたばたと無粋な音を立てて、大量の足音が通り過ぎる。
 此処に来るまで、少々殺しすぎたかもしれない。
 しかし、数量に劣る以上、仕方がなかった。
 殺さなければ、彼の元には到達できない。

 はぁ、っと息を吐いて、再びその息を詰めた。
 気配を殺し、そろりと男たちの背後に忍び寄る。
 ナイフを掲げ、後ろから喉首を掻っ切った。
 大量の鮮血が飛沫を上げ、白亜の廊下を汚す。
 その、繰り返しだ。

 そして漸く……彼の元に辿り着いた。



 執務室の扉を乱暴に開けると、くるり、と彼がその座していた椅子を回転させ、こちらに向き直った。
 怜悧な美貌により一層華やぎを与える長い銀糸。それと同色の長い睫毛に縁取られた慕わしい蒼氷の瞳が、まっすぐと闖入者を見据える。


「っ……イザーク……っ!」
「あぁ、やはり貴様が此処まで来たか、アスラン」
「……君を止めるのは、俺の役目だ」


 血塗れのナイフは、人血で柄が滑り、脂のせいで切れ味が悪くなっている。
 もう、使えない。
 彼と実力はほぼ拮抗しているのだから。こんな最悪のコンディションの武器で、勝てるとは思えなかった。

 ホルスターに手を伸ばし、銃を取り出す。
 構えるが、それよりも先に彼の銃がアスランの急所を狙って照準を結んでいた。


「何故……何故だ、イザーク!何故、こんなことになった……!?」


 悲痛な声が、その唇を飾る。
 いまさらこんなことを言って、何になるのか。
 己が紡ぐ言葉の無力さなど、アスランはとうに認識している。
 ことこの状況に至って、こうして紡ぐ言葉は、愚かしい。
 愚かしい、悔恨でしかない。
 それでも、アスランは言わずにはいられなかった。

 何故、こんなことになったのだろう。
 あんなにも誇り高く、高潔な彼が、何故。
 何故、道を誤った?

 戦後、プラントは荒廃した。
 ラクス=クラインが議長に就任したが、それはただただプラントを疲弊させただけだった。
 そして、クーデターが起こる。
 クーデターの首謀者は、イザーク=ジュール……。

 やがて彼は軍部の圧倒的支持を受けて、議長に就任する。
 そして、大規模な粛清が始まった。
 クライン派に名を連ねた者は悉く投獄・もしくは処刑を余儀なくされ、大量の亡命人を生み出した。
 民心は荒廃し、誰しもが互いを疑心暗鬼しながら生活しているのが現状だ。
 クライン派は悉く根絶やしにせよ。それが、彼の命令であったのだから。
 だから、民衆は疑心を抱えている。
 クライン派を密告すれば、褒賞が出るのだから、それはやむをえないだろう。
 誰もが、互いを伺い、その隙を伺っている。
 それが、今のプラントだ。

 今の世界を創ったのが彼であったということが、アスランをどうしようもなく打ちのめした。
 何故、あんなにも高潔だった彼が、こんなことを!?
 密告など、彼が最も唾棄していたではないか。
 そのようなもので政治は動かせぬ、と。そう言っていたのは、彼自身だってでは無いか。
 それなのに、どうして。


「何故?何故貴様が、そんなことを言う、アスラン!」
「分からない……分からないよ、イザーク!何故こんなことになったんだ!?」


 アスランの言葉に、イザークは声を荒げた。
 彼が繰り出す苛烈な命とは裏腹の、穏やかな雰囲気を纏って久しい彼は、こんなときだけ、昔に戻る。
 昔の、まだ互いが軍に所属していた当時の、イザーク=ジュールに。

 嗚呼、違う。
 彼は、穏やかさを纏っていたのでは、無かった。
 彼は、冷徹を纏っていたのだ。
 永久凍土の、万年雪のごとく。凍てついた、決して溶けること無い氷を、彼はその身に纏っていた。


「議会の決定に異議を唱えるだけならいざ知らず、影でこそこそと武器の密造を行い、プラント本国を切り崩しにかかった。処刑して何が悪い!」
「イザーク!」
「パトリック=ザラの暗部だけを強調し、ラクス=クラインの罪は隠蔽し……そんな奴らを処刑して、何が悪い!貴様だって、あいつらのためにどれだけ苦労を余儀なくされた!?」


 彼の言葉に、アスランは瞠目した。
 確かに、クライン派の治世下では、アスランの基本的な人権は常に侵害され続けた。
 彼らの意向一つで牢獄に放り込まれ、前線に送られ、刑務所に入れられた。

 ただ、パトリック=ザラの血を引くというだけで。
 イザークが、それに憤っていたのだって、知っている。
 守れない己を、責めていたことだって、知っている。
 イザークは、いつも言っていたのだ。
 すまない、アスラン。本当に、すまない。お前をまだ守れない、すまない、すまない……と。
 イザークは、言っていた。
 それだけ、彼は己を責め、クライン派を憎んでいた。
 でも……。


「でも、イザーク!確かに、君の言うとおりだけど……でも、それでも!……君は、間違えた」


 強大な権力を、復讐に使ってしまった。
 議長という権力を、そして軍隊という、使い道を誤れば害悪しかもたらさぬ強大な力を。
 彼は、復讐に使ったのだ。憎いクライン派を追い落とすその手段に、その全てを使ってしまった。
 嗚呼、自分のせいだ、と。アスランは唇を噛み締めた。


「議長という強大な権力を、君は私利私欲のために使ってしまった……ザフトの支持を得る君に、歯向かう者は誰もいない。それは……」


 何よりも重い、罪だ。

 自らを利するために、自らの欲望を叶えるために。そのようなもののためでは、明確には無かったけれど。
 それでも彼は、自らの望みを叶える為に、強大な権力の全てを使った。
 軍隊という圧倒的な力を背景にした彼に、抗えるものなどどこにもいないと、知った上で。彼は、使ってしまったのだ。


「プラントは、独裁を赦してはいけないんだ……!だから……!」


 ぐっと、細い指先をそのトリガーにかけた。
 彼は、微動だにしない。
 その口元にはいっそ、笑みさえ浮かべて。彼は、傲然と佇立している。
 そうだ。
 射撃では、アスランは彼には敵わない。
 彼は、アスランが熱を出したからだと思い込んでいたようだけれど。そうではないことは、アスランが一番よく知っている。
 射撃では、敵わない。

 彼の、針穴に意図を通すが如きその冴えは、彼自身の心の有様だ。
 常にまっすぐで、迷わない彼だからこそのもので、迷いに迷うアスランには決して、それは真似できない。
 それは、アスラン自身が、一番よく知っている。
 それでも、アスランは彼を止めねばならないのだ。

 彼は、間違えた。
 嗚呼、彼は間違えた。
 彼は、過った。
 彼を狂わせたのは、自分だった。
 自分という存在が、彼に道を誤らせた。
 彼を、狂わせてしまった。

 でも一体誰に、想像できるだろう。
 彼がこれほどのことをしでかすだなんて。
 高潔で誇り高い、イザーク=ジュール。
 彼が、これほどのことをしでかすなんて、アスランは思ってもみなかったのだ。
 今更、何の言い訳にも、ならないけれど。

 互いが、相手に銃を向けている。
 ああでも、此処で死んでしまうかもしれない。
 彼の射撃の技量を一番知っているのは、自分だから。
 それでもいい、と。アスランは、思った。

 自分は、ここで死ぬだろう。
 射撃で彼には、敵わない。
 きっと、ここで死ぬ。
 これほどのことをしでかしたのだから、彼にはもう、かつて愛した女とはいえ、殺す覚悟など、とうに決めているだろう。
 自らの道を妨げる、その存在を排除することなど、彼には如何ほどのことでもないに違いない。
 それでも、彼は優しいから。

 かつて愛した女をその手にかけたことを、彼は一生忘れないだろう。
 そうして、彼の心に残る、ささやかなささくれにでも、なれればいい。

 彼は、思い出すだろう。
 事を起こすたびに、愛した女を手にかけたことを、彼は思い出すだろう。
 そうして癒えぬ傷痕になってくれれば、それでいい。

 そのまま互いに拳銃を向けて。
 そのトリガーを、引いた。

 嗚呼、これで終わる、と。
 その時アスランは、思った。
 彼の手にかかって、自分のせいは終わる。
 迷いに迷って、何度も彼を裏切って。何度も彼を苦しめて、ついには彼の道さえも誤らせた。
 そんな自分にしては、なんとも幸福な死ではないか、と。そんなことさえ、思って。

 しかし一向に苦痛は襲わず。
 逆に彼の肢体が、ぐらりと傾いだ。


「イザー……ク?」


 呆然と、その名を呼ぶ。
 何故、彼が倒れているのだろう。
 死ぬのは、自分だったはずなのに。
 何故……?


「イザーク……!!」
「アス……ラ……」
「イザーク!どうして!?」
「……愛する人間を、殺せるか……バカ、が」
「バカは君のほうだ、イザーク!」


 その肢体を、抱きしめる。
 色を失った彼の唇が、微かに戦慄いた。
 吐息にも似た弱弱しい声が、その唇から零れ落ちる。
 嗚呼、どうしよう。
 どうすれば、いいのだろう。
 出血の量は、彼が最早助からないことを如実に表していた。


「悪……かった……」


 イザークの腕が、アスランに向かって伸ばされる。
 そのまま、その頬を力なく、拭った。
 嗚呼、泣いているのだ、と。アスランは思う。
 自分は、涙を流している。
 イザークはそれを、拭ったのだろう。
 そっとその手を、握り締めた。


「イザ……」
「赦せな……かっ……」


 ごぼり、と。その唇から鮮血が溢れた。
 白皙の肌を、穢れた赤が汚す。
 血の気の失せたその白皙に、赤はいっそ、恐ろしいくらいに映えた。
 涙の滲んだ翡翠を見開いて、抱きしめる腕に力を込めた。

 嗚呼、どうしよう。どんどんその躯から、温もりが失われていく。
 嗚呼、どうしよう。彼を失いたくなんて、なかったのに。
 彼がプラントに必要であること、それはわかっていたのに。
 極端な今の路線さえ正せば、彼以上の人材など、今のプラントにはない。
 それを、自分は知っていたのに。
 なればこその、楔に。彼を苛むささくれに、そう、望んでいたのに。
 それなのにどうして、彼は斃れて。
 自分はそんな彼を、抱きしめているのだろう。
 望んだのは、真逆のことであった筈なのに。


「どうして、も……赦せな……」
「分かった……分かったから!」


 もう、喋らないで!
 声にならない声で、アスランは叫んだ。
 もう、喋らないで。苦痛が、長引くだけだ。
 一言口にするたびに、彼の命の炎はかき消されそうになる。溢れ出す血に、もはや呼吸さえ苦しいだろうに。
 苦しみながら、彼の命は消えていく。


「悪……か……」
「分かった。分かったよ、イザーク!だから……!」
「苦しめた……な?」


 守りたかった。
 守りたかった、だけなのに。
 できることなら何も見せず。真綿にくるむようにして、守りたかった。愛したかった。
 どんな悪意も、どんな罪も。見せずに遠ざけて、宝物のように、箱に閉じ込めて。大切に大切に、愛したかった。
 安らぎだけを、与えたかった。
 そんなものに収まるような存在ではないと分かっていたけれど。そうやって、愛したかったのだ。
 大切に、大切に。
 今まで傷ついた分、大切に。

 だから、赦せなかった。
 赦せなかった。どうしても。
 優しいアスランを……大切な存在を傷つけ苦しめた連中が、赦せなかった。
 唯一守りたい存在を、傷つける全てが赦せなかった。
 だから、力を望んだ。強大で、圧倒的な権力を、力を。彼は、望んだ。
 それさえあれば、アスランを守れる。
 大切な大切な存在を、今度こそ。どんな冷たい風にも当てずに、大切に大切に、愛していける。そう、思った。
 しかし、現実はどうだっただろう。
 それなのに今、彼はアスランを傷つけてしまっていた。
 ほら、アスランは今、こうして泣いている。
 守りたかった存在は、所有の難しい翡翠に大粒の涙を浮かべて、泣いている。


「泣くな、アスラン……」
「イザーク……」
「しあわ……」


 幸せに、なって欲しい。
 願いは、それだけだ。
 幸せに、なって欲しい。

 大丈夫。国内のクライン派は、殆ど壊滅している。
 仮にオーブから歌姫が舞い戻っても、彼らには何の力もない。
 情報は全て、開示した。
 彼らの愚行も明らかにした。
 だから、大丈夫。
 民衆は、愚かではない。
 もう二度と、盲目的に彼らを崇めることはない。崇拝することはない。
 だから、幸せになってくれるといい。
 そのための大掃除は、凡そ終わったから。

 今度こそ、今度こそ、自由に。
 誰にも妨げられることなく、自由に。彼女の望むままに、生きて欲しい。


「嗚呼……綺麗……だ……」
「いざーく?」


 涙に濡れても、彼女は美しかった。
 たくさん、殺した。
 怨嗟の声は、いくら耳を塞いでも途切れよう筈もない。
 それだけ、殺した。戦時中も、戦後も。
 彼と異なる思想の持ち主、彼に逆らうもの。その全てを、彼は殺した。慈悲など、欠片たりともかけなかった。それが、彼の『正義』だった。
 悔やむのは、今この状況になっても悔やむのは、それが優しい彼女を傷つけた。ただその一点のみだ。
 そんな自分を救いがたく愚かと思いこそすれ、後悔はなかった。
 ただ、そう。
 そんな自分に彼女が手向ける、一滴の涙。
 それが、愛しい。

 どうせなら、笑って欲しかったけれど。
 彼女の、憂いがちな笑顔を、何よりも愛していたのだけれど。
 泣いてくれる。それだけで、幸せだった。
 傷つけたけれど。本当に、傷つけたけれど。
 この一時が、永遠になればいい。

 アスランの指が、彼の頬に触れた。
 温もりが、しみる。
 美しい翡翠が、すぐ傍にあった。
 嗚呼、何て綺麗なのだろう。
 本当に、綺麗だ。


「あすら……」
「イザーク」
「愛……あす……」


 ごぼり、と。鮮血が溢れて、息が詰まった。
 ひゅーひゅーと、微かな吐息。
 それが、絶えて。
 ふっと、彼は笑った。
 そのまま、だった。
 それきり、彼はもう、何も言わなかった。


「イザーク……!」


 抱きしめる。それにもう、彼は抗わない。抗えない。
 彼の命はもう、ここにない。
 悲しくて、唇をかみ締める。
 嗚呼、違う。
 悲しいのでは、ない。悔しいのでは、ない。
 ただ、叫びたくて、堪らない。

 嗚咽をかみ殺すアスランの聴覚が、近づく人物を捕らえた。
 それでも、アスランは顔を上げない。
 この状況になるたびに、現れる存在を、アスランは知っている。


「アスラン……」


 名を呼ばれて、アスランはゆるゆると顔を上げた。
 その腕には、死した最愛の人をしっかりと抱きしめて。
 そして苦く、笑う。
 どこまでも、自分の予測は外れない。

 顔を上げれば、そこにラクス=クラインとキラ=ヤマトの姿があった。
 嵐が過ぎ去ると思ったのだろう。どうやら、プラントに舞い戻ってきたらしい。
 それまで、何もせずにオーブに隠棲しておいて。いつもいつも、天秤がどちらかに傾きかければ颯爽と現れる。
 何て厚かましい。
 それ以上の感慨を、アスランは抱くことはなかった。
 何て、厚かましい。何て、醜悪な。

 憎悪に煌く眼差しを、アスランは二人に向けた。
 けれど、鈍感な二人に、アスランの殺気など届かない。


「そんな汚いもの、離しなよ、アスラン」
「なっ……!」
「世界のために、よくやってくださいましたね、アスラン」


 汚いものを見るように、彼らはイザークの遺体を見つめている。
 彼らにしてみれば、命を狙われたのだから当然だったのかもしれない。
 しかし、アスランはそうは思えなかった。
 イザークだって、一生懸命だった。事実、プラントの経済は復興しつつある。彼らが叩き潰して疲弊させたものを、イザークは懸命に立て直そうとした。
 彼にしてみれば、そのための粛清であり、大量殺戮だった。
 意見を異にし、プラントの国益よりもオーブを考えるものなどに、プラントの限りある資源を使うことなど、できなかった。
 そのための、粛清だった。
 その是非はさておき、自ら果たすべき責任を果たさない彼らに、そんな言葉をつむぐ資格などない。
 少なくともアスランは、そう思う。


「ほら、アスラン。そんな汚いものはそっちにおいて。こっちにおいでよ」
「あなたは英雄ですわ、アスラン。プラントの市民はきっと、あなたを歓呼を持って迎えるでしょう」


 微笑む彼らが、酷く汚らわしく思えた。
 触れさせるものか、と。思った。
 彼の遺体も、自らの身も。
 触れさせて、堪るものか。


「アスラン……」
「俺に触るな!」


 手を伸ばすキラを、跳ね除けた。
 そのまま、彼の命を屠った銃口を、向ける。
 そして、叫んだ。


「少しでも近づいてみろ!殺してやる!」
「アスラン!?」


 キラが、驚いたような声を、上げた。
 けれどもう、それに頓着なんてしなかった。
 キラは、知らなかったのだろうか。
 イザークとアスランが、恋を育んでいたことを、知らなかったのだろうか。
 否、知っていた筈だ。その上で、そんな無神経なことを言うなど、信じられなかった。
 けれどもう、そんなことさえもどうでもよかった。

 それよりも、探さなくては。どこかに。どこかにあるはずだ。
 彼の誇り高さを思えば、どこかに。
 自害用の何かを、彼は隠していただろう。
 そしてそれは、何がしかの爆発物であるはずだ。
 クライン派の全ての、その膨大な処刑リストを、彼は諸共に墓場に持っていくことを選んだだろう。
 自らの事敗れたその時に、全てを道連れにして。
 ただただ、それがアスランの幸せにつながる、と。愚かしいまでの独善性と欺瞞で、彼は望んだだろう。そんなこと、アスランの幸せには繋がらないというのに。

 そして、アスランは見つけた。
 ひっそりと隠されていた、可燃性の強い液体。そして、ライター。
 液体のタンクには、導火線が結ばれている。
 液体をぶちまけ、火を放てば、それが起爆剤にもなるのだろう。
 彼らしい華やかで、悲しい身の処し方だ。
 ならばこれを、使わせてもらおう。

 にっこりと、アスランは花のように笑う。
 そして銃口をキラの心臓に向けたまま、その液体を撒き散らした。


「何を……何をするの!?」
「イザークの遺体は……俺の愛する人の遺体は、お前らなんかに渡さない。お前らの政治の道具には、させない」


 このままイザークの遺体を、政治の道具にはさせない。
 彼の遺体を辱めて、「皆さん、圧制はおわったのです。平和は勝ったのです」なんて。そんな空々しい茶番は認めない。
 それくらいならば、燃やしてやろう。
 彼の遺体を、燃やして。そして自分も、還るのだ。
 彼と同じ炎に、還る。

 そのまま火を、放った。


「アスラン!早くこっちに!」
「いけません、キラ!火の回りが速すぎます。長居しては、こちらが……」


 アスランに駆け寄ろうとするキラを、ラクスが懸命に押しとどめる。
 滑稽だな、と思った。
 彼らの立つ場所にはまだ、炎の欠片も舞い散ってはいないというのに。


「アスラン!」
「さっさといけよ、キラ。お前なんか、もう俺には必要ないんだよ」


 それでも、アスランの名をキラは呼ぶ。
 安全な場所から、帰ってこい、と。
 馬鹿馬鹿しいと、思った。
 だから、アスランは答える。
 お前なんか、必要ない、と。さっさと還れ、と。

 そう言って、アスランは腕の中の最愛の人を抱きしめ。
 その銀糸に、触れた。

 キラは散々騒いだようだったが、結局その場から去った。
 結局、言葉だけなのだ。
 もう、どうでもいいけど。

 そっと、愛する人に口付ける。
 最後の口付けは、冷たい死の味がした。
 錆びた、鉄の味がした。
 それさえも甘く感じる自分を、アスランはおかしいとは思わない。


「イザーク……愛しているよ……」


 君は幸せに、と言ったけれど。
 この世界ならば幸せになれると言ったけれど。
 でも僕が、君を撃ったその時にもう、決めたんだ。

 アスランは、笑った。
 幸せそうに、幸せそうに、笑う。

 そして彼の命を屠った銃口を、こめかみに。









愛している

愛しているよ イザーク

だからどうか 君の元に逝かせてください

愛する人のいない世界に 花なんて咲かないから

目の前に広がる無明の闇に 耐えられるほど俺は強くないから

だからどうか 一緒に逝かせて

愛する人のいない世界は 不毛の大地と変わらない

何の花も咲かないのなら

綺麗な思い出を抱いて 一緒に眠りましょう

嗚呼、何て幸せ……



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 ブログより、加筆訂正して再掲です。
 Sound Horizonの「恋人を射ち堕とした日」と「恋人に射ち堕とされた日」からインスパイアしました。
 テーマは暴君イザークだったりしたのですが、完全無欠の暴君を書くことはできませんでした。
 やっぱり、イザークに夢を持っていますからね。
 どうしても、難しかったです。
 ただ、愛するが故にあえて修羅の道を征くことは、イザークは可能だと思っています。高潔で誇り高い彼だからこそ、真っ直ぐで純粋な彼だからこそ。
 きっと心の中ではそんな自分を激しく憎悪しながらも、そんな道を選ぶことは、無きにしも非ずではないか、と。
 そう、思うのです。

 この後のプラントのことは、実は何とも考えていないのですが。
 多分、教祖たちが政権を取ろうとしても、他が阻むんじゃないですかね。軍はシンたちが。政界は、ルイーズさんとかが。
 民衆も、彼らを選んだりはしないと思います。
 民衆は、愚かではありませんから。