『……して……?』


闇の中で、声がした


『ど……して……?』


哀しげな声が、胸が痛くなるほどの切なさで、その名を呼ぶ。


『どうして、私ではいけないの……?イザーク……』


貴方を誰よりも愛しているのは『私』なのに――……。






- Plorogue -





 哀しい戦争が終わって、彼女――アスラン=ザラ――は、オーブにその生活の拠点を移していた。
 あの戦争は、あまりにも哀しくて。
 あまりにも、彼女を傷つけて。
 それでも懸命に抗い続けた彼女に待っていた現実は、あまりにも惨いものだったから。

 プラント市民権の、剥奪――……。

 両親を戦争によって奪われ、自身も血を流しながら這いずるように生きていた彼女を待っていたのは、いっそ無慈悲なまでの決定。
 その瞬間から、プラントは彼女の『祖国』ではなくなってしまった。

 辛い現実に何度、生きることを放棄することを考えただろう。
 このままこうして生きていくよりは、そのこめかみに銃口を突きつけるか、毒を服用することがずっと、楽だった。
 けれどそれは、躊躇われた。
 待っている、と。そう言ってくれた人が、いたから。
 必ずプラント市民権を取り戻してやる、と。彼は言ってくれた。


「でも、寂しい……よ。イザーク……」


 テレビジョンに映し出された人物の輪郭をなぞりながら、囁く。
 コーディネイターの中にあってさえも稀有な、華やかな美貌の所有者が、映し出されている。
 纏う軍服の色は、白。
 彼の硬質な美貌に、とてもよく似合っていると思う。
 凛とした、声。
 紡がれる言葉の、力強さ。
 自ら分を弁えている彼は、軍人である以上決して、政治的なことは口にしない。それでも誰もが、彼の言葉に聞き惚れずにはいられないだろう、と思う。圧倒的な、その存在感。
 彼女――アスラン=ザラの、唯一にして永遠の人。


「いけない、いけない。こんなことじゃあ、次にイザークに逢えた時、まともに顔が見れないじゃないか、アスラン=ザラ」


 彼の前に立ったとき、まっすぐと彼の目を見つめられる自分でありたい、と思う。
 彼の目は、いつもまっすぐと彼女を見つめていたから。
 その眼差しから視線を逸らしてしまうような……逸らさねばならないような無様な自分では、ありたくないと思う。
 再び彼と見えたその時は、誇りを持って彼の視線に応えられるようで、ありたい。

 仕事を、しよう。
 オーブに拠点を移してから、カガリの護衛じみたことをやっているし、簡単な書類処理は任せてもらえるようになった。
 今日は、カガリは首長会に出席しているため、護衛の任務はない。あるのは、書類の整理だけだ。
 その仕事を、してしまおう。

 ん、と伸びをして、彼女はデータを手にした。
 それを読み進めていくうちに、まったく見覚えのないデータに行き当たった。
 どうやら、誰かが間違えて持ってきたものらしい。
 そしてどうやら、アスランの立場では見てはいけない書類のようだ。
 朱で描かれた『Top Secret』の文字が、それを物語っている。

 そう。普段の彼女ならば決して、それ以上そのデータを覗くことはなかっただろう。
 彼女の父、政治家であり、彼女は政治家の娘だ。
 それぐらいのことは弁えていた。
 しかし、彼女は見てしまったのだ。

 最初に飛び込んできた文字に、彼女が当たり前としてきた『常識』が、揺らいでしまった。それほどの衝撃が、あったから。

『Ark Angel』
『Freedom』

 その、二つの文字に。


「“アークエンジェル”……“フリーダム”……?」


 何故、そんなものが書類に登場するのだろう。確かアレは、廃棄されたのではなかったか。
 先の対戦終了後、過ぎる力は争いを生む、と。オーブは世界に軍縮を訴えた。
 当然、これらの戦艦・機体も廃棄されているはずではなかったのか。
 まして、“フリーダム”は条約違反の、核兵器搭載型モビルスールではないか。


「モルゲンレーテ……?地下シェルター……?」


 連なる文字の数々に、血の気が引いていくのが分かる。
 これは、何だ。
 一体、何が起こっている?
 世界では、一体何が?
 そして何より……。


「……俺は何も、聞かされていない……」


 キラやラクス、カガリは知らなかったのだろうか。
 いや、そんなことはないだろう。
 モルゲンレーテは、国営の工場だ。いかに未熟とは言え、代表首長が知らないなどと有得ない。
 キラやラクスだってきっと、知っている。
 自分たちの住む家の地下に、モビルスーツを隠しているのだから。

 何故、それなのに教えてくれなかった……?


 絶望に、足元が崩れそうな衝撃が、襲う。
 自ら拠って立ってきたものが……信じてきたものが、足元から揺らぐ。
 どうして?嗚呼、どうして?


「……っ!」


 突然頭に痛みを感じて、彼女は崩折れた。
 闇に、意識が堕ちていく、感覚。

 その時、声、が。
 声が、聞こえた。

 息が、詰まる。
 彼女自身の指が、彼女自身の首を絞めていた。


『ど……して……?』


 脳裏の片隅で、何かが囁いた。
 哀しげな、声。
 この声を、知っている。
 そう、それは……。


「俺……?」
『違う。私はお前のように脆弱じゃない』


 嘲る声が、脳裏に響いた。
 頭が、痛い。

 『声』は、愉しそうに笑った。
 どこかヒステリックに……哀切を込めて。


『私はお前とは違う。私は強い。お前なんかより、遥かに強い。私には力がある。……私の方が、イザークを愛している』
「何、を……」
『傷ついて逃げることしか出来ないお前なんかに、イザークは渡さない。イザークは私のものだ。お前なんか……』


 指に、力が込められた。
 どうしよう。躯が、言うことを聞かない。
 何故……!?

 『声』が、笑った。
 愉しそうに……心の底から、愉しそうに。
 そしてどこか幼い無邪気さを秘めて。


『お前なんか、消えてしまうといい』
「やめ……!」
『大丈夫。イザークはちゃんと私が愛するから。ちゃんとイザークにも私を愛してもらうから。心配することはない、アスラン。……だからお前は消えろ!』



 締め上げる力が、増す。
 息が、詰まって。
 そのまま彼女は、意識を手放していた――……。







 ピクリ、と。床に倒れこんでいた彼女の指が、動いた。
 ゆっくりと、視線を動かす。
 徐に起き上がって、手足の感触を確かめるように、その掌を閉じたり開いたりした。
 憂いがちな表情の麗しいその美貌が、笑みの形に歪む。


「くっ……はははっ……あははははははっ!」


 哄笑が、その唇から零れ落ちた。
 暫し笑っていた彼女だったが、やがてゆっくりと自身の身を抱きしめた。


「手に……入れた……!この躯は私のものだ……!手に入れた……あぁ、イザーク……」


 テレビジョンに映し出されるその人を、彼女は愛しげに眺めやった。
 それから、端末に視線を走らせる。

 あぁ、早く彼に逢いたい。
 彼に逢って、思う様愛して欲しい。
 漸くこの身を、自分のものにできたのだから。


「手土産が、必要だな……」


 翡翠の瞳が、暗い光を宿したまま。
 ゆっくりと笑みの形に、歪んだ……。







 ブログで書いていたものを、こちらに序章だけ移動。
 黄昏が完結したら、こちらの更新をしたいものです。
 位置づけは、緋月的運命補完・焼き直し計画。
 緋月のご都合主義で進められる運命(笑)。
 とあるお方からいただいたメールで書くことを決意し、いつの間にか突っ走っているという……猪か、緋月翠。

 アスランが精神的に身食いをしてたり、イザークがもう一つの人格のアスランといちゃついたり、もう一つの人格のアスランが異常にイザークを好きだったりすることに抵抗のない方は、更新を楽しみにしていただけたら幸いです。
 絶対に、痛い描写とか、アスランが可哀想な思いをしたりすると思いますけど。
 いいの!苦難の末に結ばれて!な方に愛でていただける作品になれば、いいなぁ……。

 ここまでお読みいただきまして、有難うございます。
 『白い闇』更新再開は、2007年1月をめどに考えております。
 お待ちいただけましらら、幸いです。