「おそらくお前は……お前たちは私を赦しはしないだろうな……」


自嘲気味な笑みをその口元に刷いて、男は言葉を紡ぐ。
目の前には、一枚の写真。
よく似た面影を持つ、彼が愛するものたち。
彼の妻と、子供の写真。

分かっていた。
それが罪ということ。それを願わずにはいられないこと。
それこそが、何よりの罪ということ。
分かっていても、贖いを求めずにはいられなかった。
だから……。

男が視線を転じた先には、コンソールが置かれていた。
それが弾き出したものは、ある人物のデータ。

一対の漆黒の瞳と、同色の髪。
どこか険しい印象は、彼女の歩んできた人生を思えば、致し方のないものだった。

今はもう亡い親友の、忘れ形見。
彼女を、利用する己に、吐き気すら感じる。

自らなすことが過ちであると分かっていても。
最早、その心が導き出す未来を、とめられない。
彼を押し止められるものは、もう亡い。


「すまない、リヒト。ルチア……レノア……」


項垂れて、再び顔を上げたその時、彼はもう既に迷いを振り捨てていた。
ナチュラルを、滅ぼす。
そのための一歩を、彼は踏み出そうとしていたのだ――……。






#22   
〜中〜






すっぽりと抜け落ちた、記憶。
兄もミゲルも、何も言わなかった。
むしろ、 が失われた記憶を思い出そうとすればするほど、兄は悲しそうに眉を顰めた。
ミゲルも何も言わなかったけれど、思い出させないようにしていたように、今は思う。

それも、当然か。
兄が望まないことを、ミゲルは望まない。
そしてミゲルが望まないことを、兄は望まなかった。
性格的にはあんなにも異なっていた二人だったのに、そういうところはよく似ていた。

だからこそ、『親友』だったのだと思うけれど。


――――『私は、誰なの?』――――
――――『お前の名前は、 = だ』――――
――――『どうして私は、何も覚えてないの?』――――
――――『酷い事故だった。だから……忘れたんだよ』――――


繰り返し、繰り返し囁かれた、言葉。
寝物語にも似た優しさで、何度もそういわれた。

もう一人の『兄』同然だったミゲルも、同じだった。


――――『何も、思い出せないの』――――
――――『それで、何か不都合があったのか?』――――
――――『ないけど……。思い出せないの、不安で……』――――
――――『忘れたのは、それが辛い記憶だったからだろ?不都合がないなら、忘れたままでもいいんじゃないか?
    それで が、俺たちの「妹」じゃなくなるわけじゃないだろ?』――――


囁かれて、そんなものか、と納得した。
記憶がないということは、大したことではないらしい。
それに、記憶がないとは言え、日常生活には困らなかった。
ナイフとフォークの扱い方も知っていた。
洗面の仕方も、バスルームの使い方も。
必要なものは全て、識っていた。
だから、不都合はなかった。

ただ、思い出が抜け落ちていただけ。
父の、母の、兄の、もう一人の兄の記憶が、抜けていただけ。
死んでしまったという父と母の記憶がないのは哀しかったけれど、残っている二人の『兄』は大丈夫だと言ってくれたから、大丈夫だと思った。

それは、誤りだったのだろうか?
何が何でも、記憶を取り戻す努力をすべきだった?
そうすれば、こんな不可思議な感覚を味わうこともなかったのだろうか?

分からない。
全てが、分からない。
何も、分からない。

確かに、ここに来たことが在る。
大地を踏みしめて、しっかりと立ったような気が、する。
たって、歩いて。

でも、それはおかしい。
アカデミーに入るまで、 の邸以外に出たことがなかった筈だ。

外を知る手段は、ソリビジョンと、ミゲルだけだった。
兄は、 が外に出ることを好まなかったから。
だから、この感覚はおかしい。
おかしい……はずだ。

もしも……
もしも、兄が存命だったなら、答えをくれただろうか?
それとも、何も言わないだろうか。

ああ、そうだ。
ミゲルが、生きていてくれたらよかった。
もう一人の、優しい『兄』。
そうすれば、こんな気持ちにすぐに答えをくれた筈だ。

大したことはないんだよと言って、笑って。
子守唄代わりに、歌ってくれた筈だ。

そこまで思って、 は自嘲した。
皮肉な笑みが、口元を飾る。

護れなかった自分が、何を言っているのだろう。
ミゲルを、護れなかったのに。


ミゲル……。
そういえば、ミゲルが遺してくれていた物がなかったか?

そう、だ。
ノート、だ。
ミゲルが に残してくれた、遺品。
その中に、ノートがあった。
日記帳のような体裁の……ノート。
それに、少しは手がかりがあるかもしれない。
基地の戻ってからでもいい。
一度アレを、吟味熟読してみよう。
そうだ。
そうしよう。

それどころじゃないと分かってはいるが、さっさと自分のモヤモヤに蹴りをつけないことには、気になって仕方がない。
先送りにしてしまった問題は他にもあるが……。

そう。イザークのこと。

先送りにしたまま、答えの出せない問題。
己のこの厄介な感覚については、答えの出るあても見つかったが、もっと厄介なものが残っているのだ。
己の気持ちだからこそ、余計に厄介だ。

嫌いならば、いい。
けれど、嫌いじゃないのだ。
だからといって、『愛しているか』と問われれば、『分からない』と応えてしまう。

優しい人だ、と思う。
少々気が短いところはあるが、彼は優しい。
モビルスーツの腕も確かだし、頼りになる人だと思う。

けれどそれを、『恋愛』においてみると、途端に の感情は迷路に迷い込んでしまう。
『分からない』というのが、この際彼女には適切な言葉となってしまうのだ。

こればかりは、誰かに相談するわけにもいくまい。

う〜んと考え込んでいると、アスランが心配そうに の顔を覗き込む。


「大丈夫か?」
「あ、うん。平気。大丈夫だよ」
「ならいいが」
さん、これ。お茶でよかったですか?」
「冷た……」


ぴとり、とニコルが の頬に缶をくっつける。
よく冷えていて、その冷たさに一瞬、 は驚いた。


「はい、アスランの分。コーヒーでよかったですか?」
「悪いな、ニコル」
「いえ。僕も喉が渇いてましたし、ちょうどよかったです。……それにしても。見つかりませんね、手がかり」


声を落として、ニコルが言う。
それに、アスランも頷いた。
手がかりが、見当たらない。


「イザークたちが、何か見つけてるかもよ?」
「そう……ですね」


プルトップを開けて、缶に口をつける。
ひんやりとした冷たさが喉を滑り落ちていく感覚が、心地よい。


「中立国って言うけど、本当に油断のできない国よね……」
「そうですね。町中は平和そのもの……でも裏は……」


アスランは言った。


――――『裏では何をやっているか分からない、厄介な国だ』――――


と。
それは図らずとも、立証されてしまったわけだ。
平和そのものの町中に反して、軍港や工場群などのチェックは、思っていた以上に厳しい。


「ホント、厄介な国ね……」


こうして潜入するより、突破したほうがはるかにやりやすかっただろう。
いかにオーブが軍事立国とはいえ、ザフトや地球連合軍と正面からまともにやりあえる力を持っているわけではないのだ。

そのほうが、はるかにやりやすかった。
もっとも、それで「足つきはいませんでした」じゃ、深刻な外交問題に発展するだろうから、アスランの判断は正しかったと思うが。

外交問題といえば、イザークの『避難民撃墜事件』があったばかりだ。
あれは、あのような状況でシャトルを発射した地球連合側にその責は負わせるべきだと思うが、イザークが撃墜したことは事実で。
だからこそ、ザフト側としては慎重にならざるを得ないのだ。


「めんどくさいなぁ……」
さん?どうしました?」
「考えるべきことが多すぎて、やるべきことが多すぎて、めんどくさいなぁって」


公私共に、考えるべきことが多すぎる。
そして、先送りできるものはなく――ついでに彼女の性格上、問題を先送りにすることを好まなかった。―― でなくとも、溜息をつきたくなるだろう。

公的なことは勿論、先送りなんて出来ない。
けれどそれ以上に を悩ませるのは、イザークのことだ。

自分のことであれば、それでおしまいだ。
自分を悩ませる自分の欠けた記憶なんて、己にしか関係のないことだから。
けれどイザークの問題は、己のみに留まらない。
自分の感情だけにしか関わらない己の記憶よりも、イザーク自身の感情にまで影響を落とすイザークからぶつけられた好意が、重い。
それは、イザークにも関係があるのだ。



イザークのことは、嫌いじゃない。
そう。好きとと言っても、いい。
けれど……。

ふっと、 は瞳を伏せる。
けれど、イザークは兄とそっくりなのだ。
その身に纏う雰囲気こそ違えど、その顔も、優しいところも。兄に似ているのだ。

だから、 は戸惑う。
己が本当に……本当にイザークを好きなのか。
それが、分からない。
兄に似ているから、イザークを好きなのか。
真実イザークを想っているのか。

それが、分からない。


「人の気持ちって、難しいねぇ……」
さん?」
「難しいね、人の気持ち。あぁ、だから、私たちは戦争をしているんだね」

「だって、そうでしょう?」


遠くを、望んだ。
果てない未来を、願った。


「願った未来は、こんなものだったのかな?ジョージ=グレンを創った人は、何を望んだんだろうね?」


こくこくと、冷たいお茶を飲みながら。
何でもないことのように、 は言葉を紡ぐ。

けれどキョウカは、時々考えてしまうのだ。
コーディネイターは、ナチュラルの夢だった筈だ。
けれどこうして、夢だった筈のコーディネイターと、その生みの親であるナチュラルとで戦争をしている。

そして自分自身はというと……。

ふっと、キョウカは自嘲の笑みを唇に刻む。

「ヴァルキュリア」
「ザフトのヴァルキュリア」
「ザフトの鋼のヴァルキュリア」
「鋼のヴァルキュリア」

戦いの中でしか、存在価値を見出せない哀れな存在だ。
戦い。戦いと、そして――……。
』の家名。
ただ一人の『 』だから。

兄は、死んだ。
父親であるリヒトも、亡い。
』の血を引くただ一人の『 』。
それは、 のみだ。
最早、 しかいない。
それが、『 』の価値だ……。

誰かに価値付けられるということは、とても心地の良いものだ。
それは、一種の倒錯した心理かもしれないが、心地よい。
価値のないものと切り捨てられるよりは、価値を見出されることを喜ぶ。
それは、人が誰でも抱き得る感情だろう。
切り捨てられたくなど、ない。
切り捨てられ、価値ないものと擲たれることなど、誰も望みはしない。

けれど、重い。
価値付けられる、ということ。
価値を見出される、ということは、同時に酷く重い。



戦いによって価値を見出される、『ヴァルキュリア』。
』の最後の一人だからと価値を見出される『 = 』。

価値を見出された、その基盤を失えば、無用の長物と成り果てるのだろう。

戦いがなくなれば、『ヴァルキュリア』は必要なくなる。
』の血を引いていなければ、『 = 』に何の価値があるだろう?

リヒト= の娘としての、『価値』。
= の妹としての『価値』。

を必要欠くべからざる者としてとどめるのは、それらのみなのだ。
それを失えば、どうなるのだろう。

それだけでは、ない。
もしも が、リヒト= の娘ではなかったら?

存命の折には、評議委員にその名を連ね、『副議長』の呼び声も高かった。
ある種のカリスマ性を備えた、リヒト=
もしも が、その娘でなかったなら?

もしも が、 = の妹ではなかったら?
評議委員入りを求められ、コーディネイターの中にあってさえも異彩を放った人。
『天才』と称された、 =

もしも が、その妹でなかったら?

一体誰が、 に価値を見出すのだろう。
見出してくれるのだろう。
』を必要としてくれるのだろう……?


必要とされたい、と願う。
自分だけの『価値』を、存在の証を、誰かに認めて欲しいと思う。

人である以上、生きている以上、誰かにとって大切な存在になりたい。

そんな、本能にも似た欲求。




だから、イザークの手を振り解けないだけなのだろうか。
兄に、似ていて。
自分に『価値』をくれる。
その価値に『ヴァルキュリア』も『 』も関係ない。
だから、イザークの手を振り解きたくないと願うのか。

どちらにしろ、自分本位の浅ましい感情だ。


「気分は、少しは良くなったか?
「大丈夫。平気よ。……ごめんなさい、変なことばかり言って」
「それは構わないが……ニコルの言うとおり、最近少し様子が変だぞ?何かあったのか?」
「……考え事よ。ちょっと、思うところがありまして」


小さく、 は笑う。
本当に、どうしたのだろう。
最近、考え事ばかりだ。
それほど大事とは思えないことを、延々と考え込んでいる。

今まで、決して大事だとは思っていなかった、数々の事象。
記憶を持たないこと、とか。自分という存在だとか。
大して価値を見出していなかったのに。
今こうして思い返してみれば、自分には何もない気がして、ぞっとする。

私は、何を持っているのだろう?
何を思い、何を考え、どう行動すべきなのだろう。

軍人になった。
戦うだけの理由と、戦えるだけの力がある。
では、戦いの本質とはなんだろう?
なぜ、この戦争は起こったのだろう?
何故、ナチュラルとコーディネイターは戦わねばならないのだろう?

考えたことも、なかった。
ただただ純粋に、ナチュラルは『敵』だった。
滅ぼさねば、こちらがやられる。
殺さなければ、殺される。
それだけを考え、それだけを思い、闇雲に振り回し続けた剣。
それだけの力がある。ただ、それだけのために……。

思索の迷路に、迷い込んだみたいだ……。
やらなければならないことも、しなければならないこともたくさんあるというのに。

『価値』には『責任』、もしくは『義務』が伴う。
与えられた『価値』に、見合うだけのことをせねばならない。
そんな『責任』。
そんな『義務』が――……。

戦いの中に価値を見出される『ヴァルキュリア』。
ならば、戦えなくなれば価値はない。

』の血を引く、『 』。
ならば、『 』の血を引いていなければ、 に価値はない。


「また、暗い顔してますよ、 さん」
「ニコル……」
「何かあったら、いつでも話してくださいね?僕たちは、仲間なんですから。何でも、言ってください」
「……有難う」


優しい囁きに、胸がいっぱいになる。


「そうだぞ、 。戦場で出逢った、大事な仲間なんだ。何でも言って欲しい」
「アスラン……」


目頭が、熱くなった。
彼らはこうやって、 を認めてくれる。
無意識に。
でもそれが、嬉しくて堪らない。

顔を拭うと、 は元気よく立ち上がった。
照れくさくて、二人を真っ直ぐに見れない。
だから、殊更はしゃいだ声を出して。


「そろそろ時間だから、イザークたちと合流しよう」
「……そうだな」
「そうですね。時間に遅れたら、またイザークは煩そうですし」


やれやれと言いたげに、ニコルは言う。
苦笑交じりのアスランの顔。
それでも、紛れもない優しさが、二人の中にあったから。



護りたい、と思った。
この日々を。
この日々を与えてくれる存在を。
「仲間」を。
護りたい。
ただ、そう思った――……。



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今回は更新が早いですね、『鋼のヴァルキュリア』。
ぽんぽんとタイピングできたからですけど。

て言うか、イザーク出てきてないよ……。
モノローグでもろくに……。

早くイザークにも活躍の場を!
与えたいなぁとおもいます。