『目覚め』て目にしたものは、どこまでも美しい人だった。

光を反射してキラキラとした、銀の髪。

泣いていたのか、涙に濡れたアイスブルーの瞳。

その人が、囁いた。


?』


と。

あぁ。と思った。

電流が走ったみたいに、私は受け入れていた。

どこか切ないその響きに。

細胞を呪縛するようなその響きに。

それが、私の名前なのだ、と。






#22   舞〜後〜






集合場所に訪れたのは、イザークたちの方が早かった。
当然、癇症の彼は、切れる寸前で。
嫌味を言うときのお決まり――敬語――を使ってアスランを責め立てる。


「隊長ともあろう方が、時間も守れないんですか?」
「……あぁ、すまなかった」


自分に非のあることとて、アスランは素直に謝罪した。
遅刻の原因に の存在がないとは言い切れないが―― のせいには、出来なかった。


「まったく……」
「いい加減にしてください、イザーク」
「何だと?」
「ごめんなさい、イザーク。今回の遅刻は、私が原因よ」


だから、アスランを責めるなと は言う。
それが余計、イザークの反感を買うことを、彼女は知っているのだろうか。
ディアッカは、はぁと溜息をついた。
何も知らない『ヴァルキュリア』の瞳は、痛くなるほどまっすぐで。
イザークも、黙ってしまう。

けれどそれで、怒りが雲散霧消してしまったわけではない。
ぎりぎりとした瞳が、そのままアスランに向けられる。


「どうしたわけ?
さん、ちょっと眩暈起こしちゃったんですよ」
「ふん。帽子も被らんから、日射病にでもなったんだろうよ」
「あんたこそ、その帽子、似合ってないわよ。何度も言うけど」


憎まれ口を、叩いて。
それでは埒が明かないと判断したアスランが、経過報告をするよう促した。
といっても、結果は同じだ。
実のある報告など、ない。
分かったことといえば、両者ともオーブの施設を突破する方法すら見出せなかったという、腹立たしい結果のみだった。


、座れ」
「……いいよ」
「日射病になったバカは、座っとけばいいんだ。座れ」


イザークに言われ、しぶしぶと腰掛ける。
勿論、イザークの向かいではなく、ニコルよりに。

怖いのだ。
イザークが、怖い。
でもそんなこと、イザークは知らない。
だって、自分が何故こうもイザークを恐れるのか分からない。
分かるのは、イザークが怖いのだ。

まっすぐで、ひたむきなまなざしが、怖い。
射すくめるように見つめられると、何も言えなくなってしまう。
すべてを暴き立てるような、視線が怖い。

怖くて、堪らない。
兄に、似ているのに。
でも、兄とは違う。
兄とは…… とは、当然キスなんて頬ぐらいしかしなかった。
あんな口付けは、知らない。
あんな情熱は、知らない。
それを、イザークによってされた。
兄に似ていると思ったその人から。
それが、恐怖に直結した。
だから、イザークの視線をまっすぐ受け取れず、俯くしか出来ない。










「そりゃあ軍港に堂々とあるとは思っちゃいないけどさぁ」


の隣に腰掛けたディアッカが、心底くたびれたという風につぶやく。
ディアッカの向かいに立つイザークも、苛立たしげにその端正な顔を歪めた。


「あのクラスの艦だ。そう易々と隠せるとは……」
「まさか、本当にいないなんてことはないよねぇ。どうする?」
「あの状況で、よもや領海から離脱したなんてことは考えられないわよ。とすれば……」
、それは憶測だ。俺たちが欲しいのは確証だ。ここにいるならいる、いないならいない。……軍港にモルゲンレーテ。海側の警戒は、驚くほど厳しいんだ。何とか、中から探るしかないだろう」


アスランの言に、 は顔を顰めた。
分かっている。これ以上、プラントとしても敵を増やすわけには行かない。
敵であるよりは、中立であってくれたほうが望ましい。
けれどオーブの背信は、明らかなのだ。あの場に前オーブ連合首長の娘がいた、それは何よりの証でもあるはずなのに。
じれったくて、堪らない……。

忌々しげに唇を噛み締める に、イザークの言葉が重なった。


「確かに、厄介な国のようだ。ここは」


イザークの言葉に、アスランの溜息が重なる。
それを耳にしながら、 は一人考え事に没頭していく。
意識が思索の波に落ちてゆくのを、とめることが出来ない。




厄介ごとが、山積している。
公私に渡って、考えなくてはいけないことばかりが増えていくよう。
頭が、オーバーワークでどうにかなってしまうのではないか。
かなり本気で、そう思う。




「兄さんみたい」じゃ、いけないのだろうか。
傍にいてくれたら、安心する。
それでは駄目なのだろうか。
みんな大好きだから、みんな一緒にいたい。
それは、傲慢なのだろうか。


イザークから向けられる情熱が本物だと分かれば分かるほど、 は戸惑いを隠せない。
戸惑わずには、いられない。


「そろそろ、次に行くぞ」
声をかけられて、 も立ち上がった。


さん、眩暈のほうは、大丈夫ですか?」
「大丈夫。特に体調崩したわけじゃないよ。ただ……頭が痛くなっただけだから」


あれはひょっとしたら、思い出してはならない領域だったのではないか。
あの酷い頭痛は、思い出してはならぬことを――魂にまで負った傷を直視させまいとして、彼女の中にある無意識の防衛本能が働いた結果ではないだろうか。
現に、今はもう痛みはない。


(なんか、変な感じ)


自分の知らない自分が、身の内に存在しているようで気持ちが悪い。
無意識でも防衛しなければならない『何か』など、存在するわけもないというのに。


「日射病だろう?俺の帽子、貸してやろうか?」
「大丈夫よ。いらないわ」
「すぐそう言うがな、貴様は。自分の体調管理も碌に出来ない人間が、えらそうに言うなよ」
「えらそう、えらそうじゃない云々じゃなく、単に美意識の問題なの。この格好でその帽子ってなんか……運送業者みたいで嫌」
「ぷっ……!」


の言葉に、ディアッカが笑う。
隣のニコルアスランも、面白そうに肩を震わせて。
イザークまで震えているのは、面白いからじゃなく単に怒ってるだけだろうが。


「言うねぇ、
「きーさーまーはー」
「冗談は置いといていくぞ、みんな」
「分かってる!」


アスランの言葉に、イザークが大きな声を上げて。
並んでエレカに向かう。

次に向かう場所は、モルゲンレーテだ。
オーブの国営の軍事工廠。
それの持つ力は、計り知れないとまで言われているそこへ、向かう。






じりじりと焦げ付くように照らす太陽が、少し翳ったような気がした。
中天に差し掛かっていたそれが、徐々に西へとその姿を移し始める。
モルゲンレーテにつく頃は、夕方になるだろうか。

空はただ、どこまでも青かった――……。



**




案の定、モルゲンレーテについた頃は日は傾き始めていた。
といっても、金網越しにモルゲンレーテを眺めるだけだったが。
その警備は、軍港よりはるかに厳しかった。


「軍港より警備が厳しいな。チェックシステムの撹乱は?」
「何重にもなっていて、結構時間がかかりそうだ。通れる人間を捕まえたほうが早いかもしれない」


イザークの問いに、アスランが答える。
だがだからといって、誰が通れる人間かも分からない。
下手に探りを入れて、薮蛇になることも有り得る。


「まさに、羊の皮を被った狼ですね」
「これからどうするの?確証云々以前の問題じゃない?手がかりすら掴めないのよ」


ニコルの言葉に被さるように、 が言葉を紡ぐ。
問題は、これからだ。
これから、どうする?

正面から、外交問題の悪化も辞せず特攻するか。
それとも為す術もなく網を張り続けるか。
それとも一度、基地本部に戻るか。

考え込む五人の前に、機会音が降って来た。


「トリィ」


と。
電子音にも似た儚い音に続いて、メタリックグリーンの羽根を持つロボットの小鳥が飛んでくる。
その姿に、 とアスランが反応した。


「アスラン?」


思わず駆け寄るアスランに、ニコルが声をかける。
ロボットの小鳥は、自然と差し出されたアスランの腕に止まり、その羽根を休ませた。
まるでアスランが、アスランこそが、正当な所有者であるかのように。

そうだ。
アスランが、作ったのだ。
今よりも幼い頃、今よりも小さな手で。
大切な親友のために組み立てた、ペットロボット……。

トリィが首を傾げる。
アスランが、瞬きをする。
思わず目をぱちくりさせるアスランに、他の―― を除く――三人が顔を寄せた。


「何だ、そりゃ」
「へぇ。ロボット鳥だ」


は、知っていた。
それが誰の所有物であるか。
知っているから、 は険しい顔をする。
知っているから、駆け寄ることもせずにフェンスの向こうを睨み据える。

やがて、少年の声が聞こえてきた。
この鳥を呼ぶ少年の、声。


「トリィー!」


日の光を浴びて、幾分オレンジに染まった茶色の髪が見える。
軍人というにも、そして工場勤務の人間というにも華奢な、まだ少年の域を出ない肢体が、見える。
瞳を見開いて、アスランは歩み寄る。


「あぁ、あの人のかな」
「トリィー!……あぁ、もう。どこに行っちゃったんだ?」


小声で呟く声が、聞こえて。
やがてこちらに気付いたかのように、フェンス越しに視線が絡み合う。

まっすぐと、アスランはキラのほうへ歩み寄る。
それを認めた が、袖口に手を入れるのを見て、イザークはその手を掴んだ。


「何をしようとしている、貴様は!」
「アイツ……っ!」
「接触する人間全てを一人残らず殺す気か?バカなことを考えるな!」


の手から、銃が滑り落ちる。
一発しか撃てない、コンパクトな銃だ。
それを見て、イザークは己の考えが間違いでなかったことを認識した。
面倒が起こる前に、接触する人間を殺そうとしたらしい、と。

自分を止めたイザークに、 は歯噛みする。
アスランが彼と接触するのを見て、厄介なことが起こらない内に処分しようとしているように、イザークの目には見えたらしい。しかし、そうではないのに!
正論で捻じ伏せようとするイザークを、 はまっすぐと睨みつけた。


「アイツ……アイツは……!」
「どうしたんだ、 。あいつが何だって言うんだ?」
「アイツ……は……」


言えない、と は思った。
いえば、それを知った経緯まで明かさねばならなくなる。
それを思えば、言えない。
自分を受け入れてくれる場所を、失いたくないからこそ言えない。


「何でもない。……ゴメン、イザーク。ニコルとディアッカも」


呆気に取られた顔で自分たちを見る二人に、詫びを入れる。
イザークにも、謝って。
落ちた拳銃を仕舞おうとしたところで、イザークに没収された。

外野がごちゃごちゃやっている間に、幼馴染二人の距離は、どんどん狭まっていく。

アスランが、近づく。
キラが、歩く。
ともに歩み寄り、両者を隔てるものは、フェンス一つとなる。
信じられないくらい近くに、二人はいた。
通信機越しでもない、本当に近くに。
手を伸ばせば触れられそうなほど、近くにいた。
あるいは、手を伸ばせばその眼球を抉り取ることが可能なほど、近くに……。


「君……の?」
「うん。ありが……とう」


ぜんぜん知らない赤の他人同士であるかのように、言葉を紡ぐ。
こんなにも、近くにいるのに。
こんなにも、近くにより添えるのに。
両者を分かつのは、距離でも、フェンスでもなかった。
二人がともに背負う背景が、ザフトと連合と、両者がそれぞれ背負った組織が、二人が触れ合うのを許しはしない。
それが、酷く切なくて。苦しくて、悔しい。



アスランが手を伸ばすと、キラも手を伸ばした。
アスランの手に乗っていたトリィが、キラの手へとその居場所を変える。

帰りたくなんか、なかった。
これ以上、戦いたくなんかない。
このフェンスを飛び越えて、ともにこちらに来い、と。そう言えればどれだけ良かっただろう。
そう言えば、こちらに来てくれる、と。その確証があれば、どれだけ良かっただろう。

けれど両者は今、たった一枚のフェンスによって遮られているのだ。
このフェンスの分かつ空間こそが、両者のいる場所の違い。
背負うものの違いだった……。

離れ難い思いでいっぱいのアスランに、イザークが声をかける。
そろそろ、艦に戻らねばならないのだ。


「おい、行くぞ!」


振り返ったアスランは、そのまま彼の属する組織へと歩み去ろうとする。
その背中に、キラは声をかけていた。
言わねばならない気がした。
これだけでも、伝えたかった。
今でも、友人と思っていると。今でも、親友と思っている。殺し合いなんかしたくない、と。
ただ、伝えたかったのだ――……。


「昔、友達に」


キラの言葉に、アスランが弾かれたように立ち止まる。
そのまま、印象的な翡翠の瞳が、振り返ってキラを見つめる。


「大事な友達に貰った、大事なものなんだ……」
「……そう……」


それ以上の言葉は、必要なかった。
伏せられたアメジストを見やりながら、踵を返す。

それでも、彼はフェンスの向こう、なのだ……。

アスランが戻る場所も、属する場所も、キラとは異なる。
そして異なる限り、敵でしかありえない。
あんなに一緒だったのに。
あんなに、一緒にいたのに。
触れ合えない現実が、ただ悲しくて痛い。

















振り返った空は、血を流したように赤かった――……。



<<<* Next * Back * Top *>>>








お待たせしました。
「鋼のヴァルキュリア」第22章輪舞、後編をお届けします。

難産だよ、難産だよといいつつ、予想以上に進んでいたことにビックリ。
目指すシーンまであと僅か。
なのにまったく謎は明らかにならないこのどうしようもない長編。

自分の能力を超えたお話は書かない方がいいようです。
えぇえぇ。本当にそう思います。
もう少し、自分の力量考えてプロット立てればよかった。
今更引っ込みがつかないので、最後まで頑張ります。

web拍手、アンケートなどでこの作品を好きと言ってくださった方。本当にいつも有難うございます。
そのお言葉を胸に、これからも精進して参りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

ここまでお読みいただき、有難うございました。