「なぁ、頼むから、アリー」


少年が、困った顔でそう言う。

しかし少女は泣きやまず。


「嫌よ、ロキ」

「頼むから」

「ロキが悪いのよ、反省しなさい」


しっかりした口調でそう言うと、再び泣きじゃくり始めた――……。










-in ホグワーツ特急-










「……悪かった」


 ついに根負けして、少年はそう呟いた。
 照れ隠しに、ぶっきらぼうな口調を作るけれど。赤く染まった頬が、少年が照れていることを如実に教えている。
 そう言う行為に、慣れていないのだ。


「本当に反省している?」
「……あぁ」
「じゃあ、何がいけなかったのか、言って頂戴」


 少女の言葉に、少年は言葉に詰まった。
 それもその筈だ。
 彼は、自分の言葉が間違っていたとは、欠片たりとも思っていないのだから。
 ただ、泣くから。
 大切な大切な。生まれる以前よりともにあったその存在が、泣くから。そして母が、悲しんだから。それだけは、悪いことをした、と。そう思ったから。
 だから、謝っているだけに過ぎない。
 自分の感情に萌したその言葉だけは、否定する気になれなかった。


「それだからロキは、お父さんに似ているって言われるのよ」
「……嬉しくない」
「お母さん言ってたもの。お父さんも、謝るのは苦手だったのよ、って。お母さん、お父さんの」
「アイツの話はよせ、アリー」


 少女の言葉を、少年は遮る。


「聞きたくない。不愉快だ」
「ロキったら……」


 少女は、溜息を吐いた。
 どうしてどうして、この調子なのだろう。


「ねぇ、ロキ」
「……なんだよ」
「ロキは、私の瞳も嫌い……なの?」
「ハァ!?お前、何言ってるんだ?」


 少女の言葉に、少年はその漆黒の瞳を見開いた。
 全く、何を言っているのだろう。

 大切な大切な、愛しい半身。
 『兄妹』だとか、そんな言葉ではとても表現でいないくらい愛している。だって、双子だ。ずっとずっと共に在った。母の胎内に在った頃から、ずっとずっと一緒だった。いわば、もう一人の自分。
 そして、自分よりももっともっと大切な存在。
 それが彼にとっての、=アルキオーネだったから。


「私の瞳は、お父さんの瞳だよ?」


 少女は、静かに言った。

 はらりと目元にかかる前髪が生み出す屈折ゆえか。の瞳もまた、と同じ漆黒に見えるけれど。本当は、漆黒ではなかった。
 彼女の瞳の色は、父親と同じ艶やかなグレイ。
 特に相違の見られない二人の双子の、それが唯一の違いだった。
 の瞳は、母親と同じ漆黒だったから。


「私は、の瞳が好き。お母さんと同じ漆黒の瞳だもの。カヅキ伯父さんやムツキ伯父さん、イツキ伯父さんと同じ瞳だもの。でも……」
「アリー」
「私一人だけ、瞳の色が、違う。私一人だけ、お父さんの瞳」
「馬鹿」


 俯くの頭を、はそっと抱えた。
 きゅっと抱きしめて、その髪を梳く。
 同じ漆黒の、髪。けれどの髪は、ほんの少し毛先に癖の出る髪質で、そこがほんの少し、違っていた。


「馬鹿って何よ」
「お前、気にしすぎ」
「何を」
「伯父貴たちは別に、お前を瞳の色で差別したりしやしないさ。俺は此処にくるまでどれだけ家訓の暗誦をさせられたことか」
「家訓の暗誦?」
「そう。の男児ならば、母と妹ぐらい自力で守ってみせろ!ってさ。お前に怪我させたりしたら、俺の梟便は吼えメールだぞ?やってらんねぇ」
「あは。伯父さんたちらしいね」


 くすくすと、は笑う。
 二人は、どこか歪に成長している子供だった。
 二人が生まれた環境は、彼らを、いつまでも子供のまま留めておいてくれるほど、優しい場所ではなかったから。
 勿論、母親のは、いっぱいの愛情を注いでくれたけれど。

 笑顔で呪いをかける物騒な伯父、カヅキも。
 クィディッチ馬鹿の少し子供っぽい伯父、ムツキも。
 一番の常識人で、その実一番怒らせたら怖いだろう伯父、イツキも。
 みんなみんな、ありったけの愛情を注いでくれた。
 伯母たちも、従兄妹たちも。
 二人は、末の子供で、従兄妹の中でも最年少だったけれど。
 みんなみんな、二人を愛してくれた。

 けれど、口さがない噂話は、いろいろなところから洩れ聞こえてくる。
 母を詰る見知らぬ人間をみたことがあるし、父親のことを口汚く罵る人間をみたこともある。母を庇う伯父たちを、悪し様に嘲る人間も。
 愛情は与えられて、彼らはきっと、いつまでもいつまでも、子供らしく成長してくれることを望んでいたのだろうけれど。いつまでもいつまでも、子供らしく在ることはできなかった。
 子供のままでいることは、できなかった。
 早く早く、大人になりたかった。


「俺は好きだ、アリーの瞳」
「お父さんの瞳だよ、ロキ」
「関係ない。俺は、好きだ」
「うん。そう言って欲しかったの。有難う、ロキ」
「あぁ、そうだ、アリー」


 にこり、と笑うに、は苦い表情をして。
 その表情に、は首を傾げる。
 何か、困ったことでもあるのだろうか。


「ミドルネームは、俺たちだけの秘密にしよう」
「え?でも……」
「分かってる。名は、そのものの本質を顕す。の本質は、=アルキオーネ=ブラック。俺の本質は、=プロキオン=ブラックだ」
「ロキ」


 『ブラック』の名をが口にすると、はそれまでにない難しい表情を作った。
 その名は、禁忌だ。口にしては、いけない。魔法族が忌避する、裏切り者の名前なのだから。
 注意、しなくては。
 不用意に話しては、いけない。


、俺がその辺の注意を怠るとでも?」


 普段滅多に彼が呼ぶことのないファーストネームを口にしながら、彼はにっと笑う。


「ちゃんと対策はしている。このコンパートメントには誰も入って来れない。ついでに、防音の呪文もかけているから、どれだけ大声で話しても平気だ。『伸び耳』の侵入もなし」
「そ……か。そうだね、ロキは、その辺の用心は欠かさないもんね」

「分かっているよ」


 諌めるに、は俯く。
 分かっているのだ、にも。
 その言葉の意図は、分かっている。
 どうしてそんなことを言うのか。その理由は、把握しているのだけれど。
 それでもやはり、ほんの少し。嫌だな、と。そう思ってしまうのだ。
 我儘だと、分かっているけれど。


「分かっているけれど、嫌なんだもの」


 ミドルネームは、『名乗ってはいけない名前』だった。
 誰にも、名乗ってはいけない名前。
 それでも、彼らの『本質』を現す名前だと、母親である女性は言う。
 この名前は、もう一つの血脈を引くことの証なのだから、と。
 父と結婚することなく、シングルマザーとして二人を育てた気丈な母は、そう言うのだ。
 だから、この名前で呼び合うことにした。
 二人の間では、皆に呼ばれるファーストネームではなく。
 誰からも呼ばれない、ミドルネームで呼ぼう、と。
 二人で、決めた。
 二人の間では、プロキオンにアルキオーネ。母がつけたもう一つの本質、その星の名前で呼ぶのだ、と。


「ホグワーツにいる間だけだ、『アルキオーネ』」
「ロキ……」
「此処にいる間だけだ。此処にいる間だけ、==と名乗ろう」


 まっすぐ見つめてくる漆黒の瞳に、頷く。
 に見つめられると弱い、という。
 そのグレイの瞳でまっすぐ見つめられると、何でも言うことを聞いてしまう、と。
 それは、も同じだ。
 その漆黒の強い眼差しで頼まれると、嫌とはいえない。


「分かったよ、『プロキオン』」
「アイツの名前を、呼び起こしちまう可能性のある、名前だ。母さんを困った立場に追いやるわけにも、行かないだろ?」
「分かるよ。特にロキ……は、お父さんによく似ているもの」
「お前もだ、。お前も、父さんに似ている。母さんが言っただろう?の雰囲気は母さんに似ているけれど、全体的に父さんに似ている。特にその瞳は、父さんの瞳だ。だから……」


 もう一つの『本質』に、蓋をしよう。
 ばれないように。見破られないように。
 いざと言う時は、自分の名前だけは明かしてもいい。それで妹が守れるならば。
 けれど今は、危ない橋を渡るべきでは、ない。


「互いに封じあうか?」
「そうしましょう。お互いがお互いの『本質』に触れたとき、封印は解けるの」
「俺がお前を『アルキオーネ』の名で呼び」
「私が貴方を、『プロキオン』の名前で呼んだ時」
「その声が眠る『本質』に触れた時」
「封印は、解ける」


 異なる色彩の瞳が、しっかりと絡み合った。
 互いの掌を、そっと重ねる。


「おやすみ、『アルキオーネ』。=アルキオーネ=ブラック」
「おやすみなさい、『プロキオン』。=プロキオン=ブラック」


 繋いだ掌が、熱い。
 どこかその熱を持て余していると、何かがゴソリと抜け落ちたような、微かな虚脱感が広がった。

 『もう一人』が眠ったのだろう。
 お互いの、『もう一つの本質』が。
 否、それぞれが不可触の唯一のものなのだから、『もう一つ』ではなく、『本質の片割れ』であるかもしれないけれど。


「何だか、変な気分」
「俺もだ。……でも、仕方ない。魔法で封じとかなきゃ、妙に意識してしまうものだろ?」
「分かってるよ、


 多分、慌てるだろうと思う。
 何か言われる度に意識して、その結果とんでもない行動を取ってしまったり。
 そう言う結末を、否定することはできない。

 ばれて欲しくない、と思う。
 ばれなければ、多分。普通の子供として生活できるはずだ。
 親が魔法省に勤めていれば、=が在学中、シリウス=ブラックと恋人だったことは知っているかもしれないけれど。
 けれどそれ以外の人間は間違いなく、そんな事実は知らない筈だ。
 その事実は、一般に『メディア』というものに流出する情報を軽く凌駕する。魔法族に『メディア』や『プライバシー』という観念が存在するかどうかは、残念ながら謎だけれど。


==の娘で、=の双子の妹」
==の息子で、=の双子の兄」
「父が誰かは、知りません」
「生まれた時から、俺たちに父親はいませんでした」
「私たちは、母に育てられました。母と、それから伯父たちに」
「父親が誰かは、知らないのです。俺たちの母は、結婚していなかったから」
「えぇ、シングルマザーというものです」
「俺たちを生むこと、育てること。伯父たちは反対したようですけれど」
「最後には、母の希望を叶えました。母は、生まれる子に、罪はないと」
「えぇ、母がそう言ったから、俺たちは生まれることができました」
「魔法は、伯父たちに教わりました」
「俺たちは、ハーフなんです。だから、どちらの魔法に属するのか、生まれた時は分からなくて」


 歌うように二人はそう、口ずさむ。
 自分たちの存在を、これから聞かれるたびに口にするだろう『嘘』を多分に織り込んだ『真実』を、互いに確認するように。
 そして、声を揃えた。


「私たちに、父親はいないのです」
「俺たちは、父親を知らないのです」
「私の母は、=
「俺の母は、=
「私の父は……」
「俺の父は……」
「「シリウス=ブラック」」


 全天で一番明るい、輝ける星。
 『焦がし尽くす者』の意を持つ。
 輝ける星の名を、その本質として名に戴いた。
 にもかかわらず、裏切りという闇に堕ちたもの。
 それが、二人の父親の名前。







 ――誰にも明かす気は、ないけれど……。



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 多分、の方は、お父さんのことはあまりよく思っていないんじゃないかな。
 ほら、父親は超克の対象だって言うじゃない。
 のほうは、ごくごく普通にお父さんに会いたいって思っているのではないか、と。
 いえ、別にも、会いたくないわけじゃないですよ。
 でも、今思ったけど。
 どうにもマザコン&ファザコンな兄妹に見えて仕方がない。

 此処までお読みいただき、有難うございました。